*4* いよいよ、だな。
一度目の入隊経験が活かされているのか、衛兵達の使う兵舎での団体行動にもすぐに馴染めた。正規の衛兵達に混ざって何食わぬ顔で鍛錬をし、持ち場を見回るフリをしながら城内を歩き回り、同僚と交わす雑談の中から情報収集をして日々を過ごす。
何度か当日の会場内警備にかり出される騎士団の連中を遠目に見たが、それだけだ。まさかあいつらも私が城内に潜伏しているとは思っていないことから、当然誰にも見つかることはなかった。
けれどもしも無事に逃げ切れたなら……という楽観的な考えはないので、逃走経路は確認しなかった。当日はあの同族であるカルロ・バティスタと、オズヴァルトもかり出される。二人は騎士団のツートップだ。必ず近衛兵達の次に玉座に近い場所に控えるだろう。
一対一なら或いは逃げる隙も作れるか……とは思うが、戴冠式を襲う刺客を相手に騎士道精神を持って挑む馬鹿もいるまい。実質逃げ切れる可能性は限りなく零だ。
ただ緊張感を高める私とは違い、緑海の魔女は陸のもの全てが新鮮なのか、耳許で《あれは何?》《陸は随分長い間明るいのね》などと、まるで甥っ子達のようにはしゃいでいた。
あまりにはしゃぐので「この件が片付いたら、お前も魔法で陸に上がってみたらどうだ」と言ったのだが、魔女は少しだけ寂しそうに《姫さまったら……ワタシの身体は九割が水なのよ。人型を保ったまま陸に上がるだけでも相当な魔力を使ってしまうわ》と笑われる。
陸への憧れはあっても、身体が適応する種族ばかりではない。そんな当たり前なことに今更気付く。それ以上はその会話を続けるのも躊躇われ、私は戴冠式当日まで緑海の魔女の目になってやることに決めた。
魔女は戴冠式に関係のない庭園周辺や、尖塔から望む街の景色に視界が変わったことで《これから敵討ちをしようっていうのに……お人好しねぇ》と。どこかこれまでとは違う声音で囁くようになった。
そんな感じでもう明日には戴冠式という嘘のような順調さで日は進み、その穏やかな日常は一瞬私でも敵の罠かと訝しんだ程だ。
そしてついに最後の“通常勤務”時間に城内を見回っていると、耳許で魔女が《いよいよ明日討ち入りする姫さまに、今夜特別に良い物をご用意しましたの。九日前に上陸させた浜辺に来て》と囁いた。
周囲に誰もいないことを確認してから「何だいきなり。どういう風の吹き回しだ?」と問えば、魔女《あら、ヒドイ言い草ね》と笑う。しかし最近この存在に馴染みかけていたものの、相手はあのクソ親父を暇潰しに“女性体”に変えた魔女だ。流石に警戒くらいする。
けれど私の反応を気にした様子もなく、魔女は《何を差し上げるかは来てからのお楽しみよ》と言うので、結局それ以上深く聞き出す気も失せた私は、言われた通りに深夜の衛兵用兵舎から抜け出して砂浜へと向かった。
すると到着してすぐに「いらっしゃ~い、姫さま。ちゃんと来て下さって嬉しいわ」と海に浸かった岩場の陰から緑海の魔女が顔を出す。
そのまま「こっちよ」と手招きされたので岩場に近付いて行くと、魔女は「ジャーン!」と効果音を口にしながら見覚えのあるごく淡い水色のドレスと、見覚えはあるものの、やけにその大きさを変えた物を持ち出した。
「海龍の衣と……随分可愛らしくなったが、グングニルかこれは?」
「ええ、明日のクライマックスに向けて特別に持ってきて差し上げたの。グングニルは持ち運びがし易いように縮めたけど、使う時に声をかけてくれたら元の大きさにしてア・ゲ・ル」
私の質問に魔女は得意気にそう答えたが、摘み上げたグングニルは少し大きなペンダントトップくらいの大きさしかない。クルクルと回して訝しむ私に「いいわ、ちょっとしっかりそれを持っていて下さる?」と魔女が言うので、間抜けな姿だが砂浜に腰を入れて立つ。
その直後に魔女がリボンのような口腕を一振りすれば、ペンダントトップのようだったグングニルは、元の私の背丈を越える大振りな槍に姿を変えた。試しにその場で振るってみるが、違和感もない。
驚く私に「お礼を言って下さってもよろしいのよ?」と魔女が微笑んだが、私は礼を述べるよりも先に「どうしてここまでしてくれる?」と訪ねていた。魔女はその疑問に「獲物が最後までもがく姿が好きなの」と、本気とも冗談とも思える言葉を吐き、次いで「明日が楽しみねぇ」と。
――冴え冴えと空に輝く月を見上げて、そうポツリと言うのだった。
***
緑海の魔女と見上げた月が去り、朝日が昇って……ついに戴冠式当日。
戴冠式は昼からだが、当日の朝であろうともやるべき仕事はまだまだ残っているため、五王家制度に名を連ねる中でも主家に近い親類縁者の席を確認したり、招待した人間の照会をする手続きをしたり、城内はかなり慌ただしい。
間違っても、真夜中に王の寝室に強襲をかけて王位を簒奪するような単純な行事ではないようだ。それでも衛兵達は城内の持ち場に散らばり、騎士団と近衛兵は戴冠式を執り行う広間にすでについている。
……とはいえ、私達の仕事はそんな歴史の一頁を飾るような華々しいものではない。私を含む隣国の間者とザヴィニアの二家に雇われた刺客達は、すでに戴冠式の執り行われる広間の中に、何食わぬ顔で位置取りを済ませていた。
ある者は二家の近親者を装い、またある者は体調の思わしくない現・国王の傍に控える医務官の中に、他にも衛兵、楽団員、紋章院など、なかなか潜入するにしても業種に富んでいる。
私はといえば、一番追い剥ぐにしても後味の悪さを感じにくい近衛兵だ。強襲する相手よりも強ければ剥がれないのだから、日頃の己の鍛錬不足を恨め。因みに鎧と剣を拝借した近衛兵には個人的恨みもないので、城の地下にある倉庫で眠ってもらっている。
魔女に地下倉庫に隠した近衛兵の顔を映してもらってはいるものの、瞳の色は元のままだ。ヘルムの上についているバイザーは、式典の間は上げていなければならないので隠せない。声や体格は私のままなので、正規の近衛兵に声をかけられればバレる可能性がある。
内心はすぐにでも八つ裂きにしたい相手に飛びかかれる距離にいたいが、この鎧の持ち主が玉座へ続く道のどの位置につく実力の持ち主かも分からない。なるべく玉座に近い方が嬉しいのに……と。
《よくあれだけ長さがあったドレスを全部鎧の中に押し込めたものねぇ》
様々な思惑で普段あまり使わない頭をフル回転させていた私の耳許で、緑海の魔女がそう囁きかけてきた。一瞬何を言われているのか迷ったが、すぐに《海龍のドレスよ。ごわつかないのかしら?》と笑われる。
確かにその通りではあるものの、わざわざ今話題にすることにも思えない。だとすれば、これは余計なことを考えている私を正気に戻そうという魔女なりの気遣いなのだろうか?
そう思って「ごわつきはするが、このドレスを貫こうとするのならグングニルが必要になる。多少着心地が悪くともオマケが出るとは思わんか?」と囁き返せば、イヤーカフを通して小さく喉を鳴らす音が聞こえる。
次いで《グングニルと短剣はすぐに手の届く所にあって?》と声がしたので、その声に右手首に仕込んであるグングニルの存在と、フォールズ(※甲冑のスカートのような部分)の隙間に隠し持った短剣の存在を確認した。
そうすると幾分か心が穏やかになり、余裕が生まれる。しかし魔女に礼を言おうと口を開きかけた直後に近衛隊長から整列の声がかかり、私が追い剥いだ人物の同僚が「何やってるんだ、早くこっちに来い」と呼ぶ声につられて自然に配置につけてしまった。
場所にしてちょうど玉座と広間の入口からの中頃。意外と良い位置についていてくれた鎧の持ち主に心の中で礼を述べつつ、式典開始一時間前を報せる鐘の音が鎧越しに響くのを聴きながら……何故か。
この広間のどこかに配置されているだろうに、未だ姿を見せないオズヴァルトの存在を気にする自分がいる。




