16 運命(さだめ)
「太平の世とは、良いものだな‥‥。」
元信くんは遠くを見るような目でそう言った。
「まりん殿。良いものを見せてくだされた。」
元信くんの目から迷いが消えている。
「太平の世を招来するために‥‥、まりん殿がこういう世界に生きているために‥‥、私がせねばならぬことがあるのなら‥‥」
その顔は、先ほどまでの少年の顔ではない。
戦国武将、松平次郎三郎元信の顔になっていた。
「その運命、受け止めてみようと存ずる。いかなる艱難辛苦も耐え忍んでみしょう。」
「そ‥‥‥」
そんなことのために、このデートを企画したんじゃない!
海はそう叫びたかったが、とても言えるものではない。
今、目の前にいるのは「もっちゃん」でも「元信くん」でもなく、紛れもなく若き日の家康であった。
同じ空間にいながら、現代人の海との間には巨大な時間の壁が存在している。
「岩吝図殿。よろしくお頼み申します。」
2週間後の転移のことだろう。自分の時代に戻るための——。
「は‥‥はい。」
軽く頭を下げた次郎三郎元信に、真人はちっぽけな自分を愧じながらやっとそれだけの返事を返した。
俺は‥‥
彼が岳川さんのもとに残るかもしれない可能性に嫉妬して、戦国に帰ると言ったらほっとしている。
ちっちゃい男だ‥‥。
まだ14歳で、天下泰平のために自らの運命を引き受けようとする元信様とは、器どころか次元の違う情けない男だ‥‥‥。
翌週の週末は映画を観に行った。
メンバーは例の3人。海と元信くんと真人。奇妙なデートというほかない。
戦争ものや時代劇は避けて、アニメにした。
「この時代では、絵に描いたものを動かすことまでできるのか‥‥。」
観終わったあと、元信くんは感心したように言った。
「まるで妖術だな。」と笑う。
嫌悪しているわけではない。素直に現代の技術に感心しているのだ。
「難しい技術じゃないよ。弓矢や絡繰と同じ。人間の目の錯覚を利用してるんだ。」
真人がノートの隅にホネ人間を描いて、パラパラアニメをやって見せる。
元信くんは1枚1枚を確かめて見てから、自分でもパラパラやってみて感嘆の声をあげた。
「動いて見える!」
あれ以来、真人は支えたいと思うようになった。
元信様を、そして岳川さんを——。
自分ごときにできるのは、それくらいのことだと。
海のクラスメイトたちは意外なものを見る目で2人を見ている。
今日も、昼休みになると岳川海は岩吝図真人と並んでお昼を食べながら、何かを真剣に話しているのだ。
いや、驚きと困惑を隠せないのは海の女子友達だけではない。
男子もだ。
なぜ‥‥?
あの岳川さんが、よりによってあいつと‥‥?
もちろん、彼ら彼女らが考えているようなことを2人は話しているわけではない。
話しているのは、現代にいる間のもっちゃんをどうもてなそうか——ということと、彼は本当に帰れるのか? ということだった。
もっとも、クラスメートたちの誤解は、半分は誤解ではないかもしれない。
海の気持ちはともかくも、少なくとも真人はこうして頼ってもらえることが、話ができることが嬉しかった。
たとえ岳川さんの心の中が、もっちゃんで一杯になってるとしても‥‥。
支えたい。
2人を——。
たとえそれが、無理やりこじつけただけの数式や解釈だとしても‥‥。
コンマ何%の可能性だとしても‥‥‥。