☆第0話
地球を遠く離れた暗黒空間。
赤き軍神住まう星の衛星軌道上に、人工の天体がある。
国連主導で建設された宇宙ステーション『マルス1』だ。
二十一世紀、【光波エネルギー】の研究促進によって様々なエネルギー問題が解決され、さらには【光波導エンジン】の開発により、人類の行動半径は広がりつつあった。
火星圏に建設された『マルス1』もこれらの恩恵により、約一年ほどで完成し、さらなる外宇宙への足がかりとして期待されている。
そのステーションには、百余名の職員が詰めており、きたるべき宇宙計画の準備に余念がなかった。
「なんて大事な時期にも関わらず、責任者がバカンスで地球へ行っちまうとはねぇ」
「はは、そう言わんでくれよ? フランツ」
トレーニングウェアを着て有酸素運動に余念がない中年の白人男性は、ぼやく同僚に白い歯を見せて笑って見せた。
彼は、このステーション建設時から管理責任者であり、四年余り多忙を窮めていて地球-火星間を何度も往復していたが、休みは一度もなかった。
【光波導エンジン】により、地球-火星間をひと月足らずで往復できるようになった人類ではあったが、それは彼に休息を与える効果とはなり得なかったようだ。
「はは、冗談だよ。カーター。帰ったらしっかり奥さんと娘さんを抱きしめて、“家族”してこいよ」
フランツと呼ばれた男は笑って同期ながら上司となった男をみやった。
しかし、カーターは体を動かすのを止め、憂いた表情となった。
「……ああ。だが許してくれるかな」
自信無さげにつぶやく。
四年。それは決して短くない時間だ。
折しも娘はジュニアハイスクールにあがる頃だった。
妻に一番難しい年頃の娘を押しつけてしまったようなものだ。
「気持ちは分かる。だが、だからこそ、君は地球の家族の元へと帰らなきゃあならん」
悩むようなカーターに、フランツがそう諭す。
フランツは、一昨年に離婚が成立していた。
「……すまないフランツ。君だってまだ……」
「そいつは言いっこ無しだ。そうだ。帰る前に一晩つき合っていけよ? 地球への帰還記念だ」
申し訳なさそうなカーターに、フランツはことさら明るく振る舞ってみせる。
それを見てカーターに笑顔が戻った。
「ああ、わかっ……」
フランツの気遣いに、カーターが笑いながら手を出した瞬間、けたたましいまでの警報音が鳴り響いた。
反射的に二人は動き出していた。
カーターとフランツが管理センターに到着した頃には、センターは蜂の巣をつついたような騒ぎになっていた。
「何事だっ!?」
カーターのよく通る太い声が職員たちの耳朶を打ち、オペレーターが振り向いて報告する。
「未確認物体が、こちらの方へ接近中です!」
「未確認物体?! はっきりと確認をしないかっ!!」
はっきりしない報告に苛立つようにして、カーターが声を荒げた。
オペレーターは、申し訳ありません! と、答えて座席に戻る。
「未確認物体、正面モニターに出ます!」
その声とともに、正面多目的大型モニターが切り替わり、巨大な物体を映し出した。
「……? 小惑星か?」
訝しげになってつぶやくフランツに追従するように、オペレーターの声が響く。
「……スキャン結果出ます。表層は岩石の塊のようですね。ですが、内部に高熱源反応……。こちらへ向かっていますが、逸れるコースです」
逸れる軌道と聞いて、一様に安堵の息が漏れた。
が。
「え?! なんだこれっ!?」
報告してきたオペレーターが、素っ頓狂な声を出し、周囲に緊張が走った。
「どうしたっ!?」
すかさずカーターの声が飛んだ。
「み、未確認物体が、軌道を修正。こ、こちらに向かってきます!!」
「な、なんだとっ!? 迎撃準備!! 破砕ミサイル用意だ!!」
オペレーターの悲鳴のような声に、カーターが声を上げた。
その指示で管理センターがさらに慌ただしくなった。
『ミサイル準備!』
『確認点呼!』
『バカ! そんな暇があるかっ!!』
『1、2番ランチャー準備良し!!』
『迎撃準備完了!!』
『照準捕捉良し!!』
「撃てぇっ!!」
準備完了の報告と同時に、カーターが叫んだ。
同時に、ステーションなけなしの武装である、八本のミサイルを内包した箱型ミサイルランチャーから、八本×2の十六本の破砕ミサイルが発射された。
十六のスラスター光が飛び行き、その光が瞬く星々の光に飲まれた瞬間。
十六の火球が、未確認物体を包み込んだ。
爆光を遮断するため、モニターが一時的にカットされる。
おかげで結果がどうなったか、即座にはわからない。
センターの全員が、モニターを注視し、固唾を飲んだ。
どれだけの時間がたったのか? 何分もなかったはずだが、その場の全員には永劫のように思えた。
『……モニター、回復します』
その声と同時に正面大型モニターが再度画像を映し出した。
そして映るのは、真っ黒な空間。
『や、やったのか?』
それは誰が漏らした言葉だったのか?
しかし、皆の気持ちを代弁していた。
次の瞬間。
カッ!
っと、画面一杯に真っ赤に染まり、その中央はまさに怒りを表すかのような真紅の円が映った。
ワアアアァァァッッッ!!!
センターに詰めていた全員が、悲鳴を上げた。
それは、眼。
振るわれた暴力に怒り狂う生物の、復讐を誓う眼だ。
それが遠ざかると、岩のような肌の、肉食獣と爬虫類を掛け合わせたかのような得体の知れない怪物の顔となった。
「GO、GOZILA?! GOZILA MOVIE?」
思わずつぶやくフランツ。それが聞こえたのか、怪物は雄叫びを上げた。
ギャオオオォォォオンンッ!!
真空中で聞こえるはずのない雄叫びに、センターの、いや、ステーションの全職員が震え上がった。
そして宇宙ステーションが地震でも起きたかのように揺れた。
『ワアアァァアッ?!』
『か、怪物がステーションと接触しました!』
『そ、総員退避〜っ!!』
悲鳴と報告と命令が折り重なり、職員たちがパニックになった。
次の瞬間。轟音と共に岩塊が管理センターの天井を突き破って数十人のオペレーター諸とも管制の為の機械群を押しつぶした。
カーターは、とっさに一番近くにいたフランツをセンターのドアから廊下へ突き飛ばした。
「逃げろフランツ!」
「ぐぁっ?! カ、カーター?!」
背中をしたたかに打ちつけたフランツを後目に閉まりゆくドア。そのまま気密漏れを示す赤ランプがついて気密ロックがかかってしまう。
フランツは慌ててドアーに飛びつくが、開くはずもない。
「おいっ!? カーター、バカやろうっ!? お前が助からないでどうするっ!?」
『すま……フ……ツ。ほかの職員……を……て逃げ……れ……!』
エアーが漏れゆく音に混じり、カーターの声が聞こえる。
「くそっ!? カーターッ!!」
ドアを殴りつけて叫ぶフランツ。
『妻……すめ……まないと……えてくれ……』
「カーターッ!!」
カーターの最後の言葉を聞き、絶叫するフランツ。ステーションが再び揺れ、怪物の雄叫びが響きわたった。
それをしっかりと胸に刻み込み、フランツは連絡艇へと走った。
その怪物は、ひとしきりステーションを破壊し尽くすと、満足したかのようにスペースデブリの集合体と化した、人類の科学の粋を集めた外宇宙への足がかりだったものから離れていく。
それは岩石の体を持つ四足獣のようだった。肉食獣と爬虫類の中間のような頭に、余り長くない四本の足と、体毛代わりの岩石。さらに野太い尻尾が伸び、全長は百メートルほどであろうか?
これほど巨大な生物は、地球上には存在し得ない。
なればどこに存在するのか?
その答えは、ステーションの近くまでやってきていた。
怪物は、無重力の真空中を泳ぐようにしながら、残骸から離れていった。
その先に現れたのは一キロあまりの巨体を持つ宇宙船……いや、その武装を考慮すれば、宇宙戦艦と呼ぶべきだろう。
その中枢に位置する真っ暗な部屋で、長い髪の女が椅子に腰掛け、アームレストに肘を着きながら報告を聞いていた。
『惑星Σ-3のステーションの破壊を確認しました』
『宇宙巨星獣ザガダル回収完了』
『Σ恒星系第四惑星軌道上にて本艦を固定します』
あがってきた報告を聞いて、女は軽く嘆息した。
その姿はほとんど人間と言って良いだろう。イルミネーションのように七色に変化する髪と、真っ青な肌を除けば。
そんな彼女に奇妙な陰が声をかけた。
ぶよぶよの水袋のような巨大な頭を持つ異形だ。
「将軍。次はどうされますか?Σ-3に潜入中の工作員からは、驚異となりうる技術者の選別は済んでいるとの報告を受けていますが」
「そうだな。まずは最優先目標のクスノキとか言う奴から仕留めろ。クスノキの研究する光波エネルギーと光波動エンジンは我々の技術に比肩する。あの星の者達には、いましばらく地べたに張り付いていてもらわねばならんしな」
将軍と呼ばれた女はそう指示を出す。すると今度は部屋全体を揺るがすかのような足音と共に、巨大な足が彼女に近づいた。
『俺たちの出番はあるのか? ジレーダ』
上から降ってきた声に、女はニヤリと笑う。
「さてな」
答えながら見上げた先には巨大な人間型生物の姿。
それほどの相手ですら、ジレーダの放つ気配に気圧された。
「今回の任務はデリケートだ。蹂躙して終わりとはいかん。生命体……特に人間の被害は最小に押さえろとのお達しだしな」
『何とも奇妙な話ですなあ』
ジレーダの言葉にしゃがれたような声が響いた。
それは、宙を舞う水塊。その中心には巨大な眼。
そこから声のような音を発していた。
その声を聞きつつ、ジレーダは立ち上がった。
「構わんさ。私が求めるのは闘争のみ。奴らの戦う気が無くなれば興味はないしな」
そのまま歩き出すジレーダ。
その視線の先には、蒼き星。
「さて……伝説に詠われし蒼き星よ。私を満足させてくれるか?」
つぶやきながら、ジレーダは邪悪に笑った。