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森ガール、はじめました  作者: マルコ
1.In The Shadow Of The Valley
7/8

森と大地と狼さん


 空は抜けるような晴天である。


 昨夜の滝のような雨と竜の唸り声の様な風、それから軽快に落ちる雷は幻だったのかとも思える程に爽やかで雲ひとつ無い晴天だ。木々はまだ残る雨でキラキラと輝いている。

 嵐が去った西方に広がる魔の樹海――『常磐の手』は、ただ静かに朝日を浴びていた。

 

 鬱蒼と茂る木々の間、苔生し捻くれた根が地面を這いまわっている。

 そんな、普通の人間では歩くのも一苦労の中を悠々と、庭でも歩くような軽い足取りで歩く足音が一つ。

 がさがさと青々とした草を踏み分けるのは、真っ白な毛並みの狼だ。


 この辺りの主である、その白い狼は、一度空を仰いで鼻をひく付かせ、嵐で縄張りに変化は無かったかと探る。

 しかし、酷い嵐だったと狼は逡巡する。

 大気に溶ける精霊共がやけにそわそわしていたと思ったら突然、何かに歓喜した様なお祭り騒ぎが始まり、何事だと様子を伺う前に塒の外にでる気にもならない程の嵐がやってきた。

 どこか遠くで、魔力が二つばかり動いた匂いもしたので、恐らくは『それ』が何某かの原因だろうと狼は見ている。

 何事もなければよいが、何事か有った時が困る。

 最近では少しずつ魔獣共――特にあの大食いの猪がのさばり始めて居るので警戒するに越した事はない。

 そういう訳で、その魔力の匂いがした所へと様子見に来たというわけだ。




 そうして森を狼が歩いてゆくと、不意に血の匂いが香り始める。

 匂いはどんどんと濃くなってゆき、元をたどると根本がポッカリと雨露になった大樹の元へと案内される。

 やや警戒したような空気を纏った狼は、静かに音もなく雨露を覗き込み――そして、たまげた。






――――







 夢を見た。

 鹿喰茅子が鹿喰茅子になる前の――祖父に引き取られる遥か前の、すでに朧気になった過去の夢だ。

 雨風を凌ぐのがやっとの荒屋の奥で、父がうずくまるように座っていた。

 なにか声をかけようとした次の瞬間、大きく風が吹き景色は塗り替わった。


 荒屋の奥で、血塗れのメリーが青褪めた顔で此方を見つめている。

 なにか言うわけでもなく、ただひたすらじぃっと、人形のようにのっぺりとした無表情で此方を見返しているだけだ。

 自分が、何かを言おうとした時、後ろで声がした。


『何も出来やしないんだ、放っておけよ』


 声に振り返ると、先程まで蹲っていた父が背後に立って茅子を見下ろしていた。 

 腐った魚のような濁った目が茅子の顔を映している。


『そら、他人に心を許すからこうなるんだ』


 にたり、と父が笑う。黄ばんだ乱杭歯が顔をのぞかせた。

 嫌な汗が背中から吹き出し、滴り落ちるような気がする。


『信じるな』


 やけにその言葉がベッタリと耳に張り付いた。


『疑え。迷わず殺せ』


 耳をふさぎたいのに手は動かない。目を逸らしたいのに、逸らせない。


『そうでもなけりゃ、すぐに食い物さ。何たってお前は――』


 いやだ、聞きたくない。


『弱くて惨めだからね、カーヤ』


 耳元で優しく、メリーが囁いた。





――――




 弾かれるように、茅子は跳ね起きた。

 心臓は破裂しそうなほどに激しく脈打ち、嫌な汗が次から次へと吹き出してくる。

 大きく息を吸い、吐くと途端に片腕がズキリと痛む。

 雨露の中で2,3度気絶しつつも辛うじて矢を抜いた傷が、ジクジクと厭らしい痛みを伝えて来る。

 痛みで却って正常に動き始めた頭が徐々に周囲の情報を処理し始めているのが分かる。


 どうやら、洞穴か洞窟の様な場所に寝かせられていたようだ。

 昨夜身を潜めた雨露とは違い、適度に乾燥したこの空間は心地が良かった。

 時折通り抜ける風が冷たいが、下に敷かれた柔らかく暖かな毛皮のお陰でそう寒くはない。

 数度毛皮をなでた後、ふと茅子は疑問に思う。――毛皮って自分で発熱するか?


「……ぐぎゃっ!?」


 振り返った茅子は、年頃の娘とは到底思えないような悲鳴を上げた。

 敷かれていた毛皮は生きていたのだからそれもその筈。

 茅子の下に居たのは、生きた毛皮――と言うより、大きな犬かはたまた狼の様な生き物であった。

 ツンと尖った三角耳とすっと伸びた鼻に、利発そうな金色の目。

 毛並みは新雪のように真っ白でふかふかの、到底野生動物とは思えないような綺麗な生き物だ。

 ただ、サイズが異様でそこらの大型犬とは比べられない程に大きい。

 

 自分はそんな生き物の腹を借りて寝そべっていたらしい。

 狼?の方も、茅子が目覚めたのに気づいたらしくパタパタと数度尻尾を振り、首を傾げると心配そうに顔を覗きこんできた、ような気がする。

 狼の方は固まる茅子の顔をべろべろと舐めたくり、すんすんと先ほど傷んだ片腕に鼻先を擦りつけてきた。

 どれ傷を見せろ、手当してやろう。と言っているような気もしたが、茅子は気持ちだけ受け取る事にした。


「き、気持ちだけ受け取っとく……ありがとう」


 言葉が通じたとは思わないが、狼は茅子を上目遣いで見つめると不意に腕から鼻先を逸らした。

 本当にこちらの言いたいことがわかるとしたら、大層なものだ。

 

 

 血を止めすぎるのも宜しくないので、止血用に巻いていた布を腕から取り傷の様子をしげしげと見つめる。

 かえし(・・・が付いた矢だったのも手伝い、ひどい有様だ。よくまあ、自力で引き抜いたもんだと感心する。

 幸運としか言いようが無い事に、血管も神経も今のところ傷の付いた様子はない。

 このまま下手に閉じないように、傍らにあったバックパックからタオルを取り出して当てて、止血用の布をきつすぎないように巻き直す。

 

 その様子を暫く黙って見ていた狼だったが、不意に立ち上がったと思うと茅子の袖を軽く噛んでくいくいと引っ張る。

 ついて来いとでも言いたげでは有ったが、茅子は動こうとしない。

 暫くの間、ついてこいというサインを出していた狼だったが、業をにやしたらしく襟を咥えてずるずると奥へと引き摺り込もうとする。

 茅子は茅子ですわ何事かと抵抗するが、下手に暴れると首が締まるのは此方なので大人しく引きずられる事にした。

 奥で食い殺される可能性も考えたが、そんな隙は山程有ったろうにそれをしなかったということは、今のところ食われる恐れは無いのだろう。








 その内、いい加減ズボンが擦り切れかねないので素直に狼について行くことにした茅子は、洞窟の奥の小さな池の様な場所に連れて行かれた。恐ろしいほどに澄んだ水底は冴え冴えとした青色で、吸い込まれそうな程美しい。

 しばし呆然と立ち尽くしていたが、不意に背中に狼の頭突きをくらい、ぐぎゃ、という悲鳴を上げて水底に沈んだ。

 あっぷあっぷと無様に溺れないように藻掻く茅子を、慈愛のこもった生暖かい目で狼が見下ろしていた。


「畜生、動物だろうがもう信用しねぇ!

 おいそこの犬っころ、今度毛皮にしてやるから覚えとけよ!!!」

 

 茅子が溺れないようにひとしきりもがいた後、岸から此方を見下ろす狼に向けて罵詈雑言を吐き捨てていると、水底から歌声が聞こえた。

 

「―――――」


 この池のように澄んだ歌声に耳をそばだてると、どこかでクスクスと笑う声が聴こえる。

 するり、とひんやりとした手が茅子の頬を撫でた様な気がしたと思えば、『何か』が自分のすぐ側に居るような気がした。


「―――――」 

 目の前で声がしたかと思えば、すぐ後ろで聞こえたりする。

 ひょっとしたら、からかわれているのではないかという気が少ししてきたが、気味が悪いのでやはり声のした方をキョロキョロと見つめてしまう。その度にクスクスと楽しそうな笑い声が聞こえるので、やはりからかわれているのだろう。


 しばしそうやって水面で歌声に翻弄され続けていたが、狼がざぶんと同じように池に飛び込んできたかと思うとまた襟を咥えてずるずると陸地に引き上げられる。

 何がしたかったのやらさっぱり分からず、ポカンとしていた茅子だったが、狼が鼻先を腕の傷に近づけスンスンとしているのを見て、ふと傷が癒えている事に気づく。

 完全に塞がったとは言い難いが、うっすら肉は盛り上がり始めている。

 予想だにしていなかった奇妙奇天烈な事態に、ファンタジー世界の強烈な洗礼を浴びて茅子は再び阿呆面を晒してしまう。


 狼がぶるりと全身身震いして水を跳ね散らし、そらお前もこうやるんだよと言うような表情を浮かべていた。


「いや、無理」


 彼女は首を傾げてできないの?という顔を再びしてきたので、茅子は再び無理、と答えた。

 今度はしかたのない奴だ、と言うふうな空気を見せた狼は、茅子に向けて息を吹きかけるような動作をする。

 ふわり。と暖かな風が一瞬吹いたと思えば、頭の上から爪先まで濡れ鼠だった茅子が綺麗さっぱり乾燥していた。 

 

 ぱちくり、と茅子は目を瞬かせる。


「精霊憑き……」


 西の大渓谷やそこに繋がる樹海、はたまた北部に広がる山脈。そうして、南に広がる大海原。

 人が到底住めないような過酷な土地に生きる動物らは、時折手足のように魔法を使いこなす個体が生まれる、と本に有ったのを思い出す。

 幻獣とも魔獣とも少し異なる突然変異の様な生き物の事を、精霊憑きと呼んだりするそうだ。

 そういった生き物は総じて賢く気高く、人と交わることはそうない、らしい。


 首をかしげる狼を見て少なくとも気高く、には疑問符が付くなと茅子は思った。






 再び狼に連れられ、先ほどの塒に戻ってきた。

 ナップザックの中身も点検したが、あらかた中身は無事であった。

 特に、あれだけ雨ざらしにしていたのに携帯電話や音楽プレイヤーが無事だったのには少し安堵した。


 そうして一頻り、異常事態が終わり漸く頭を整理する余裕ができてきた。

 先程湖に放り込まれた時に痛みが引いたのが大きかったようだ。

 同時にじわりと悔悟やあの冷たい怒りが滲み出てくるのがわかった。

 

 あの男の言葉を全面的に信用する訳ではないが、この件にあの女――アウルム姫が噛んでいる可能性はかなり高い。

 このまま王都に引き返してそんなことをぶちまけても、気が触れたとでも思われるのが関の山であろう。

 それどころか、療養目的という名目で何処に放り込まれて殺されるかも分からない。


 ――ならば、このまま死んだと思わせて時間を稼ぐのが安牌か。


 何れにせよ、利用できるものは利用すべきなのだろう。

 例えそれが人であろうがなかろうが、善意であろうが打算であろうが、だ。

 力が欲しいと切実に思った。相手の喉笛を食い千切れるだけの、それができるのだと牙を剥けるだけの力が。

気に食わないものを気に食わないと言い、相手の鼻面を殴りつけられる何かが。

 茅子は背を丸めて自分の膝を深く抱き、沼の底のような瞳どこか遠くを見つめる。

 そんな彼女を知ってか知らずか、狼はそっと背に寄り添うように寝そべった。








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