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俺が彼女を語るにあたり「黄昏時」という言葉は、避けては通れない、いわば枕詞のようなものだろう。
しろたえの────雪
ちはやぶる────神
ひさかたの────光
そして
倉本えりか────黄昏時
白髪の長い髪、透き通るよう肌、まぶしい笑顔。
夕焼け小焼けも消えゆく空の中で、彼女は他の全てを置いてもよく映える。
俺は彼女に何度も助けられた。
あの時も、あの時も、そしてあの時も。
俺の青春は彼女なくしては語れない。
人は言いたいことが言えない。
身近な人でも何も知らない。
大切な時間は永遠には続かない。
そして────
『夢には重さがある』
それを学んだ青春。
彼女と出会ったのは小学校6年の頃。
6月の半ばと言う中途半端な時期に、彼女は突然転入してきた。
※ ※ ※ ※
「倉本えりかです、よろしくお願いします」
最初は変なやつだな、変わったやつだな、ぐらいの印象だった。
髪の毛真っ白。
肌も真っ白。
それでいて、立ち振る舞いは堂々と、他の子ども達よりも大人びていた。
彼女は転入初日から人気者だった。
「どこから来たの?」
「どこに住んでるの?」
「髪は染めてるの?」
子どもは聞いてはいけないこと、話してはいけないこと、まぁつまり人の地雷と言われるものを、いとも簡単に踏み抜くやつもいる。
それでも彼女は一つ一つの質問を丁寧に答えている印象を受けた。
「〇〇県だよ、この街も今度案内してね!」
「〇〇商店街のくらもとさかやてんて所だよ、おじいちゃんがやってるの!」
「染めてないよ、でもパパとおそろいなの!」
彼女は嬉しそうに話していた。
嫌なこと聞かれたはずなのに、新しい環境で不安もあるはずなのに、まるでそんなこと気にしていないかのように。
希望しかないように。
人気者の彼女は、お昼の時間でも人気者だった。
気を利かせた先生が、交代で彼女をグループに入れてあげましょうということにした。
もちろん俺も、彼女が同じグループに来たときには嬉しかった。
彼女と話せることが嬉しいのではなく、なんというか、違う雰囲気、違う学校の風に触れることが。
だから、俺は彼女のことは、よく考えていなかったのだ────
まぁ結局、地雷という物が分かっていなかったのは、俺なのかも知れない。
給食の途中、俺は彼女の綺麗な髪を見て、ふと、口に出してしまった。
「えりかちゃんて、『カイザー』みたいだな」
「え?」
『カイザー』、当時流行っていた『ファナビン・バックス』というアニメの、敵役のキャラクター。
白髪でクールな印象のそのキャラクターは、敵役ながら、俺の求めるかっこよさにマッチしていた。
だから、それも俺にとっては褒め言葉のつもりだった────が、
「ホントだ!! 『カイザー』みたい!!」
「言われてみれば『カイザー』だ!!」
周りの奴らが大声で言って、それがクラスにも広がった。
『カイザー』、『カイザー』、『カイザー』、『カイザー』
クラス全体がコールする。
俺は唖然としてしまった。
褒めたつもりなのに、クラス全体が彼女をからかい、彼女はただ困った愛想笑いを浮かべていた。
その日からだ、クラスが彼女を取り巻く雰囲気が、変わったと思ったのは。
そして彼女へのからかいはいじめへとどんどんエスカレートしていった。
私物は隠され、上靴には画鋲、変なあだ名に、はぶせに嫌がらせ。
俺のたった一言で、傷付けるつもりのなかった一言で────
俺はそれらを見て、何をすることも出来なかった────
何もしなかった────
もし彼女を庇ったら次は自分が────
見ているしか出来ない、歯痒い────
でも違う、一番辛いのはえりかちゃんだ。
オレが辛いと思うのはエゴだ。
エゴだ────
そんなエゴを抱えながら、小学校は卒業した。
結局卒業まで、彼女の風当たりは変わらなかった。
「何でだよ────」
何で何も出来なかったんだよ────
しなかったんだよ────
そしてえりかちゃんは、少し遠い中学に入学して、もう俺たちの前には現れることがなかった────
その後の中学時代は楽しかったか?
正直よく覚えていない。
ずっと心に重い石を抱えていた気もするし、何もかも忘れて楽しんでいた気もする。
とりあえず言えたことは、彼女はもう俺の目の前には現れないだろうと言うこと。
この心のトゲは、多分もう抜けることはないと言うこと。
だから、だから、だから────
入学した高校に、同じクラスに、それも隣の席に彼女がいたときは、合格したときより驚いた。
何かから逃げるように勉強にいそしんで、何とか手に入れた『自称』のつかない進学校に合格した時より驚いた。
見間違えるはずもない、白髪の倉本えりかと名乗る同級生。
きっと世界広しといえども、それは彼女だけだろう。
彼女を見た瞬間、俺の中の後悔が滝のように思い出された。
俺が原因で、俺が原因で、俺が原因で────
謝らなければ────
話しかけなければ、目の前に出て謝らなければ────
オレはもう後悔したくない────
エゴ────
「あの、ごめん! 倉本さん!! 俺が悪かった!!」
怪訝な顔をする彼女。やはりあの時のことを根に持っているのか。
当然だ、それくらいのことを俺はしたのだ。
そして彼女が口を開く。
「えっと────だれ?」
静まりかえる教室。
「ごめん、名前聞いてもいいかな?」
「え……」
俺は赤面する。
静まりかえる教室に、徐々に我に返った他の生徒の話し声が響く。
「え、なに人違い? 恥ずかしい」
「いや、倉本さん────だっけ、間違いようがないでしょ」
「でも本人は覚えてないみたいだよ?」
「じゃああいつ────」
誰?
クラスからの視線。
これは予想外だった。
「ご、ごめん!!」
俺はその場にいられず、走り出した。
「え、ちょ────」
引き留める彼女を尻目に、俺は入学初日の学校の廊下を走った。
※ ※ ※
あーあ、何やってんだ俺。
屋上で落ち込んでいると、出入り扉が開いた。
入ってきたのは、驚いた、倉本さん。
「あ、いた。大変だったんだよ、いろんな人に聞き込みして」
「追いかけてきたのか……?」
「そだよ、みんなビックリしてた」
「ごめ、え、でも、ちょ、来ないで……」
「え、もしかして泣いてる?」
「泣いてねぇけど!」
泣きかけた、俺はその言葉を飲む。
彼女はこんな情けない俺を馬鹿にする風でもなく、心底心配しているようだった。
「篠田君、だよね?」
「え?」
「篠田拓史君……そう、たっくんだよね? 小学校で一緒だった!」
「なんだ、覚えてるじゃないか」
「ごめん、教卓の座席表みて思いだした」
やっぱり忘れていたのか。
俺のやったことも忘れてくれていたのは好都合なはずなのに、それはそれでショックだった。
誰でもそんなもんか。
「でもよく考えてみて、3年以上も前だよ。君が私のことを覚えていたからって、私に君のことを覚えていろって言うのは酷なんじゃないかなぁ?」
「うっ」
「それに、入学早々突然クラスみんなが見ているところで謝られたら、君はどう思う?」
「ううっ」
痛いところを突かれ俺は冷静になって考えてみる。
逆の立場になって────
もし俺なら────
「だ、誰?」
「でしょ?」
「そ、そうだよな、倉本さん、本当にごめん!! 自分のことで必死になりすぎてた!」
まぁ、その謝罪は受け取るとしてもさ、と彼女。
しばらく考え込んで思い当たる節があったのか問いかけてくる。
「そうじゃなくて、どうして君が私にそんな必死に謝るかが分からないんだよ。もしかして今朝、食パンくわえて走ってたときぶつかったのって君だっけ?」
「違うわ! てかどんなノスタルジックな朝食だよ!?」
つい突っ込んでしまう。
ていうか、食パンくわえた女子高生なんているわけないだろう。
いるわけ────ないよね?
「うそうそごめん。君面白いね!」
うわ、嘘なのか。なんて残酷な嘘をつくんだ、倉本さんは。
「勝手に倉本さんが面白がってるだけだろ。そうじゃなくて、小学校の頃のこと」
「小学校?」
「当時いじめられてただろ。俺が……その……髪の毛のことを指摘したから始まったわけで……それからも見て見ぬふりしてた……ごめん……」
数年のエゴをぶちまけた。
彼女は────口をポカンと開けていた。
「え、なんでそんな表情を」
「いや、確かに覚えてるよ。君に『カイザー』って言われて当時周りからもイジられたし」
「じゃあやっぱり────」
「でもその前から私はそういうからかい、されてたし。あれが直接の原因ではないと思うよ。なんなら君自体は私に結構優しかったと思うんだけど……」
「へ?」
じゃは俺はこの3年ちょっとの間、罪悪感を勝手に感じてただけってことか?
あの発言以来、彼女をより意識し始めたことで、周りのいじめもより見えるようになっていたってことか?
自分の行動にも自信が持てなくて、彼女への優しさも年月と共に忘れていったと?
いや、でも────
そんな都合のいい話があるわけない────
「やっぱり、俺のしたことは間違っていた。例え君の言うことが本当だとしても、俺はいじめを止められなかった」
「そうかなぁ、見てるだけっていじめなのかなぁ」
「ま、間違いなくそうだろ?」
「私は子どもに同級生をいじめろとは言えないけど、いじめられてる友達を助けろとも言えないなぁ。自分の子どもが標的にされるかも知れないし。その辺昔っから悩んでるんだよね」
「それは……そうかも知れないけれど!!」
納得しかけて慌てて自分を遮る。
ここで自分を正当化したくない。
というか、明らかに話を逸らされてる気がする!
「やっぱり俺は悪だった。許してくれとは言わないけど、謝罪だけでも受け取って欲しい」
「はははっ、君まじめだねぇ。あの時君に悪気はなかったんでしょ?」
「それでも、だ!」
彼女はまたクスクス笑う。
本当は思い出したくもないことを思い出させてるはずなのに、何がそんなに面白いのか。
「いいよ、許したげる」
「本当か!?」
「そ・の・か・わ・り!」
彼女は言う。呑気に、でも否定を許さないほど力強く。
「私と生徒会に入って! お願い!」
「はい?」
「私生徒会長になりたいの!」
今思えば、その後彼女が生徒会に入って生徒会長にまで上り詰めたのは、きっと自分を模範生徒だと周りに見せつける証明だったのだろう。
中学を挟んだ3年間の間に、彼女はそういう立ち回りが誰よりもうまくなっていた。
美しい彼女の髪は、白一点、とも言うべきか。
多くの生徒の中でぽつりと目立ってしまう。
単純に言えば、教師に目をつけられやすい。
実際成績も優秀だった彼女は、自身を学校内ヒエラルキーの高位に置くことで、周りからの拒絶をはじき飛ばしていたのだ。