11 史実
「年は、わたしより2つほど上らしい。わたしは、十の時に御屋形様の取り持ちで姫と婚約した。」
そうだ。義元の勧めで、関口刑部少輔の娘と‥‥。海はその知識を手繰り寄せる。
え? 婚約?
竹千代は、そんな早くから「婚約」してたんだ?
4年も前に‥‥。いや、違う。この当時の年齢の数え方は「数え」だから、満年齢なら8歳?
駿府に来てから間も無くじゃん?
「そのおかげで、私は今川の親類筋の扱いを受けてもいる。御屋形様にも良くしていただいている。武家の婚約とは、そういうもの‥‥。そういうものではあるが‥‥。」
元信くんは少し悲しげな目で海を見た。
小説を読む中で、彼は知ってしまったのだ。
やがて今川と縁を切り、織田家と同盟を結び‥‥。そして‥‥。
織田家との同盟を維持するためとはいえ‥‥今はまだ会ってさえいないその姫を、彼はいずれ‥‥殺さねばならなくなる‥‥。
人の運命‥‥。
変えられない歴史の史実。
「女子とはそのようなものではあるまい? 武家の道具などでは‥‥。まりん殿のような、活発な、生きることを楽しんでいるお方を見ていると‥‥、こうして目の前にいるのを見ていると‥‥‥。もし‥‥まりん殿をいつか、我が手で死なせなければならない‥‥などと思うたら‥‥‥」
元信くんの顔が大きく歪む。
「そ‥‥‥!」
海の衝撃は、元信くんの表情だけではない。
戦国の世に生まれていながら、女性をこんなふうに見ることのできるこの少年は‥‥!
なんという優しい心根の持ち主!
これが!
これが、本当の‥‥、生身の松平次郎三郎元信!
この潤んだ瞳の、470年の未来という見知らぬ地で不安と戦いながらも決してその豊かな優しさを失わない少年が‥‥‥!
こんな少年が‥‥、やがて陰謀の塊みたいに言われる人物になっていかなければならない「戦国」という世の、なんという残酷さ!
わたしが見ていたのは、ただのトクガワイエヤスという虚像‥‥‥。
「こ‥‥!」
海は、床に積まれた本の山を片手で弾き崩した。
「こんなの、ただの小説だから! 後世の人が、わずかに残っていた資料をもとに、勝手に想像して書いただけのものだから!」
海は必死な顔で元信くんの目を見る。
「だいたい、司馬遼太郎の小説にだって、築山殿はもっちゃんより10歳も年上とか書いてあったじゃん? 実際には2つだけでしょ? こんなの‥‥!」
でも‥‥‥
「嘘だから!」
でも‥‥‥
家康が築山殿を殺したのは‥‥史実だよね‥‥?
それは変わらないんだよね‥‥‥?
わたし‥‥なんて酷いことしてしまったんだろう‥‥‥。
どれでも読んでいいだなんて‥‥。迂闊な!
ファンなら‥‥推しの幸せをこそ願うべきなのに‥‥。
自分の趣味に舞い上がって‥‥配慮を欠いて‥‥‥。
「まりん殿? なぜ、そなたが泣くのだ?」
元信くんが、心配そうな顔で海の顔をのぞき込む。
海の内側から何かが噴き上がってきて、止められなくなった。
「あああああ———————————————!!」