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SF作家のアキバ事件簿258 沈黙のブロードウェイ

作者: ヘンリィ
掲載日:2026/06/19

ある日、聖都アキバに発生した"リアルの裂け目"!

異次元人、時空海賊、科学ギャングの侵略が始まる!


秋葉原の危機に立ち上がる美アラサーのスーパーヒロイン。

ヲタクの聖地、秋葉原を逝くスーパーヒロイン達の叙事詩。


ヲトナのジュブナイル第258話「地下水脈の一族」。さて、今回は生き埋め少女の出生の秘密を追い、舞台は中央アルプスに建つ"長野ブロードウェイ"へ。


一方、裏アキバに広がる万貫森で謎の青水晶の"巣"が発見されますが、その時、既に"女王水晶"の姿はなく、懸命な捜索が進みますが…


お楽しみいただければ幸いです。

第1章 疑惑と追放


月光。


扉が、わずかに軋む。音は小さい。

だが、侵入という行為そのものが空気を歪ませる。


足音。ためらいがない。

机の上をまさぐる。紙が擦れる音。


引き出しが引き抜かれ、戻されずに床へ落ちる。

ライトが点く。 


白い円形の光が、部屋の断片だけを切り取る。

乱暴に。だが迷いなく。


キャビネットの上の物が払われる。ガラスが鳴る。中身が開かれる。 


ファイル。


めくられるページ。指先が止まる。

写真。豪邸。庭園。古びた笑顔。


そして…

"まっとうだった頃のロリィ"。


それを持ち上げる、黒譜面の男。

顔は見えない。


ただ、その静止だけが異様に長い。


☆ ☆ ☆ ☆ ☆


"長野ブロードウェイ"。


夜のアルプスを背景に屹立する光の塔。

双眼鏡越しに見る、人工の光で縁取られた世界。


「ねぇスピア。ちゃんと見張っててよ。

 スマホばっかりしてないで」


マリレの声は低い。苛立ちと焦りの中間。


「大事な用なの」


スピアは動じない。 

スマホを耳に当てたまま。


「ミユリ姉様?

 樹液がメイド服についちゃって——」

「樹液?」

「木の汁よ。黒のカシミヤ。借り物なの。

 これ取れないと御屋敷を出禁…」


通信が途切れる。


マリレが無言で切る。

双眼鏡の向こう、灯りがひとつ消える。


「行くわよ」


2人のメイドは影から起き上がる。

侵入。それはいつも、決断より先に始まっている。


プール。水面に星が落ちている。

静寂。

石が投げ込まれる。

波紋。


振り向く見張り。


「これで充分よ」


言葉と同時に、境界が崩れる。

2人は光の塔の中へ滑り込む。


☆ ☆ ☆ ☆ ☆


裏アキバに広がる万貫森。


夜は、ここでは液体のようだ。

覆面パトカーの列が、その表面を切り裂く。


サイレン。止まる。降りる。ダーナ捜査官だ。

地質学者は、焚き火の残り香の中で立ち上がる。


「何の用です?」

「貴方が欲しがっていたものよ」 


令状。光に照らされる白い紙。

ラギィ警部はすでに動いている。テントの内部へ。


「これはレンタカーの契約書。確認して」

「はい?」

「青森、仙台…全部あなたの行動履歴ね?」

「YES。地質調査だ」

「じゃあ、その記録を見せて」


間。


「この手袋は?」


ラギィの声がテントの中から飛ぶ。


「知らないな」

「でも、あなたのバッグに入っていたわ」


沈黙。

わずかな笑み。


「警部は、僕を嫌っている。それだけですよ」


ダーナは答えない。

光が首元に移る。


「その傷は?」


地質学者の指が触れる。

自分でも知らない傷に。 


「…覚えがありません」


☆ ☆ ☆ ☆ ☆


満月。


雲がゆっくりと覆う。光の塔の内部。

忍び込んだ2人のメイド。


ドアが開く。

ベッド。ロリィ。


「ロリィ」


声は小さい。だが確信的だ。


「必ず助けるって言ったでしょ」


ロリィは笑わない。


「おばさんたちはね、

 私が壊れてる方が都合がいいの」

「どういうこと?」

「メイドさん。一体何の用かな?」


声。背後。ボビィ。

ガウン姿。余裕。軽蔑。


その後ろに、妻。

そして均質な暴力としての女戦闘員たち。


「侵入罪で警察に突き出されたいのかね?」

「お金は渡したはずよ」


妻が続ける。


「餞別。あれで終わりにしてほしかったの」


ボビィが頷く。


「帰りたまえ」


命令。

女戦闘員が動く。


「今回はちゃんと"見届けて"」

「キィー!」


奇妙な掛け声を上げ、ふとひを引き離す。

その瞬間。マリレは後ろ手にロリィの手を掴む。


ほんの一瞬。

接触。

確認。

約束。


次の瞬間には、引き剥がされている。

ドアが閉まる。


ロリィは振り向かない。


☆ ☆ ☆ ☆ ☆


"長野ブロードウェイ"の長大な門扉。

敷地の外へと追い出される2人。


夜は、さっきよりも冷たい。

そして、どこかで、何かが"見ている"。


それは人間ではない。


第2章 長野ブロードウェイの境界線


アキバ。昼。


開店前の御屋敷バックヤードは、妙に静かだ。

営業前の空気は、まだ誰のものでもない。


普段着のまま、僕たちはテーブルを囲む。


髪を下ろしたティルは、

場違いなほど整った巨乳のシルエット。


ミユリさんは腕を組み、

エアリは椅子の背にもたれている。


僕が口を開く。


「異なる世界線の友人、ラレクが言ってきた。

 今すぐ秋葉原を離れろって」


1拍置く。


「今から?」


スピアが即応する。


「無理よ」

「それを含めて考えましょう」


ミユリさんが場を抑える。


「選択肢は、まだあるはずよ」


ティルが身を乗り出す。


「ねぇ、その"汚染"ってどのレベル?」


軽くはない質問だ。


「すぐ人類滅亡?

 それとも、もっと時間あるやつ?」


僕は言葉を選ばない。


「たぶん、地球規模だ」


沈黙。空気が一段、冷える。

そのとき。足音。 


躊躇のない、まっすぐな足取り。


「やあ、ブロデ館長」


僕が振り向く。


「ラレクだ」


一瞬で、全員が立ち上がろうとする。


「そのままでいい」


ブロデの身体が、手で制する。


「今は、この身体を維持するので精一杯なんだ」


ゆっくりと椅子を引き、逆向きに腰掛ける。


「本題に入る。“不機嫌ニウム”についてだ」


聞き慣れない単語が、場に落ちる。


「アミノ酸合成の過程で、DNAとディボ拡散の橋渡しをする生物形態で…」


全員が同時にミユリさんを見る。

僕もだ。


「わからないわ」


ミユリさんの即答。


「もっと簡単に」


ラレクは一瞬だけ笑う。


「異なる世界線の人間同士を掛け合わせるとする。 だが、そのままでは"混ざらない"」

「油と水みたいなもの?」

「YES。そこで必要になるのが"つなぎ"だ。

 それが"不機嫌ニウム"だ」


理解が、じわじわと染みてくる。


「タイムマシンの中では無害だが…

 外に出れば、話は別だ」


声が少し低くなる。


「別の生態系に放たれた瞬間、

 人間の細胞に侵入し"混ぜようとする"」

「つまり」


スピアが言う。


「寄生ね?」

「正確には、1種の生物兵器なのだ」


エアリが口を挟む。


「でも触っても感染しない人もいたわ」


ラレクは首を振る。


「奴らの標的は限定されている」


視線が、どこか遠くを見る。


「1人の少女だ」


誰も名前を出さない。

でも、全員がその名を知っている。


「混合種を成立させるには

 "傷ついた遺伝子"が必要だ。そして、それは

 5000万人に1人の確率でしか存在しない」


ミユリさんが静かに言う。


「ロリィね」 


ラレクは頷く。

僕は、喉の奥が乾くのを感じながら聞く。


「もし、ロリィが寄生されたら?」


間。


「爆発的な突然変異が始まる」


短い言葉。


「この世界線は終わる。全生命に対する毒になる。 接触したものすべてに感染する」 


言葉が、現実を侵食してくる。


「パンデミックを止める方法は?」

「寄生された後では不可能だ」


沈黙。

だがミユリさんは止まらない。


「でも、まだよ。寄生されていないなら——」


顔を上げる。 


「チャンスはある」


思考が加速する。ラレクの話は続く。


「"不機嫌ニウム"は階層構造を持つ。

 蜂のように。働き蜂、雄、そして…女王」

「人間に寄生できるのは?」

「女王だけだ」


エアリが身を乗り出す。


「その女王は、もういるの?」

「断定はできない」


ラレクは立ち上がる。


「時間がない。この身体を返す」


振り返らない。


「君たちの幸運を祈る」


去っていく背中。静寂が戻る。

そして、同時に全員が息を吐く。


「やることは決まった」


僕は立ち上がる。


「万貫森に戻る。女王を見つけて殺す」

「方法は?」

「見つけてから考える」


少しだけ笑う。


「スコップ持って、1時間後に集合」


エアリが肩をすくめる。


「雑だわ」

「カレルとアレクにも声をかける」


これには、誰も反対しない。


☆ ☆ ☆ ☆ ☆


長野市内。


銀行のような建物。

空調の効きすぎたロビー。


「で、これ何の意味があるの?」


マリレがぼやく。

赤いメイド服が場違いだ。


「頭を使って」


スピアは涼しい顔。

こちらは青いメイド服。


カウンター。

紙が1枚、差し出される。


「こちらが権利証です」

「ありがとう」


受け取る。


「ここにサインを」


さらりと描く。

手慣れている。


「これで?」

「どうぞ」


スピアは目を通す。1行。2行…

そして、笑う。


「あはは」


乾いた笑い。


「やっぱりね」


軽く手を叩く。


「"長野ブロードウェイ"は

 全部ロリィの名義だわ」


マリレが眉をひそめる。


「遺言?」

「そう。おばあちゃんからの。他にもロリィは…

 彼女は、人類史上2人目の兆万長者ょ」


事実が、静かに配置される。


「で?」

「どうする?」


スピアは書類を折る。


「簡単よ」


顔を上げる。


「揺さぶる」


1拍置く。


「実力行使のお時間ょ」


☆ ☆ ☆ ☆ ☆


晴れた朝。


"長野ブロードウェイ"の巨大な門扉の前で、

再びブザーが鳴る。


「誰?キィー!」


スピーカー越しに女戦闘員の声。


「また来てあげたわ。マリレとスピアよ。

 歓迎してちょうだい」 


間。


「その場で待て。10分で警察が来るわ。キィー」


乾いた声。マリレは溜め息をつく。

紙のコピーをひらひらと掲げる。


「あっそう。今日はボビィもメレデもいないの?

 これ、見せたいんだけど」 


沈黙。


「…ちょ、ちょい待ち。キィ」


スピアがクスクス笑う。


「ほら。効いたわ」

「私なら即通報だけどな」

「それはね、心が貧しいからよ」


スピアは、上から目線だ。


「金持ちはね"失うこと"に1番怯えるの」


重い金属音。

長大な門扉が、ゆっくりと、抵抗するように開く。


スピアは両手を上げて歩き出す。


「万国共通の降参ポーズょ」

「似合わないわ。"時間(タイム)ナヂス"でしょ?」


2人のメイドは、そのまま敷地内へ踏み込む。


朝の光の中で"長野ブロードウェイ"は、

まるで何かを飲み込む巨大生物のように静かだ。


☆ ☆ ☆ ☆ ☆


秋葉原の万貫森。

湿った土。同じ場所に、何度目かの穴。


「…これで6個目?7個目?」


アレクが額の汗をぬぐう。


「そのくらいだな」


カレルは無言でスコップを振るう。


「去年ってさ、俺たち何してたんだっけ」

「警察に嘘ついたり、銃弾くぐったり」

「いや"たまに"だろ、それ」


アレクは天を仰ぐ。


「なぁ。俺たち、これからどうなるんだろうな」

「知らないよ」


短く返すカレル。


「女子は全員スーパーヒロイン。

 男子は据え置きのヲタク。

 最近、バランスおかしくない?」

「秋葉原は昔からそういうもんだろ」

「納得いかねぇなぁ」


アレクがスコップを突き立てる。その瞬間…

地面が、音もなく沈む。砂が吸い込まれる。


「…おい」


青い光が、ゆっくりと現れる。


「なんだこれ」


穴の底。そこに広がるのは、洞窟。

青く脈打つ地底空間。


「洞窟?」

「当たりだ」


カレルの声が低くなる。


「掘り当てた」


アレクは両手を上げる。


「諸君!アレク・スマン、ついに発見!」


誰もいない森に、ひとり拍手を送る。


「ありがとう、ありがとう」


四方に向かって役者みたいなお辞儀。


「これで穴掘りは終わりだな。

 テリィたんに連絡だ」

「待て」


カレルが懐中電灯を取り出す。


「先に中、見てみよう。1番乗りだ」

「…お先にどうぞ」

「吉幾三」


カレルはリュックを放り込む。

迷いなく中へ降りる。


アレクは1拍遅れて続く。

洞窟の内部。壁一面に、青い結晶。


呼吸しているように明滅する光。


「…すげぇな」


アレクが息を呑む。


「これ、全部"あれ"か」


カレルは目を細める。


「なぁ」

「ん?」

「これ売ったらいくらになると思う?」

「やめろ。絶対呪われる奴だ」


アレクが苦笑する。


「新大陸発見ってことで。コロンブス気分」

「元の持ち主が売るかどうかだな」


そのとき。


ゴゴゴ、と低い音。

二人が振り返る。


入口。


青い結晶が、ゆっくりと増殖しながら

塞いで逝く。


「…おい」


完全に閉じる。

光が遮断される。 


「嘘だろ?」


アレクの声が乾く。


「閉じ込められた」


静寂。

青い光だけが脈打つ。


「こういうのってさ」


アレクが笑う。

「"よくある展開"って奴だよな?」


カレルは肩をすくめる。 


「ああ」


間。 


「最悪のな」


洞窟の奥で、何かがわずかに"動く"。


☆ ☆ ☆ ☆ ☆


「何か反応あった?」


ミユリさんは地図を片手に走るように歩く。

ヘソ出しのメイド服が、場違いに揺れる。


「いいえ。岩盤ばかり」


ティルが金属探知機みたいな装置を振る。


「こっちも同じだょ」

「じゃテリィたん、場所を変えましょ」


エアリが短く口を挟む。


☆ ☆ ☆ ☆ ☆


万貫森の入り口。

駐車場に戻り、僕は違和感に気づく。


「カレルたちは?」


いくつか掘り返された穴の縁から覗き込む。

底。青く脈打つ結晶体。


「あったぞ」


その瞬間、ミユリさんのスマホが震える。


「もしもし?」

『ミユリ姉様?』

「カレル!?今どこなの?」

『巣の中だよ』 


1拍の沈黙。


「…嘘でしょ?」


ミユリさんが顔を上げる。


「下にいる。あの中よ」


僕たちはもう一度覗き込む。

穴の底で青い光が、呼吸するように明滅している。


「結晶、見える?」

『目の前にある』

「それが地表への出口を塞いでるのね」

『そうだよ。生き埋めだ』


声が、少し震えている。


「わかった。壊す。エアリ?」

「やります」


エアリが即答する。


「ティル、手を」


2人が同時に手を差し出す。

ミユリさんはスマホを握り直す。


「カレル、入口から離れて。できるだけ遠くへ」

『おい、聞いたかアレク。離れろって』

『危ねぇってさ』


通信越しに足音。


☆ ☆ ☆ ☆ ☆


地上。


3人のスーパーヒロインが集中する。

時空が歪む。次の瞬間。


鈍い、金属を噛むような音。

…動かない。


「え?ダメだわ」


エアリが息を吐く。


「びくともしない」

「パワーが…通らない」


ティルが顔をしかめる。


「そんな」


その頃、僕たちは未だ知らなかったのだ。

"不機嫌ニウム"が彼女達の超能力を奪うことを。


☆ ☆ ☆ ☆ ☆


『ミユリ姉様?どう?』


地下から催促の声。

ミユリさんは一瞬だけ目を閉じる。


「大丈夫よ」


声色を整える。


「ちょっと調子が悪いだけ。今、休憩してるの」


実は頭がクラクラしている。


『休憩だって?!』


短い沈黙。


『こっちは空気が減ってきてる』


その言葉が、全員の呼吸を止める。


「そうね」


ミユリさんは無理やり笑う。


「じゃあ、また連絡するわ」

『は?ちょっと待てよ』

「軽く息してて」


通話を切る。


「…なんだよそれ…」


切れた回線の向こうで、声が途切れる。


☆ ☆ ☆ ☆ ☆


静寂。


「どうするの…テリィ様」 


ミユリさんが初めて弱さを見せる。

僕は思い出す。 


「センターに岩石カッターがある。

 潰れた石材店で拾ったやつだ」

「切断…できる?」

「わからない。でも他に手はない」

「行くわ」


エアリが即座に言う。


「私が取ってくる」


迷いはない。


☆ ☆ ☆ ☆ ☆


「僕たちは掘る」


僕はスコップを掴む。


「周りから崩せるかもしれない」

「この辺よ!」


ティルが叫ぶ。地面を指差す。

ミユリさんと僕が駆け寄る。


3人で一斉に掘り始める。

土が跳ねる。息が荒くなる。


時間だけが、確実に減っていく。

地面の下で。


☆ ☆ ☆ ☆ ☆


"長野ブロードウェイ"の空中庭園。


アルプスを遠くにのぞむプールサイド。

白いテーブル。銀のポットから、

静かに紅茶が注がれる。


向かい合う2人。水着姿のメレデと、スピア。


「そろそろ、カルメに帰り支度をさせましょうか」


メレデは視線を外さずに言う。


「あら?」


スピアはカップを持ち上げる。


「私たち、もう少しのんびりするつもりよ。

 帰り支度なんて、まだまだ必要ないわ」


一口。


「メイドさんにも、そう伝えて」


間。


「私たちはロリィの法的代理人よ」


メレデの声がわずかに低くなる。


「私はあの子を実の娘のように扱っている。

 けれど、あの子は精神を病んでいるの。

 だから、私たちには、ここから貴女たちを

 排除する権利がある」

「へぇ」 


スピアは肩をすくめる。


「じゃあ追い出せば?」


テーブルの上に、1枚のコピーを滑らせる。


「それとも」


紙を指で弾く。


「"診断書"の話、続ける?」


メレデの指が止まる。


「これ、偽物でしょ」


沈黙。


「病院に1000万円、寄付して書かせた。違う?」

「ど、どこでそれを」

「貴女のデスク」


軽く笑う。


「ロリィの許可をもらってね。

 勝手にじゃないから安心して」


風が吹く。

カップの中の紅茶がわずかに揺れる。


「どうする?」


スピアはまっすぐに見つめる。


「ここで全部、終わりにする?」


メレデは答えない。年相応の黒ビキニ。

ただ、紅茶を見つめたまま、わずかに唇を噛む。


☆ ☆ ☆ ☆ ☆


ロリィの部屋。

カーテン越しの光。柔らかい午後。


「…ってわけ!」


スピアが得意げに言う。


「だから実力行使。権利関係、全部洗ったの」


マリレが続ける。


「県庁で調べたら一発よ。

 この屋敷も土地も、全部ロリィ名義だった」

「だからあいつら、警察呼べなかったの。

 第三者による財産の不正利用がバレるから」 


マリレとスピアの話が、軽やかに噛み合う。

ロリィはそれを、少し驚いたように見ている。


「メイドさん達、頭いいのね」

「違うわ」 


マリレは笑う。


「金持ちの扱い方を知ってるだけ。

 あいつらはね"お金"にだけは正直なのよ」


ロリィが、ふっと笑う。

その笑顔は、どこか懐かしい。


「今の仕草」


マリレが首をかしげる。


「そっくり」

「誰に?」

「おばあちゃん」


ロリィは自分の眉に指をやる。


「こうやって、触る癖。指輪も同じ指にしてた」


静かな時間。


ロリィの表情は、もう“患者”ではない。

ただの少女の顔だ。


「性格は?」


マリレが聞く。


「貴女に似てる」 


少しだけ照れたように笑う。


「頑固で、口数少なくて。でも優しかった」


間。


「おばあちゃんといる時だけは、安心できた」


その言葉が、部屋の温度を変える。

ロリィは2人を見る。まっすぐに。 


「ねぇ」


1拍置く。


「会ってみたい?」


空気が止まる。

窓の外。風が、ほんのわずかに強くなる。


"もう会えないはずの人"の話を、しているのに。

誰も、それを否定しなかった。


第3章 プレッパー


地下へ降りる階段は、音を吸い込むように静かだ。

ひとつ、またひとつと足音が沈んでいく。 


重たい装甲扉を押し開けると、

冷戦の亡霊みたいな空気が流れ出る。


かまぼこ型の天井。並んだパイプベッド。

錆びたパイプが規則正しく走り、

時間だけが取り残されている。


マリレがスイッチを入れる。

蛍光灯が一瞬ためらい、遅れて白く灯る。 


「懐かしいと思わない?」


ロリィは、どこか遠くを見るような顔で言った。


「おばあちゃんのキセルの匂いよ」


総統の防空壕みたいだわ…マリレは返事をせず、

机の上の古いノートに手を伸ばす。


ページをめくる。乾いた音。


そこに描かれていたのは、未来人の顔だ。

ペンで何度もなぞられた、執着の輪郭。


「未来人に興味があったのね」

「誘拐されたって言ってた」


ロリィは淡々と続ける。


「タイムマシンに乗せられたって。

 詳しくは話さなかったけど…

 ここにこもってたわ。ずっと。

"時空波動帯垂直もつれ理論"の本、

 何時間も読みふけってた」


マリレはゆっくり顔を上げる。


「それで…入院させられたのね」


ロリィは頷く。


「妄想狂だって」


わずかな沈黙。


「私も同じ。血の異常も、全部遺伝だって」

「遺伝?」 


マリレの声が低くなる。


「染色体に異常があるの。劣性で、私だけ」


マリレの視線が揺れる。思考が別の場所へ跳ぶ。

それで"選ばれた"?


「何?」


ロリィが不安げに覗き込む。


「いいえ。何でもない」


誤魔化すように笑う。ロリィはチェストを開ける。

古びた布を取り出す。


「これ、おばあちゃんの」

「名前は?」

「エイダ・ジェン。早くに亡くなったわ」


マリレは小さく息を吐く。

諦めの形をした空気。


「現実は受け入れるしかない…か」


ロリィが目を伏せた、その瞬間。

マリレは彼女を引き寄せた。強く、迷いなく。


「違うわ」


低く、断定する声。


「貴女はおかしくなんかない」


ロリィの肩がわずかに震える。


「もっと自分に自信を持って。

 貴女の人生は貴女のものよ」


言葉が熱を帯びる。


「ここも、財産も、全部。

 おじさんたちに支配される理由なんてない」


1拍置く。


「そして…私がついてる」


ロリィは何も言わない。

ただ、その言葉に体を預ける。


核シェルターの空気が、わずかに変わる。


☆ ☆ ☆ ☆ ☆


夜。


雨上がりのパーツ通り。

ネオンが濡れたアスファルトに滲む。


タイムマシンセンターの看板が、異様に明るい。

エアリは無言で館長室に入る。


棚を開け、工具を探す。

岩石カッター。


金属の重みを手にした瞬間。

背後の空気が歪む。


気配。


振り返るより早く、腕が伸びる。

布。薬品の匂い。


「―っ」


声にならない。肺が拒絶する。

視界が溶ける。床が遠ざかる。


エアリの手からカッターが落ちる。

乾いた音が、やけに大きく響く。


その体が、ゆっくりと崩れ落ちる。

黒い覆面の男がそれを見下ろす。


荒い呼吸。


やがて覆面を外す。

現れた顔は…ブラド。


濡れた夜気が、室内に流れ込む。


「…やっとだ」


誰にともなく呟く。ネオンが明滅する。

世界が一瞬だけ、別の線にずれる。


闇が、静かに増殖して逝く。


☆ ☆ ☆ ☆ ☆


夜の首都高をフォードGPAが滑るように疾駆する。

ワイパーが一定のリズムで雨を切る。


フロントガラスの向こう。

光はすべて線になって流れていく。


助手席。


エアリはぐったりと意識を失っている。

ブラドはハンドルを握り、浅い呼吸を繰り返す。


「しっかりするンだ、俺」


低く、噛みしめるような声。


「2×2は4。木星の直径は赤道付近で約14万キロ。 硬度の違う岩石を擦れば傷がつく…」


言葉は数式と記憶と祈りの断片となり零れ落ちる。


「ブラド」


その時。

エアリのまぶたが、わずかに震える。


「ブラド?」


かすれた声。

ブラドは一瞬だけ救われたような顔をする。


「目が覚めたのか…よかった…」


だが、すぐに崩れる。


「最悪だ。全部、最悪だ。SATOの捜査官が…」

「ダーナ捜査官ね」

「うるさい!」


ハンドルを叩く。


「名前ぐらい覚えてる!黙っててくれ!」


荒い息。

焦点の合わない目。


「俺が音波ライフルを盗んだんじゃないかって、

 聞かれたけど、何も覚えてないんだ。

 何もかも抜け落ちてる。思い出そうとすると、

 頭の中にノイズが走るんだ」


首筋に手をやる。


「この傷も…いつついたンだ?」


沈黙。


「俺は今、どこへ行こうとしてる?」


エアリはゆっくりと体を起こす。

まだ朦朧としながらも、視線だけは鋭い。


「長野よ」

「どうしてだ?」

「それは、あなたが一番知ってるはずよ」


ブラドの喉が鳴る。 


「頼む…俺を助けてくれ。

 信用できるのは、もう君しかいない」


言葉の合間に、また別の声が混ざる。


「誕生日は12月7日。地表の75%は海洋。

 俺の洗礼名は…」


エアリは息を呑む。


「いつから?」

「わからない。記憶が切れ始めたのは…

 夏だ。万世橋の地下をボーリングしてた頃。

 "ラジ館ヒルズ"の建て替えの時だ」


視界の奥に、青がよぎる。


「そこで見つけたんだ。妙な結晶を」


エアリの表情が変わる。


「それが"女王結晶"ね」

「何?」

「あなたはもう"単独"じゃない」


1拍置く。


「別の世界線から来た地底生物に

 寄生されているの」


ブラドの瞳孔が開く。


「ふざけるな…有機物は嫌いなんだよ…」


否定の言葉が、途中で崩れる。


「…でも…俺は…俺は今、自分が何なのか…」


震える手。


「なあ、俺は…良い人間だったか?」


エアリは即答する。


「ええ。良い人だったわ」

「マジで?」

「YES」


その言葉だけは、揺らがない。

雨脚が強くなる。


突然、ブラドの体が跳ねる。


「やめろッ!」


絶叫。ハンドルがぶれる。

車体が蛇行する。


「来るな!出てくるな!」


頭を抱える。


「…今も、俺の体が…勝手に…!」


エアリの目が見開かれる。


「この体が…君を殺そうとしてる」


沈黙。

決断は一瞬だ。


「ポケットにスマホがある。それを取って」

「わかった」


エアリは手を伸ばす。

震える指でスマホを抜く。


ブラドは急ハンドルで路肩に寄せる。

タイヤが悲鳴を上げる。


「降りろ」


低い声。


「早く降りろ!」

「嫌よ」

「頼む!逃げてくれ!」


その目は、もう"彼"のものではない。

エアリは一瞬だけ迷い、そしてドアを開ける。


雨が一気に流れ込む。


「ごめんなさい」


小さく。


「助けてあげられない」


アスファルトに降り立つ。

ドアが閉まる。


次の瞬間。


フォードGPAは弾かれたように走り出す。

テールランプが、雨の中に溶けていく。


エアリは、その場に立ち尽くす。

孤立。切断。別離。


世界から切り離された1点。


☆ ☆ ☆ ☆ ☆


スマホ鳴動。


「はい」

「ラギィよ。よかった、繋がった」


エアリは息を整える。


「誘拐犯はブラド。"女王結晶"に支配されてる」

「何それ。誰が誰を?」


苛立ち混じりの声。


「青い結晶よ。あれが"女王"なの。

 今、ロリィを追って長野に向かってる」

「了解。貴女は今どこ?」

「首都高。置き去りにされた。でも問題ない」


一瞬の間。


「飛ぶわ」

「ダメ!」


即答。


「ドローン対策で上空は封鎖されてる。

 レーザートラップでSATOに捕捉される」

「関係ない」 


エアリの声は静かだった。


「私は自分の身は自分で守れる」


そして、


「私はスーパーヒロインだから」


短い沈黙。


「お願いょラギィ。

 ブラドより先にロリィのところへ行って」

「エアリ」


通話が切れる。電子音だけが残る。

ラギィはスマホを見つめたまま、動かない。


その沈黙の向こうで、すべてが加速する。


☆ ☆ ☆ ☆ ☆


土砂降りの雨。


雨は垂直に落ちない。横殴りに叩きつけてくる。

シャベルが土に入るたび、泥水が跳ねる。


3人は無言で掘り続ける。

震えているのは寒さのせいか、それとも別の理由?


地下。洞窟の中から、声が届く。

歌っている。 


"壁に並んだ三本の緑色の瓶…"


湿った反響。


"さぁ瓶に結晶を入れろ。青い結晶を…"


リズムはあるが、次のフレーズに進まない。

どこかで詰まっている。


洞窟の奥。カレルはマッチを擦る。

小さな炎。その揺らぎを、じっと見つめる。


絶望が、音もなく近づいてくる。

歌は続く。


"推しを亡くしたヲタクの、その記事に

 僕が泣いたかどうかは覚えてない…"


笑っているのか、泣いているのか。

判別がつかない声だ。


"だけど、僕の心に何かが触れた。あの日。

 そうだ。あの日に音楽は死んだのさ"


カレルは無言で、瓶を手に取る。

中に、青い結晶。


"バイバイ、マチガイダのネバードッグ…"


炎を、瓶の口に近づける。そして、落とす。

小さな火が、閉じた空間に吸い込まれる。


1拍置く…異変。


「おい」


アレクが身を引く。


「動いてるぞ」


瓶の中。青い結晶が、激しく痙攣している。

ガタガタと瓶が震える。内側から叩くように。


「苦しんでる……?」


カレルの声がかすれる。

光が乱れる。明滅。


そして…ふっと。

光が消える。


結晶は沈黙し、瓶の底に崩れ落ちる。

完全な静止。


☆ ☆ ☆ ☆ ☆


「待って」 


雨の中、ミユリさんが顔を上げる。


「瓶に火を入れたら…"死んだ"の?」

「キャップは閉めた」


カレルの声がスピーカー越しに割れる。


「逃げようとしたからな。しっかり締めた」


ミユリさんは一瞬考える。


「火を入れて、密閉した…」


ティルが、はっと顔を上げる。


「酸素」


沈黙。そして。


「酸素がなくなって、窒息したのよ」


雷鳴が落ちる。

ティルが手を叩く。


「わかった!洞窟の酸素を全部抜けばいい!

 それで"不機嫌ニウム”"は全滅する!」


一瞬だけ、光が差す。

だが。


「…待て」


僕が言う。

言葉は静かだ。


「それをやったら」


2人のメイドが僕を見る。


「カレルたちも死ぬ」


雨音が、すべてを埋める。

誰も動かない。


選択肢は、たった2つ。

巣ごと殺すか。この世界を差し出すか。


決断は、いつだって遅れてやってくる。

けれど今回は、遅れた分だけ世界が壊れる。


雷が、もう一度空を裂く。


☆ ☆ ☆ ☆ ☆


少し前に流行ったナイトプール。


夜の照明に照らされた水面は、緑色にゆらぐ。

その色は、どこか人工的な安心を演出する。


ロリィが笑っている。


白いビキニ。水を切る腕。クロールは妙に美しい。

よく訓練された生き物みたいだ。


生きている、というより。


プールサイドのデッキチェア。

身を沈めるマリレとスピア。


ガウン、キャンドルライト、静かな夜。


「ロリィが笑ってるわ。

 マリレ、貴女どんな魔法を使ったの?」


スピアが横目で見る。


「話を聞いてあげただけよ」


間を置いて、マリレは肩をすくめる。


「でも、それで充分だったみたい」

「それで、彼女を何て呼べばいいの?

 孫娘?クローン?」

「お姉さんでいいんじゃない?」


スピアが笑う。


「マリレに孫がいるなんて、

 ちょっとしたホラーだけどね」


水音。ロリィがターンして、また泳ぎ出す。


「お姉さん、か…」


マリレは小さく呟く。

その響きを、まだ体に馴染ませきれていない。


「でもね」


スピアが続ける。


「メレデとボビィ、本物のワルよ」


キャンドルの炎が揺れる。


「精神科医に金を積んで、

 ロリィを"病人"に仕立てて閉じ込めてた。

 その間、自分たちはこの御屋敷で優雅な生活」


1拍置く。


「人の人生を食い物にしてね」

「最低だわ」


マリレは短く言う。

その声は静かすぎて、逆に冷たい。


「カルメ」


背後から現れる老メイド。銀のトレイ。


「液晶テレビを持ってきて。

 それからディナーは7時」

「承知しました」


一礼。しかしそのまま動かず、

トレイを差し出す。


「お電話が入っております」


マリレはスマホを受け取る。


「ありがとう」


画面を見る。テリィたん?


☆ ☆ ☆ ☆ ☆


土砂降りの雨。

泥と水の境目がなくなった地面の上で、僕は叫ぶ。


「マリレか?僕だ!」


息が白くなる。夏のはずなのに。


「あの青い結晶は…酸素がないと死ぬ!」


☆ ☆ ☆ ☆ ☆


空中庭園。プールサイド。


「心配しないで」


マリレは落ち着いた声で言う。


「こっちに青結晶の心配はないわ」


水音が遠くで続く。


「ロリィは無事か?」


雨音の向こうから怒鳴り声が届く。


「大丈夫。私たちがずっと見てる」


"ずっと"という言葉が、わずかに重い。


「そっちは?大丈夫なのか?」

「もうクタクタよ」


スピアが苦笑する。

ガウンの下、ビキニの肩紐がわずかにずれる。


☆ ☆ ☆ ☆ ☆


「こっちは最悪だ」


僕は土砂降りの中で天を仰ぐ。


「秋葉原はずっと雨だ。

 地面も、空気も、全部おかしい」


スコップの音。遠くで誰かが叫ぶ。


「でも、まだ間に合う。たぶん」


☆ ☆ ☆ ☆ ☆


「ありがとう」


マリレは小さく言う。


「でもね」


視線は、プールの中のロリィへ。


「もう限界かもしれない」


一瞬、沈黙。


カルメが新しいスマホを差し出す。

画像専用の端末。


スピアはそれを覗き込みながら、重々しく言う。


「あー、テリィたん。悪いけど見回りの時間」

「わかった。くれぐれも無茶するな」


通話は切れる。


☆ ☆ ☆ ☆ ☆


静寂。水音だけが残る。


「カルメ、スムージーおかわり2つ」


マリレが言う。


「ごめんね」


カルメは微笑み、静かに頷く。

その背中が消えたあと。


プールの水面が、ほんの一瞬だけ、青く光る。

誰も気づかない。


ロリィだけが、ほんのわずかに泳ぎを止める。


☆ ☆ ☆ ☆ ☆


ダーナ捜査官の執務室。

静まり返った空気を、ドアの衝突音が破る。


ラギィが飛び込んでくる。血の気の引いた顔。


「捜査官、飛行船を出して!」

「…飛行船?」


椅子に腰掛けたまま、ダーナは目だけを上げる。


「ソレソが"長野ブロードウェイ"に向かった。

 あそこには尖塔部に係留ドックがあるの。

 空から入れるわ」


間。


「奴より先に着けるわ」

「どうしてそんなことを知ってるの?」


静かな問い。

ラギィは1歩、前に出る。


「信じて」


短い呼吸。


「お願い。何も聞かずに。

 今、動かないと…取り返しがつかない」


その言葉の"重さ"だけが、部屋に落ちる。

ダーナは数秒だけ考える。


そして、スマホを手に取る。


「SATO司令部に…」

「だめ」


即答だ。

ラギィは膝をつく。


「これから、貴女は"見たくないもの"を

 見ることになる」


ゆっくり顔を上げる。


「貴女、自分で言ってたわよね。

 率直でいたいって」


沈黙。


「だったら率直に言う。

 これを報告した瞬間、貴女も終わる」


ダーナの眉がわずかに動く。


「どういう意味?」

「意味はあとでわかる」


ラギィは立ち上がり、受話器を差し出す。


「今は、飛行船を」


ダーナはそれを見つめる。

受け取るまで、ほんのわずかな"遅れ"がある。


☆ ☆ ☆ ☆ ☆


"長野ブロードウェイ"。


中央アルプスの中心に建つ高層タワーで、

現代の"バベルの塔"と呼ばれる。


その空中庭園のさらに上、ペントハウス。

巨大シャンデリアの下、長いテーブルに3人。


ナイフが皿をかすめる音。


「ああ、おいしい」


スピアが目を細める。


「最高ね」


マリレも続く。


「こんなに落ち着いて食事したの、久しぶり」


ロリィが小さく笑う。


「おばあちゃんが亡くなってから、初めてかも」


静かな言葉だ。


「でも」


マリレが皿を見下ろす。


「このチキン、小さいわね」

「雛鳥よ。フォアグラとトリュフ詰め」


スピアがさらりと言う。


「全部火は通ってる。安心して」

「そして、そのグラス」


低い声がする。

振り向くと、ボビィとメレデが立っている。


「19世紀のバイエルンクリスタルだ」

「覚えておくわ」


スピアはグラスを軽く掲げる。


「ボビィ」


メレデが口を開く。


「私たちはこれから県知事のパーティに出るわ」

「使用人は帰した。食事は用意してある」


ボビィが続ける。


「ただし」


1拍置く。


「私物には触れるな」

「わかったわ」


あっさりと答えるスピア。


「楽しんできて」


2人は去る。ドアが閉まる音。

間。


「…感じ悪い」


マリレが吐き捨てる。


「飲み物ないかしら。カルメ」


呼び鈴。鳴る。しかし、誰も来ない。

もう1度。沈黙。


スピアがゆっくり顔を上げる。


「マリレ。見てきて」

「今、食事中よ?」


視線だけで押す。


「マリレ」


☆ ☆ ☆ ☆ ☆


廊下。


やけに静かだ。御屋敷が"空っぽ"みたいに。


「カルメ?」


キッチン。椅子に腰掛けたままの老メイド。

首に、指の跡。


マリレの呼吸が止まる。


☆ ☆ ☆ ☆ ☆


テーブルに戻る。


「あら?おかわりは?」


スピアが軽く言う。マリレは答えない。

代わりに、ロリィを見る。


「スピア。ロリィと核シェルターへ」


一瞬で空気が変わる。


「来たのね」


スピアはすぐ理解する。


「大丈夫よ」


ロリィの肩に手を置く。


「私が守る」

「マリレは?」

「いいから行って」


一歩、下がる。


「私はナヂスの改造サイボーグ兵なの」


冗談めかした声。でも目は笑っていない。

ロリィの手を引き、スピアは走る。


残された空間。


マリレはゆっくり歩き出す。

屋敷の奥へ。


"何か"がいる。


背後で、わずかな音。

振り向く。誰もいない。


次の瞬間。


乾いた発砲音。視界が揺れる。

床が近づく。


硝煙とともに現れたのは…ブラド。


☆ ☆ ☆ ☆ ☆


首都高。土砂降りの夜。


ヘッドライトの光が雨を切り裂く。

道路脇で、エアリが手を上げる。


車が止まる。

窓が少し開く。


「メイドさん、どこまで?」

「長野まで」


即答だ。


雨が強くなる。

まるで、全部を洗い流すみたいに。


☆ ☆ ☆ ☆ ☆


核シェルターへ転がり込むように飛び込む2人。


「ロリィ!早く!」


スピアが鉄扉に手をかける。引く。押す。

びくともしない。


「嘘、錆びついてる!」


金属が悲鳴のように軋む。

閉まらない。閉じられない。


☆ ☆ ☆ ☆ ☆


同時刻。ペントハウス。


扉を蹴破る勢いで突入するダーナとラギィ。

拳銃は低く、即応の角度で構える。


床に転がる老メイド。喉に残る痕。

そして、もう1人。


「マリレ?」


血の匂い。かすかな呼吸。


「ラギィ…来たわね…地下へ。核シェルター…」


かすれた声で笑う。


「大丈夫。私、スーパーヒロインだから。

 こんなの、死なない」


☆ ☆ ☆ ☆ ☆


核シェルター前。


ようやく扉を閉めかけた、その瞬間。

轟音。内側へ弾け飛ぶ鉄扉。


立っているのはブラド。人間の力ではない。

筋肉の向こうで、何かが蠢いている。


「ブラド!私よ、スピア。覚えてるでしょ?」

「頼む。助けてくれ」


言葉と同時に、彼の身体は裏切る。


スピアを弾き飛ばし、ロリィの髪を掴む。

銃口が白い首筋に吸い付く。


「やめなさい!」


駆け込むラギィとダーナ。銃を構える。


「銃を置いて、その子を離しなさい」

「嫌よ!もう埋められるのは嫌!」


ロリィの叫びが空間を裂く。


「大丈夫よ!」


ダーナの声がそれを押し返す。


「彼には撃たせない。だから」

「違う!」


ブラドが吠える。

涙と汗と雨の匂い。


「俺じゃない!

 この体が勝手に…!」


首を振る。銃口が揺れる。

危うい均衡。


「だったら止めるわ」


ラギィが1歩、また1歩。


「あなたごと救うから」

「来るな!」


引き金にかかる指が震える。


「撃て、俺を撃て!今、ここで」


沈黙、刹那。

乾いた銃声。


ブラドの身体が崩れる。


☆ ☆ ☆ ☆ ☆


近づくラギィ。息を詰めるダーナ。

ロリィを引き寄せる。まだ温かい。


「大丈夫?」

「ええ」


ラギィがブラドの胸に手を伸ばす。

その時。


裂ける。


肉と骨が、内側から。

青い光が、弾ける。


青い結晶。


いや、違う。生きている。

クラゲのように、空中へと浮かび上がる。


「何なの?これ」


言葉にならない。


青いそれは、脈打ちながら呼吸する。

空気を、舐めるように。


「外へ出て!」


ラギィの叫びで全員が動く。

ダーナは最後まで銃を構え、後退し、扉の外へ。


鉄扉、閉鎖。

隔離。


☆ ☆ ☆ ☆ ☆


密閉されたシェルターの中。


青いそれが、壁に、天井に、衝突する。

衝動の塊。


「片付けるわよ」


血に濡れたまま、マリレが立っている。

片手を上げる。


古い送風機(コスモクリーナーE)が、唸りを上げて回転を始める。


「空気を抜く」


シンプルな宣告。

吸引。


室内の酸素が削ぎ落とされていく。

青い存在が、初めて"苦しむ"。


甲高い、音とも悲鳴ともつかない振動。

暴れる。棚を叩き、缶詰を散らし、瓶を割る。


「窒息よ」


マリレは淡々と告げる。


「こいつらは空気がないと生きられない」


光が弱まる。

動きが鈍る。


最後に、鉄扉の窓に体当たりする。

ひび。


しかし、割れない。

そして、落ちる。


ただの、物質のように。


☆ ☆ ☆ ☆ ☆


沈黙。

誰も、すぐには動けない。


「終わり?」


ロリィの声は、まだ震えている。

ラギィが首を振る。


「いいえ。これは"女王"か、その一部」


床に転がる青い残骸を見つめる。


「問題は、まだ外にある結晶よ」


雨音が、遠くから戻ってくる。

世界は、まだ終わっていない。


☆ ☆ ☆ ☆ ☆


青い洞窟。


サイリウムの冷たい光が、結晶を不気味に照らす。

酸素は薄く、言葉は短く、呼吸は浅い。


「ここまでか」


カレルが笑う。

乾いた、諦めに似た笑い。


「こんな死に方、想像してなかったな」

「だな」


アレクも応じる。息を吸うたびに胸が痛む。


「でもさ、考えてみろよ。

 地底の未知生物に遭遇して、戦って、

 この世界線を守って死ぬ。

 そんな人生、そうそうないだろ」

「お前、幻覚でも見てんじゃないのか」

「かもな。でもさ」


カレルは暗闇を見上げる。


「今この瞬間、

 この世界線で俺たちだけが"これ"を知ってる。

 他の何十億の連中は、誰も知らない。

 それでも、普通に戻りたいか?」


沈黙。

アレクは首を振る。


「それは、嫌だな」


小さく、しかしはっきりと。

その時。


ぽたり。


何かが落ちる音。

青い結晶の表面から、水滴がこぼれる。


一滴、また一滴。

やがて、それは“滴り”に変わる。


「来たぞ…!」


カレルが身構える。


「違う」


アレクが目を凝らす。


「違う。溶けてる」

「は?」

「死んでるんだよ、これ」


結晶は崩れ、光を失う。

ただの水のように流れ落ちて逝く。


「マジか?」


一瞬の静止。

次の瞬間。


「ハレルヤ!!」


2人同時に叫ぶ。その声が、空洞に反響する。


☆ ☆ ☆ ☆ ☆


地上。土砂降りの中、必死に掘り進める僕たち。

突然、泥の奥から、突き出る腕。


「ハレルヤ!!」


叫びながら、アレクが顔を出す。


「助かった!」


引き上げる。カレルも続く。

全員、泥まみれで笑っている。


「大丈夫か?」

「なんとか…で、これどういうことだ?」


僕は一瞬だけ空を見上げる。雨が視界をぼかす。


「あくまで妄想だけど」

「お願いします」


ミユリさんが促す。


「どこかで"核"が止まったんだ。

 女王か、それに準ずる存在が」


1拍置く。


「マリレが、やったのかもしれない」

「つまり!」


カレルが叫ぶ。


「全部死んだってことだろ!?

 俺たち、地球を救ったんじゃね!?」


半分本気、半分冗談。

でも誰も否定しない。


カレルと僕は大げさに握手する。

ティルとミユリさんが抱き合う。


「よし!」


カレルが両手を叩く。


「世界を救ったし、風呂に入ろうぜ!」

「賛成!」


アレクが笑う。


「帰ろう。全部、いったん終わりにしよう」


ティルが大きく頷く。

雨の中でも、その仕草はやけに軽やかだ。


「シャベル持って。忘れ物ない?」


ミユリさんの声に、みんなが応じる。

泥だらけのまま、駐車場へ走る。


エンジンがかかる。

夜の中へ、滑り出す。


何かが終わり、何かが、未だ終わっていないまま。


第4章 それぞれの終章


核シェルターの扉が、重く、遅れて開く。

遅れて流れ込む空気。遅れて戻る現実。


エアリは、ためらわず駆け寄る。


ベッド。横たわるブラド。もう、動かない。

何も言わず、毛布を引き上げる。


顔を半分だけ隠す。

残りの半分は、まだこの世界に残すかのように。


「ごめんなさい」


小さな声。


「せめて、少しだけ。ここにいさせて」


壁に背を預ける。

冷たいコンクリートが、やけに優しい。


「あなたが、ひとりにならないように」


目を閉じる。

誰にも見えないところで、時間が止まる。


☆ ☆ ☆ ☆ ☆


ラギィ警部のオフィス。


夜。照明は低く、影が長い。向かい合う2人。

デスクの上にはウイスキーと、空白の報告書。


「選択肢は2つ」


ラギィが静かに言う。


「見たままを描くか。見なかったことにするか」


ダーナはグラスを持つ。

一気に飲む。顔をしかめる。


「ひどい話ね」

「いつもそうよ」


ラギィは肩をすくめる。


「描けない現実っていうのは、

 存在しないことにされる。

 そうやって世界線は保たれてる」

「忘れろ、と?」

「違うわ。整理するだけ」


間。


「勝った、ってことだけ描き残すの。

 あとは削除する」


ダーナはしばらく何も言わない。

やがて、空のグラスを見つめたまま、うなずく。


☆ ☆ ☆ ☆ ☆


"長野ブロードウェイ"の大食堂。


やけに明るい。さっきまでの死と無関係みたいに。

スピアがマリレの頬にキスする。


「勇敢だったわ。私のヒロイン」

「普通に撃たれただけだけど」


マリレは苦笑する。


「帰ったらテリィたんに癒やしてもらわないと」


軽い調子。

それから、少しだけ真面目な顔になる。


「ねえ。ロリィと一緒に暮らすって言ったら?」

「良いんじゃない?」


スピアは即答だ。

拍子抜けする沈黙。


「でも、あの子には静かな生活が必要よ」

「そうかもね」

「私がそばにいたら、また騒動の渦中だわ」


スピアは肩をすくめる。


「マリレは人を騒ぎに巻き込む天才だから」

「ひどい言い方」

「でも、正解でしょ?」


2人のメイドは、肩を震わせて笑う。 


「でも、私達が去った後のロリィが心配だわ」

「大丈夫。弁護士をつければいい」

「ああ、そうか」


解決は、あっけないほど現実的だ。

スピアが頬を差し出す。


「ねぇキスしてくれる?」


☆ ☆ ☆ ☆ ☆


"長野ブロードウェイ"の大応接間。


書類。署名。インクの匂い。

弁護士に促され、ボビィがサインする。


手元はわずかに震えている。


その様子を、マリレとスピアとロリィが見ている。

誰も、何も言わない。


☆ ☆ ☆ ☆ ☆


夕焼けが中央アルプスを橙色に染める頃。

"長野ブロードウェイ"の門が開く。


外へ出ていく二人。振り返らない。


門の内側で、ロリィが見送る。

距離が、ゆっくりと固定されていく。


マリレはスピアの肩を引き寄せる。

2人で同じ方向を見る。


遠くなる人影。


それは、守られた未来か。

切り離された現在か。


わからない。


ただひとつ確かなのは何かが終わり、

何かが、もう元には戻らないということだ。


☆ ☆ ☆ ☆ ☆


これは、史上2人目の兆万長者が、

ヲタッキーズの後ろ盾になった記録だ。


そして、同時にそれは、

誰にも報告されなかった戦いの、

静かな後日談でもある。



おしまい

今回は、海外ドラマによく登場する"寄生生物の女王"をテーマに、一気にシリーズの転となる部分を描きました。


流行りのAIを編集者代わりに助言を仰ぎ、売れっ子作家気分で連作を続けています。


海外ドラマでよく舞台となるニューヨークの街並みを、インバウンドが一段落した感のある秋葉原に当てはめて展開してみました。


秋葉原を訪れる全ての人類が幸せになりますように。

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