★6★ 変わらぬままの君で。
“戴冠式の当日までに、全ての根回しを終えること”
実際これがこの作戦の中で、一番の難所に思えた。それというのもペテンにかけようとしている対象のアルバ……もとい、ジェルミーナの行動原理は至極単純で、本人の性格も素直な激情家である分、どう動いてくれるかの読みをつけやすかった。
その点、長年の五王家制度に鬱憤を持つ二家を相手取って、残る三家で手を組み足並みを揃える方が何十倍も骨が折れる。
特に次期国王を輩出する気でいたフォンタナ家は難色を示したため、本意ではなかったものの、
『そもそも、そちらの長子が国の進退を決める大事の前に、駆け落ちなどという愚を犯したことが、今回隣国につけ入られる隙を与えたのでは?』
――と脅し、
『それに駆け落ち相手の家の人間が怒り狂っている。戴冠式に何を仕掛けてくるかも分からない状況で、貴重な男児を喪うことになっても良いのですか?』
――と重ねて脅すことで何とか作戦に組み込めた。
ただ、こちらも望んで玉座に座りたいわけでもない。彼女の命の安全さえ確保出来れば、即刻放棄してしまいたいほどだ。まさかそれを正直に教えるつもりもなかったので、そこは『異例の罰則に見せかけられるよう、五年で玉座はフォンタナ家にお返ししましょう』とも明言した。
戴冠式の二日前には間に合うかと危ぶんでいたものの、最後の要である人物から届いた書簡で、無事に全ての根回しを完了することが出来た時は、膝から力が抜けて椅子にへたりこんだ。
実家の母へと当日城へ寄越す私兵の増援要請を頼んで、ドラーギ家とフォンタナ家にも私兵を惜しまず全て放出するように頼んだ。特にドラーギ家は今日に至るまで長年玉座の護り手であったために、兵士の錬度が違う。
そのドラーギ家から近衛兵まで全て借り受けられたのは運が良かった。お陰でそれを見た次期国王の座を戴くはずだったフォンタナ家も同様に、錬度の高い近衛兵と私兵を出してくれたのだ。
俺が王家制度を放棄したせいで、先の二家よりも錬度の低いベルティーニ家の近衛兵と半数の私兵、現騎士団員は繰り上げの形で城に詰めさせ、残りの私兵はドラーギ家とフォンタナ家の私兵軍に振り分けた。
バティスタ団長の奥方はコルティ家の遠縁であるために、当日は身柄が危険に晒される可能性があったので、戦闘の要である団長は三家から借り受けた私兵と、奥方の家の私兵を連れてコルティ領に待機。
残る三家の私兵は、それぞれ隣国と近接しているコルティ領とスカリア領の境界に配置して、その段階で初めてこの一連の売国の企てがすでにこちらに筒抜けであることを宣言。王都に残ったコルティ家とスカリア家の当主とその縁者は監視下に、領地に残した領民と遠縁などの血縁者を人質とした。
最初は行方不明扱いだったベルティーニ家の跡取りが名乗りを上げた時は、どの道戴冠式の争いに乗して弑してしまえば良いと高を括っていた連中も、この時になってようやく退路を失ったことに気付いたようだが……すでに遅い。
元々コルティ家は本来穏健派だったところを、隣り合わせの領地で弾かれ者同士懇意にしていたスカリア家に同調しただけだったので、比較的あっさりと受け入れた。しかし代々当主の能力だけでいうなら一番玉座に近いスカリア家は、最後まで猛反発した。
けれどそれも隣国の間者に偽の情報を流し続けなければ、領民と家族の命はないと告げられた後は苦渋の表情を浮かべて指示に従い、コルティ家は最初から自分達が脅して引き入れたと言い出す始末で。コルティ家はそう発言したスカリア家と真逆の供述をした。
奇しくもこんな形でしか、当初の【五王家制度】の成り立ちを思い出すことが出来なかったのは残念だが、まだ手遅れではないだろう。過ちは五家全てにあったのだから。
騎士団員達に自分の本当の家名を名乗り、今回の件に力を貸して欲しいと頭を下げると、部下達はあまり深く考えずに二つ返事で了承してくれた。
唯一アルバが女性であり、妹の仇を追って海から上がって来た人魚だと説明した時だけは本気で頭の心配をされたものの、ファビオの『でも、副団長は嘘を吐くタイプじゃないッスよね?』という、何の根拠もない発言で何とかなったことに関しては“アルバ”の人望あってのことだろう。
――そして、戴冠式当日の朝。
当初から予測していた通り、非戦闘員を襲うような卑怯な真似を好まなかった彼女がベルティーニ家の近衛兵を襲い鎧を調達した後、会場内に潜入したと見張りから報告を受け、襲われた近衛兵から話を訊いて持ち場を割り出した。
逸る気持ちを抑えて現国王夫妻の後について会場入りし、ジェルミーナ扮する近衛兵の前を横切った時に感じた焦燥感は精神的に一番堪えたが、それでも一種独特な高揚感を覚えたのも事実だ。
その動揺を肌で感じ、困惑した怒りを正面から受け止め、けれど最終的には自身の憎しみよりも、誰かを庇おうとする愚かなまでのお人好し加減は――……やはり、初めて助けられた当時と何も変わらないままで。
傷付けることになってしまっても、嬉しいと感じる身勝手な自分がいる。
しかし結果として五王家の争いに関係のない彼女が、現国王夫妻を庇ったことで呪いが解ける要因を作ってしまった。変化を遂げる彼女に奇異の目が向けられたことは、この後どれだけ謝ったところで許されることではない。
ただ、咄嗟に下半身にローブを巻き付けて抱き上げた時の心細そうな表情は、正直……そんな場合ではなかったのに、後ろめたくも可愛いと、思った。
――と。
「やっぱりサメの人魚って言うだけあって、めちゃくちゃ筋肉質ッスね!」「上半身のせいで色気は半減だけどな」「両方合わさったってアルバに色気は感じねぇだろ」「重いし固いしで、石像抱いてるみてぇだわ」「中身がガサツ過ぎるよな。癒やしを感じない」「僕は、優しいから、好き、です!」「ルカはその歳で女の趣味が渋いな~」
ザクザクと速歩で砂浜を歩く団員達の会話を聞いていると、兵舎で今まで交わされていた会話と大差ない。深く物事を考えないということは、適応力が高いということで良いのだろうか?
抱え上げられたまま好き勝手なことを言われているジェルミーナは、戴冠式の会場から連れ出した時の困惑した表情から一転、射殺さんばかりに俺を睨みつけている。怒鳴らないのは純粋に酸素を消費したくないからだろうが、そこには両端で散々好き勝手を言っている元同僚に対しての怒りも込められていそうだ。
流石にその分の負担は負いかねると首を振るも、今度は騙していたことに関して中指を立てられた。当然のことではあるが、これは想いを告げる以前に相当嫌われたようだ。
けれど会場を出る前に話した内容を信じてくれてはいるのか、砂浜を歩く間キョロキョロと周囲を気にしている。こんな状況でも妹の心配を出来るとは、人魚どころか人間でも難しいだろう。
そうして騎士団にいた“アルバ”と俺が毎朝鍛錬をした場所に辿り着いた時、海の波間から「姫さま~」と若干間延びした女性の声が聞こえた。乳白色の女性はゆるゆると手を振りながら「そこの殿方達、ぼうっとしていないで早く姫さまを海に戻して下さる~?」と指示をされてしまう。
ジェルミーナを抱えていた団員達も互いに顔を見合わせていたが、最終的な判断を視線でこちらに委ねてきたのでそれに頷き返す。足を砂に取られて彼女を抱えたまま転ばないよう、慎重に波打ち際に近付きジェルミーナを座らせた。
直後に人間では到底浸かっていられない水温の波が押し寄せ、それが引くのに合わせる形でジェルミーナが海へと這い戻る。するとまさに水を得た魚となった彼女が、岸辺の俺達を振り返り「オズヴァルトッ! 貴様っ、この大嘘吐きのクソ野郎がっ!」と吼えた。
概ね予想通りの罵倒に安心したものの、隣で爆笑している団員達には「重くて悪かったな馬鹿共! ルカとファビオはすまなかったな」と返されたのは少し面白くなかったが。
向きを変えたジェルミーナは、あの乳白色をした不思議な女性の元まで泳いで行くと、不安気な表情で何事か話し込み、チラチラとこちらの様子を窺ってくる。恐らく“妹が生きていると言われた”とでも相談しているのだろう。
ジェルミーナから話を聞いた乳白色の女性が「次に姫さまに嘘を吐いたらワタシが直々に呪い殺すけど、良いかしら~?」と物騒な申し入れをしてきたが……背後から駆けてくる人の気配にその心配はないだろうなと苦笑する。
波間に浮かぶジェルミーナもその存在に気付いたのだろう、一瞬完全な思考停止状態になったように見えた後、凄まじい勢いで再びこちらに泳いで来た。
駆けて来た人物はすでに二本の脚で生きる身でありながら、何の躊躇いもなく海に入ろうとしたので「ここまできて心臓発作で死なれては困る」と注意すれば、素直に「そ、そうですわね、ごめんなさい」と謝罪された。
しかし波打ち際に這い上がって「ラフィアナ!!!」と叫ぶ姉を見た彼女は、あっさりと直前の忠告を忘れてその胸に飛び込みに行った――が。直後に海水で冷え切った鎧に悲鳴を上げた妹のために、正気を失ったジェルミーナが「誰か鎧を脱ぐのを手伝ってくれ!!」と叫ぶ。
その状況に爆笑しながらも手伝おうと近寄っていく部下達を押し退け、俺の手伝いを渋るジェルミーナから鎧を脱がすという微妙な空気では、流石にこの想いを告げることも出来ず。
密かに溜息をついた耳許で「騙したことの説明は後で訊かせろ。それから……ただいま」と躊躇うように。長年捜し求めた愛しい人魚は、俺にだけ聞こえるように囁いた。




