大自然って気持ちいい?
二ヶ月ぶりですが、生きてます
あれからそれなりに時間が過ぎた。
気の良い狼の献身的な看護もあり、少なくとも森のなかをふらつく程度ならば何の問題もないほどに茅子は回復していた。
尤も、彼女――白い狼が仕留めたばかりの兎だの山鳥だのを「さぁ、お食べ」と生で薦められた時は、少々対応に困ったが。
火の熾し方を教えてくれたのは、あの碌でなしの父親に感謝できる少ない出来事の一つだろう。
外を探索できるようになって、改めてとんでも無い所に迷い込んだものだと茅子は唖然とした。
右も左も樹齢を数えると気の遠くなりそうな木々で鬱蒼とし、深いところに迷い込もうものなら方向感覚は狂う上に、昼でも夜のように暗い。地面は根が張り苔生し、名も知らぬ草花が隙間を縫うように生い茂っているので歩きづらい事この上ない。
遠くでは甲高い鳥の鳴き声が聞こえるし、夜には聞いたこともない様な生き物の遠吠えもした。
一応、無理だとは思ったが夜中に狼に無理を言って星が見える場所まで行ったこともあるが、やはり星空には名も知らぬ星ばかりが輝き、極めつけに月は二つ有った。改めて、異世界に放り出されたのだなと事実を突付けられて、健啖家とまでは行かなくともよく食べる茅子であっても、その晩ばかりは食欲が失せた。
改めてこの土地について、持って来たバックパックに詰めていたこの国のあれこれをまとめたノート(ビニール袋に包んでいたお陰か無事だった!)と首っ引きで確認したが、未開の土地であったために目ぼしい情報は手に入らなかった。
西の大渓谷付近の樹海、通称『常磐の手』。大渓谷にほど近い、北の山々にも連なっている、霊峰の翁の山と麓の森を掌に見立てると、人の活動領域に手を伸ばすかのように広がるその樹海は、入ったものは決して出てこれない広大な魔の森だと言われている。
大陸傭兵自由連盟――大雑把に言えば冒険者ギルドの事であるが、そこでも半通過な冒険者には近寄ることすら禁じているというから、もうお察しの高難易度ダンジョンである。
その昔には魔女が棲み、魔獣が闊歩していたというお伽話もある程だ。
まあ、砂漠やら海に放り出されるよりは森に放り出されたほうがよっぽど生活しやすいので上々の滑り出しではある。
ともあれ、まずは生活の基盤を考えねばならない。
人間、どんな状況でも衣食住が確保出来なければ死ぬのである。
住居の確保であるが、これはもう初日で確定した。
傷も塞がり、長々と居座るのも良くないだろうと思い、世話になった狼に礼を言って塒から出ていったのだが、夕暮れぐらいに「さあ、日が暮れるからお家に戻るわよ」と言った具合で狼が迎えに来た。どうやらこの狼は茅子を塒に住まわせると決めたらしい。狼を撒くのも厳しいので、もう好意に甘える事にした。
衣類に関してはその内考えることにした。なにせ、服を手に入れる手段がない。革を鞣すにしても、植物の繊維を取るにしても、設備も何も有ったもんじゃない。
食に関しては、口にできそうな植物がそれなりに生えており、水場も塒の洞窟奥にある。他の植物類も徐々に食事可能かテストをしてゆけば、それなりに不自由せずに済みそうだ。加えて、狼からのお裾分けもそれなりにあった。
昔読んだ本では、狼という生き物は群れの階級で口にする部位が決まっていると聞いたが、彼女の場合はあまり気にして無いようで、丸ままの兎やら鳥やら果ては鹿の後ろ足一本等を気前よく分けてくれるので有難い。被保護対象と思われている気はしなくもないが。
そういう訳で、拍子抜けするほど簡単に生活の基盤もある程度固まってしまった。
「思ったより上手く行ってるよな……どう見ても狼のヒモだけど」
現状、この狼が何かのトラブルで死んだり、機嫌を損ねて敵対しようもんなら高確率で死ぬだろうなと茅子は思う。
生活基盤を依存しているのもさておき、おそらく今の今まで茅子がここらの獣に襲われないのも、同じ場所で生活して同じ寝床につく狼のにおいが付いてるからであろうという予想がつく。
得体のしれない生き物で、ついでにここらでは強いであろう狼の匂いがべったりついたようなのに近寄るのなんざ、そうそう居るまい。仮に居たとしても、それはそれで狼にとっても脅威であるため排除する確率は高い。
「何だ、このキャンプ」
命懸けで有ることには変わりないのだから嬉しい事には嬉しいが、トントン拍子に事が進んだ為にいまいち釈然としない気持ちに支配され、ぼそりと茅子は独り言ちながらも、狩猟刀で薪や他の食料の採集へと繰り出した。
この前見つけた場所は、野生化した馬鈴薯みたいな芋もあったから採取して来よう。序に小芋が採れれば育ててみるのも悪くない。序に、ハコベに似た野草と数種のハーブ、それからルリヂシャに似た外見でやたらと葉が塩辛い植物も生えていたので毟って帰る。健康にはビタミンもミネラルも大事である。
人間というものは欲深いもので、ある一定の欲求を満たされると次の欲求、という具合に欲望が尽きない哀れな生き物である。少なくとも、自分はそうだなと茅子は思う。
「…鍋がほしい。煮れる鍋が欲しい。誰か!わたしに!鍋を寄越せ!!」
昇ったばかりの朝日が静かに照らす塒の洞窟の入口で、茅子は跪き天を仰いで両拳を高く突き上げ、何処かの映画のジャケット写真の様なポーズを取る。
平たく言うと、食生活に変化が欲しくなる頃合いなのだ。
朝は夜の残り、昼は時々抜く、夜は芋か豆と肉を焼いたやつに時々果物と野草。外に出歩けるようになって改善してコレである。煮炊きできればこの食生活も多少改善するであろうということで、切実に鍋の存在を求めていた。この際水を入れて加熱できるものであればこの際何でも良い。
竹でもあれば節毎に切って鍋代わりも水筒も皿も用意できるというのに、竹らしき植物は今のところこの樹海で茅子の生息区域には存在しない。
そういう訳で、お誂え向きなものがどこにも無いため、今日も今日とて茅子は七転八倒していた。
「……はっ!」
そこではたと気づく。馬鈴薯の様な芋が不自然に自生しつつ勢力圏を伸ばしていた場所があった。
周囲に生えてる植物から考えても、アレは絶対に後から何かが持ち込んだものだと茅子は見ている。
素人の当て推量なので、どこまで事実かは分からないが周囲を探して運が良ければ廃村の痕跡が見つかり、もっと運が良ければ捨てられた釜か鍋ぐらい見つかるだろう、とポジティブに考えることにした。
サバイバル生活では強固な意志とある程度のポジティブさが大切である。
そうと決まれは思い立ったが吉日。
いそいそと準備のために茅子は塒に引っ込んだ。
行ってくる、と狼に声をかけて外出をした。焼いた肉を念の為に木の葉に包んでバックパックに詰め込んだ。
夕飯は現地調達のつもりであったから、荷物を増やさない方針だ。
ある程度歩き慣れたとはいえ、未知の場所であるので緊張感もあるが、同じぐらい好奇心も疼く。
半分冒険気分で外に出かけた茅子だったが、背後から聞こえよがしに足音が追う。
暫くは無視していたが、やはり気になるものは気になる。振り返れば、案の定予想していた通りの白い狼がのこのこと後ろをついて来ていた。
「……お前もついてくるのね」
どうしたの?と首をかしげる狼の姿を見て、昔祖父が飼ってた犬を思い出す。
元の犬種なぞさっぱり分からない雑種犬だったが大層賢く、茅子の行く先々に付いてきた義理深い奴だった。
見上げる狼の顔が、妙に人の良さそうな顔つきだったその犬とダブって見えて来たために雑に扱う気もわかず、茅子はそのまま狼のしたいようにさせるのだった。
樹海をかき分け、邪魔な藪やらは狩猟刀で適度に整え、茅子の鍋探しは続く。
今まで、大きなトラブルは無かったので特筆はしては居なかったが、毒草も多いのでその道を整えるのも結構骨の折れる作業である。
見るからにヤバそうな棘があるのから、木肌からかぶれそうな白い乳液を滴らせているのから、図鑑には触れたら自殺か発狂するかどちらかしか無いと断言されていたのから、毒草の祭典である。にも関わらず、元気に生きているのは、狼のアシストとちょっぴりの茅子の悪運の賜物かもしれない。
話を戻すが、闇雲に探しまわるほど体力は無いので、木々を見て、人の手が入っていないかを見つつの捜索だ。
流石に北国や山に近いので気温はそう高くないはずなのだが汗が滲む。
気づけば、日はそれなりに高いところに昇って居たため、茅子は昼の休憩に入った。
額の汗を袖で拭って、開けた場所に鎮座していた岩の上に腰掛ける。
「やっぱり、無茶つったら無茶だったかなぁ」
大判の木の葉に包んだ焼いた兎肉と芋をもそもそと口にする。
兎肉はいい。元の肉も悪くないし、塩とハーブでそれなりに冷めても食べられる味付けだ。
しかし、芋はもう、芋としか言いようがなかった。野生をたくましく生き延びてるだけあって、人に媚びない風格がある。
平たく言うと芋嫌いが嫌う芋風味が全面に押し出され、口の中がボソボソする。
後ろから視線を感じるので、もう一つ念の為に持って来ていた弁当を開いて狼に進呈する。
最近は焼いた肉がいたく気に入ったのか、獲物のお裾分けの量が増えている。無論、調理後のお返しが狙いだ。おそらく彼女の頭のなかには、獲物を茅子に渡す=焼いた肉が帰ってくる、という図式がすでに出来ているのだろう。
隣人との今後の良好な関係のためにも、やっぱり鍋かそれに準ずる調理器具が欲しいなと茅子は思う。
ちなみに、探索結果は散々たるものだった。
人が居た形跡どころか、村の跡がありそうな人工的に開けた場所すら見つからなかった。
珍しい物といえば茅子の顔ぐらいはありそうな猪の足跡ぐらいのものだ。
狼はその足跡の主に何か思うところがあるのか、足跡に近づくにつれ、ポワッとしたおとぼけワンコの顔から、精悍な狼に戻っていたが、それは閑話休題といった所だろう。
日も大分昇りきった頃。
さしたる成果もないままムキになって盲滅法に歩きまわるのも迷子になった時が悲惨であるという理由で、塒の洞穴がある山の近くまで捜索範囲を移し、山の周りをぐるり、と捜索する。
尤も、怪我が治りつつあった頃にリハビリがてらにふらふらと歩いたのである程度何があるかは把握してはいたが、山の規模としては小さいのだが、それなりに広い。そもそもこの樹海が出鱈目に広い。
岩肌に沿い、歩いていると奇妙なものを発見する。
「こんな怪しい朽木、あったか?――ああ、お前にゃ聞いてないからいいよ」
岩壁に寄り添うように立つ朽木に、茅子は狼のわう?という鳴き声に適当に返事をして、はてと首を傾げる。
近づいてみれば、ひゅうひゅうとどこかで風の音がする。どうやら、奥に空洞があるようだ。
思い切って、鞄から血を吸って襤褸切れに成り果てたタオルを取り出し手に巻いて手袋代わりにすると、木のひび割れに突っ込んで樹皮を引っぺがす。
めきめきめき、と軽快な音を立てて木が剥がれると、其処には大人の男が馬に乗っても余裕で通れそうな空洞が続いていた。
やはり、風の音の元はこれであったようだ。奥を覗くと、光が漏れているのでそう深い洞穴ではないらしい。
ちらり、と狼をみやるが、特に警戒した様子もない。
茅子は、狼を信用する事にしてゆっくりと洞穴の奥へと進んでゆく。
洞穴のなかはひんやりとして、どこか塒の中と似た空気を感じる。元々同じ山であるからして、ある程度似た感じなのは必然ではある。空気が頬を撫でるに任せ、茅子は奥の光を目指す。
トンネルの様に短い洞穴を抜けた先の光景に、再び茅子は間抜け面を晒すこととなった。