仮初めの日常
「ゆっこ、みー! おはよー!」
「亜美ー! 亜津くんもおはよー!」
亜美が親友と公言する2人とじゃれ合う。昨日は僕がその役割を担ったはずなのに、亜美として過ごす一日、この2人と仲良く笑い合っていたはずなのに、今は隔壁が僕と本物の女子たちとを隔てている。
……なんて事はない、それがいつもの日常。
僕と女の子たちを男と女の壁が阻む。
近寄りたくても必要以上には近寄れない。
……それは男子たちにも同じだ。
男と男に成りきれない僕には目に見えない壁がある。
馴染めない。
「亜津くん、元気ないね……」
「……大丈夫?」
「……うん。ありがとう」
ぎこちなく笑ってみせると「可愛いー!」とか「もうダメ! 守ってあげたいー!」とか……まるで女の子に対するような物言い。
……嬉しい。
でも、やっぱり壁はある。
戸籍に書かれた『男』の一文字がその壁を表す。
例えば体育の授業。僕は何故だか隣のクラスの男子と合同で、付いてもいけない、惨めな思いをするだけの授業に参加する。
小さかった頃には楽しかった体育。それは今では苦痛でしかない。水泳の時間は問題ない。体育の先生はクラインフェルター症候群を勉強し、理解を示してくれた。
僕の外見は限りなく女の子……だから、水泳の授業だけは休みを認められている。
女の子のような腰の細さ。狭い肩幅。薄い体毛。柔らかい二の腕と太腿……。
中学生の時の一件を知らない先生だけど、その可能性を考慮してくれた良い先生。大人たちは僕に優しい。きっとそれは亜美と似た感情。
同情。哀れみ。
……蔑み。
僕は優しさの裏に潜む感情にいつからか敏感になった。
僕は知っている。僕に対して性的な絡みつく視線を送っている事を。
それは至る所に存在する。道行く人も先生の中にも同級生にでさえ……ソレはそこに居る。
……亜美に対する視線にはそれは少ない。亜美は普通の女の子だから……。
侮蔑。嘲笑。
……嫉妬もそう。性同一性障害の男性は一説によると1割近く潜むとまで言われている。僕はその論に拍手を贈りたい。
女の子に生まれたかった。女の子に憧れている男の子から僕に向けられる嫉妬の眼差しは、そのパーセント通りだから……。
僕はこんなにも中途半端なのに……ね。
性的な視線は女性的な僕に対する興味本位。僕が半陰陽という事は静かに……そっと静かに、水底を漂っている。
亜美があの時、あの行為に及ばなかったら……。僕はどうなっていたんだろう?
ゾッとする……。
その一方で、なんで放っておいてくれなかったの……?
……なんて考えも浮かぶ。この思考の根拠はいくら探っても正確な答えが見付からない。何をしても……自分の考えさえも解らない。
僕はやっぱり半端者だ……。
午前中の授業は身に入らなかった。
入れ替わりの翌日は大体がこうなる。いつもの事。色々な考えが渦を巻く。亜美は……どうなんだろう? 聞いてみたら答えてくれるだろうか?
……昨日の夜、応えなかった僕に。
僕は応えなかった。
答えなかったんじゃない。応えなかった。
『また昔みたいに隠し事は抜きにしよう?』
亜美はそんな気持ちであの問いをぶつけてきた。僕はそれを理解している。理解していながら僕は応えなかった。応えたくなかった。
どす黒い感情がそれを邪魔した。
間違いなく生まれてきた亜美への嫉妬。亜美には僕の本当の感情を理解出来ない。出来るはずがない。
―――当たり前だ。
―――僕にだって理解出来ないんだから。
「亜津くん、ご飯食べないの? そんなんじゃダメだよ? あたしたちより軽くなっちゃうよ?」
「だよねー。羨ましいくらいの体型なんだよね。今でも負けてるかも……」
「……大丈夫。食べるよ?」
バッグからパンを取り出すと……取り上げられた。
「またパンなの!? ダメ! あたしのお弁当と交換……しよ?」
「……そんな……申し訳ないよ……」
「あたしがパンの気分なのー!」
「あ! あんたずるい! 亜津くんにいいとこ見せようと思って! 抜け駆け禁……」
「バカ! それは内緒……って、聞いちゃった?」
「……うん」
大丈夫……だよ。僕はそれも知ってる。僕は亜美とそっくりな女性的な外見。可愛いと女の子たちからモテている。男子からも……。
でも、僕はどんなに優しい子とも付き合わない。どんなに力強く護ってくれる男子とも付き合わない。
僕には子どもを残せる能力が伴っていないから。
「ありがとう……」
僕は可愛らしいお弁当を受け取る。小さく笑ってみせたら言葉も無かったみたい。見惚れてくれた事は本当に嬉しい。僕の中の女の子を刺激されるから……。
でも……それでも……僕は誰とも付き合わないし、付き合えない。
今の……亜津の姿で過ごす日常は仮初めの日常。
今の僕は本当を隠している。
次の日も、また次の日も……そのまた次の日も僕の日常はニセモノ。
またあの現象を心待ちにして、今日も僕は嘘を突き通す。
亜美は何も言わない。何も言わずに亜美は亜美の素の姿をさらけ出していた。