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第5話『クズ勇者の顛末』


 魔王が消滅し、世界に平和が戻ってから三年。

 俺は今、人生の絶頂にいた。


 どこへ行っても人々は俺の名を叫び、跪き、神のように讃える。かつて財布を無くして購買パンすら食えなかった男が、今や世界を救った大英雄だ。


 おまけに、隣にはあの美しい王女、エレノアがいる。俺たちはすでに婚約しており、誰もが俺を次代の最高権力者として疑わなかった。


 美味い飯。最高の女。圧倒的な名声。

 他人は見下したいし、楽はしたい。でも責任は被りたくない。そんな俺の欲望は、完全に満たされているはずだった。


 だが、一つだけ誤算があった。


「……チッ」


 自室の机の上、傾いたティーカップから溢れた紅茶が、俺の服を汚す。

 それを“偶然”避けるために頭の中で念じたが、世界は何も応じなかった。ただ、じわりと茶色いシミが広がっていくだけだ。


(マジで使えなくなってんな……)


 因果律操作の力が、目に見えて弱くなっていた。

 理由は分かっている。あの魔王が言っていた通りだ。俺の能力は、かつてのクソ人生で溜め込んだ『不運の貯蓄』を燃料にしていた。それを魔王との最終決戦で完全に使い切ってしまったのだ。


 今の俺に残されているのは、日常の些細な不運をほんの少し防ぐ程度の、カスみたいな出力だけ。


 そんな時に、あの事件が起きた。


◆◆◆


 王国唯一の第一王子が、視察先での不慮の事故により急死した。

 さらにそのショックに耐えかねたのか、老い先短かった国王も後を追うように病死してしまったのだ。


 王城内は、にわかに終末のような大混乱に陥った。


「勇者様! どうか、どうか我が国の王になってください!」

「あなた様しか、この国を導けるお方はいないのです!」


 玉座の間に集まった騎士や貴族たちが、一斉に俺の前に跪く。

 悲痛な叫び。すがるような視線。


 いつもなら「重っ」と笑い飛ばして逃げるところだ。他人の責任なんて一番背負いたくない。だが、周囲の熱狂はそれを許さなかった。世界を救った英雄が、血統の途絶えかけた王国の王座に就く。これ以上ない綺麗なストーリーだ。


 俺は断りきれず、王として担ぎ上げられることになった。気がつけば、外堀は完全に埋まっていた。


「……お辛いですか、マコト様」


 ふいに、隣から鈴を転がすような優しい声が聞こえた。

 振り返ると、エレノアが穏やかな笑みを浮かべてこちらを見つめていた。


 父と兄を同時に失ったというのに、彼女は驚くほど冷静だった。その瞳は澄んでいて、どこまでも優しい。

 優しいが——何かが決定的に壊れているような、そんな不気味さがあった。


「いや、まあ。姫様こそ大丈夫?」

「ええ。私には、あなた様がついていてくださいますから」


 エレノアは静かに微笑む。

 その完璧な笑顔を見ていると、なぜか背筋に冷たいものが走った。


◆◆◆


 深夜。


 寝返りを打ったところで、微かな気配を感じた。

 三年前の、あの遠征先の夜と同じだ。


 薄く目を開ける。

 月明かりの差し込む寝室の中、ベッドの横にエレノアが立っていた。白い寝間着姿のまま、ただ静かに俺を見下ろしている。


 だが、三年前と明確に違うところが一つだけあった。


 彼女の右手には、月光を鈍く反射する短剣が握られていた。


「……ッ!?」


 脳内が一気に覚醒する。

 俺は咄嗟に身を翻し、ベッドから飛び退こうとした。同時に、全力で頭の奥の回路を繋ぐ。全力で世界に念じる。


(刃が折れろ、滑れ、床に突っかかれ、何でもいいから、あいつが失敗しろ——!)


 だが、因果は動かない。

 空気一つ、風一陣すら変わらない。


 その瞬間、初めて理解した。

 貯蓄はもう、一滴すら残っていなかったのだということを。


「……あ」


 乾いた声が漏れた瞬間、視界が跳ねた。


 ドスッ、と重い衝撃が胸に走る。

 熱い痛みが一遅れして胸の奥から突き上げてきた。エレノアの体重が俺の上に乗り、鋭い刃が深く、容赦なく肉を割って心臓へと突き刺さっていく。


「が、はっ……!?」


 ベッドの上に押し倒され、口から大量の血が溢れた。

 見上げれば、エレノアが俺の胸に短剣を突き立てたまま、大粒の涙を流していた。激しい憎悪と、深い哀しみが混ざり合った、酷く歪んだ顔で。


「お父様とお兄様を殺したのは……あなたでしょう?!」


 泣き叫ぶような声が、静かな寝室に響き渡る。


「は……? ちが……!」


 必死に声を絞り出す。違う。俺じゃない。王子の事故も国王の病死も、俺は何も弄っていない。ただの偶然だ。本当に、ただの不運な事故だったんだ。


 だが、エレノアの瞳に宿る狂信的な確信は揺るがない。

 だって、この三年間、俺が「負けろ」と思えば敵は勝手に自滅し、地形すら変わってきたのだ。そんな天災のような男の目の前で、王位継承者が都合よく全滅した。誰もがそう疑う。俺が因果を操作して、彼らを暗殺したのだと。


「因果を操作しても無駄です。これは私の意志、私の選択。私は、運命には縛られない……!」


 エレノアは短剣の柄をさらに強く握り締め、体重をかける。

 傷口が抉られ、視界が急速に明滅を始める。


「あなたは……本当にずるい人です」


 ポタポタと、彼女の涙が俺の頬に落ちる。


「欲しいものを、自分では欲しいと決して言わない」

「…………」

「でも、周りが、相手が、そうせざるを得ないように仕向ける。あの時、私を付き人にした時もそうでした……!」


 『無理なら別にいいんだけど』。

 かつて俺が、責任から逃れるために使ったあのセリフが、彼女の心をずっと削り、呪いのように縛り続けていたのだ。


「ちが……う……俺は……」


 違う。俺はそんな大層な策士じゃない。ただ楽したかっただけだ。ただ、クズなだけだったんだ。


「そうやって、最後まで他人のせいにするんですね」


 エレノアの冷徹な言葉が、胸の痛みに突き刺さる。

 言い訳すら拒絶され、俺の視界はどんどん黒く染まっていく。体の芯が急激に冷たくなっていくのが分かった。


 ああ、なるほど。

 これが対価か。因果応報ってやつか。

 今まで散々、自分の手を汚さずに都合のいい結果だけを掠め取ってきたツケが、最悪の勘違いとなって俺の命を奪いにきている。


 実に皮肉だった。

 最後まですべて、偶然の連鎖のふりをした必然だった。


「ごふっ……、は……」


 喉の奥からせり上がる血を吐き出しながら、俺の口元は、自然と吊り上がっていた。

 こんな結末の最中にあっても、笑いが止まらなかった。


「……っぱ、俺」


 薄れゆく意識の最奥で、俺は自分の人生を呪うように、愛おしむように、ポツリと呟いた。


「不運だわ」


BAD☆END!

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