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*3* 新しい名前と新生活。



 早朝――まだ薄明るい程度の砂浜で、故郷を眺めるような感傷に浸ることもなく朝の鍛錬を済ませ、その場で軽く足を屈伸させて筋肉を徐々に落ち着けていく。多少面倒だがそうしないと、急に腰を下ろしてくつろごうものなら立てなくなると初日に思い知ったからだ。


 持ってきていた布で汗を拭った後は、槍の穂先にくくりつけておいた重り代わりの砂袋を外す。こうしておけば穂先に重心を偏らせることで、足を踏ん張ってバランスを取る感覚を鍛えることが出来る。


「ふふ……なかなか良い感じになって来たではないか。二足歩行など、この海の戦士ジェルミーナにかかれば恐れるに足らず」


 今まで親しんできた尾と違い、この二股に分かれた足は最初の頃こそ苦心したが、存外慣れてくると悪くないな……などと格好をつけている場合では、実のところ全くない。


 むしろこうでも言っていなければ心が折れそうなのだ。


 それというのも――……私はこの数日間、ここで鍛錬をするついでに件のカモメを待ち伏せしていたのだ。そうしてその望みは叶った。たとえ得られた情報が到底満足出来る内容ではなかったとしても。


「あああ、忌々しいあのカモメのやつめ! あんなに近々に行われるような口をきいておきながら、何が戴冠式は二年後だ! もういっそのこと明日にでも現国王が倒れるなりして、とっとと行ってくれ!!」


 思い出した途端にせっかく鍛錬で凪いだはずの怒りが、またムクムクと盛り返してきて、その苛立ちから砂を蹴り上げる。しかし舞い上がった細かな砂は、汗で湿り気を帯びた肌や髪に纏わりついて、より不快感を高めただけだった。


 自らやらかしたとはいえ余計なことでさらに滅入っていると、背後から「アルバ!」とやや聴き馴染み始めた新しい名と、声が私を呼んだ。そしてこれが第二の不満の原因でもある。

 

 嫌々そちらを振り返ればさっきより明るくなり始めた砂浜を、一人の男がこちらに向かってやってくる姿が見え、私は自分に「笑え、笑うんだ……」と呪詛のように呟いてから「おお、オズヴァルト! お前も稽古に来たのか?」と朗らかな声を上げた。


 ここ最近では毎朝のことながら、海の戦士たる私が人間相手に接待演技をするなど……こんな姿は弟妹達には見せられんな……。内心では機嫌が急速に低下している私の前に、ついに眉間に深い皺を刻んだオズヴァルトが辿り着いた。


 その表情からコイツが言いたいことは分かっている。だからオズヴァルトが「またお前という奴は――、」と言い出したところへ「勝手に兵舎を抜け出して、記憶もないのにこんなところで一人朝稽古など、だろう?」と引き継いでやった。


「……分かっているのなら、もう少し自重しろ。記憶のない今のお前の身柄は俺の預かりなのだ」


「一週間前に初めて会ったときは犯罪者扱いだったけどな。そもそも、何故誰も害していないし害する気もないのに、お前の監視を受けなければならないんだ? 宿をとる持ち合わせもあるし、一般的な常識は憶えているぞ」


 口にしてから本当に一週間もこんなところで何をやっているんだと、自分の現状を再認識したものの、だからといってどうすることもままならない。そのたびに引き合いに出される言葉も、もう憶えた。


「それは――……本当にすまなかった。しかし何度も言っているが、記憶喪失でありながらその装備と武力を持ち合わせたお前を、一人で出歩かせることはまだ出来ない。お前が無闇にその槍を振り回したりしないとは分かっていてもだ」


 ……ほらな。表面上は申し訳なさそうな顔はしているが、結局その会話の内容は昨日と何ら変わらないじゃないか。不審者よりは幾分マシなだけの扱いだ。


 一応初日のようなことにならないようにと、騎士団の制服も貸してはくれたし、ズボンの下にはく“パンツ”なる下着も一緒にもらった。上は人間と変わらぬ我等だが、下に着用するものの文化の違いは如何ともしがたい。


 食文化は多少の違いがあるが、基本的に変わらない。人間にも野菜しか食べないという輩もいるように、人魚にも海藻を好むものがいるのと同じだ。種族は違えど、上半身が同じ形であったことは少なからず良かった。


 しかし……問題は兵舎の集団生活だ。これでも海底では貴人の扱いだったので、他人と同室の生活というのにまだどうしても慣れないのだ。


 おまけに私は男装した覚えはないというのに、何を勘違いしたのか、奴等はこっちを完全に男だと思っている。しかしそこでふと、海底にいたころにクソ親父がよく『ジェルミーナ……お前の女らしさはその長い赤髪しかないのだから、大切にせい』と言っていたことを思い出した。あの時はその発言をした直後に殴ったが。


 けれどそのおかげで騎士団に潜り込めたことは、不幸中の幸いだと考えられなくもない。戴冠式に騎士の姿があることは何もおかしくはないからな。その時がくるまでは我慢だ。


 おかげでこっちはストレスが溜まるのに、その発散も自由にはさせない。これではよくて自由に出歩ける囚人だぞ……。まあ、二年後にはまさしくそうなるとしても、今はまだ善良な一般人魚だ。


「ふん、冗談だ。別にわ……じゃない、オレも、もう気にしていないからな。そう何度も謝られても居心地が悪いだろうが」

 

 自分でふっかけておきながら、こうも素直に謝罪されると困るというのも情けない話だが、今まで私の謝罪させる対象はクソ親父だった。それもちょっとやそっとで謝ったりしないので、最終的に力にものを言わせて引き出す謝罪。


 そんなものだから、コイツのようにあっさり謝られると、クソ親父の時とは違った理由で苛つく。


「あのな、オズヴァルト。大の男が、それも騎士団の副隊長ともあろうものが、こんな得体の知れん人間相手に簡単に謝罪をするな。上司のお前がそんな風だと部下に示しがつかんぞ?」


 コイツのお陰で私は、いつも男に対して使う言葉と真逆の説教をしなければならない。


 それにこのお人好しはみすみす危険分子を引き入れたことになり、罰されることになるだろう。それを思えば、まだ少しくらいは言うことを聞いてやろうという気にもなる……って、うん?


「おい、何を笑っとるんだオズヴァルト。今のわ……オレの注意を聞いていなかったのか?」


 信じられん。コイツ、人がせっかく戦士としての心得を説いてやっている最中に笑うなど――!


「フ……ククッ、すまん、騎士団では俺に対してそんな注意をする人物は隊長ぐらいしかいなくてな。珍しくてつい入団したばかりの頃を思い出した」


 まだ笑いを収めないオズヴァルトの姿に、ただでさえストレスで擦り切れていた何かがプツッときた。可愛い弟妹達にはよく“姉さん、十秒数えて深呼吸”と言われるが、ここに私を止めるものなどない。


「ほう、そうかそうか……副隊長様はそんなに説教に飢えていたのか。それは良いことを聞いた。ならばついでと言ってはなんだが――……久し振りに他者との手合わせで負けてみる経験もしてみないか?」


 そこで私は被っていた接待演技を脱ぎ、グングニルを砂浜に突き立てて丸腰になって安い挑発を仕掛けた。その途端に「成程、言ってくれるな」と笑いを引っ込めたオズヴァルトが姿勢を正す。結局は堅苦しくて真面目なこの男も、一皮剥けばただの強者を求める武人。


 すっかり初期の私を“連れ戻す”という目的を忘れて鍛錬を共にするのも、正気に戻って慌てて兵舎に戻るのも、砂まみれで兵舎の食堂に入ろうとして食堂のおばさんに怒られるのも――……この新生活が始まってから毎朝繰り返されることなのだ。

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