わたしは淋しい水でできてる
閲覧室でひと騒ぎ終えた後、茅子はアウルム姫に呼び出される運びとなった。
なんでも、大切な話があるとかないとか。
遂に放逐か、とも一瞬思ったが口には出さなかった。
閲覧室から彼女が指定した応接の間まではそれなりに距離があった為
途中、東雲に用事があるといった狛江と、本郷先生に本を届けにゆくと行った神保女史と別れ
茅子は一人でひたすら豪華で長い廊下を歩む。
窓の向こうから見える庭は緑が生い茂り、庭師が手入れに精を出していた。
外の心地よさそうな景色に思わず、呼び出しをフケて中庭で昼寝でもしたくなった茅子だが、その企ては実らなかった。
「ちょっと鹿喰さん。アウルム姫殿下にお会いする前に、いい?」
声をかけられ振り返ると、声の主は同じクラスの二川という女子生徒だった。下の名前は覚えていない。
エリコだかリエコだかユリコだかなんだか、そんな感じだったような気もするが、いまいち思い出せないのだ。
後ろを見れば、彼女の下っ端の女子生徒二人も、何とも意地の悪い目つきで茅子を見ていた。
コッチの二人は苗字すら覚えていない。
ただ、この三人組は図ったかのように同じような感じの服装をしてつるんでいるので何となく覚えている。
「急ぎっぽいんだけど、後じゃだめ?」
なんとも底意地の悪い目つきをした三人に辟易しつつも、無駄な提案をする。
もちろん無駄だったようで、したり顔の三人はクスクスと楽しそうに笑っている。
「アウルム姫殿下になら了承を取ってるから、問題ないわ」
「残念ね。すぐに済むから大丈夫よ」
「そうそう、すぐ済むから!」
ドナドナドーナ、と重苦しい旋律が茅子の頭に響きつつ、流されるままに三羽雀に連行されてゆく。
この場には誰もいないが、きっと茅子を見れば思うだろう。市場に売られる子牛のようだ、と。
ドナドナされた先は、お誂え向きに人が通らなさそうな一室である。
通らなさそうとは言うが、王宮なのだからメイドやら守衛が歩きまわってても良さそうだが通らないところを見ると、恐らく人払いがされているのであろう。
「あなた、ちょっと最近調子に乗っているんじゃないの」
何がじゃ。と茅子はいいたくなったが此処はグッと飲み込む。
要らぬ茶々入れは話が長引く原因の一つだ。ぐっと口を貝のように閉ざして嵐がすぎるのを待つ。
しかしながら、反応がお気に召さなかったらしい二川一派は少々立腹といった表情だ。
「なにか言ったらどうなの?」
下っ端A――確か、三枝と言った気がする。が、おもいっきり肩を突き飛ばして思わず茅子はよろける。
見た目より力はあるなと思ったが、そういえばコイツ、ソフトボールだかなんだか運動やってたなと言う事を思い出した。
思ったより強く突き飛ばされたので、茅子は背後の壁に強かに背中を打つ。メスゴリラめ、と内心で悪態をついた。
「アスカム卿が弓のお稽古をつけてくださるって話も、断ったそうじゃない。何様のつもり?」
「前の世界で少しばかり弓が使えるって言うから
役立たずのアンタの為に時間を割いてくださるって仰っていたのにねぇ?」
三枝と下っ端Bがやけにねっとりとした口調で詰め寄ってくる。
あのハゲ狸もとい、アスカム卿は大して肉がついてない自分の尻を触ってくるのであまり好きじゃない。
ついでにこの世界、現代社会ほど衛生観念が発達しているわけではないので、風呂の概念がやや薄い。
中世の御多忙にもれずその体臭を香水でごまかすからもう惨劇である。
犬なみに鼻が効くわけではないが、密着されればわりと辛いものがある。
それよりも何よりも、多分彼は小児性愛のケがあるような気がしてならないのでお近づきにはなりたくないタイプだ。
前に一度、下働きの少年を舐め回すような目で見ていたから多分確定である。
次に尻を触られたらヤツの膝に矢を放ってしまいそうなので、弓のお稽古は断った。
それが、どうやらこの三羽雀の帰りの会の材料になったようである。
「卿のお時間を取らせるのも申し訳ないし、自分の訓練ぐらいは自分でつけるつもりだけど……」
と言った辺りで、おもいっきりビンタを食らった。今度は下っ端B(思い出した、四谷だ)である。
ネイルの剥げかけた長い爪が災いして、頬に数本小さい引っかき傷が出来た。
顔に傷とは、呼び出しに慣れてねぇんだな、三流め。と心の底で軽くまた悪態をついてみる。はるか昔の青春ドラマの、「顔はヤバいよ、ボディにしな」はもう通じないのだろうか。
「そういう態度がムカつくんだよ、クズの癖に」
下っ端二人をけしかけていた二川が声を荒げる。
実行は下っ端にやらせて、自分は恫喝に終始するつもりらしい。考えおる。
二川の苛立った声に、すかさず下っ端二人の援護射撃が飛んでくる。
「何の取り柄もないアンタに注意してあげてるんだから少しは反省したらだどうなの」
「そうそう。日がな一日、閲覧室でお喋りばっかりして、アンタちょっとは自分の立場考えたら?」
話を拾い上げて考えて、ついでに下衆の勘ぐりを混ぜると
どうやら彼女等はするべき訓練をサボってお喋りに終始していると思っているらしい。
事実はどうであれ、そういう事にして今回の帰りの会を進行するつもりなのだろう。
何とも重苦しい、梅雨の湿気を吸った真綿で首を絞めるようなリンチの空気が部屋に充満する。
このままだと遠からぬ先に、物理制裁に発展しそうな剣呑な空気である。
切り抜ける方法はないものかとも思うが、そんな知恵が回るならばそもそもリンチに発展していない事に気づいて
その試みを茅子は早々に諦めた。
「まぁ、分かんないかもね。山奥育ちの原始人にはさ」
悪意をタップリとまぶした一言に、茅子の目が大きく開かれる。
漸く目当ての反応を得られたためか、二川は満足そうににたり、と笑顔を浮かべた。
茅子の頭の隅で、死んだ父が嘲笑った。「ほうら、な」。
「えー、何それ?」
「あれ、アンタ知らないんだっけ?
コイツさ、父親がマジ頭おかしくて、小学校上がるまで山奥で原始人みたいな生活してたらしいよ」
「うっそ、超ウケる!だから、ちょっと足りないんだぁ」
下世話な好奇心でぎらぎらと三人の目が輝く。その貌は、見知った醜い顔だった。
――見てみろよ、人なんてそんなもんだ。だから、『お前は人を信じるな』。
げらげらと頭の隅で、父親が嗤う。あのギラギラした二つの目を思い出して、吐き気がした。
どこか遠くで、暴れるような風の音がする。
ちらり、と窓の外をみれば突風が枝を折らんばかりに吹き荒れていた。
腹の奥がカッカと燃えるように熱くなるのを、茅子は感じた。
しかし、それに水を差すように声が後ろからかかる。
「誰か居るんですか?」
背後から声がかかり、三羽雀の肩が面白いぐらいに跳ね上がる。
人払いをして油断したな、素人め。そういう時は見張りも立てないと意味ねーぞ。
早くもリンチには慣れ親しんでいる茅子が心のなかでそっとアドバイスをする。
先程の怒りは揮発したのか、これっぽっちも感じなくなっていた。
視線を向けると、其処にはクラス担任の本郷が居る。
恐らく、さっきの大声を聞きつけて此方に来たのだろう。
「げっ、本郷じゃん」
「メイドには誰も近づけないでって言ってたのに」
「マジで使えないわぁ、誰かさんみたいに」
口々にそう言って、三羽雀が互いに目配せをしあう。
チクリチクリと嫌味を言っている間にも、本郷は部屋に入ってきた。
「皆さん、ココで何を?」
茅子の頬の引っかき傷を見とがめて、本郷が僅かに眉を寄せる。
三羽雀はどう話を合わせるか、目配せし合っている。
どうやら、其処までのシナリオは完成していなかったらしい。言い訳まで考えておけよ!
校舎裏の呼び出しの如き構図に、本郷の目は鋭くなっている。
茅子は咄嗟に、なにか言いかけた本郷の言葉にかぶせて口を開く。
「さっき風が吹いた時に、木の枝が顔にあたって引っ掛けちゃいまして。
二川さん、治癒魔法の訓練もしてたみたいだから、訓練ついでに無理言って治療を頼んだんです」
我ながら苦しい言い訳だとは思うが、茅子は口を開く。
本郷からは疑り深い眼差しを受けるが、そのまま何事もなかったかのように三羽雀の包囲網から遠ざかる。
「ほら、訓練に戻りなよ。無理言ってごめん、疲れたりしてない?」
軽く二川の肩を叩いて、解散を促す。無論、小声で「貸一つな」と釘を刺しておく。
これで少しの間はこの群れはおとなしいことだろう。
そのまま何か言いたげな本郷の脇をすり抜けて、謁見の間へと急ぐことにした。