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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

いつかのきみのそのために

作者: Archangel

 別になんともなしにいつものようにすることもなく呆けていたらそれは視界に入っていた。

 どこにでもあるようなその公園は春の桜が見所で、中でも一番大きな桜はその下に立てば空が見透かせないほどに大きな八重の花を狂い咲かせ見る者を唸らせていた。

 そんな桜の木の下、花が咲くどころかまだまだ蕾の堅い季節に彼はその木を見上げていた。

 始めは蕾を見て咲く頃合いを計らっているのかとも思ったがどうにもそういうふうではない。彼の見ているものが蕾などではなくもっと幹の方、枝の付け根をいくつも順番に眺めていることに気付いた。


 ああ、いつものかと独り言ちる。


 かつては花を咲かせれば散りきるまで連日のように多くの人が訪れていたこの場所も最近ではどれほど素晴らしい花を咲かせようと静かなものだった。


 そう、全ては過去のことだ。


 そして今はこういう輩が花の季節とは関係なく訪れるのだ。


 だがふと気付く。その枝を選別している青年に見覚えがあったのだ。

 彼女が知っていたころとは違うが面影はしっかりとあり、それらは紛れもなく記憶にある少年と同じだった。


 もう何年も前になる。彼は毎年家族と共にこの場所を訪れていた。そして持ち寄った弁当を皆で食べていた。本当に、本当に楽しそうに。

 そうそう毎年彼の祖父が酒を飲み過ぎて花を持ち帰ろうとするのを母親らが宥めていたのを微笑ましく思い出す。一房くらいはいいかと戯れに与えてやったこともある。


 本当に懐かしい。


 ……しかしあの頃の面影はあっても今の彼にはその明るさが見受けられなかった。ぼうっと眺めるように見上げるその目に生気はない。

 それだけで彼が何をしようとしているのか察してしまう。


 今までにこういうことは何度もあった。その度に桜を楽しみに訪れる者は遠退いていく。本当に迷惑だ。

 私はただただ皆が楽しむのを眺めているだけで良かったのに、そんな(ささ)やかな楽しみを彼らは奪ってしまった。

 何度も何度も説得をしようとしたが彼らは聞き届けることなく目的を達成ていく。


 それでも今までは知らない者ばかりでなんとかその後も割り切れた。

 しかし今回は違う。本当に楽しそうにしていたあの少年が今ここにいるのだ。やるせない。どう気を紛らせようとしてもそれは難しかった。


 それから何日も何日も毎日彼は通った。

 通って、毎日同じように眺めては帰るを繰り返す。

 何度か声をかけようともしたがまた相手にされないと余計につらくなる。


 そしてその日は遂にやってきた。


 いつものように眺めていた彼はおもむろにいつも持ち歩いているバッグから縄を取り出す。必死で止めようとしたが彼は応えない。


 最早一刻の猶予もない。


 ロープを枝に引っ掛けて、具合を確かめる。公園の隅で不貞腐れていた屑入れを引き摺ってきてその下に置く。

 最初は倒して置いてみたが乗ろうとするとあっさりとひしゃげそうになったので、ひっくり返して置き直す。

 今度は大丈夫と判断したらしくその少し高過ぎる台をなんとか登り、そのぶら下がる輪に首をかける。


 どれだけ声を張り上げても今までの者同様に意に介さない。


 今までもそう。こうして人が来なくなる。それでも多くはなくとも春になると訪れる者はいるのだからと諦めていた。


 ……でも。


 でも彼には生きて欲しかった。あどけない笑顔で桜の花を好きだと言ってくれた彼にはこんな終わり方をして欲しくはなかった。


 緩慢な動作はまだ迷いがある徴。まだ彼は引き留められる。



「お願いだからっ! 止めてくださいっ!」



 彼の肩が跳ね上がり動きが止まった。縄を首に掛けたまま辺りをキョロキョロと窺っている。

 きっと今までで一番声を張り上げたからだ。心の底から絞り出した声を漸く届けることができたに違いない。ならばもう少し頑張って彼を説得できればいいだけだ。


「お願いだから――ああっ!」



 ――一瞬だった。


 ごうっという間の悪い突風はひっくり返した屑入れの上、へっぴり腰で首に縄を掛けたままになっている彼を煽った。

 彼は反射的にバランスを取ろうとしたが首に掛けた縄が邪魔をして上手くいかない。

 そしてとうとう揺れる彼の動きが屑入れを揺さぶり出す。揺さぶられた屑入れもなんとか暫く持ち堪えたがとうとうそれも叶わなくなる。


 遂には彼は宙に投げ出される。

 首に掛かる縄が顎に食い込む。

 その食い込みは徐々に深くなる。

 

 このままではだめだ。

 どうにか……どうにかしなければ。彼を助ける方法……そうだ。


「やあああっ―――!」


 辺りに響く悲鳴と共にボキリという大きな音も響き、直後にドサリと彼の尻餅をつく音が響く。




 公園を静寂が包み込む。


 「ひっ」という小さな声が彼から漏れる。それから慌てて放り投げたままになっているバッグを手繰り寄せ、ドタドタと無様に駆け出し公園から出ていった。


 後に残ったのは折れた枝に転がる屑入れ、不格好な八の字を描く縄。そして痛みに耐える私のすすり泣きだけ。


 これで良かった。彼はもう訪れてくれないかもしない。それでも彼は生きているのだ。そう、それが一番大事なのだ。


 すすり泣きに合わせて枝が細かに揺れ動き、ザワザワと音を響かせる。まるで私のすすり泣きを掻き消すようにザワザワと。

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