*幕間*その頃、彼と彼女は。
ザヴィニアは海に面した土地が多いうえ、ここ王都は漁業や船での貿易が盛んに行われているため、あちこちに小さな食堂が建っている。客は思い思いに自分の馴染みにする店を選び、店は常連にしたい客層を選ぶ。
夜間は営業時間がばらけるので、食事所が同じ時間に賑わうようなことはない。
――だが、昼は話が違ってくる。
昼の休み時間だけはどこも等しく大忙しで、込み合うこと請け合いだ。それというのも大抵の仕事において合間に挟む小休止はバラバラでも、昼休みの時間はどこも同じような時間帯が多いせいだろう。
如何に早く朝の仕事をきりの良いところで切り上げて目当ての食事所に滑り込むか。人によっては“この店のこの席でなければならない”という、非常に難しい決まりを自身の中に持っている者もいるので、必然的に店は込み合うのだ。
だから昼休憩も終わりにさしかかり、人気の少なくなりはじめた食事所にやってくる客というのは、専門職か自営業か、さもなければ巡回の交代でようやく昼食にありつける騎士団員達である……というのが店側の推測で。実際この推測はあながち間違っていないことが多い。
そんな、昼時の戦を生き延びた街の小さな食事所にて――。
「はあぁ……最近戴冠式が近いせいで騎士団全体がピリピリしてるから、このお店に来て、エレオノーラさんの作ってくれるご飯を食べると癒されるッスね。でも僕から言い出したのに、忙しい昼時の手伝いにあんまり来られなくて申し訳ないッス。おまけに何の手伝いもしてないのにこんな風にご馳走になっちゃって……」
「あらあら、それは料理を生業にしている身としては嬉しいわ。だけど手伝いのことなんて気にしないで。つい先月まではお昼の休憩時間を減らしてまで手伝ってくれたのだもの。これはいつものお礼。第一そちらの戴冠式の準備も大変なのでしょう? 無理をして身体を壊さないか心配だわ」
他の客がいなくなった店内で、一組の男女がテーブルを挟んで会話をしながら遅めの昼食を摂っている。
会話の内容的に男性の方が客であるらしいが、黒いつり目と耳が隠れる長さの黒髪をした小柄な少年で、ややお調子者のきらいがあるようだ。
対する女性の方はこの店の店主のようで、お調子者の少年よりは少し歳上らしい。柔和な微笑みを浮かべて少年の話に返事をする様は、姉と弟のようだ。亜麻色の髪と金茶の瞳が美しい健康的で可愛らしい印象である。
普段お客や知り合いとの会話をしている時よりも砕けた口調であるのは、女性が目の前で美味しそうに食事を頬張る少年に親しみを持っているからだ。そしてそんな二人の会話内容からするに、どうやら話題に上がっているのは一ヶ月後に迫っている、ザヴィニア国の新しい王を迎える戴冠式のことらしかった。
二人の漏れ聞こえる会話の内容から、現在の国王は高齢と病気のために治世を続けるのが困難だということで、存命中の退位となるようだ。
ともあれ気に病んでいたことを女性が気にした風もなく、逆に心配されたことで、少年は「えと、僕、体力には自信があるッスから」と照れくさそうに笑った。人懐っこそうな少年の笑みに、女性の方もつられて微笑みを深くする。
けれどそれまで終始楽しげだった少年は不意に表情を曇らせ、そのことに気付いた女性が「どうしたの?」と訊ねると、少年はそれまでとは違った大人びた笑みを浮かべて口を開いた。
「僕はまだまだ下っ端ッスから、いつもの巡回警備にかり出される時間が長くなるだけなんスけど……。副団長なんかはずっと戴冠式の準備にかり出されてて。この間まで夜警中に海に落ちて寝込んでたのに、ここ三日くらいはほとんど寝てなさそうなんスよね。こういう時にアルバさんがいてくれたらなぁって」
言いながら、綺麗に空になった皿の縁をスプーンの背でカツンと叩く。そのままふてくされた表情でカツカツと小刻みに少年が叩く渇いた磁器の音に、女性も「そうね」と寂しげに呟いた。
それに女性を不安にさせたくなかった少年は敢えて口にはせずにいたものの、彼の同僚である先輩達から聞かされていた情報の中には、戴冠式の行われる年には近隣の国々が俄に色めき立ち、良からぬことが起きるという情報もある。
下っ端の彼にすらそんな情報が降りてくる時点で、この国が如何に危うい立場にあるかが分かろうというものだ。一枚岩ではない国の持つ、魅力的な海の資源と貿易航路。
それに近隣国にしてみれば五王家制度などという夢見がちな制度は、付け入るに充分なものであった。その長年繕い続けて誤魔化した制度の綻びは、残念ながらもう隠しようがなかったからだ。
「……元々僕がこのお店に顔を出すようになったのもアルバさんの影響だし、副団長の無茶を真正面から止められたのだってアルバさんッス。あの人と出会ってなかったら、僕はずっと兵舎の中でクサってた。間違ってることを空気も読まずにズバズバ言うアルバさんが現れてから、皆どんどん変わったんスよ」
さっきまでの活発で生命力に溢れていた少年の声は、途端に感情のこもらないものになり、それは目の前に座る女性に聞かせるためと言うよりも、まるで自身に言い聞かせているようだ。
そうしてそんな言葉通り、少年は皆に慕われていた“アルバ”という人物が姿を消してから、ずっとその行方を捜していた。捜索しているのは少年だけではなく目の前にいる女性もそうであったし、騎士団に在籍している同僚達や、何なら副団長までもがそうだ。
そもそも少年も口にしたように、彼がここを訪れるようになったきっかけは慕っていた“アルバ”のせいで、もっと足繁く通い出し、遂には休憩時間を削ってまで給仕の真似事を始めたのも“アルバ”のせいである。
まあ、実はほんのちょっぴりこの少年が、女性に対して淡い想いを抱いているのもそれを後押ししていたり……。
ともかく、かの人物はある日突然姿を現し、そしてまたある日を境に突然姿を消した。嵐のようにすべてを引っかき回して、なのに不思議とすべてを纏めていった人物。
「ホントどこに行っちゃったんスかね、あの人。僕は、いえ、皆だって……まだ色んなことのお礼の一つも出来てないんスよ」
ジッと空になった皿を見つめていた少年の顔を見ていた女性は、ほんの一瞬だけ何やら悩むように眉間に皺を寄せ、けれど目の前でしょんぼりと溜息を吐く少年の姿に腹を決めたのか、スプーンを握ったままの彼の手に自分の手を置いてある秘密を半分だけ打ち明けた。
「あのね、今から話すことは確定ではないのだけど……。アルバさんが姿を現す日は、もしかすると分かるかもしれないわ」
とはいえ実際はそう口にした女性も最早半信半疑で、縋るような希望ではあったけれど。
思いがけないその告白に、直前まで手を重ねられてドギマギしていた少年は顔色を変え「え、あ……ちょ、ちょっと待って下さいエレオノーラさん!! それってホントッスか!?」と叫び、自分から彼女の小さな手を包み込むように握りしめた。
いつの間にか簡単に女性の手をすっぽりと覆い隠せるようになっていた少年に驚いて、彼を見つめる彼女の頬が僅かに赤く染まる。しかしそんな“おや?”と思わせる反応に彼が気付くことはなく……。
すぐに態勢を整えた彼女が「元気になって良かったわ」と、微笑みながら語り出した今はまだ“仮定”でしかない話を、二人。
顔を寄せ合って来るべき日の計画を練る姿は、傍目には人目を忍んで愛を囁き合う、可愛らしい恋人同士にしか見えないのだった。




