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◆男嫌いのサメ姫は、愛の言葉を信じない◆  作者: ナユタ
◆第三章◆

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38/49

*10* お伽話のようにはいかないな。



 だから何故だ、オズヴァルト……どうしてお前はカナヅチで水が怖いくせに自ら水辺に近付くんだ!? お前の方がよっぽど自殺志願者だろうが!!


 内心そう叫びたい気持ちを堪えて引き返した先で、ゴボゴボと気泡を吐いてもがく身体が満潮で深さを増した海に沈んでいく。真っ黒な海に沈む恐怖からさらに滅茶苦茶に水を掻くせいで、まだそこまで離れきっていない岩場に拳をぶつけたのか、海水の中に血の匂いが混じった。


 本能的に血の匂いに喉の渇きを感じるが、今はそれどころではない。


 私は沈むオズヴァルトの身体の下に潜り込み、もがく腕を避けながら背中に背負う形でその身体を持ち上げ、振り回していた腕もがっちりと私の首の下辺りで手首を縫い止めるように固定した。サメの筋力に敵う人間などいないからな。


 幼い頃に助けた姿よりもかなりデカイ男を固定するのは手間だが、この水温では人間の肉体は長く保たない。何にしてもひとまず海面に顔を出して空気を吸わせなければと、思い切り尾ヒレで水を掻いた。


 勢いをつけすぎて顔どころか胸の下辺りまで海面に飛び出してしまったが、背中で激しく咳き込んでいるオズヴァルトに、どうやらショック死は免れたと安堵する。しかし背中から伝わってくる震えが尋常ではないことに焦り、ぐるりと岩場を迂回して砂浜へと急いだ。


 距離にすれば浜辺とさほど離れていないとはいえ、波を阻むものがない場所にあるこの岩場付近は海水の流れが不規則に巻いている。そのせいで砂が持って行かれて急に深度を増しているのだ。だから足を踏み外せば、オズヴァルトのように海底に引きずり込まれる。


 すぐ傍に離岸流の気配を感じることや、さっきのオズヴァルトの焦り方から察するに、過去に誰か身投げしたのかも知れない。けれどそれよりも目下の問題は、この身体を砂浜に上げるのが命がけになるという事実か。


 元よりサメの巨体は浅瀬を泳ぐのには向いていない。波打ち際に乗り上げてしまえばエラを砂で傷付けるだろうし、海に引き返すのも一苦労だ。しかし、だからといってオズヴァルトを死なせるわけにはいかない。焦る私の耳許で、歯の根が合わないオズヴァルトが「ジェル、ミー、ナ」と切れ切れに名を呼ぶ。


 ――その弱々しい声を聞いた瞬間、胸の奥がザワリと震える。


 今までこの生真面目な男に“アルバ”と呼ばれることが自然になり、逆に本当の名を呼ばれる場面では敬称がつくせいで、どこかよそよそしく感じることが多かった。それが今、ただの“ジェルミーナ”と呼ばれたことで動揺してしまう。


 こいつの知っている“ジェルミーナ”は、大人しくて声を出せない、物静かで穏やかな女だ。そんな人物像と勘違いされているのだから、まだ正体はバレていないだろう。バレなければ今夜こいつを助けたところで逃げおおせることが出来る。


 ――だが……だんだんと背中に感じる重みが増していく中で、そんな姑息なことは考えていられるか!!


「おい、寝るなオズヴァルト!! 陸に上げる前にくたばったりしたら、お前の身体を沖に捨ててやるからな!? そんなことになったら惨いぞ、一人で真っ黒な海に浮かぶ様を想像してみろ、怖いだろう?」


 脅し文句が効いたのか、ビクリと背中越しに反応が返る。その反応に「そうだ、しっかり掴まっていろよ!」と檄を飛ばして泳ぐ速度を上げた。背中に大の男を一人くくりつけたところで、本気で泳げばあっという間に砂浜が近付いてくる。


 私はエラを開かないように呼吸を止め、砂を巻き上げないように慎重に浅瀬を這う。時折尾ヒレに砕けた貝殻が当たったりもしたが、大抵の障害物は妹達が海龍の皮で仕立てたドレスが弾いてくれた。


 巨大な蛇さながらに砂浜に這い上がった私は、背中から脱力したオズヴァルトの身体を下ろして傷の状態を確認した後、精気のない顔を覗き込んだ。常であれば鋭い光を放つ嵐の晩の海に似た青みがかった灰色の瞳は虚ろで。けれど私を捉えた瞬間、僅かに見開かれた。


 その瞳には、月を背景に赤い目をした(バケモノ)が映って。私は何故かそれがとても恐ろしかった。


 青みがかった灰色の瞳から視線を逸らし、無言のままオズヴァルトの襟口に手を突っ込んで騎士団員達に配布されている警笛を引っ張り出して、肺活量に物を言わせて思いきり吹く。


 けたたましい音が波の音を切り裂いて空気を震わせ、ついでにオズヴァルトの鼓膜にもかなりのダメージを与えたようだ。ガタガタと震えながらきつく眉根を寄せる姿に、こんな時だというのに少し笑えてしまう。


 その唇が何か言葉を紡ごうと開きかけたのが分かったので、凍えて動けないオズヴァルトに代わって耳を塞いでやり、もう一度警笛を思い切り吹く。すると今度は呼応するように幾つかの笛の音が返ってきた。


 咥えていた警笛を離し、耳を塞いでやっていた掌をどけて顔を近付けると、オズヴァルトはまたジッと青みがかった灰色の瞳で私を見つめる。それは確かにかつて海で助けてやった少年の瞳と同じ色で。今まで体格が変わったくらいで気付かなかった自分の間抜けさに呆れてしまう。


 助けを求めた警笛の音に呼応した連中が来てしまう前に、ここを離れなければならない。


 ――もう、行かなければならない。


 しかしそう思いはしても冬の砂浜は風が強く、濡れたままのオズヴァルトを放り出して行けば、すぐに死ぬかもしれない。せっかく苦労してここまで運んだのに、そんなことであっさりくたばられては面白くないから。


 サメの私に人の求める熱はなくとも、不格好な風除けにくらいはなるだろうと、蜷局を巻くようにしてオズヴァルトの身体を囲う。驚いたことにオズヴァルトは気力を振り絞って人外の姿をした私に手を伸ばし、震える手で頬に触れた。


「――もう大丈夫だ、オズヴァルト。すぐに迎えが来るからな。それまではここにいてやるから寝るなよ?」


 オズヴァルトの震える手に自分の手を重ねてそう言うと、オズヴァルトは掠れた声で「アルバ」と躊躇いがちに名を呼んだ。だがその名前に返事をしてやっても良かったはずなのに、私は無意識のうちに「ジェルミーナであっているさ」と言葉を返していた。


 馬鹿のように素直なオズヴァルトは「やっと……見つけた、ジェル、ミーナ」と。溜息を吐くように弱々しく私を呼ぶ。その途端、キリリと。よく分からない痛みが胸の奥に走り、息が苦しくなる。


 きっと、誰かにこんな風に呼ばれたことがなかったからだ。


 きっと、肺に溜めていた空気がなくなってしまったからだ。


 青みがかった灰色の瞳が映す自分の姿を見ていられなくて、掌でオズヴァルトの目許を覆い隠す。するとまた「ジェルミー、ナ」と辿々しく私を呼ぶ。だが視界を遮る私の手を引き剥がそうと手首に回されたオズヴァルトの掌に、そんな力は勿論ない。


「この次は助けてやらないからな、オズヴァルト。お前のお守りは疲れるんだ」


 嵐の海に落ちたり、冬の夜の海に落ちたり、本当に何なんだこいつはと思う。手首に回された手の甲に、先ほど岩場でぶつけた裂傷から血が溢れて砂浜を汚す。今度こそ本能が勝った私は、その傷口に唇を寄せて溢れる血を舐めとる。


 血の味がそう好きだということはない。本能がそう血肉に刻んでいるだけで、サメの性がそうさせるだけだ。けれどオズヴァルトの血からは塩と鉄の味以外に、何か良い酒を口にした時のような高揚感を感じた。


 ……それが自分達サメ族に眠る人喰いの本性なのだろう。


 血を舐めった傷口を観察すると結構深く抉ったようだ。左手で良かったと思いつつも塞がるまでには時間がかかるに違いない。そんなことを考えていたら、ようやく救援に来た騎士団のカンテラの光が少し離れた場所でちらついた。


 私は手首に回されたオズヴァルトの手を引き剥がし、その目許を覆っていた手を取り払う。掠れた声で「行くな」と懇願するオズヴァルトの姿に「そんなわけにいくか馬鹿」と笑って返す。


 再び手を伸ばそうとするオズヴァルトに、またキリリと胸が痛んだものの「こっちだ! 副団長が海に落ちた!! 早く来てくれ!!」とカンテラの明かりが見える方に向かって叫んだ。


 今ので肺に残っていた酸素を使い切ったのだろう。もう、呼吸が続かない。


 陸での行動は限界だと悲鳴を上げる身体を大急ぎで引きずりながら、海へと戻る背後で『副団長!?』と叫ぶ団員の声がしたのを確認し、私は最後に見たオズヴァルトの視線を振り切るように大きく海底へと水を掻く。

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