20 月影(つきかげ)
真人はふと思い出す。
岳川さんが残していったスマホ‥‥。
それに手を伸ばそうとして、真人はそのスマホから細い糸のような光が大椋の陰に向かって伸びていることに気がついた。
その白い光の先端がふわりと広がる。
光の塊は大椋の陰で人の形になり、そしてすぐに黒々とした実体を持つ人影になった。
暗がりの中に1人たたずむその人影は‥‥、岳川海その人だった。
「失敗‥‥?」
真人がやや狼狽え、そして少しだけほっとして言いかけた時、海が少し変な顔で笑った。
「わたし、割れちゃった‥‥。へへへ‥‥。」
「え?」
「もっちゃんについて行きたいという気持ちと、真人やお母さんのこと思う気持ちもおんなじくらいの大きさになっちゃって‥‥‥。そしたら‥‥わたし2つに割れちゃって‥‥」
「どっちもわたしなんだけど‥‥。こんなこと、起こるんだね。量子だから?」
「そ‥‥そんなこと、ぼくには‥‥」
「あっちのわたしは、もっちゃんについてった。‥‥で、こっちのわたしはここに残っちゃったの。」
そう言って海は何かがふっ切れたみたいな笑顔を見せた。
「へへへ。覚悟決めたつもりだったんだけどな‥‥。」
それから海は石の上に置いてあったスマホをぱっと取って、顔を真っ赤にした。
「こ‥‥これ、見ちゃダメだから!」
「た‥‥岳川さん‥‥!」
真人が狼狽えたような声をあげた。
「?」
「か‥‥影が‥‥ない!」
言われて海は足元を見る。
月明かりに照らされた地面に、海の影がない。
幽霊?
という言葉が最初に真人に浮かんだが、海は違うことを言った。
「わたし、影と本体に分かれたのかもしれない。過去に行ったのは影なのかな‥‥? それとも残ったわたしが影? 真人はどっちだと思う?」
そんなこと言われたって‥‥。そんなことが起こるのかどうかだって、真人にわかるはずがない。
いずれにせよ、何か異変が起こったことだけは確かだ。
「岳川‥‥さん‥‥。」
「わたしが影なら、光がないと消えちゃったりしてね。」
海の表情は笑顔だ。当然のような顔で、そんなことを言う。
一方、真人は顔がひきつっている。
冗談にしてもそれは‥‥‥。
「だからさ、真人。」
海がちょっといたずらっぽい目をした。
「もしよかったら‥‥だけど。真人がわたしを照らす光になってくれる?」
それは‥‥。
存在し続けるように、観測し続けろ——ということ?
「友達少し以上、くらいから‥‥だけど。」
そう言って海は少しだけ目を伏せて、また頬を染めた。
= 弘治元年 =
呼ばれて寝所に入った彦右衛門は、殿の隣に座っている大きな女子を見て驚いた。
大兵、と表現したくなるような大きさである。それでいて美しい。
「こ‥‥これは‥‥?」
殿の髷もおかしい。いつの間にか、その辺の悪童がするような茶筅髷になっている。
「この者は海殿と申す。天から来た女子じゃ。」
女は微笑んだまま、少しだけ会釈した。
「て‥‥天女でござるか?」
そう言われれば、着ている着物も地上のものではない。
童女のように化粧さえもしておらぬというのに、この美しさはどうだ。(21世紀のメイクはしてるけどね。)
彦右衛門は眩暈を覚えた。
「天から来たゆえ、未来のことを知っておる。我が相談役として下界に下ってくだされたのじゃ。のう、彦右衛門よ。わしは今はこうだが、やがて天下の主になるそうじゃ。」
彦右衛門は目を剥いた。
「と‥‥殿が‥‥天下‥‥?」
今の松平家の状況からすれば、大言壮語というのさえ的が外れ過ぎている。
彦右衛門は、殿がおかしくなったのでは? と少し訝った。
それを敏感に察したのだろう。元信はふっと笑う。
「そちらには一瞬であったろうが、わしはしばらく天の国におったのじゃ。そこには驚くべき技があってな。いずれ、戦立てで応用して見しょう。」
そして元信は頭に手をやって笑った。
「だが天には髷を結える者が居らなんだのじゃ。それで不器用にも自分でやるしかなかったのじゃ。」
大女が少し頬を赤らめる。
「彦右衛門よ。このこと、他言無用じゃ。厳にそちの胸のうちにだけ留めおいてくれ。それから‥‥」
と、女の方を見た。
「天の女人は地上の女人より大きい。この格好ではいかにも目立つ。山伏か僧の装束を整えてくれぬか。今後、何かにつけて傍に置いて相談に乗ってもらうが、祈祷師か僧か、そんな者のようにしておいた方が目立たなくてよい。」
彦右衛門は「はっ」と頭を下げ、殿の極秘の下知を実行すべく襖を開けて外へ出ていった。
「まりん殿! そなた‥‥」
彦右衛門が出ていってから、元信はそのことに初めて気づいた。
「影がない!」
少しだけ開いた障子の隙間から差し込む満月の光に、畳が白く照らされている。
そこに、まりんの影がない。
「あれ? 本当だ。」
海はおかしそうに笑って言った。
「大丈夫。幽霊じゃないよ。ほら、足もある。」
「わたし途中で2つに割れちゃったから‥‥。未来に置いてきたのが影なのかも。それとも、過去に来たわたしの方が影なのかな?」
海が気にしていないのを見て、元信も落ち着きを失った自分を少し愧じた。
「あ、それとわたしの呼び方は、ここでは『うみ』でいいですよ。」
元信は襖の向こうの気配に耳を澄ませて誰もいないことを確認してから、少し未来にいた時のようなくつろいだ表情になった。
「2人だけの時は、まりんと呼んでもいいだろう?」
「それじゃあわたしも、もっちゃんって呼んでいい?」
家康の後年、相談役として表舞台に現れる僧天海。
その出自については、諸説あるがよく分かってはいない。
了
かなり直しました。
この最終回の公開と同時に、途中まで改稿しちゃった23年版も見えるようにします。
興味のある方は読み比べてみても面白いと思います。
成長の跡が見えるかどうか‥‥それとも‥‥‥(^◇^;)
もちろん、発想の最初はタイトル。。。
あの某有名テレビ局の某大河ドラマへのオマージュです。←(パクリと言わずオマージュと言う!)(^◇^;)
当時一応念のため某テレビ局に問い合わせてみたところ「タイトルに著作権は及びません。が、視聴者が混同しないようご遠慮いただければ」ということでしたので、遠慮しながらこのタイトルに。。(^皿^)
あらすじみたいな長いタイトルを付けると読んでもらえる——という情報を当時得たので、(混同しないように)長いの付けてみたんですけど‥‥やっぱり読まれませんでした。(23年版も長いの削っちゃったあとです。残しときゃよかった‥‥)
大きく変えたのは「元信くん」の反応です。まりんと一緒になって現代風になってしまっては、のちの家康像とかけ離れてしまう。
元信くんは21世紀の世界を楽しみながらも、片時も岡崎衆のことを忘れていない。戻ってやらねば——と考え続けています。
そんな元信くんにまりんは淡い想いと共にどんどん惹かれてゆきます。
一方の元信くんは、まりんがついてくるというのを強くは止めません。そこにはまりんへの想いだけでなく、この先の戦立てや天下奪取にまりんの知識が役に立つ——という家康らしい合理的打算も含まれているかもしれません。
そんな部分を、行間の後ろに隠すようにして改稿してみました。