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◆男嫌いのサメ姫は、愛の言葉を信じない◆  作者: ナユタ
◆第三章◆

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★8★ 止まった時計が回る時。



 アルバと別れてから屋敷に戻る前に父の墓に花を手向け、夕飯の時間を過ぎた頃を見計らい、実に九年と八ヶ月……大凡十年ぶりになる帰宅となったのだが――。


「手紙にもしたためたと思いますから、単刀直入に言います。戴冠式を延期した期日、もしくはそれよりも早く王を新たに選定するようなことになれば――。そしてその席に逃げ出したフォンタナ家の者が戻らない場合には、貴男が次の王として玉座につきなさい」


 夕食後の紅茶を飲みながら十年前とさほど違いのないことを母が言う。


 ディアーナ・ベルティーニ。灰色の瞳も、黒髪も、本来のクレメンティという姓も……俺を形作る要素の半分は、全てこの人のものだ。


 そして俺が隠れ蓑として使い続ける母の旧姓を、この人が名乗ることはこれから先の人生にないだろう。夫である俺の父を事故で亡くしてから、女手一つで夫の残した領地を守り、夫が座るはずであった玉座を未だに諦めきれぬ人。


 けれど目の前に座っているのは、確かに十年分老いた母の姿だ。一つに纏められた黒髪には白いものが混じり、目尻や口許には十年前にはなかったシワが目立つ。確か今年で四十八歳になったのだからそれも不思議でない。


 厳格な修道女を思わせる母の後ろで燃える暖炉を見つめながら、何故ああも盛んに薪をはむ炎の勢いに比例せずに、いつまで経ってもこの部屋は冷たいままなのかと訝しんでしまう。


「その話は十年前にも断ったはずです。それにこうも言いました。新しい王が決まれば領地に戻ると。その時には必ず母上が父上と同じように愛したこの領地を、共に守っていきたいと」


「……そのためにわざわざ叔父に自領の情勢を訊ねる手紙を送るくらいですものね。貴男にとっては実母よりも、実父の弟の方が信頼が置けるということかしら」


「勝手に叔父上に手紙を出して自領内に探りを入れていたことに間違いはありません。しかし、母上に手紙を宛てたところで素直に教えて頂けるとは思えなかったものですから。……何より俺はまだ妻帯するつもりもありません」


 母の皮肉気な問いに自分で思ったよりも疲れた声が出たものの、彼女は少しだけティーカップから視線を上げただけで。すぐにティーカップへと視線を落とした。


 まるで十年ぶりに息子の顔を見るよりも、十年以上前から愛飲している紅茶の水色の方が気になるとでも言うように。


 こんなやり取りは昔からよくあることだった。全てを語るよりも前から彼女の中では、息子である俺との会話はすでに終わっている。母の言うところの“息子との会話”とは、ただの事後承諾でしかないのだ。


「お話がそれだけでしたら、俺は仕事があるので明日には王都へ戻ります」


 そう言いつつ珈琲を口に運ぶと、考えてみればこんな些細な嗜好ですら合わないのだと笑えてしまった。けれど「相変わらず減らず口ばかりのようだけれど……元気そうで良かったわ」と小さく呟いた母の声に、驚いて視線を上げる。


 そんな俺の視線に気付いた母は「何です、親が子供の健康を気にするのは当然でしょう。それよりカルロは相変わらずあの調子なの?」と、やや早口になった。十年前より痩せたぶん顔立ちの険は強くなったのに、内面が少々丸くなったように感じるのは気のせいだろうか?


 珈琲をもう一度口に含んだところで「どうなの」と訊ねる不器用な母に苦笑しつつ、知らず緊張していた身体から力が抜け「バティスタ殿は、たぶんずっとあのままだ」と笑う。


 ――――と。


「わたしや周囲の人間がどれだけ申し分のないお相手を探してきても、貴男がまだ誰とも結婚しようとしないのは……あの日助けてくれた“人魚”とやらを捜しているからなのかしら?」


 唐突にそう訊ねられ、今まで自分の婚期が遅れていることについて考えたこともなかったが、そう指摘されて妙に納得した。


 しかし今は指摘された内容が意外すぎて、思わず「よくそんな昔の話を憶えていましたね」と漏らせば、母は和らげていた目を細めて「自分の母親を急に老人のように言うのはお止めなさい」と、昔を思い出させる硬質な声で言った。


「は、申し訳ありません母上。しかし当時の自分はその様なつもりはなかったのですが……何故そう思われるのですか?」


「何故と言われても……そうね、強いて言えばただの勘です」


「勘とはまた、母上から一番縁遠い発言に思えますが」


 どちらかというと用意周到に準備を進め、ここぞという段階に至った時にしか動くことのない母の口から出た言葉に、またも十年という歳月を感じた。しかし母はそんな俺の言い分に「わたしとて、たまには勘に頼りもします」と唇を不器用な微笑み未満の形に歪める。


「ですが、そうね……あの頃はあんな事故の後だというのに、貴男はわたしが止めるのも聞かずに毎日熱心に砂浜に出ては波間を見つめていたでしょう。脚に波の飛沫がかかるだけで跳びずさるほど海が苦手になっていたのに」


 ふと当時を思い出したのか不器用な微笑みを苦笑に代えた母の姿に、あの頃の記憶を笑って話せるようになった時間の長さを思った。十年は人を頑なにもするが、癒しもする。


「……今の母上は、昔の母上からは考えられないほど穏やかにおなりだ」


 ずっと頑なになって戻らなかった自分よりも早く、母は立ち直ろうとしていた。そんなことにすら気付こうともせずにいた愚かさが情けない。


 一人で自分の狭量さに恥入っていると、戻ってから初めて正面から見据えた母が目許を和らげる。


「ふふ、貴男もここを出て行った日より随分と穏やかになったわ。カルロのところに身を寄せていると手紙をもらった時は、余計なことを教え込まれるのではないかと心配したけれど。良い職場の仲間に恵まれたようね」


「まぁ、確かに気の良い連中ばかりではありますが……」


「“ありますが”とは歯切れの悪いこと。頭の堅い貴男が穏やかになった理由が職場の方達のお陰でないのなら、誰のお陰だと言うのです?」


「それは……確かに職場の同僚のお陰でもありますが。恐らく一番影響を受けたのは今日ここに俺を送り出した同僚ですよ」


「同僚の方? 一緒にはいらしていないようだけれど」


「久々の里帰りだったので遠慮してくれたものだと思われます」


「そう、是非お会いしてみたかったのに残念だわ」


 そんな風に穏やかに、母が紅茶を口に運ぶ。その様子に思わず「二、三日ここに泊まって行っても構いませんか」と訊ねれば「当然です。ここは貴男の家でもあるのですから」と笑われてしまった。


 時間が、人の本質を穏やかなものへ代えるのか。

 

 人が、時間を消費して己の本質をそう作り代えるのか。


 どちらが作用したことになるのか分からないまま、二杯目の珈琲を勧められる頃には暖炉の火が室内をゆるゆると暖めて、身体の緊張をすっかりと解してくれた。


「母上は、あまり権力に興味がある人種だとは思えない。なのに何故俺をそこまで王に据えたいと望むのですか?」


 だから不意に零れたその言葉に母はそれまでの微笑みを消して、哀しげに小さく溜息を吐いた。

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