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いつか星になる物語

【短編版】星になれ、戦姫

作者: じうかえで


 これは、いつか英雄として語り継がれる二人の、語り継がれぬ日常のお話。



   ***



 リィゼア・アル・サイスフォリアの一日は、愛する従僕の怒鳴り声で始まる。


「いい加減起きなさいこんの寝坊助姫!」


 冷たい朝の空気に触れて急激に冷えたリィゼアの腕が、突然消えた掛け布団を求めて彷徨う。


「姫、寒いですか? 寒いですよね? ならさっさと起きてください」


 ああ、どうしてこんなに寒いのだろう。……今が秋だからか。

 晩秋の朝は冷える。寒さにまだ慣れていない体は、とにかく朝に弱い。


「んぅ……」


 リィゼアはまだ開き切らない目をこすりながら起き上がった。

 視界に、真っ白い羽毛布団を掲げた、黒髪の細身の男の姿が映る。


「こらシィル、寒いわよ今すぐお布団をこちらによこしなさい!」


 がたがた震えながら叫ぶリィゼアに、シィルは呆れ混じりの視線を向ける。


「……姫」

「なによ生意気従僕。あんたが抱きしめて温めてくれるって言うならそれでも良いけど?」

「なに言ってるんですか。俺は部屋でてますからその間にちゃっちゃと着替えて仕事してください。まったく、十七歳にもなって、夫でもない男に起こしに来させるなんて、今までの淑女教育の成果はどこへ行ってしまったんでしょうね」


 シィルはやれやれ、と肩をすくめた。

 リィゼアは口を尖らせてピシャリと一言。


「だまらっしゃい」


 従者に強く命令できるのは主人の特権だ。リィゼアは普段から、この特権を多用する。

 しかし、いつもいつも、のらりくらりと躱されるのだ。


「三分で着替えられたら、朝食のフルーツを『あーん』して差し上げますよ」

「シィルあんた、できるはずがないとわかって言ってるわね?」

「いいえ。自堕落な駄目姫様でも、その気になればできると俺は信じてますよ。夜空の英雄の一人、サルヴァ妃は入浴時に襲撃を受けたとき、二分で着替えて三分で〈侵略者〉を殲滅したという伝説があります。姫に差し上げた時間はサルヴァ妃の着替えより一分長いですよ?」


 リィゼアはシィルが言った伝説を思い出す。




 ここ、サイスフォリア王国にはとある言い伝えがある。

 それは、『この世界や国のために素晴らしい働きをした者は、死後、星になる』というもの。英雄や学者はその伝説とともに星座になり、人々の心と拠り所となるのだ。


 星座になることで、死んだ後もこの世界と結びつき、国や人々が窮地に陥った際には救いの手を差し伸べてくれる、という伝説がある。

 それは、英雄が死んでもその存在が人々に忘れられていないが(ゆえ)の信仰心だ。皆、星座の言い伝えを信じているからこそ、夜空を見上げて星々に祈る。


 サルヴァ妃はその数ある星座の中でも、特に有名な伝説のひとつだ。

 他国から嫁いできた王妃が、女性であるにもかかわらず、多くの〈侵略者〉を倒したという話は、定期的に劇も上演されるし、彼女関連の書籍も数えきれないほどある。




「サルヴァ妃のそのお話は野外での清拭に軍服でしょう。それも戦闘用の簡易式の。軍服とドレスじゃ訳が違うのよ!」

「あいにく俺は女性ではないのでお着替え事情はわかりかねますが。さっさとドレス着て髪梳かして朝食をとってそして仕事してください」



   ***



 結局、リィゼアが身支度にかかった時間は十一分。

 これでも、メイド達は重たいドレスを抱えて走ったりふわふわの長い金髪を三人で梳かしてポニーテールにしたりと、十人がかりで必死に頑張ってくれたのだ。おかげで、リィゼアは寝起き十五分とは思えない美少女に仕上がった。もちろん、元の素材が極上なのもあるが。


 「三分なんて無理よ、誰もできないわよ」とリィゼアは独り言つ。

 肩で息をしながら執務室に飛び込むと、シィルはすでにサンドウィッチの入ったバスケットを持って待っていた。


 執務机の椅子に座ったリィゼアは、羽根ペンを取り、山積みになった書類を捌いていく。まずは視察や祭典などの公務関係、それが片付けば軍事関連の書類だ。

 合間を見てサンドウィッチを齧りつつ、リィゼアは目にも止まらぬ速さでペンを動かしていく。


「王女様、それも伝説級の『戦姫』の異名を持つお方が片手食とは……と、料理長が悲しんでいましたよ」

ひょうがないひゃない(しょうがないじゃない)ひかんないんひゃもの(時間ないんだもの)

「もう少し早く起きれば解決する話だと思いますがね」

「わたくしは朝が弱いの! お昼間は時間なくて夜に鍛錬してるんだから起きられなくて当然よ。主人を介抱するのが従僕の仕事でしょう? ほら、もうひとつサンドウィッチをちょうだい」


 リィゼアが「あーん」と口を開けると、サンドウィッチはペンを持っていない左手に握らされた。仕方なくそれを口に運ぶ。もぐもぐ。具材はベリージャムとチーズだ。美味しい。

 シィルがはぁ、とため息をついた。不満げな顔をして言う。


「姫あなた、俺のことをなんだと思ってるんですか」

「え、都合の良いパシリ。あとわたくしが育てた子供」

「……俺の本業はあなたの護衛騎士ですよ。従僕でもパシリでも、恋人でも婚約者でも息子でもありません。もちろん朝起こすのも業務外です。わかったらもうこれ以上メイドを困らせないでください」

「えぇ〜。シィルのけち」

「業務外です」


 リィゼアは再び、『あーん』を要求する。

 しかし、シィルは嘆息すると、持っていたバスケットを、どん! とリィゼアの目の前に置いた。どうしても、『あーん』をしてくれる気は無いらしい。

 仕方がないので手を掴んで無理矢理やらせようとしたら、書類の束で頭を叩かれた。


「えーん、シィルの馬鹿ぁ。公務の書類って面倒なのよ」


 リィゼアはつれない従僕に嘆きつつ、書類の山をまたひとつ引き寄せる。

 その一番上にあった一枚を手に取り、一瞥すると、山ごとまとめてシィルの方に寄せた。


「シィル、廃棄しといて」

「これ、婚約者決めに関する陛下からの文書でしょう。姫があまりにも拒絶するから、とうとう仕事に紛れ込ませるようになられたんですか」

「わたくしはあんた以外とは結婚しないと、何度言ったらわかるのかしら。夜会もお茶会も、もちろん無断で相手を決められるのも、全部お断りよ」

「せめて一枚くらい読みましょうよ。それと、俺はゴミ箱じゃありません」

「そんなこと言って、結局いつも捨ててくれるくせに」


 シィルのそんな優しいところも愛おしく感じて、リィゼアは目を細めた。いつもはそっけない猫が、ごくたまに手に頬擦りしてくれる時の感情に似ている。

 よし、と気合を入れ直して、リゼリアは次の山を引き寄せた。公務関係の書類は先ほどので最後。ここからは、軍事関係の書類の山を、これまた高速で捌いていかなければならない。


 シィルは、リゼリアが手に取った書類をちらりと見て、呆れたように言った。


「……どんな訓練をしたら、請求額がそんな額になるんですか。あなたの直属部隊、備品壊しすぎじゃありません?」

「わたくしが育てた騎士達は強いのよ」


 紙面には、木剣、的、隊服、移動費、食料費、給料、その他諸々の項目が並んでいる。

 リゼリアはさらりとそれらに目を通し、サインをすると次の書類を手に取った。

 山が、ものすごい勢いで低くなっていく。

 最後の一枚を手に取ったリゼリアは、サファイアの瞳を見開いた。


「な、またカケラが増えだしてるって! しかも巡回の日付、これ一昨日じゃない! どうしてもっと早くに言わないのよ!」


 思わず立ち上がり叫んだリィゼアの言葉に、シィルは至って冷静に返す。


「早く言うも何も、こればかりは天の気まぐれですからね。どうせ姫が昨日チェックし忘れていたんでしょう」

「シィル、今すぐ準備なさい。それと第一戦隊に出動命令。わたくしも行くわ」

「……姫。あなたはまた、自ら危険に飛び込もうとなさる」

「当然よ。わたくしの可愛い部下達を死なせるわけにはいかないし、それにわたくしが行った方が早く終わるわ。そうでしょう? ってことで、今言ったことよろしくね従僕」


 主人が勇敢で部下想いであることは、シィルにとっても誇らしいことだ。しかし、内心は複雑である。できることなら、大切な王女には城でじっとしていてほしい。

 しかしそんな思いを飲み込み、シィルはただ嘆息した。

 今更言っても止まらない女性であるということは、長い付き合いなのでよく知っているのだ。


「だから、俺は従僕でもパシリでもありませんと何度言えばわかるのですか。いい加減、補佐でもつけられたらいいのに」

「そんなことしたらあんたとの二人きりの時間がなくなるじゃない」

「……姫、黙ってさっさと準備してきてください。出立に遅れますよ」

「わかってるわよ生意気シィル」


 軽口を叩きながらも。


 ――どうか、大切な人が傷つきませんように。


 リィゼアもシィルも、見えずとも在るはずの星々に祈らずにはいられなかった。



   ***



 リィゼア達が向かったのは、王都を囲む城壁のすぐ外に広がる荒野だった。

 見渡す限り木の影は無く、茶色に枯れた草の葉が風に靡いている。あちこちに転がる灰色の瓦礫の隙間で、軽やかな穂や青い小さな花をつける草が、見渡す限り褐色の荒野の中で生命を確かに主張している。


 シィルはその瓦礫のひとつを手に取り、手の上で転がして遊んでいる。

 あちこちに転がる残骸は、素焼きの煉瓦にも大理石にも似た不思議な質感をしている。見た目はツルツルなのに、割れ目は岩のようにごつごつしているのだ。

 そしてどれも、薄青くぼんやりと光っている。今は夕日の赤に掻き消されているが、昼間でも、目を凝らせばわかる程度の光を、消えることなく発し続けている。


「まだ〈侵略者〉は来ておりません」


 書類を送ってきた部下の報告を聞いて、リィゼアはひとまず安堵した。


「どうにか間に合ったわね」


 ――けれどきっと、もうすぐやって来る。


 リィゼアは、荒野の真上にだけ広がる重たい雲を見上げて、表情を引き締めた。


「……また来るのですね、〈侵略者〉が」


 シィルの低い声は、風より静かだ。



 〈侵略者〉。

 それは、『星のカケラ』に乗ってこの星に()()()()()異星人のこと。

 この星には、星のカケラが落ちてくる決まった場所が存在する。それが、このサイスフォリア王国の王都のすぐそばに広がる荒野『落陽地帯』なのだ。


 〈侵略者〉への対応はサイスフォリアが担う。そのために創られたのが、リィゼアが総督を務める騎士団『守星軍』だ。



「せめて目的でもわかれば、対処しようもあるのに」

「それがわからないから厄介なのですよ、姫。落ちてくる時期も量も性質も、全部バラバラなのですから」


 リィゼアが小さくため息をついた、その時だった。


 ――――閃光が雲を裂いた。

 そこから、光り輝く()()()が落ちてくる。


「敵襲! 総員、戦闘態勢!!」


 リィゼアは鋭く叫んだ。

 その間にも、()()()はぐんぐんと高度を下げ、近づいてくる。

 それは三角柱と円柱と立方体をぐちゃぐちゃにくっつけたようなおかしな形をしていて、その周りをいくつもの小さな物体が公転している。さながら衛星のようだ。


 第一戦隊の騎士達三十人が、各々の武器を構えた。

 騎士団といえど、守星軍では得物は人それぞれだ。双剣、大剣、レイピアに加え、東方の武器である『くない』や『手裏剣』、金棒なんていう変わり者もいる。


 落ちてきた()()()――星のカケラは、リィゼア達の目の高さまでくると、速度を落としてふわりと着地した。同時に、公転していた小さなカケラもぽとりぽとりと地面に落ちる。

 大きなカケラは、高さも幅も二メートルほど。おそらく、落ちて来るまでに空気抵抗などでかなり削られているのだろう。


 リィゼアは手にした剣を握りしめた。

 その隣で、シィルがちゃきりと剣を鳴らす。


「姫、ひとりで大丈夫ですか? 俺がお供いたしましょうか?」


 珍しく、シィルが気遣う言葉をかけてくる。

 それを嬉しく思いつつ、しかしリィゼアはさらりと一蹴した。


「なに馬鹿なこと言ってるの。わたくしは『戦姫』よ? こんな小さなカケラに、わたくしが負けるわけないじゃない。あんたこそ、怪我しないでよね」

「もちろん。そんなヘマはしませんよ」


 大きなカケラに、ピキピキとヒビが入った。

 と思ったら、次の瞬間、がらがらと音を立ててカケラは崩れ去った。

 中から、〈侵略者〉がわらわらと姿を現す。あの小さなカケラの、どこにそんな数が入っていたんだと思うほど、大量の〈侵略者〉が次から次へと湧いてくる。


「戦闘開始!!」


 リィゼアの号令と共に、騎士達はカケラから出てきた〈侵略者〉めがけて突進していく。

 総督を名乗る者がが彼らに遅れてはいけないと、リィゼアは地を蹴った。






 リィゼアは、地面を飛び回りながら、目にも止まらぬ速さで愛剣を振り抜く。

 その度に、〈侵略者〉の触手が宙を舞い、粘性のある銀色の血飛沫が飛び散った。




 〈侵略者〉は、伸ばせば二メートルにもなる四本の触手を持つ、全身銀色の生物である。身長はどの個体も一・五メートルほどで、衣服は身につけておらず、つるつる坊主の頭部に丸い青の瞳が二つ並んでついている。足はなく、ひらひらした身体の裾のような部分を、ナメクジのように地面に這わせて移動する。


 彼らはただがむしゃらに斬るだけでは倒せず、四本の触手を全て切り離したうえで、胸部と思われる場所を突き刺さなければならない。触手を斬られた個体は勢いが落ちるが、動きを止めるには四本すべての触手を切り落とさなければならない。

 しかも、死骸は残らず溶けて蒸発して消えてしまうので、体のつくりの研究もしようがなく、有効な毒もなければ、あるかもしれない他の倒し方すらもわからないのだ。




 自分の頭部めがけて振られた触手を屈んで回避し、すぐさま横に飛んで上から落ちてきた小さなカケラを躱して、着地と同時に地面を蹴って〈侵略者〉の間合いに踏み込む。剣を振ると、触手が二本、銀色の尾を引いて飛んでいった。

 抵抗するように波打ちながら伸びてきた最後の一本の腕を切り落とし、すれ違いざまにその胸部をひと突き。

 〈侵略者〉の身体が地面に崩れ落ちる。傷口からぬめりのある銀色の液体が流れ出し、同時にどろどろと身体が溶けていくのを横目に、リィゼアは次の敵のもとへ向かった。


 戦場を蹂躙する少女は、襲ってくる銀色の触手を次々剣で薙いでゆく。

 美しい金髪を風に靡かせ、その口元に楽しげな微笑を浮かべて。





 王女であるにもかかわらずリィゼアがここまで強くなったのは、幼少期から剣を握っていたためだ。

 まだ五つにもなる前の幼い頃、彼女は五歳年上の兄の剣術の稽古にこっそり参加し、陰に隠れて木剣を振り回してはよく見つかって怒られていた。

 八つになると、家庭教師の授業をサボって騎士見習いの少年達の訓練に紛れ込んではよく叱られていた。


 父王はどうにかしてリィゼアに淑女らしくしてもらおうと、授業を増やしたり家庭教師を変えたり、授業を抜け出さなかった日には褒美を与えたりしてみたのだが、リィゼアの行動は変わらず。

 結局、『勉強も淑女としての作法のレッスンも完璧にこなす』ことを条件に、リィゼアは剣を握ることを許された。


 十歳を過ぎる頃には新人騎士に勝てるようになっていたリィゼアは、それ以来ぐんぐんと力を伸ばし、今では他の各騎士団長にも引けを取らない剣技を誇る。

 いつしか彼女は『戦姫』の異名で呼ばれるようになり、ここ最近負け知らずの評判は、国内どころか他国にまで広まった。

 曰く、「サイスフォリアの王女様はワルツを踊るように敵を斬る」のだと。





 リィゼアは荒野を駆け回り、敵を薙ぎ倒してゆく。

 ひらひらと宙を舞い、くるくると回りながら、輝く剣を振り回す。

 彼女が通った後に残るのは、踏まれて地面に倒れた枯れ草と、辺り一面に広がる銀色の液体だけだ。



 戦争はすでに終盤を迎え、リィゼアも、彼女から少し離れたところで戦うシィルも、一対一の戦いを繰り広げていた。


 皆、己の相手に集中していた。動きに余裕はあれど、戦闘中にわざわざ敵から視線を外して空を見上げる者などいない。


 ――――だから、事が起こるまで、誰も"それ"の存在に気付かなかった。




 青く光る物体が、突如としてリィゼアの目の前に突っ込んできた。

 それは、先ほど降ってきた大きなカケラよりも二回り以上大きい、星のカケラ。




 カケラが地面に衝突した衝撃で、荒野にはちょっとしたクレーターができる。


 強い風が駆け抜けた。リィゼアは咄嗟に目を瞑る。


 リィゼアが戦っていた〈侵略者〉は、飛んできた小さなカケラに胸を砕かれ、地面に(くずお)れた。


 無数の小さなカケラが、四方八方に飛んでいく。


 女性で体重の軽いリィゼアは、突然のことになす術もなく吹っ飛ばされ、背中で地面を跳ねる。

 なんとか受け身を取ろうとするが、強風の中で身体がうまく動かない。




「姫!!」




 微かに、聞き慣れた低い声が聞こえた、ような気がした。



 次の瞬間、全身を包み込まれるようにして抱き止められる。

 その人も一緒に地面を一度跳ねたあと、地面をずるずると滑って、やっと止まった。

 風も弱まり、辺りには静寂が戻る。


 リィゼアを抱き止めた人物は、一度身体を離し、横抱きのようにその身体を抱え直した。



「姫! ご無事ですか?!」

「…………シィル」


 リィゼアは固く瞑っていた瞼をゆっくりと開き、大好きな声の主を呼ぶ。

 光の戻った視界に、夜空を埋め尽くす色とりどりの星が映る。いつの間にか、空に浮かんでいた厚い雲は消えたらしい。

 散りばめられた宝石の中心で、眇められたエメラルドの双眸が揺れていた。


「シィルこそ、怪我はない? 痛くはない?」


 覇気のない声でリィゼアは訊き返す。

 吹っ飛ばされた時に、岩に背中を打ちつけたようだ。ズキズキと絶え間ない痛みが、負傷を全力で訴えている。


「俺は大丈夫ですっ。それより姫、あなたは……? 暗くてよく見えません」

「わたくしは……背中を打ったようだわ。あと、全身が痛い。傷ができているかも。服も所々、破れていそうね」


 もうこれ以上、戦うのは無理そうだな、とリィゼアは思う。

 背中が痛くて、しばらくは立ち上がるのも難しそうだ。おそらく血は出ていないが、回復には時間がかかるだろう。


 先ほどの衝撃波は、二つ目のカケラによるものだろう。いつもなら速度を落としてから着陸するカケラが、今回だけはなぜか勢いを落とさず突っ込んできたのだ。

 青く光る歪な形。

 一つ目よりも大きなそのカケラには、一つ目以上の数の個体が乗っているだろう。



 リィゼアは、己の部下達を信頼している。

 きっと、誰一人欠けることなく戦闘を終えてくれるはずだと。


 けれど、もし、万が一のことがあったら。

 大切な仲間を失うことが怖くて、リィゼアは今まで、ほとんど全ての戦場に立ってきた。


 隊員も、すでに一つ目に乗ってきた〈侵略者〉との戦闘を終えた後だ。少なからず疲労は溜まっている。

 万全ではない状態で、一つ目よりも多くを相手に、リィゼア抜きでの戦闘をさせなければならないことが、リィゼアは気がかりだった。



 誰も死なせたくないからこそ、自分が最前線で戦う。

 守りたいから、守られていたくない。



「……シィル」


 縋るように、名前を呼んだ。


「はい、姫」


 手を伸ばす。

 彼の頬に触れる。


 手の甲を包み込むように、大きくて温かい手のひらが覆い被さった。

 サファイアとエメラルドが交錯する。


 どうか、どうか。


「お願い。みんなを、守って――」


 彼はリィゼアのの護衛騎士だ。本来ならば、リィゼアから離れることは許されない。

 けれど彼が彼女の元を離れて戦っているのは、リィゼア自身が、護る必要のないほどの強さを持っているからに他ならない。

 その強さが失われた時には、シィルはリィゼアを護るという使命が与えられる。

 主人の元を離れてはならない。主人を傷つけさせてはならない。


 だから、リィゼアは言ってすぐに、この願いはおそらく叶わないだろうなと思った。


 シィルは与えられた仕事を放棄するような人物ではない。

 だから、忠実に、絶対に、自分をあらゆるものから守り抜いてくれるだろう、と。




「……拝命いたしました」

「え……?」


 シィルの言葉を聞いたリィゼアは、唖然として彼を見上げた。

 エメラルドの瞳には、怒りの炎が揺れている。


「それがあなたの望みならば、必ずや」


 シィルはふっと微笑むと、「姫、座れますか?」と言いながらリィゼアを地面に下ろし、自分の軍服の上着を脱いで彼女の肩にかけてやった。


 そしてどこからか、腰にさげている剣とは違う、一組の双剣を取り出した。

 細身の銀色の刃先が、月の光を受けてキラリと輝く。


「シィル、それ……」


 初めて見るシィルの武器に、リィゼアは再び言葉を失う。

 幼少期からずっと一緒に過ごしてきたのに、彼が双剣を扱えることなど少しも知らなかった。

 ずっと知らせてくれなかったことに対する不満と文句と、双剣を手にして不敵に微笑む姿への恋慕の感情とが混ざり合って、リィゼアは複雑な気持ちで唇を尖らす。


 しかしそんな彼女の内心など知る由もないシィルは、恭しく礼をした。


「あなたを傷つけた敵を殲滅いたしましょう」




 彼は顔を上げると同時に地を蹴る。

 加速、加速、加速。


 リィゼアとシィルが吹っ飛ばされた場所は、降ってきたカケラからかなり離れていた。

 しかしシィルは、百メートルはあるその距離をものともせず、五秒もしないうちに距離を詰めると、すぐに銀色に輝く双剣を振るった。


 ぼとりぼとりと、触手が落下する。

 銀色の血飛沫が宙を舞う。


 まるで、色の無い戦場に、銀色の花が咲いていくように。

 あるいは、透き通る羽をもつ妖精が、雪花が舞う中踊るように。


 色とりどりの宝石が散りばめられた闇の中、シルバーが美しく散った。



   ***



「総督。研究所への連絡、及び第六戦隊護衛班への伝達完了いたしました」

「ご苦労様。皆に、しっかり休んで傷を癒すよう伝えて」


 部下が敬礼して去っていくのを見送って、リィゼアは振り返った。

 ぽろぽろと降り続く名残のカケラを背景に、大好きな人が澄ました顔で立っている。

 いつもと変わらず、抱きしめたくなるほど愛おしい。けれど今は、彼に少々言ってやりたいことがある。


 リィゼアは何も言わず、歩き出した。

 まだ背中の痛みは完全には引いていない。けれど、もう立って歩けるようになった。

 全身の擦り傷切り傷には先ほど薬を塗っておいたから、数日経てば跡も残らず治るだろう。


 シィルは黙ってリィゼアの後ろについてくる。


 こんな時だけ真面目に騎士をやるなんて、とリィゼアは口を尖らせた。


 ちょっとむかついたから、唐突にくるりと振り向いて言う。


「あんた、いつの間にあんなに強くなってたのよ。これじゃあわたくし、勝つどころか追いつけもしないじゃない」


 不満をめいっぱい込めた声を、彼はいつものようにそっけなく受け止めた。

 それでも投げ捨てないあたり、やっぱりシィルは優しい。


「姫が気持ちよくぐーすか寝ている間ですね」

「わたくしだって、寝る間も惜しんで鍛錬しているのに! わたくしの方が若いのに。俊敏な動きもできるし体力もあるはずなのに!」


 六つ年上の護衛騎士の胸板を、両の拳でぽかぽかと殴る。硬い。

 腕やお腹も殴ってみる。やっぱり硬い。自分とは大違いだ。


「俺達くらいの年齢は、若さとかあまり関係ないと思いますが。それに姫の方が若いので、俺よりも時間がある分まだ強くなれますよ。まだ追いつけないと決まったわけではないと思いますが」

「……あんたが先に死ぬのは嫌よ」

「ですが俺はきっと、姫より早く死にますよ。年上ですし、一応姫の護衛騎士ってことになってるので。有事の際、先に死ぬのは自分です」


 シィルはなんでもないことのようにさらりと言い放つ。

 リィゼアは、仮定とはいえシィルが死ぬなんて話を聞くのに耐えられず、救いを探す。

 そして思い出した。

 人々が祈る、星々の輝きを。心の拠り所となる、言い伝えを。


「あんたが死んだら、わたくしがあんたを星にしてあげるわ。末代まで語り継いで、絶対に忘れられないようにしてあげる。だからわたくしが呼んだら、この世界に出てきなさい」


 これは命令よ、とリィゼアが言うと。


「死んでまで姫のお傍に侍るなんてまっぴらごめんですね」

「なっ、不敬罪よ不敬罪! この生意気シィル〜!」


 リィゼアが拳を固めてシィルの腹を殴ろうとすると、シィルはその手を優しく包んで止めた。

 そしてリィゼアの腰を抱き寄せる。


「ふぇっ、わわっ、シィル?!」


 突然のことに驚き、顔を赤らめて固まったリィゼアが悲鳴をあげる。

 彼の腕から逃れようと身をよじるが、するとすぐに、もっと強く抱きしめられた。


 シィルの吐く息が耳にかかり、リィゼアはぴくりと身体を震わせる。


 リィゼアの耳元で、いつもより低いシィルの声がする。


「俺が星になったら、空で姫をお待ちしてますよ」

「当たり前よ。お前が夜空に昇ってわたくしが昇らないなんてこと、ありえないわ。せいぜい首をなが〜くして待ってることね」

「はいはい。追いかけてきてくださるのを楽しみにしてますよ。夜空中の笑い話にしてあげます」

「お、追いかけなんてそんなことあるわけないでしょう馬鹿?! あんたが、わたくしを待ち焦がれるのよ!」



   ***



 これは、いつか夜空に輝く二人の英雄の物語。

 伝説には残らない、日常のほんの一部分のお話だ。






  <end>



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