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勇者のレシピ-今日から始めるゲテモノ料理-

作者: potato_47

 手に持ったライ麦パンに齧り付く。

 案の定、噛み切れることはない。死闘の始まりだ。まるで躾のなっていない猛犬の口から、手拭いを取り上げるかのように右へ左へグイグイと引く。それをパン相手にやっていて、しかも咥えているのも引っ張るのも自分なのだから、なんだか無性に遣る瀬なくなる。


「しかもこれが一番の贅沢だというのが笑えない」


 スバル・イサは口端を歪めた。路銀の尽きた旅でも狩りをすればどうにかなったが、この土地ではそうもいかない。

 目の前に並べられた貧相な――という表現すらも生温いラインナップ。

 ライ麦パン、塩スープ、魔法加工のサプリメント。

 しかし、お湯に塩を溶かしただけのものをスープと呼ぶには無理があるし、ライ麦パンは硬すぎる。そして何よりも最悪なのがサプリだ。確かに栄養豊富なのかもしれないが、冒険者から“泥団子”などと呼ばれるものが食料だなんて認められない。こんなものを開発した奴は、相当な味覚破綻者か冒険者嫌いの魔法使いに違いない。


「……嫌なことを考えずに、せめてこのパンに感謝を捧げよう」


 唾液のおかげでようやく柔らかさを取り戻したライ麦パンは、麦の濃厚な旨味を滲み出してくる。ここまで硬くなると、故郷のするめ焼きを彷彿させる。パンなんてものは柔らかくてなんぼのものと思っていたが、まだまだ自分は世間知らずなのだと始めて噛んだ瞬間に激痛と共に学んだのは、今となっても嫌な思い出である。


「口の中が乾いてきたら、こいつを飲むと……ああ、うん、塩だな。本当に塩でしかない」


 出汁など甘えと断言するかのようで理不尽が極まっている。塩分と水分補給が目的のただ摂取するもの。後に控えているラスボスを思うと不味いと言えないのが悔しい。

 スバルは静かに毒々しく主張する黒い塊を指で摘み上げた。

 一口大の丸い玉。薄くハーブの香りがある。

 見た目だけなら、貴族たちに人気のチョコレートに見えなくもない。


 ゆっくりと口の前まで持ってきて、そこで深呼吸をしておく。大きさに釣られて、丸ごと口の中に放り込むようなヘマはしない。既に初日にその洗礼を受けて盛大にリバースしている。

 前歯で一欠片、齧り取る。舌に触れた瞬間に苦味がぶわっと広がった。

 泥の味がする。それも濁った沼に沈殿した泥だ。香り豊かなハーブは絶妙に吐き気を刺激してくる。これはもはや拷問と呼んでいい。

 なんとか磨り潰し終えると、すぐに塩スープで流し込んだ。


「折角の朝食だってのに辛気臭いったらないな」


 周囲を見渡せば、どいつもこいつも死んだ顔だ。地平線から昇り始めた朝日に横顔を照らされれば、尚更その悲愴感が際立つ。


 ――こんな筈ではなかった。


 みんな同じことを考えていることだろう。


「あれは詐欺としか思えないしな」


 ここに居る者達は、全員がスバルと同じ境遇の同業者だ。

 即ち、ギルド連盟から依頼を受けた冒険者である。

 依頼内容は、隊商キャラバンの護衛任務という定番のものだった。護衛という任務の都合上、何かと制約が多く余り冒険者からは好まれない。今回の依頼も特記事項に三食宿付きと書かれていなければ、スバルだって無視しただろう。前払いなしの完全成功報酬という文言には引っ掛かりを覚えたものの、成功報酬の金額を確認してそんなものは消し飛んだ。

 きっと相場も知らない金持ち貴族の依頼に違いない。装備を綺麗に磨いて礼節をもって依頼主に接する面倒臭さはあるとは思うが、たかだか一ヶ月の拘束で一年分の稼ぎを得られるのだから安いものだ。


「そしてこのザマだよ」


 あの依頼書に嘘は一つも書かれていなかった。ただ隠された悪意があっただけだ。

 行き先は、魔獣の跋扈する最前線。護衛対象の隊商が運ぶのは、依頼を受けた冒険者の食事と野営道具。つまり一ヶ月間、最前線に待機して増え続ける魔獣の間引きを行うという超過酷な依頼だった。


「スバル、要らないならもらいますよ?」

「やらねーよ」


 スバルが一週間前の自分に恨み言をぶつぶつと呟いていると、正面に座る少女が声を掛けてきた。どうやら狙いはスバルの食べ残している泥団子のようだった。


「食いたくはないが、貴重な栄養源だからな」

「残念です。美味しいのに」

「……お前の味覚はどうなってんだよ」

「あなたより得する味覚なのは確かです」

「魔族だからか?」

「それもありますが、個人差は大きいと思います」


 目の前に座る少女の名は、リアトリス・ミラ・ヘイルティア。外見は12歳前後の幼い少女だが、魔族であるため人間と幾ら似ていても同じ物差しで実年齢を判断できない。パーティを組んで半年を共に過ごしたスバルの印象としては、同年代か少し下ぐらいであろうというものだった。


 朝日を浴びて雪のように鮮やかに光を反射する白髪は肩上で切り揃えられ、形の整った眉の下には血を思わせる紅の瞳。神秘的な美しさと恐怖を駆り立てる魔性を同居させた白髪紅眼は魔族特有の容姿だ。

 本来ならばただそこに居るだけで際立つ存在感は、とんがり帽子に黒いローブという古典的な魔法使いの衣装によってだいぶ落ち着いている。リアトリスの足元には捻れた木の杖が横たえているが、肉体そのものが魔法発動体である魔族には無用の長物である。敢えて人間らしい装備をするのは、彼女自身が人間で在りたいと望んでいるからだ。


 過去にスバルは「年増が無理して魔法学院の制服を着ているみたいだな」とからかって、杖でしこたま殴られた。

 まだ一年に満たない付き合いではあるが戦闘では言葉を交わさずとも連携を取れる。皮肉ばかりの会話は寧ろ心地良いし、なんだかんだいって相性は良いのかもしれない。ただ一緒に街を歩いているだけで、衛兵に呼び止められるのは勘弁してほしい。


「そんなにジロジロ見ないてください。殴りますよ」

「実力行使に出る前に段階踏もうぜ」


 勘が鋭くて少し短気なところもあるが、すべて無表情で言うものだから分かり難い。不満があるとすれば、それぐらいだろうか。



    *



 食事という名の栄養摂取を終えて、本日も楽しい狩りの時間の始まりである。

 我の強い冒険者は集団戦に向いていない。ギルド連盟もそれを理解しており、即席の冒険者連合に騎士団のような指揮系統の整った戦い方を求めなかった。各々が狩場の範囲を決めて、顔を合わせたら一時的に共同戦線を張るが、基本的にはパーティ単位で行動する。

 スバルもリアトリスと二人で森の中を探索していた。


「腹減った」

「先ほど食べたばかりですよ」

「あんなんで足りる訳がないだろう」

「人間の肉体は不便ですね。私は数ヶ月程度なら食事を与えられなくても生きられましたよ……流石にあの監禁生活は応えましたが」

「さらりとヘビーな過去を口にしないでくれ」

「話の途中ですが、どうやら敵のようです」


 リアトリスの警告を受けて、スバルは腰に下げた刀の柄を右手で握った。それから腰を落として油断なく抜刀の構えを取る。

 繁みから緑色の影が飛び出してきた。


「ゴブリンかっ!」


 緑色の肌をした耳の尖った小人。無毛の頭に鋭い三白眼。人間にとっては凶相を詰め込んだ外見だ。性格は粗野であり人間や家畜を襲う森の住人である。


「リアは上を!」


 スバルは襲い掛かってきたゴブリンと対峙しながら、リアトリスに指示を送る。

 ゴブリンは集団戦を得意とする。人間に比べれば知能は低いが、簡単な連携なら取ることができる。今もスバルに攻撃を仕掛けるゴブリンが注意を引いているが、木の上でホブゴブリンが魔法を詠唱をしている。

 もしも、馬鹿正直に目の前のゴブリンだけを相手にしていれば、強力な魔法攻撃を受けることになるのだ。


「はぁ――ッ!」


 スバルは間合いに入った瞬間、抜刀する。一ノ太刀はゴブリンの右腕を切り飛ばした。振り上がった刃を即座に振り下ろす。ニノ太刀は痛みと怒りに更に凶悪になるゴブリンの首を切り落とした。

 一瞬の攻防。スバルがゴブリンを仕留める間に、リアトリスもまた魔法で生み出した風の刃により、木の上に潜むホブゴブリンを八つ裂きにしていた。

 戦闘はすぐに終わった。スバルとリアトリスは熟練の冒険者であり、下級の魔獣であるゴブリン程度では苦も無く退治できる。


「塵も積もればなんとやらか」


 スバルは刀を支えにして肩で息をする。

 ここは最前線。通常は数匹で狩りを行うゴブリンも、数十匹と立て続けに戦闘することになった。無傷では済んだものの連戦に続く連戦は体力的に厳しい。


 辺りにはゴブリンの死体が散乱している。鬱蒼とした緑の臭いと死体の臭いが混ざり合い息が詰まる。切り裂かれたゴブリンの死体。自画自賛になるが綺麗な断面をしている。どんなに凶悪な外見でも、斬ってしまえば赤黒い肉片に変わる。

 空腹に腹が鳴った。

 スバルは呼吸が整うのを待って納刀する。


「……ゴブリンって美味いのかな?」

「正気ではありませんね」

「せめて疑問形にしろ」


 リアトリスは顎に手の甲をあてて考え込む。あらゆる生物、物質が魔素を持っている。そのバランスが崩れた生物が魔獣となる。魔族は魔獣に堕ちず高濃度の魔素に適応した者のことを意味する。その過程で外見も魔族特有のものに変化する。ゴブリンは魔獣とはいえ人間に近い亜人種だ。見た目だけならリアトリスは人間だが、その立ち位置はどちらかというと亜人種に近い。


「……スバル、まさか私を非常食にとは考えませんよね?」

「お前こそ正気か」


 スバルは両腕を抱えて後退るリアトリスに呆れ顔を浮かべる。

 改めてゴブリンの死体に注目する。腕や足、胴体と元が人型だと分かると、やはり食欲は失せてしまう。だが、どうだろう、リアトリスの魔法によりばらばらになった肉片だけに注目すれば食べられる気がしてくる。


「ホブゴブリンの方が身奇麗にしているな」

「彼らは精霊魔法を使いますからね。精霊は不浄を嫌います」

「人型じゃないければいいんだが、こうバラバラになっているなら……そう、耳とかどうだろう」


 スバルは千切れた耳を取り上げる。故郷の南方料理には豚の耳を使ったものがあった。食えない訳ではない筈だ。


「サプリよりマシに違いない」

「あの加工品には開発者のおどろおどろしい怨念が込められていますからね」

「……衝撃の事実っていうより、やっぱりかって思っちまうあたりがなんか虚しいよ」


 魔族はその成り立ちから魔素への理解が深い。『魔法は想い、想いは魔法』という古い言葉がある通り、魔族は物質や生物に宿った魔素からその想いを読み解くことができる。


「まあそんな負の塊より、この肉の調理方法を考えるか。幸いにも調味料はあるからな」



    *



 口に含んだ瞬間、濃厚な赤味噌の旨味と醤油の香ばしさが口一杯に広がった。山菜の甘味が遅れて追い掛けてきてソースと絡まり合うと、思わず頬が緩んだ。


「うん、俺が想像していた通りの味だ」


 スバルは故郷の味に安堵する。

 山菜だけでは物足りないと腹が訴える。しかし、思うように箸が進まなかった。


「早く毒味をしてください。私が食べられません」

「お前は遠慮とか躊躇いっていうものがないのか」


 リアトリスは首を傾げた。


「何を言っているのですか? 躊躇いがあるから、スバルに頼んでいるのですが?」

「……そうか、お前に足りないのは優しさだな」


 スバルは深皿に盛り付けられた肉野菜炒めに視線を落とす。

 そう、問題は味付けではない。この料理のメインをはるホブゴブリンの耳肉こそが、躊躇いを与える元凶だ。


 ゴクリ、と緊張に喉が鳴った。


 一口目では避けていたが、今度こそは挑戦してみせる。

 スバルは恐る恐るといった様子で、肉野菜炒めに再び箸を伸ばした。そして箸先で肉を掴み取る。


「……っ!」


 静かな深い森の中、スバルは息を呑んだ。

 どんなに強力な魔獣に立ち向かう時も、生き残ることすら過酷な激戦区へと飛び込む時も、これほどの恐怖は感じなかった。

 味噌と醤油のソースを絡めたぶつ切りの肉が、箸先の危ういバランスに揺られながら、木の葉の隙間を抜けて降り注ぐ陽光を浴びて、てらてらと輝いている。凹みの部分がポケットになり肉汁とソースをたっぷりと溜め込んでいる。

 美味そうだ。見た目だけなら断言できた。


「だが、人として……いや、そもそも、本当に口に入れていいものなのか……」


 しかし、肉が食いたい。

 揺れる肉を恨めしげに睨み付ける。

 見る見る内に、空きっ腹を刺激してきた。躊躇う理性を他所に、本能に忠実な肉体は正直だった。今すぐにでも齧り付きたいと唾液が溢れ出し、空腹に腹が騒ぎ立てる。


「――ああ、食ってやるさっ!」


 もはや、躊躇いよりも、玉砕覚悟の食欲がまさった。

 大きく口を開いて、問題の肉を放り込む。そのまま後悔が押し寄せるよりも早く顎を上下させた。


「ん――っ!?」


 驚愕に目を見開く。

 肉が歯の列の鍵盤を叩く。そのたびに、コリコリした食感が楽しげに踊った。当初、予想していた肉の臭みは見事に味噌が打ち消してくれている。

 軟骨とタンを合わせたような、硬過ぎず柔らか過ぎずといった絶妙な食感。肉自体の主張は大人しい食感を楽しむ料理だ。


 美味い。醤油との相性も抜群だ。山菜と一緒に食べると更に味が豊かになって、箸が止まらなくなる。人は見た目によらないと言うが、食材もまた同じようだ。

 スバルは一気に料理を平らげた。できあがった料理を前に躊躇していた自分が馬鹿に思えるぐらいの清々しい食いっぷりだった。

 満足のいく食事に笑みを浮かべる。もう一度、食べたいとさえ思った。


「そうだな、折角だしメモっておくか」


 手帳にさらさらとレシピを書いていく。

 その隣で、スバルに毒味役を任せていたリアトリスが、久し振りの肉料理に舌鼓を打っていた。忌避感さえ除けば魔獣は魔族にとって最高の食材だ。


「食料問題はとりあえず解決ですね」

「別の問題が発生しているような気もするけどな」

「ただの感情の問題ですよ。肉体が拒否しないのであれば、それは食べ物です」

「その『ただの』に縛られるから大変なんだろう」


 スバルは大きな文字で『ホブゴブリンのコリコリ耳肉野菜炒め』と書いた。

 材料には凶暴な魔獣。口に入れるには相当の勇気が必要になる。

 それは、後の世で『勇者のレシピ』と呼ばれるレシピ本に記された初めての料理だった。

 久し振りのオリジナル小説でリハビリ作品。

 料理チートが流行っていると聞いて、書こうとしたらダンジョン飯のノリになっていました。


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