*幕間*水晶玉越しの伝言。
今回はちょっと物語調です(´ω`*)
海の戦士と名高いジェルミーナが陸に旅立ってから、早いものでもう三ヶ月。
その間海底は彼女の愛して止まない弟達がしっかりと巡回をしており、妹達は自分達の夫に、如何に姉が素晴らしいかを語って聞かせ“もしもの時は貴男の実家に救援要請するかもだけどよろしくね”とおねだりし、弟達の妻は夫の留守中に“家族を大切に出来る子になりなさい”と、英才教育をかかさなかった。
ともすればジェルミーナの不在で彼等、彼女等の父親である海王の機嫌もすこぶるよろしく、むしろ表面上だけ見るのであれば“いつもより平和”と言っても過言ではない。
近海から新たに綺麗どころを集めて連日遊ぶ父親の姿を見ても、氷の如き視線を投げつけるような無駄なことを、ジェルミーナの弟妹達はしないのだ。俗に言う“家庭内放置プレイ”である。
弟妹達にしてみれば、陸に上がった姉さえ無事で帰ってくるのであれば、明日にも愛人魚に刺されて死んでも構わないと思っているのだが、気付かないのは父王本人だけだ。
ただ彼のほぼ風化しかけた名誉のために言っておけば、現在ジェルミーナが趣味と実益を兼ねた仕事として行っている、気分で海をひっかき回す海龍をぶん殴るというあの仕事。元はこの父王の仕事であった。
若かりし頃はその見た目と武勇で色々な女性と浮き名を……と、まあ。ともかく往年の頃よりも若干老けて海龍退治の仕事はしなくなろうが、女性関係云々だけは今も変わってはいないのである。
さて、そんな海底で唯一心穏やかになるどころか命の危険を感じ、ひっそりと、しかし着々と夜逃げの支度をしていた魔女がいた。彼女はせっせと大切な商売道具である魔術用品を鞄に詰め、その間もチラチラと落ち着きなく近くに置いた水晶玉を覗き込む。
その姿はまるで、詐欺師がカーテン越しに家の前に張り付いた警備隊のガサ入れを恐れているようでしかない。これでも七海にいる七人の魔女の中では、上から数えた方が早いくらい高位なのだが……。
長年ジェルミーナの監視下に置かれていた弊害が、この魔女をここまで追いつめてしまったのだろう。しかし一般的に考えれば、そこまで恐れるくらいであれば悪事を働かなければいいだけの話ではある。
けれどそれが分かっていても出来ないのが、探求心と野心の塊である魔女という業の深い職業なのだ。
そうしてこの三ヶ月間に僅か三度しか輝かなかった水晶玉が激しく輝いたのは、魔女が高難度の呪いの一種を持ち運びがしやすいように、書物から歌の術式へと解いていた時だった。
これまでの比ではない明滅を繰り返す水晶玉の輝きが、岩場の住処の外に漏れだしてジェルミーナに忠実な弟達の目に触れては一大事! 下手をすれば“前科持ちが不審な行動を取っていた”というだけで捕らえられ、最悪ジェルミーナが戻るまで投獄されてしまう。
そこで呪いを解く手を一度止め、呪いの一部が跳ね返ってくることも気にせずに水晶玉に覆い被さった魔女がモゴモゴと口の中で呪文を呟けば、それまで派手に明滅を繰り返していた水晶玉の表面がスウッと透き通ったかと思うと、その中に美しい少女の顔が浮かび上がった。
銀色に薄く紫色が混じった不思議な髪に、アーモンド型をした紫水晶の瞳。紅珊瑚を思わせる唇にぬけるような白い肌。
庇護欲をそそられるあどけなさの中に、女性の色香を覗かせ始めたばかりのような危うげな風貌をした少女に向かい、魔女は声を潜めて「こっちは忙しいってのに、いったい何の用だい駆け落ち娘」と、ややぶっきらぼうに言葉をかける。
すると水晶玉の向こうに浮かび上がった少女は、開口一番「オババ様、その髪の色……お姉さまの髪を盗んだのですか?」と非難と驚愕の入り交じった声を上げた。
しかし、魔女はそんな少女の声に露骨に顔をしかめ「馬鹿をお言い、あの狂戦士から盗みなんて出来るもんか。これは仕事の正当な報酬だよ。あと、次にオババ様と呼んだら容赦しないよ」と言い返す。確かに今の彼女の見た目に対して“オババ様”はあまりにそぐわない気もする。
だが何にせよまったく同じ声が違う言葉使いをしながら、少しも噛み合わない内容を話すという、映像がなければ二重人格者が喋っているように聞こえる不気味な図だ。果たしていま海底に、愛され系と詐欺師系とが一つになった――!
ちなみに受けた仕事が正当な内容のものか、はたまたそうではないかを口にしないのが、魔女家業を長く続けるコツである。本来魔女に頼る時点で言質は取らせたもの負けであり、ジェルミーナは絶賛負けているところなのであるが……本人はそのことを知らない。
むしろ魔女にとっては本人が知らないうちに逃げることが、首と胴体がサヨナラしないで済む一番にして唯一の方法だ。
「それで本当にいったい何の用なんだい? アタシは水晶で占った内容を頼りに今からここをずらかる準備で忙しいんだよ。こっちは逃げる段取りも発見を遅らせる工作もしてやったんだ。それ以上のことをさせるつもりなら、あんたの声のコピーだけじゃあ支払いが足りないよ!」
苛々とまくしたてるその声は、水晶玉の向こうで表情曇らせているは少女とそっくりそのままだ。海底の詐欺師筆頭である提灯アンコウも顔負けである。
しかしそんな魔女の声に怯むことなく、愛らしい顔に毅然とした表情を浮かべた少女が「そんな……それならそちらこそ契約不履行です。お姉さまが陸に上がってきているだなんて重要なことを教えずにいるだなんて!」と、意外と痛いところを突いてきた。
てっきり甘やかされて育ってきただけの、ふんわりした娘だとばかり思っていた魔女もこれには少し驚いた。――が、そこで簡単に怯んだ姿を見せないことも、長年悪事を働いて稼ぎ続けるコツである。
魔女はほんの少し考え込んでから「あんたの王子様と話をさせな」と勿体ぶって答えた。その言葉に一瞬だけ揺らいだ少女の瞳を見逃さなかった魔女は、さらに重ねて「アタシに良い考えがあるよ」と告げる。
――たとえ実際は何も考えていなくとも、自分の身の保身のためであれば、相手がどうとでも受け取れる含みを持たせた甘言を囁くのは、物語の魔女の専売特許なのだから。




