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◆男嫌いのサメ姫は、愛の言葉を信じない◆  作者: ナユタ
◆第三章◆

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★11★ 記憶の底に埋めたもの。



 絶え間なく続く漣のような耳鳴りと、身体の骨格ごと溶けて違う姿に生まれ変わるような高熱にうなされながら――……夢を見た。それは昔から幾度となく見た夢であり、同時にあの頃とは全く違う新しいものだった。


 真っ暗な海に引きずり込まれるのは俺一人で、周囲からは人々の悲鳴が聞こえることもなければ、夜空を焦がすような炎も上がってはいない。水面に伸ばす腕も子供の細腕ではなく、成人した大人の腕だ。


 ただそれでも子供のように纏わりつく水の恐怖にもがくしかない俺を、赤い目をした人魚が引っ張り上げてくれる。彼女もまた、記憶の中に閉じこめていた少女の姿ではない。


 淡い水色のドレスを身に纏ってはいるものの、そこから覗く大きな尾ヒレの存在が、彼女がお伽噺に出てくるような人魚ではないと知らしめる。海の近くに住む人間なら思わず息を飲む恐怖の対象だ。


 ――……けれど。



『この次は助けてやらないからな、オズヴァルト。お前のお守りは疲れるんだ』



 どこか哀しげに淡く微笑む彼女に触れた心は、確かに。やっと見つけた歓喜に震えた。だが騎士団員達の声が聞こえてきたところで、彼女は俺に背を向けて海へと向かい――……その背中に手を伸ばそうとしたところで夢が終わる。


 目覚めてすぐに視界に入れたのは、不格好に抉れた傷跡の残る左手の甲で。焼いた釘をこめかみに打ち込まれたような頭痛と吐き気に苛まれながらも、あの夜の出来事を夢物語にしてしまわない傷跡に思わず笑みが浮かぶ。


 寝汗で重くなった夜着を脱ぎ捨て、カーテンを引ききらなかった隙間から漏れる月明かりを頼りに、ぼんやりとした頭のままベッド脇に用意していた水差しの水を飲んだ。冬の室温と同じくらい冷えた水は、熱で火照る身体に心地良い。


 ここ最近こんな夜を繰り返しているのも、海に落ちてからの二週間生死の境目を彷徨いていたからだろうか? おまけに決まって目を覚ますのは、届かないと知りながら手を伸ばす場面だ。


 掴み損ねた手首の細さを思い出そうと記憶を遡ろうとすると、すっかり目も冴えてしまった。こうなると今更寝直すことも難しい。結局再度ベッドに横になることを諦め、燭台に立てた蝋燭に火を灯して卓上のカレンダーを眺めた。


「何だ、休養期間はあと二週間も残っているのか。しかしこう毎夜女々しい夢ばかり見るくらいなら、そろそろ職場に復帰しても――……」


 “いいのではないか?”と考えてから、まだいつ熱がぶり返すともしれない体調では団員達の志気にも関わるのではないかと思い至る。


 平時の騎士団で出来る仕事は下の者達の鍛錬と街の見回りだ。中途半端に回復した身体では足手まといになるだろう。そんな情けない思いをするのは海の中だけで充分だ。


「体調が安定すれば……考えたいことも、捜したいものもあるんだがな……」


 例えばそれは『“母上は、あまり権力に興味がある人種だとは思えない。なのに何故俺をそこまで王に据えたいと望むのですか?”』という、一ヶ月前に十年ぶりに再会した母に投げかけた自分の言葉だ。


 感情に従って反抗するだけで父にとっての大切なものが、いったい“何を含めて”のものだと考えなかった当時の自分の愚かさと。



『わたしはね、オズヴァルト……今でもお前の父が殺されたのではないかと疑っているのよ。穏やかだったあの人は玉座に座ることなど望んでいなかったけれど、あの椅子は人を膿ませて狂わせる。けれど代わりに一度座ってしまえば、どんなに理不尽なことを命じてもこの(ザヴィニア)がお前という存在を護る盾となる』



 ――そして、そんな自分のことを案じ続けた母の言葉の愚かさが。


 もう二度と愛する者を誰にも奪われないように座らせたいのだと、常に冷静で時に冷徹だと感じたはずの母は、僅かに狂気を宿らせて静かにそう口にしたのだ。


 俺はそれは独善的に過ぎるエゴだと答え、母は『その通りよ。これはわたしだけのエゴだわ』と言い、さらに『“国”が大切な者を護ってくれないのならば、個人がそう思うことの何が悪なの』とも口にした。

 

 騎士団に所属している身でありながら、俺はその言葉に対して母を納得させる答えを持っていない。


 かつて父が命を落とし、大勢の乗客達を海底に引きずり込んだ海難事故の夜は嵐だった。誰もが皆必死に大切な者と我が身を護ろうと右往左往する船内もまた、嵐のようだったと記憶している。


 そこまで思い出すと、またいつものように全てがぼやけて。肝心な像を結ぶ前に記憶の靄は薄れていった。


「――……戴冠式か」


 ほぼ無意識に呟いたその言葉にふと、海に落ちて寝込む前に顔を合わせたきりのエレオノーラ嬢の顔が脳裏に浮かぶ。そういえば彼女の店で“ジェルミーナ”として働いていたあいつの姿は、似ても似つかない騎士団での“アルバ”を思わせることが何度かあった。


 あの時点で俺はエレオノーラ嬢とジェルミーナの両者に騙されていたわけだが、それを不快に感じる感情は微塵も沸かない。むしろその時に言い出してくれさえいれば、もっと協力出来ることがあっただろうにと悔やんだ。


 本当はあの頃からどこかで、二人の人物像に似た部分を感じ取っていたのだとしたら……自分も母と同様に、個人(ジェルミーナ)に相当な執着をするタイプの人種なのだろう。


 まさかあいつがそれを知っていたとは思えないが、ルカと一緒に三人で食事をした時、あいつはやけに“ジェルミーナ”を悪人に仕立てようとしていた。人のことをお人好しだと散々言っておきながら、俺達を利用している心苦しさに距離を取ろうとしていたのだろうか?


「そう言えば……戴冠式に現れる妹の仇を探していると言っていたか……」


 恐らく“アルバ”として騎士団にいた頃の記憶喪失云々も、声を出せない大人しい“ジェルミーナ”の姿の何もかもが嘘だったとしても、それだけはあいつの性格上、本当のような気がした。


 食事の際に断片的に出た家族の話もたぶん事実だ。本人を前にしては言えないが、そこまで複雑な嘘を考えつく頭はしていなさそうだからな……。


 歳下の人間を相手にする時の眼差しも、扱いも、物言いも、すべて。あれは年長者として下の者を可愛がる人間が見せるものだ。


 それにエレオノーラ嬢が彼女の手助けを買って出ていたとしても、いったいどこまで知っているのか、正体が人魚であることは知っていたのか等々、気になることは幾つかある。


「どんな状況であったにしろ、大切な妹を死に追いやった人間達が憎くなかったはずなどないだろうに……何故ああも人の世話を焼くんだ」


 本来ならもう人間など見たくもないだろうはずなのに、お人好しで嘘のつけないジェルミーナ。残念ながら次に彼女に会える時が戴冠式であることは間違いがない。そしてその時こそ本当に、俺達は対立し合う関係性でしかなくなってしまう。


 国の最高権力者を決める戴冠式で、血が流れるようなことがあってはならない。そうさせないためにあるのが騎士団の役目であり、その舞台に血を求めるのが彼女であるのならば。



『わたしや周囲の人間がどれだけ申し分のないお相手を探してきても、貴男がまだ誰とも結婚しようとしないのは……あの日助けてくれた“人魚”とやらを捜しているからなのかしら?』



 頭痛と共に脳裏に過ぎるのはそんな母の言葉と、遅すぎるこの想いへの自覚に他ならない。


「……目的を果たそうとする前に、見つけだして捕えねば」


 苦い気持ちで左手の甲に残る傷跡を撫でながらそう口にして想うのは、朧気な記憶の中で唯一鮮明な、赤い瞳の人魚姫。



***



 結局あの後も悶々としたまま眠れぬ一夜が明け、まだ微熱の残る身体をベッドから引き剥がし、兵舎の人間達の目をかいくぐって二週間ぶりの外界に出たまではよかった。


 ――しかし、その先が芳しくなかった。


「ん、待てよ。こっちの角か……いや、もう一つ前の角だったか? 確か以前怪しい店を摘発したのはこの地区だったと思うんだがな」


 そう誰に聞かせるでもなく呟いたものの兵舎を抜け出してきた手前、昼間にも関わらず薄暗い裏通りを歩く俺の姿を同僚に見られたらことだ。例え現在迷っていようが下手に通行人に道を訊ねることは避けなければならない。


 それに俺が現在迷っているのは道ではなく、通りの先に掲げられた店の看板だ。辟易としながら見上げる看板はどれもギリギリ法に掠らないか、あと少しで摘発を受けそうなものばかりである。


 どれだけ国の統治者が国内を把握しようとしても、どうしてもその権威の届かない場所というのは生まれる。


 ザヴィニア国もその例に漏れず、市場の端の胡散臭い店が建ち並ぶ界隈を有していた。時に効能の怪しげな薬や物騒な噂が広まってしまうこの裏通りは、いつでも騎士団の目の上の瘤だ。


 普段はバラバラなこの区域の住人達も、捕り物の時には妙な団結力を発揮してこちらの手を焼かせる。今日はそんな色々と怪しい店が軒を並べるその一角でも、店主が度々どこかへ消えては新たに違う店主が居座る、一風変わった占い屋の噂を当てにしてここへ来た。


 先にエレオノーラ嬢を頼らなかった理由としては、物事を誰かに訊ねるのならば、必要最低限の調査を自分で行ってからだと決めている……というのは通常時で、今回に限っては建前かもしれない。


 それというのも、俺は騎士団の副団長という肩書きを天秤にかけてもアルバ……いや、ジェルミーナを誰よりも先に見つけ出したかった。母に向けた言葉を借りるなら、単なる独占欲からくるエゴだ。


 そんなみっともない自分を自覚しつつ、微熱でまだ鈍い頭を働かせて幾つかの角を曲がり、見上げ、続く空振りに溜息を吐いたその時。視界の先で開いた古ぼけた店のドアの陰から、見覚えのある鮮明な赤い髪を持った幼女が現れる。


 そして咄嗟に店の角に身を隠した俺の目の前で、幼女は尖らせた唇から紫煙を吐き出したかと思うと、店の中にいるのであろう人物に向かって呆れたように口を開いた。


「あーあー、これだからガキは嫌いなんだ! ジェルミーナ姫に今回の件を謝って許してもらいたいだって、それはちょっとムシが良過ぎやしないかい? 何だってあの娘がせっかく帰ったってのに、今更そんな腑抜けたことを言うんだい」


 赤い髪を乱暴にかきあげる幼女の鈴を転がすような声と、その唇が紡いだ乱暴な言葉と名前に驚いたのも束の間。


 室内から「まぁまぁ、そう怒鳴りなさんな。この子らにしたところで、何か考えあってのことだろうよ」と。これまで十年間で聞き馴染んだ、飄々と掴み所のない男の声が聞こえた。

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