宿の中の出来事(1)
前回までのあらすじっぽいもの:何故か同じ宿に泊まることになった。あ、部屋は別だけど
「……と、ここか」
三〇二号室。ここが今日、アキラが泊まることになっている部屋だ。
ちなみに隣の三〇三号室がコガとナナ姫が泊まっている部屋となっている。
その三〇三号室の前に立ってみても、中から二人の声はしない。
でも人の気配があるにはある。防音性がそれなりにあるということだろう。……だからなんだという話なのだけれど。
そんなどうでもいいことを思いながら、アキラは自分に割り当てられた部屋の鍵を開け、中へと入る。
中はそれなりの広さがあった。
素泊まりするためだけのホテルだけあって質素ではあるが、むしろその味気なさ故の安心感を醸し出そうとしている。
寒色系でまとめられたカーペットとベッドシーツ、人工的に削られたのが分かるしっかりとした形に合った引き出し付きの木製机。
あまり宿を取らないアキラだが、それでもここがキレイに清掃されているのも分かる。
……ベッドが二つあることに疑問はあるが。
「…………ん~……そっか~……」
誰ともなしに呟く。
二人は隣で泊まってる……ということはつまり、きっとこの階の部屋は全て二人用なのだろう。
その隣に泊まることになったから、二人用の部屋で一人になったに違いない。
そう納得すると、備え付けてあった椅子に座り、足を伸ばし腕を上に突き出して、大きく身体の筋を伸ばす。
「ん~…………あぁ~…………。…………することないなぁ……」
どうも落ち着かない。
常にそれなりの緊迫感に晒され、武器の重さでそれを実感していただけに、それら両方ともが同時に無くなってしまうと、どうも手持ち無沙汰になってしまうのだろう。
いや、警戒し続けていた神経が使われず有り余ってしまって、と言ったほうが正しいのか。
「……風呂でも入りに行くか」
たまには自分で変化させないお湯を浴びるのも悪くないだろう。
多くなってる独り言を自覚しつつも止められないまま、一階の共同入浴場へと足を運ぶことにした。
◇ ◇ ◇
人気の少ない田舎にも、交通の要所となる場所はある。
『他県』から来る人もいるために、それなりの数がこの宿泊場を利用することになる。
離れ付きの五階建て。
各階の部屋の内訳は、二階が四人部屋・三階が二人部屋・四階と五階が一人部屋、となっている。昔で言うところのホテルのようなものだ。
だがその当時とは違い、高くあればあるほど不便なところが沢山見つかる。
昔、高層部分にお客を不自由なく寝泊りさせることが出来ていたのは、ひとえに電気・ガス・水道などのライフラインをしっかりと届ける術があったからこそ。
それらが当たり前じゃなくなった今の時代、宿を高く建てる意味なんてほとんど無いと言っても良い。
窓から見える景色が良くなる、とか、本当に趣味の範囲になってしまうのだ。
現に浴場とお手洗いは全て一階にある。
火や水などを不自由なく使うためには、どうしても『変化術』が必要不可欠。
今の時代のライフラインは『変化術』だからだ。
だから、宿の離れに鉄筋コンクリートの人工物で建てられていない、木の『変化術』で造られた建物がまた別に離れて建ってある。
そこに全てのライフラインを纏め、サービスをまかなうという形を取ることで、上の階にまで届かないライフラインを補っているのだ。
旅行客を呼び込むための大きな宿泊施設だったなら、それぞれの階に対応した離れを建てたことだろう。
木材を使って人工的に。
渡り廊下も含めて全てを。
そうして鉄筋コンクリートを使いさえしなければ、例え人口建造物であろうとも、その中で『形態変化』が行えるからだ。
人工性の強いものと『変化術』の関係は、あくまで「新たな『変化術』への負担を大きくし、また『形態変化』した物体をただの属性の塊へと引き戻す」だけ。
もし事前に『変化術』で、水から木材を作り出し、それに鉄のナイフを突き刺したとしても、途端水に戻るといったことはない。
けれども木の形を変化させて建物とくっつけようとし、その木に鉄のナイフを突き刺してしまうと、シュルシュルと枯れていくようにただの木材へと戻ってしまう。
つまり、『変化術』で木を生み出し、それを加工することで、資材はどうにでも出来る。
そこからの建築に人間達の力を使えば、建物としてはなんら問題がないということだ。
けれども今の時代、『変化術』で資材を調達し、自力で建築するよりも、『形態変化』も用いて建物を一気に作り上げてしまう方が、手間も費用もかからなくなってしまった。
だからこうした素泊まりするためだけの宿泊場は、寝泊りする場所がある建物を『変化術』で資材を調達して建築し、離れの部分だけを『形態変化』で作り上げる。
そしてその『形態変化』で作り上げた建物にライフラインが必要になる施設を集中させる。
宿泊施設を建設する際の今の主流は、こうなっている。
その方が簡単だからだ。
ライフラインを考えず建築するというのは、それだけで時間が短縮される。
そしてそれは同時に、人工物がないそれらライフラインが集中している場所だけは、『変化術』も使い放題ということになるわけで……。
そんないつ襲われてもおかしくない場所に、さすがに今の装備で入ろうとはアキラも思えなかった。
大人しく、一っ風呂浴びることなく、部屋へと戻ってきた。
まさか離れに行くという理由では預けた荷物を一時的に返してもらえないとは思わなかった。
まあ人工物が持ち込まれてしまえば、お湯へと形態変化させていたものがただの水に元に戻ってしまうのだから、当然といえば当然なのだが。
「はぁ……こりゃ、今日は風呂に入れないな」
また誰もいない空間で、独り言。
外から差し込む光は既に茜。
完全に陽が沈み、夜の帳が下りてしまうと、明かりになるのは外からの明かりのみ。
月明かりと、誰かが灯してくれるかもしれない火の変化術からの輝き、その二つのみ。
燃料がない今、電気が引かれていない家では、基本的に部屋全体を明るくする術なんて無いのだ。
とはいえ、特別部屋でしておくべきことがアキラにあるはずもなく……仕方無しに備え付けの水がめへ向かい、木蓋を外して備え付けのコップの中に水を移し、一気にあおった。
ひんやりとした感触が喉を通る。
……と、なんとはなしにその水を見て……コップを見て……もう一度その中に水を注いだ。
またもう一杯飲むのかというとそうではなく、ジッ、と紙コップの中に作られた水面を見つめているだけ。
片手に柄杓を持ったまま、ただ静かに。




