15 未来世界
一旦地下に潜って地下鉄に乗り、2駅進んで栄で降りる。
動く階段や地面の下の町、真っ暗な穴の中を颯のように走る輿。
行き交う人々の背の高さや色とりどりの珍かな着物。人々の肌の色や髪の色も千差万別。
元信くんは、いちいち驚いた表情を見せてはいたが、もう爪を噛んだりはしていない。
「これが、全部庶人であるのか?」
「庶人?」
と真人が聞き返す。
「まりんど‥‥まりんがこの前言っておられた。未来は、この時代は人の身分は天皇以外は庶人しかおらぬ、と。」
「庶民、って言ったんだ。この時代には身分差はないんだよ。格差はあるけどね。」
「かくさ?」
「あー、いい、いい。何でもない。難しい話はやめよう。今日は楽しもうよ。」
「えーっと‥‥」
海はスマホを見たままで元信くんに話しかけた。
「観覧車はお昼からだから、まだ動いてないや。あ、そうだ。先にオアシス行ってみようか。」
『水の宇宙船』とかいう施設があって、海は小学生の時一度だけ親に連れてきてもらって上った記憶がある。
「これなんて、絶対もっちゃん驚くよ。もっちゃんの時代にはできない技術だもんね。」
そんな海のはしゃぎぶりを、真人は少し離れて眺めている。
元信くんが笑顔になると、岳川さんも笑顔になる。
岳川さんが笑顔になれば、ぼくも笑顔に‥‥なれてる?
地下鉄の改札からオアシスの広場まですぐだった。
上の方のガラスの屋根に、水面のさざ波が光っている。
「あれに上ってみよう。空中の池だよ。」
空が見えて日光が差し込んでいるが、一応ここは地階ということになる。エスカレーターで地上付近まで上がり、そこからエレベーターで水の張られた屋上まで上った。
「これは‥‥。大きなぎやまんの水盤でござるか?」
「まあ、そんなものだけど。面白いでしょ?」
「下が透けて見える。水の中を人が歩いているような‥‥。」
「あの天を突くような櫓は、何でござるか?」
元信くんが指差したのは旧テレビ塔だ。今は確か未来ナントカっていう名前になってるんだったよね?
そりゃあ、あんな高いものは見たことないよね。
「昔のテレビ塔。ほら、うちに有ったテレビ。あれの電波を出してたところだよ。今はもうただの展望台とホテルだけど。」
元信くんは曖昧に微笑んでいる。ほとんど分からない単語ばかりだ。
「上ってみる?」
展望台からは名古屋の街が一望できた。
‥‥が、さすがに
「岡崎城は見えないね。」
「あれは?」
「あれは名古屋城。もっちゃんの時代には田舎城だったと思うけど、その後松平の一族の城になって立派になったんだ。もっとも、今の天守閣は岡崎城と同じ、コンクリートの博物館だけど。」
どうしても歴史系の話になってしまう。
「ほ‥‥ほら、あっちに高層ビル群が見えるでしょ? もっちゃんが言ってた捻れたビルも。」
「本当だ。存外に近いのだな。」
海には元信くんの表情が明るくなってきているのが嬉しい。
せっかくこの平和な現代の日本にいるんだもの。のびのびとしていってよ、あと2週間——。
「あの城は?」
「あ、あれは清洲城。もっちゃんの時代にはあっちの方が都会だったんだよね、名古屋城のあたりより。あ、尾張は行ったことないんだったか。」
「話くらいは聞いてござる。」
また歴史の話になってしまった。
「そ、そうだ。お腹減らない? そろそろお昼だし。ね? 岩吝図くんも。」
「あ、うん。減ったね。オアシスに食べるとこいろいろありそうだったよね?」
真人は明るい笑顔を見せてそう言った。
岳川さん、忘れてなかった。ぼくがいること‥‥。
お昼には元信くんが食べやすいように和食系の店に入り、そのあとアイスクリームの店にも入った。
美味しいものを食べたせいか、元信くんはよく笑った。現代に来て、いちばん笑った日なんじゃないだろうか。
そのあと、ビルの側面に付いた観覧車を海が指差し、3人でそっちに向かって歩いた。
11月だというのに、日差しが暖かい。
「大きな水車みたいでござるな。」
元信くんが弾んだ声を出す。
観覧車はビルの3階から乗るようになっていて、さほど待たなくても乗れそうだった。
チケットを買って待っている間に、海が2階でハンバーガー店のポテトだけをたっぷり買ってきた。
ハンバーガーはお肉だから、やめておこうと思ったのだ。
観覧車は、ゆっくりゆっくり回って海たちの乗ったゴンドラが上がってゆく。
テレビ塔は高すぎて、かえって高さの実感が湧きにくかったが、観覧車の上り方は高さが実感できた。
「四角い建物は、屋根も平らなのでござるな。」
元信くんは来たばかりの頃とは違って、よく話すようになっている。真人がそれに答えた。
「屋根を防水してあるから、平らでも大丈夫なんだよ。」
3人でポテトをつまみながら外を眺めて
「あのビルの屋上に変なモノがある。」
とか
「人があんなに小さくなった。」
とかたわいのないことを話しながら、笑い合った。
「楽しゅうござる‥‥。」
元信くんが笑顔のまま、ポツリと言った。
「極楽のようじゃ。まりん殿の馳走ありがたく、痛み入ります。」
元信くんの言葉が、少し硬い感じに戻っている。
「もっちゃん‥‥?」
元信くんはそれっきり、黙ってにこにこと観覧車の窓から見える風景を眺めていた。
回るゴンドラは次第に地上へと近づいてくる。
一回転して夢の終わりが近づいてくる‥‥‥。
「岩吝図殿。私は戻れますよね?」
オアシスに戻って3人で屋外のテラス席でお茶をしている時、元信くんがふいに真人に話しかけた。
「あ‥‥、た、たぶん。来た時の状況と、半月での反応から類推して‥‥。」
元信くんから直接話しかけられたことに驚きながら、真人はそうとだけしか答えられない。
量子論の仮説が実際に人体にどう働くのかなんて、誰にもわかりはしないのだ。
量子論の話をしたのは、岳川さんを笑顔にしたかったからだけで‥‥。
「未来世界にいる人たちは皆、思い思いに楽しそうだ。皆、己れの事だけにかまけて楽しんでござる。」
目を細めるようにして人の群れを眺めている。
「これが、太平というものなのだな‥‥。」
「まりん殿と同じ時代に生まれておれば‥‥、私もこのようにしていたのであろうか‥‥。」
「も‥‥もっちゃんがよければ‥‥‥、わたしは‥‥その‥‥‥」
海が少し頬を染めながら元信くんを見る。
真人の胸が、ずきん、と痛んだ。
それはもう、僕にはチャンスがないということ‥‥‥。