『最低基準値』の引き上げ修行(2)
前回のあらすじっぽいもの:コガは懸念し続ける。アキラのこと。トモキのこと。ナナ姫のこと…
「どうかあたしに、『変化術』を教えてください」
人気の無い林の中。細心の注意を払って移動しなければすぐさま葉の揺れる音で来訪者がいることを気付ける、そんな場所。
アキラ程度の気配察知能力でもなんとか囲まれずに済むそこにアキラを呼び出したナナ姫は、彼にそんなお願いをした。
「どうか、よろしくお願いします」
出会った時とは違い、手を身体の前で組み、腰から曲げて頭を下げる。
その仕草にもどこか優雅さを感じる。
女王、と知ってから見ると、改めて育ちの良さが所作の細やかなところから見て取れた。
「お願いします、って言われてもなぁ……」
ただ、そうして誠実さが伝わる頼み方をされても、アキラとしては困るばかり。
統率力・戦闘力共に手練た集団が狙っているし、何よりナナ姫本人が無自覚に気品を溢れ出しているから、かなり偉い人だとは思っていた。
が、まさか王女だとは思っていなかった。
それで態度が変わるほどアキラの人間は出来ていないが……それでも、『最低基準値』に『変化術』を教える重要性を理解している以上、はいそうですか、と教えていいものかどうかは悩んでしまう。
アキラ個人の考えを言えば、教えておきたい。その方が戦闘においても多少は安心が出来る。
今日、十三人を相手に戦ったとき、アキラは始めて気がついた。
誰かを守りながら戦う難しさを。
十三人をアキラ一人で相手取るだけなら余裕だった。
負ける要素なんてなく、ピンチになることもなく、誰かの手を借りるなんてことは一切なく、圧倒的は無理としても、余裕でなら勝利を収めることは出来た自信がある。
それなのに今回、あろうことかコガの力を借りて、ようやく退けることが出来ただけ。
今まで誰かを守りながら戦ったことが一度もなかったせいで甘く見ていたが、こうも苦労するとは彼自身も思っていなかった。
だからこそ、気休めにしかならないとしても――一撃防ぐのがようやくの付け焼刃程度にしかならなくても、教えておきたいとは思っている。
正直、今またアレだけの数が襲ってくると分かった場合、前みたいな強気な態度は取れない。
だから、自分が駆けつけるまでの間己の身を守ってくれる程度の時間を稼いでもらえるのなら、願ったり叶ったりで教えたいのだ。
『最低基準値』でなければ、だが。
「っていうか、オレじゃなくてコガさんに頼めば?」
「彼女は、教えてくださいませんでした。あたしに戦いをして欲しくないから、と」
「あ~……なるほど」
それは言い訳で国として教えられない立場だからだろうな、とアキラは思った。
「じゃあやっぱり教わらない方が良いんじゃない? 今はオレだっているし」
「いえ……そうであっても、教えていただきたいのです」
「なんでまた。っていうか、キミが『変化術』を覚えたら、『県民』全体に影響が出るのは分かってるよね?」
「承知しております」
影響を与える覚悟の上、ということが、見つめ上げてくる真っ直ぐな瞳で分かる。
「それでもあたしは……教わりたいのです。……このまま、守られてばかりというのは、辛いですから」
その真摯な瞳を伏せ、少し悲しそうにしながら、ナナ姫は言葉を紡いでいく。
「あなたと出会う前、あたしのせいで敵に見つかってばかりでした。それを打破したくて、気配を絶つ方法をコガちゃんに教わりました。ですが、あなたと出会ったあの時、その教わった力だけでは、彼女に迷惑をかけてしまうことが分かりました。戦えないあたしは、足手纏いにしかならなくて……ともすれば、彼女自身も殺してしまいかねないことを、改めて知らしめられました。だからせめて、自分の身だけでも、自分で守れるようにならなければ……あなたにも、迷惑をかけてしまいます。それはもう……イヤなんです」
「ん~……その気持ちは分かるけどさ」
弱い自分を変えたくて、強くなりたい。
その気持ちの基努力をし続け強くなったアキラ個人は、やはり彼女を応援してあげたい気持ちがある。
「でもこの旅のためだけに力をつけるのって……大丈夫なのか?」
「確かに……大丈夫ではないでしょう。父もそういったことを覚えて欲しくなくて、民衆にも力を得て欲しくなくて、あたしを閉じ込めていたのでしょうし」
新しく産まれてくる次世代が強くなり過ぎると引っ張っていく自信が無い……だから次世代が必要以上に強くならないよう、『最低基準値』の娘に『変化術』を教えないよう――強くならないようにするために、閉じ込めていた。
おそらくは彼女の父親は、『最低基準値』の影響を受けて強くなった人間だ。
そしてその力のおかげでトップに立てた。
だがそれ故に、その強さと恐ろしさを身を以って理解し過ぎてしまった。
強くなっていく民を従えるほどの自信も持ち合わせられなかった。
だから、彼女を閉じ込めていた。
そんなところだろう。
「正直今でも、父を困らせたくないという思いはあります」
「ふぁぇっ!?」
自分勝手に閉じ込めた父を許さない……そう考えているものとばかり思っていたアキラは、全く正反対の言葉を彼女が話すものだから、自分でもビックリするぐらい間抜けな声が上がってしまった
「? どうかされましたか?」
「いや――」
自分の口から出た思ってもいないほど気の抜けた声に、少し頬を染めつつ一つ咳払いし、首をちょこんと傾げるナナ姫に己の意見を言う。
「――どうして閉じ込められてたのに、迷惑をかけられない、なんて考えが出来るのかなと思って」
「そうですね……今でも、心配してくれてるからでしょうか」
「なんで……そんなことが分かるんだ?」
「先程事情を話した時に話した、あたしを追っかけてきている四人の方。あの方たちはたぶん、あたしを連れ戻すフリをしながら見守れと、そう言われているような気がするんです」
「なんでまた……確か、まだ一度も完全に対峙して無いって話だったような……」
「逆にそれが怪しいと思いません?」
確かに……そういう見方もある……か……。
口先だけを動かし、声に出さず一人納得するアキラ。
追撃部隊の名を冠しているのにすぐ真横近くに潜んでいるのを見つけられない、ということは、普通に考えればあり得ない。
あり得る場合はつまり、ワザと。
なるほど。そういう考え方も出来る。
周囲を囲っていた十人の気配遮断は完璧だから気付けないにしても、茂みに隠れていた二人の内少なくとも一人は、まだまだ未熟の一言に尽きる。
それなのに本当に見つけられない訳が無い。
まして追撃を命じられているのなら尚更だ。
ならば理由があるはず。
となればその理由は……見つけて連れて返ってくるように頼まれていない。
そう、ナナ姫は結論付けていた。
……いや、アキラと出会ったこの出来事で考えを確信に変えただけで、それまでは少しそう考えていただけなのだろう。
「ですからもう、これ以上は心配かけたくないとは、思っているのです」
つまり強くなるのは、そうした見守る人たちにも安心してもらうためと……そういう部分もあるのだろう。
でもそれは逆に、強くなれば中途半端に次世代を強くしてしまって、『県』が転覆してしまう可能性を高めてしまうことにもなり――
「――ああ、なるほどね」
そう考えをまとめていて、アキラは気がついた。
「もしかして、強くなり続けようとしてる?」
「…………あはっ」
茶化すような、誤魔化すような……隠し事がバレた子供のような小さな笑みを、ナナ姫は浮かべた。
『最低基準値』は、その影響を受ける民にはどうしても勝てない。
底が上がる『変化術』は元より、知恵や膂力も同率に均されてしまうからだ。
だが極端な話になるが、もし一秒ずつ強くなり続けることが出来たなら?
それが可能だったなら、勝てる可能性は十分に生まれてくる。
なんせ『最低基準値』の影響を受けるのは同じ年齢になってから……厳密には、“同じ時を生きてから”だ。
そこの誤差の間ならば、強くなったほんの少しの分だけ、強いということになる。
それは本当に不可能なことの想定で……「今から全世界で戦争が行われる」レベルの妄想と同じようなものだが……それでも彼女は、それをしようという覚悟を決めているということだ。
少しでも弱くなった瞬間、その誤差が埋まるまでは、相手が強いままだ。
それすらも許さないほど、強くなり続ける覚悟。
常に全力疾走を続けようとしている覚悟。
それはまぁ、考えるだけなら十分に出来ることだけれど……『最低基準値』として生きてきて、閉じ込められるほどの理不尽に当てられて、その覚悟がどれだけ重いものか分かっている彼女がしたというのなら……それは、考える“だけ”ではないということが、分かる。
そして、それが出来るのなら……父親の心配事も、払拭できる。
次世代は強くなるし、次世代の転覆も『最低基準値』自身が抑え込む事が出来る。
今のような、弱小の『県』のままでは、終わらないようになる。
「……分かったよ」
「え?」
「分かったって言ったんだよ。『変化術』、教えてやる」
「っ! ありがとう……ございます……!」
大声を上げるのはいけないと思ったのか、嬉しさをかみ殺した声でお礼を言う。
出そうになった大きな声を、精一杯のお辞儀で表現して。
「それじゃあ早速だけど」
「はいっ」
勢いよく頭を上げた彼女を、笑顔で見つめて、最初の修行内容をアキラは告げた。
「服、脱ごうか」
「………………………………はい?」




