亜美の中で
間違いなく蛇足ですが、その後を差し入れてみます。
『その後』のご要望を頂いておりますので……。
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ここより本文です。
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「失礼します」
朝7時。
ノックのあと、入室した女の人は、電気も点けずに私の傍に寄って覗き込んできた。後ろ手に両手を組んで、優しい香りを運んできた。
ほとんど、いつも通りの時間。少し遅れることがあるのは、他の病室でちょっとしたトラブルがあった時。
遅れた理由をこの優しい看護師さんは毎回、教えてくれる。
「あ。起きてたんだ。カーテン開けるよ?」
私が起きていることを確認すると、背中を向けた。
カーテンがレールを滑る音と同時に眩しい日光が私の……。亜美の網膜に染み渡る。
「おはよ!」
元気でメリハリのある声。
病院は私に大勢の看護師さんを宛ててくれた。その中で今はこの若い看護師さんと、年配の女性が私の個室の担当者に選ばれた。
家族以外の男性は1人もこの部屋で見ていない。
「……おはようございます」
それは不幸な事件に巻き込まれた可哀想な少女への配慮。きっと、私の反応を見て、合わないと判断されると、また別の看護師さんに変えてくる。
「今日は返事してくれた。お姉さん、嬉しい」
「……昨日はごめんなさい」
「んーん。いいんだよー。おととい、お母さんとケンカしちゃったんでしょ? 難しい顔して考え込んでたし。帰る時」
だって……。あの時、お母さんは何だか怒っているような、小馬鹿にするような態度ばっかりだったから。
「ん。今日は表情がいっぱい出るね。元気な証拠だと思うけど、これお願いね?」
差し出された体温計。
お姉さんは、言われた私が体を起こして脇に差し込むのを見届けると、次の行動。血圧測定の準備に取り掛かる。
……病気なんかじゃないのに、毎日毎日繰り返される。定時の測定。
病名は重度パニック障害。
半陰陽により、将来を悲観した亜津に裏切られ襲われた。その上、いつも一緒だった双子の片割れを亡くした可哀想な少女の引き篭もり先。それがこの病院。
私はここで最高3ヶ月間の療養を約束された。
……世間に戻ると、私への奇異の視線が待っているから。
亜津と亜美の間で起きた事実と、その後の私の様子は、名前も場所も伏せられていたけど、週刊誌に取り上げられた。テレビにも少しだけ取り上げられたみたい。それは沢山の憶測を生んでいるはず。中には限りなく正解に近い推理まで。
遠い人なら興味を示すだけで済むかもしれないけど、近くの人なら解ってしまう。そんな感じ……。
「亜美ちゃん?」
…………?
「鳴ったよ? 体温計」
「あ、ごめんなさい!」
すぐに体温計を取り出そうとすると、慌てたせいか、落としてしまった。パジャマの中に。
「あ、あれ……? あれ?」
「っっ……!」
隣で笑いを堪えるような音が漏れると、余計にパニック。
「……ははっ。見付からない?」
堪えた笑いの最後の部分が消し切れてなくて、ちょっと不満だけど、本当に見付からないから仕方なく頷く。
「私が探していい……かな?」
お姉さんの表情に陰りが生まれた。
それは可哀想な子を見る時の顔の……亜津だった私のよく知る目。
私に同情することで精神的な優位と満足感を得られる魔法。
――『亜美の体に触らないで!』
――『僕は亜津っ!』
この病院に担ぎ込まれた時、私は恐慌状態だった。
亜美の死を知った直後だったから。だから隠す余裕もなかった。全部、口走ってた。
それを目の当たりにした女医さんの診断。それが重度パニック障害。
大暴れして、体に触れさせまいとする亜美の姿の僕は、可哀想な少女と思わせるには十分だった。だから、この情報は関係者の皆さんに共有されているみたい。それは今のような態度でよく理解できる。
だから私の体に触れる機会があると、こうやって必ず確認を取ってきてくれる。
「……お願いします」
実は前にも同じことをこのお姉さんの時にしてる。5分以上、どこに行ったか分からない体温計を探した末、お願いしたら背中側にあったって経緯。
「……ありがと。ちょっとごめんね?」
また断りを入れると極力、私の体に触れないようにパジャマの外から探ってくれる。心からの配慮。体への小さな傷と、心への大きすぎる傷を抱えた亜美への細やかな心遣い。
――私は、これからどうすればいいんだろう?
命を絶つ。これだけは考えられない。この体は亜美の形見だから。
――何よりもこの体をくれた亜美を裏切る行為になるから。
「ちょっと……ごめん。ばんざーい」
「……はーい」
このままじゃいけないと頭では解ってるのに。
この病院にもあと最大2ヶ月しか居られない。
でも、学校に戻ることなんて……出来る……?
亜美が親友だって公言してた優子ちゃんも実衣菜ちゃんも面会に来てくれてる。でも、リードしてくれていた亜美を亡くした僕とは話すこともなくて……。何1つ、盛り上がらなくて……。
「ないぃぃ……。見付からないよぉぉ……。ごめん……。ごめんね……」
お姉さん、涙目になってきちゃった。
「あの……」
「……はい」
そんなに縮こまらなくてもいいのに……。元は僕が落としちゃった体温計なのに……ね?
「……立ちますね?」
座ってるからダメなんだと思うから。
「はい……。お願いします……」
お姉さんが離れると、私は体の向きを変えて亜美の大切な足を1本1本、ゆっくりと下ろす。傷1つ付けたくない、大切な大切な亜美の形見。亜美がくれた体。
足を動かしてスリッパを探ると、素足に触れる細長い何か硬い感触。
「…………」
どうすればいいんだろうね?
「…………」
「…………亜美ちゃん?」
なんか……。ごめんなさい……。
「ありました……」
「……へ?」
身をかがませて、体温計を拾い上げる。
「パジャマの中を通って……」
説明を開始。僕の推測の披露。
「パジャマの裾から落ちて……」
「……ベッドから落ちて、スリッパの中に? だから音もしなかった?」
私の言葉を続けてくれた。そのまま「あはは! そりゃ見付からんよなー!」って笑った。
僕も可笑しくって、釣られたように笑い始めちゃった。お姉さんが可愛くって。
そのすぐあと。
僕は急に抱き締められた。そんなお姉さんの急な行動に何も言えず、固まっちゃった。
「……笑った」
……え?
「笑って……くれた……」
…………。
「あの面会に来てくれた子たちが言ってた。可愛い亜美の笑顔を見せて……って。それから、ずっと見たかった……。やっと見せてくれた……」
涙声で言われて気付かされた。
亜美の体を貰ってから1度も笑っていなかったことに。
僕自身、亜美の悩みのなさそうな……。
屈託のない笑顔が憎くて……。
大好きだったってことに。
「うっ……。うぅ……」
……そうだよね。亜美の笑顔を見せてあげないと。こんなにも可愛いんだよって……。