勇者、誕生?
春の柔らかな風が教室の白いカーテンを撫でていた。
「ぼくのお父さん、2年3組村中竜生」
教壇の真ん前の席から立ちあがった少年の、小学生らしい声が響く。
「ぼくのお父さんのお仕事は勇者をすることです。今日はどんなてきをたおしたのと聞くと、とっても強いてきと言います」
クスクスという声が参観する父兄の所々から漏れる。
「お仕事が早く終わると勇者ごっこをしてくれます。とても優しいお父さんです」
ああやっぱり子供を持つっていいことだなぁとしみじみ感じ入る。
「でも」
と竜生が言った瞬間、春の柔らかい日差しに包まれた教室に暗闇が侵食してきた。
「本当は知っています。お父さんが全然てきをたおせていないことを」
狼の顔をした男たちが教室に侵入し、生徒や父兄を襲い始めた。キャーという悲鳴と逃げ惑う生徒たち。
「勇者といっても剣もまほうのいりょくもパーティの中で一番弱いです。いつも回復まほうをかけてもらわないとすぐ死んでしまいます」
狼男達に竜生は見えていないのか、見向きをするでもなく、彼はただ淡々と小学生らしい声で朗読を続ける。
「この前はまじゅつしの人に『使えねーゴミ』とかげ口をたたかれていました。その前は同じ勇者の人から『もうお前この仕事やめたら?』と言われていました」
おい、愛する息子よ、なんでそんなこと知っているんだ。
狼男達は教室から人という人を全て連れ去り、そこには竜生だけがポツンと残った。
「でもぼくはそんなお父さんが嫌いじゃないです。本当はひめられた力がやどっていて、真の勇者になって世界中の人を救ってくれるからです」
* * *
「じゃあ行ってくる」
村中は静かにドアノブを回して昼前のアパートを出た。
2年勤めたチェーンのカフェを辞めたのは、先月のことだった。
辞めた、のではなく、クビになった、のほうが正確な表現なのだが、正直に言うのはプライドが傷つくからだろうか、妻の理恵には「やりがいがなくなったから」と告げた。
真夏の太陽が村中の両耳に就職活動の無意味さを悪魔的に囁く。
「そんな無理すんなって、嫁に働いてもらえばいいじゃん」
「そうだぞ、今まであの女に渡した金額計算してみな、1年ぐらいヒモになったって全く問題ないって」
それを無視しながら辿り着いたオフィスビル。5階、ブレイブホーム。
インターフォンにマイデータカードをかざすと、女性の音声が流れた。
「村中様、ですね。お待ちしておりました。通路をそのまま真っ直ぐ、突き当り左が社長室になります。社長の黒木がおりますので、どうぞお入りください」
無音の空間が広がる。左右には部屋が3つずつあるようだった。資料室、給湯室に会議室AとB、それと探査室、とあった。
村中は意を決し、社長室のドアのノックし、足を踏み入れる。
「今日は遠いところ面接にきてもらってご足労だったね」
いえ、とんでもないですと答えた村中は、黒木という人物を前にして同時に思った。狸の置物そっくりだなぁと。
「社員は皆パソコンに向かって仕事をしているようなもんで、この通り、もぬけの殻みたいにガランとしててね」
社長の黒木は煙草に火をつける。その額には脂汗が滲んでいるようだった。
「ところで君の専門は何かね?」
手渡した履歴書の封も開かずに、村中の顔をじっと見つめてそう言った。
「特に専門というほどでもないですが、大学では経営学を勉強していました」
「それで得るものはあったかね」
「いや、恥ずかしながら......」
ほう、そうかそうかと黒木は笑みを浮かべて立ち上がり、どこかに内線を繋いだようだった。
「うん、君、十月からウチに来なさい。ただし職種は勇者だ、それでもいいね」
村中は口を半開きにさせ、ややあって、勇者、ですかと答えた。
「詳しい職務内容や給与待遇なんかは書面で送るから、それを見てくれ。じゃ、あとは木崎、頼むぞー」
太ももに両手を乗せ、やや肩が窮屈に感じるスーツに身を包んでそのまま冷凍保存されてしまった男、村中。木崎です、と名乗った男が説明を続けたが、彼の脳には『職種は勇者』という文字が刻まれるのみであった。
後日彼に届いたA4サイズの封筒には、採用通知書と職務内容が写真付きで書かれた書類、それに入社承諾書が同封されているのみで、
――俺は何故勇者なのか
その疑問への回答は、なかった。