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目が覚めた。
とは言え、意識はまだぼんやりしている。
陸弥は朝に弱いのである。
見計らったようなタイミングで目覚ましがなるが、そちらを見ることなく止める。
もう何年も使っている赤い色の目覚ましであるが、別にそれが彼の覚醒を知っていたわけではない。
毎日同じ時間――AM6:30に起きているうちに陸弥に同じ時間に起きる習慣が付いただけだ。
つまり本来なら陸弥に目覚ましを使う必要はない。
しかし自ら決まった時刻に起きれるようになった頃には、
朝起きて鳴るアラームを止めるという事が習慣付いていたのだ。
何度か使うのを止める事を検討もしたのだがとうとう止める事はなかった。
言うならば、習慣とは役に立つが、恐ろしい事でもある。
恐ろしい事を中毒とも言うのかも知れないが害はないのだから
陸弥にとってのそれはやはり習慣なのだ。
ぼんやりとした頭で、くだらない事を考えながら隆二はリビングに向かった。
今日も変わらず、リビングからは母の作る朝食の香りが漂ってくる。
小学生になった頃、分かった事なのだが母の作る料理はおいしい。
不味いとは言えずとも、友人が悪くないという給食を味気ないと感じるほどなのだから
舌が肥える程には母の料理は美味しいのだろう。
美味しいものが食べられるというのは、それだけで幸せな事だ。
おかげで(せいで?)給食のない中学校へ通う事になったが、いい事のほうが圧倒的に多い。
例えば陸弥は短い人生の中でさえ、落ちこんだ気分をこの料理で何度も解消できている。
そういった意味で言えば陸弥は、料理に何度も救われているのだ。
寝起きの悪い自分が毎日起きられるのは、この香りのお陰かもなと陸弥は思った。
「おはよう、母さん」
キッチンで作業をしている母に声をかける。
今日のスープはミネストローネのようだ、少し苦手である。
せっかく作ってくれた物を残すつもりはないが苦手なのは変わらない。
味は一般的にいって美味しいのだろう。
しかしミネストローネには赤い悪魔が潜んでいる。
いや、ごろごろ入っているのである。
愛用している目覚ましをプレゼントされた理由が、陸弥の苦手意識を少しでも克服させるためらしいのだから
いかに彼がそれを苦手としていて、彼にとって好き嫌いがどれだけ珍しい事なのかが分かるというものだ。
「おはよう陸弥。今日も早いんだね。それじゃご飯にしましょうか」
母は今日も朝から元気である。
艶のある赤みがかった茶髪に、街ゆく人の目をひくスタイル。
美人といえるであろう容姿はとても30代だとは思えない。
そんな彼女だが、その性格は豪放磊落。
凛々しいというには力強すぎる彼女を表現するとしたらいわゆる肝っ玉母ちゃんでろう。
この性格もあってか、家事は苦手である。(料理だけは上手い。実に美味い)
「そうかな?まあ来年からは高校生だしね。しっかりしないと」
「そうね......ところで陸弥、今日はどうするつもり?学校は休みなんでしょう?」
「うん、開校記念日だってさ。図書館に勉強しにいくつもり。昼食までには戻るよ」
陸弥の通う中学は2月29日が開校記念日で休みなのだ。
4年に一度しかない日なのだから、はずれを引かなかった事はラッキーである。
どうしてそんな日に開校したのか疑問に思った頃もあったのだが
それに対する理事長の答えは一番珍しい日だからの一言だった。
今年で67歳になる理事長は「珍しいものには価値がある。同様に珍しくなる可能性があるものにもね」と言っていた。
陸弥は訳がわからないと思ったが、「若い人にはそれが分からんのですよ」
とも言っていたので、そういうものなのかと気にしない事にした。
「わかったわ。昼食は何がいい?」
「うーん・・・ハンバーグかな」
陸弥は最近食べていなかった好物の名前を母に告げる。
母は「ソースはトマトソースにしようかしら...」と呟いているが問題ない。
トマトソースやトマトケチャップはむしろ好物なのだ。
その後、とりとめのない会話をしながら食事を終えた陸弥は図書館へ向けて家を出た。
陸弥の開けた扉が閉まる頃、リビングのテレビでは
今夜、流星群が降る事が告げられていた。