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若者たちの空

作者: 梅田浩志

    1


「ねえ、日曜日に隣町の飛行場で、航空ショーがあるんだってさ。お祖父さんも一緒に行こうよ」

 僕は、ダウンタウンで雑貨屋の店番をしている祖父のタケシ・サコタにそう切り出した。 日曜大工用具を売るその店には、客はなく、お祖父さんはスパナの棚の補充をしていた。

「航空ショー。それは面白そうじゃな」

「じゃあ、来てくれる?」

「その前に一つ聞きたい事がある。どうして、わしを誘おうと思ったのかな?」

 お祖父さんは老眼鏡をずらして振り返り、僕の表情を伺った。

「お父さんは、仕事があるって言うし…、アルベルトのお父さんが車に乗せて行ってくれるって言うんだけど、アルベルトは、それならお祖父さんを連れてこいって言うんだよ…。ショーのアトラクションに、昔のプロペラ戦闘機の空中戦もあってね…、その…、ゼロ戦も、出るんだって…」

 僕が言う間にも、お祖父さんの顔色が見る見る厳しくなるのが分かった。

「おまえは、あの事を話したのか? みんなに…」

「お祖父さんが、昔、ゼロ戦のパイロットだったって事?」

「………」

 お祖父さんは、息を止めるように頷いた。

「それを言うとね。学校のみんなは感心していたよ。あのゼロファイターのパイロットがこの街にいるなんて、尊敬するって…。随分昔の事だし、みんな、何も…」

「………」

 僕は言ったが、お祖父さんは、言葉を失ったまま、体を固くしている。

「ごめんなさい。言っちゃいけない事だったの?」

「…いいんだよ。それは本当の事だからね…」

「………」

 お祖父さんは、老眼鏡をずらしたまま、ネジの棚の整理を始めた。

「航空ショーの事なんだが、少し考えさせてくれないか。あの飛行機は、私にとっては、余りにも重い思い出なんだよ…」

 そう言って、お祖父さんは首を振る。

「御免なさい、僕、アルベルトに断るよ」

「いやいや」

 お祖父さんは慌てて言った。「謝る事なんてないさ。ただ、少し考えさせて欲しいんだ。構わんかな?」

 お祖父さんが何を考えるつもりなのか、実際の所、僕にはよくは分からなかった。

 ただ、お祖父さんが、何か真剣な苦悩を抱えているのだろう事だけは、何となく察する事が出来た。

「うん、いいよ。アルベルトだって、気まぐれで言っただけだから…」

「すまんな、勝手な事を言って、すまん」

「…………」

 僕は黙って頷くしかなかった。

    *

 僕はマイケル・サコタ。

 お祖父さんのタケシ・サコタは、正確に言えば、僕のお祖父さんではない。

 タケシ・サコタは一九四五年の東京の空襲で、家や財産や家族や親戚の殆どを失い、戦前から既にアメリカにいた兄である僕の本当のお祖父さんを頼って、アメリカに来たのだと言う。サウス・ダコタの収容所に送られた後、ヨーロッパ戦線に駆り出され、命からがら帰った祖父と、日本からの貨物船に乗って密入国して来た文無しのタケシは、それは言い様もないような苦労の末に、兄弟でこの街に雑貨屋を開いたのだと言う話だった。

 僕が生まれた時、本物のお祖父さんは、既に、この世にはいなかった。

 代わりに僕は、長い間、タケシ・サコタを本物のお祖父さんだと思って過ごして来た。 一度、アメリカで初めて撮ったと言う二人の写真を見た事があるが、双子かと思う程、兄弟はよく似た顔をしていたので、僕にとっては、どちらがお祖父さんでも変わりはないように思えた。

    *

 航空ショーの日、結局、お祖父さんは、アルベルトのお父さんの運転するワゴン車に乗っていた。

 アルベルトと僕は、アルベルトが車の中に持ち込んだゼロ戦のプラモデルを手に、これから行われる空中戦を話題にしてはしゃいでいたが、気が付くと、お祖父さんは、固い表情のまま黙って窓の外を眺めていた。

 窓の外はネイティブ・アメリカン居留地で、そこには荒れ果てた黄色い砂地と赤い岩山しかない。

 それでも、お祖父さんは遠くを見るような目で、じっと流れる風景を見つめていた。

 僕は、お祖父さんに話し掛けようとしたアルベルトを、無言で制した。

 お祖父さんが、何か自分の人生について深い考え事をしていると思ったからだ。

 それが何なのかは僕には分からないが、きっと、お祖父さんにとっては大切な事に違いない事だけは分かった。



    2


「現在高度3000メートル。油圧、油温ともに正常。さあ、いくぜぇ!」

 緑に塗られ、胴体と機体に赤い日の丸の描かれたゼロ戦が、機体を一回転させて急旋回をする。

「壊すなよ、オヤジ! 一時間もすれば、ショーが始まるんだぜ!」

「生意気言うな、若造め! 俺はアメリカ海軍航空隊、テッド・ヤング中尉だぞ!」

 テッドの息子のアルは、自分の飛行機が心配らしく、顔をしかめてながら地上で無線を受けている。傍らにいる同僚のパイロットが、それを聞いて爆笑していた。

「どうなってるんだ。おまえのオヤジは?」

「操縦桿を握ると、昔に戻るんだそうだ…」

 その時、上空のゼロ戦からの新たな無線交信が入る。               

「敵基地発見。ただちに攻撃する!」

「おい、オヤジ、何する気だ?!」

 ゼロ戦は突然高度を下げながら、管制塔に直進してくる。

「オヤジ、止めろ! 冗談は程々にしろって」

「ファイアーッ!」

 テッドは構わずそう叫びながら、管制塔を掠めて飛び去る。

「アハハハハッ。あれが74のジイサンとはね。クレイジーだぜ。お前も相当にクレイジーなパイロットだと思ってたが、親父はそれに輪をかけてクレイジーだな。アハハハッ」

「オヤジ、いい加減にしろ! 勝手な事ばかりするなら、これからオレが、あんたを打ち落としにいくぞ!」

「ヘヘッ、グラマンで来るか? P38か?メッサーシュミットか? 何でもいいから来てみろよ。返り討ちにしてくれるぜ!」

「命令だ。基地に帰還するんだ。ヤング中尉。営倉に放り込むぞ!」

 アルは、命令口調で言う。

「おい、もう少し飛ばせてくれよ。俺は老い先短いんだぜ。おれは五十年前から、一度、コイツに乗ってみたかったんだからな…。なあ、おまえが生まれる前からだぜ…」

「勝手にしろ…」

 テッドの機は、高度を上げ続ける。

 コックピットの中で、テッドは戦争の時の忘れる事が出来ない、あのゼロ戦のパイロットの事を思い出していた。

     *

 その日、テッドのグラマンは、日本軍の南方の基地の爆撃をした。奇襲攻撃は見事なほど成功した。まさしく、出撃前のブリーフィング(打ち合わせ)の通りだった。あっと言う間に、施設の大半を破壊して、滑走路には、しばらく使い物にならないほどのダメージを与えた。

 翼に日の丸を持った多くの緑の機体が、飛び立つ前に燃え上がり、緑の帽子を被った日本兵が、執拗な機銃掃射に滑走路を逃げ惑っていた。

 敵の射撃はいかにも貧弱だ。味方には損害らしい損害はない。あらかた予定の攻撃目標を破壊した隊に、基地への帰還の命令が出るのには、ほとんど時間はかからなかった。

 編隊が、敵基地から離れようと高度を上げる。爆弾をあらかた落としてしまった後の機体はすっかり軽くなり、速度はどんどん上がっていく。背後の日本軍の基地からは黒煙が上がっている。


「後方から敵機接近!」

 後部座席に座った砲手が、突然声を上げた。

 黒煙の彼方に、一瞬、光る物が見えた。

 各機の砲手が一斉に砲撃を加えるが、そのたった一機の日本軍機は、弾丸を恐れる様子もなく、一直線に高度3000メートルに駆け上がってくる。

「くそっ、クレイジーのバンザイ野郎め!」

 砲手が叫ぶ。

『ゼロ・ファイター…』

 テッドが機種を確認した瞬間、隣を飛んでいた僚機が火を噴いた。 ゼロ戦は編隊の間を軽く横切り、急旋回をしながら、新たなターゲットに襲い掛かる。

「畜生、打ち落としてやる」

 テッドは編隊を離れ、ゼロ戦の後部を取ろうと旋回する。僚機がまた一機、火を噴いた。

 テッドが機銃を放つと、何発かの弾丸がゼロ戦の尾翼に当たったが、そこは大破するような箇所ではなかった。

 しかし、ゼロ戦はテッドの攻撃に怯んでか、編隊から距離を取っていく。

「逃がすか!」

 テッドは慌てて、ゼロ戦を追った。速度ではグラマンが勝るはずだ。必ず追い付ける。

 ゼロ戦の機体が近付く。テッドは慎重に機銃の照準をゼロ戦に合わせた。

「死ねぇッ!」

 テッドが機銃を放った瞬間。ゼロ戦が突然、視界から消えた。機銃の赤い弾丸は、何もない青空に向けて消えていく。

「消えた! 何処だ? 奴は何処だ?!」

 しばらくして、砲手が叫んだ。

「下だ! 畜生! あいつは下だ! どうして、あんな所に…」

「失速降下をしやがったんだ。何て飛行機だ。畜生。何てパイロットなんだ!」

「旋回しろ。後ろを取られたぜ!」

 ゼロ戦の機銃が火を噴き、テッドの機体に弾ける。

「畜生。やられたァーッ!」

 次の瞬間、不意にゼロ戦の機銃が止まった。

「どうしたんだ?」

 テッドが砲手に聞く。

「分からん。急に…。弾切れなのかも…」

「よし、今度はこっちの攻撃だ」

 テッドは、離れていくゼロ戦を追おうとするが、砲手がそれを止めた。

「待て、テッド! 燃料が漏れている。これ以上交戦すれば、基地まで帰れなくなるぞ!」

「クソッ! 奴もツイてやがる…」

 テッドは機首の向きを変え、高度を高く取ろうとする。

「おい、ゼロ戦を見てみろ」

 砲手が突然声を上げた。

「何してやがるんだ? あいつ」

 旋回してグラマンから遠ざかろうとしているゼロ戦のパイロットが風防を開け、身を乗り出すようにして手を振っていた。

「畜生、味な真似しやがるぜ」

 テッドも翼を振って答える。

 ゼロ戦は海に反射する太陽を背に、ゆっくりと高度を下げて行く。

 オレンジの光に溶けて行く緑の機体。テッドはあの美しい光景を、今でも忘れない。

 あのクレイジーなパイロットは、まだ生きているのだろうか?

 テッドは、このコックピットに座っていた彼を、懐かしく思いだしていた。

「サカエ二十一型エンジン。千馬力か…。いい音がするな…。オレのグラマンは二千馬力を越えていたが、こんな感触ではなかった…」

 グラマンが風を切る飛行機なら、ゼロは風に乗る飛行機だ。

 敵の飛行機ながら、当時のテッドは、その高い飛行性能に強い憧れを抱いていた。

 一度、あいつに乗ってみたいものだ…。何度もドッグファイト(空中戦)を交わし、サーカスのような急旋回で突然背後を取られ、肝を冷やした思い出は一度や二度ではない。

 しかし、それでもゼロ戦は、心の奥にあるパイロットの本能を刺激する機体だった。

 そして、五十年以上もかかって、今日、やっとテッドの夢はかなったのだった。

     *

 あの戦争で、最後にゼロ戦を見たのは、テッドが沖縄上陸に従軍した時だった。

 機関銃の一斉射撃の中、あの美しい機体が爆弾を腹に抱え、テッドの乗る空母にカミカゼをしてきた時は、震えるような衝撃を受けた。殆どの機体は目標に近付く前に、機関銃の一斉射撃の餌食となり、くるくると回りながら波飛沫の彼方へと消えて行った。

 もしかすると、あの南太平洋で戦ったパイロットも、カミカゼで死んだのかもしれない。 カミカゼのパイロット達が、このコックピットに座り、この小さな機体に命を預け、空母に向けて懸命にこの操縦桿を握っていたのかと思うと、テッドの胸に、何か熱いものが込み上げた。

「親父、もう降りろ! これは冗談じゃないぞ。ショーの前のチェックが始まるんだ」

「了解。十分だ。着陸する。ありがとう…」

 涙声を悟られないように、テッドは短く言った。



     3


 干上がった湖の底に作られたと言うその飛行場は、普段、民間のセスナ機の離発着に使っていると言う話だった。

 僕達は、少し早めに着いたのだが、見物に来た人達はすでにかなりの数になっていた。

 ショーはまだ始まっていなかったが、緑に塗られた日本軍の飛行機が、一気だけ飛行場の上を飛んでいた。

 観客席に座り、お祖父さんは、それを黙って眺めていた。

「あれが、ゼロ戦なの?」

 お祖父さんは空を見上げたまま、黙って頷く。

「世界で一番強い飛行機だったたんだよね」

 アルベルトがアイスキャンディーを齧りながら言った。

「いいや、そうでもなかったよ。ゼロ戦はいくらエンジンをいじっても千四百馬力が精一杯だが、グラマンは二千馬力だったからね。アメリカのB29は、高度一万メートルを飛んでいたよ。日本の高射砲より遥かに上をね。ゼロ戦は本来五千メートルより上で戦うようには設計されていないし、B29の高さに行くだけで、エンジンがバタバタと音を立てたもんだ。日本でもライデンと言う飛行機は二千馬力を出したし、B29の迎撃のために設計されたハヤテの方が、性能的には上だったよ」「…………」

 お祖父さんの話に、アルベルトの表情が曇った。アルベルトはゼロ戦が東洋の神秘を秘めた最高の機体だと、固く信じているのだ。「しかしな、それでも、わしらは戦わなくてはならなかった。あれは一九四五年の夏の話だ。ラジオは、まだ日本が戦争に勝てると繰り返していたが、実際に戦っている者で、そんな話を信じている者などいなかった。

 アツギの基地に、生き残りの飛行機とパイロットを寄せ集めた混成飛行団が結成されてな。私もそこにいたのだが、その夜、B29の大編隊が東京を襲ってな…。東京は燃えとったよ。無数のB29に対して、日本の戦闘機はほとんど無力だった。一緒に飛んだ僚機もB29の火力の前に、バタバタと打ち落とされてな。我々の隊は一機でも落とそうと、しんがりの二機に照準を絞って背後から飛び込んだ。しかし、敵の機銃の掃射がきつくてな。周りの戦闘機は次々に打ち落とされて行く。わしの隣を飛んどったゼロ戦も、被弾してエンジンから火を噴いてな。『すまん』と無線で一言あった後、彼はB29の胴体に向けて一直線に体当たりをしたよ…。B29の機体を包むジュラルミンが、千切れながら燃えておってな。小さな炎が夜空を幾つも漂っておった…。

 そして、背後には赤く燃える東京の景色だ。 後で分かったのだが、わたしの父も母も姉も、あの炎の中で死んでいた…」

「…………」

 アルベルトは神妙な顔をして黙りこんだ。「お祖父さんは、アメリカを恨んでないの?」

「そうじゃな。それでも、わしが戦ったアメリカのパイロットに対しては、恨みはないな」

「どうして? 家族や仲間が殺されて、お祖父さんも死んだかもしれないのに」

 お祖父さんは目を閉じ、南の島での思い出を、記憶の底から紡ぎ出す様に、話し始めた。 

   *

 お祖父さんが南の島の基地にいた時。その基地が、突然の爆撃にあった。

 当時の日本のレーダーは性能が悪く、そんな事は珍しくなかったのだそうだ。

 反撃の暇もないままに敵がどんどん爆弾を落としていく。あっと言う間に滑走路は穴だらけになり、とても飛行機の飛び立てる状態ではなくなった。それでも、お祖父さんは、周りが止めるのも聞かず、滑走路に飛び出していったと言う。離陸中に炎上した機体の残骸が、滑走路に幾つも転がっていて、立ち上がる煙で視界なんてない。

 それでも懸命に障害物をかわしながら、お祖父さんは何とか飛び上がる事が出来た。

 爆撃を終えたグラマンは、既に離脱を始めていた。お祖父さんは『逃がすものか』と思いながら、一直線にグラマンの編隊を追った。

 そして二機を落とした。しかし、その間に他のグラマンに背後を取られた。

 背後を取られる事は、戦闘機にとって致命的な事なのだそうだ

 お祖父さんの機に弾が当たった。お祖父さんはこのままでは落とされると思い。逃げるフリをして、その機をおびき寄せる事にした。

 速度ではグラマンに勝てるはずがない。グラマンが近付いた時、お祖父さんは急上昇で速度を落として、そのグラマンの背後に回り、次の瞬間、機銃のボタンに手を掛けた。

 勝った。と思った瞬間。突然、機銃が故障したのだと言う。どうしようもない。お祖父さんは、基地に戻らなくてはならなかった。

 グラマンも、お祖父さんを深追いする気はないらしく、機首を旋回して去って行った。 お祖父さんは風防を開けて、グラマンのパイロットに手を振ってみた。すると、相手も翼を振って答えたのだと言う。

 そこまで話して、お祖父さんはこう言った。

「空の上には国境はない。ただ、敵の飛行機と味方の飛行機があるだけなんだ。それでも、空にいる人間は、敵でも味方でも、みんな、大空の仲間なんだよ…」

「………」

 お祖父さんの話を聞いて、僕もアルベルトも黙り込んだ。きっと、アルベルトも意味が分からなかったのだと思う。

 どうして、殺し合いをする人間同士が仲間なのだろうか?

 しばらく考えてみたが、やっぱり僕にはよく分からなかった。

     *

 しばらくして、ゼロ戦が滑走路に滑り降りて来た。

 コックピットから降りたのは、お祖父さんと同じくらいの年の白人の老人だった。

 僕はお祖父さんを見る。

 心なしか、お祖父さんはその老人を、何か懐かしむような目で見ているようだった。



     4


 やがて、ショーが始まった。

 まず、ゼロ戦とドイツのメッサーシュミットが飛び立って、暗い音楽のかかる中、急降下爆撃で、滑走路に爆弾を落として回った。 爆弾が落ちると、滑走路に仕掛けられた火薬が爆発して、火花と黒い煙が上がった。

 けたたましいサイレンが響く。連合国のパイロットや整備士が、破裂する火花の中、なんとか機体に駆け寄る演技をして、並んだグラマンやP38を次々と飛行機を発進させる。 そして、激しい空中戦が始まった。

 最初は優勢に見えたドイツと日本の同盟国も、やがて、連合国の戦闘機に追われていく。 最後には、追い詰められたゼロ戦とメッサーシュミットが白煙を吹き上げ、きり揉み状態で同時に墜落して行った。

 打ち落とした連合国の飛行隊は、綺麗な編隊を組み、青空に白い煙を伸ばながら上昇していく。観客から拍手が沸き起こった。

 その演技に隠れるように、白煙を吹き出したゼロ戦が、静かに滑走路に降りて来た。

「ひどいよ。これじゃ、ゼロ戦は悪者だ」

 僕は言ったが、お祖父さんは微笑んでいた。「まあ、いいよ。滑走路に帰って来たんだから、帰って来ない飛行機もたくさんあったよ。例えば、カミカゼパイロットのようにな…」

 お祖父さんは、滑走路を走るゼロ戦を眺めながら言った。

「これは初めて人に話す事じゃ。実はな、わしもカミカゼのパイロットに志願したんだ…」

「………」

「………」

 僕とアルベルトは、顔を見合わせた。

「家族もおらん一人者だ。そう言う人間がカミカゼに志願するのは当たり前だと思った」

「日本が負けると分かっていたのに?」

 アルベルトが言ったが、お祖父さんはその理由を説明する事なく、ただ頷いた。

「カミカゼ隊の基地には、十八、九の若い、それこそ、パイロットとも呼べない少年達が集まっていた。彼等は生まれて初めて握った操縦桿で、南の空に散っていったんだ…」

「お祖父さんは、カミカゼをしなかったんだよね…」

 僕は言ってから、当たり前だと気付いた。

 カミカゼは自殺攻撃だ。もしお祖父さんがそれをしたなら、こうやってここにいるはずがない。

 僕らが不思議そうな顔をしているのを見て、お祖父さんは言葉を続けた。

「明日出撃と言う日の午後、戦争が終わったんだよ。突然の事だった…」

「ラッキーだったね」

 アルベルトはそう言ったが、お祖父さんは目を閉じ、ゆっくりと首を振った。

「いいや、そんな事ではないんだよ。あの日以来、わしは彼等に申し訳なくってな…。

 カミガゼをした連中や、アメリカの飛行機に落とされた人達の命を背負って、わしは、生きていかなくてはいけないと思ったんだよ。 でも、それは、わしが背負うには、あまりにも重すぎた。わしは彼等のためには、まだ何も…」

 お祖父さんは空を眺める。

 僕が生まれる前から、お祖父さんは、そんな事を考えながら生きていたのだろうか?

 本当のお祖父さんの苦悩なんて、僕には分かるはずなんかないんだろうけど、僕は、お祖父さんがとてもかわいそうに思えた。

「でも、戦争を起こしたのは日本なんだって聞いたよ。日本が悪いんだから、仕方ないよ。カミカゼ攻撃で死んだアメリカの兵隊だって、きっと沢山いたはずだよ」

 アルベルトが言った。

 僕は、アルベルトの言う事は間違いではないと思う。でも、お祖父さんは、きっとショックを受けるだろう。そんな罪を今のお祖父さんに背負わせるのは、あまりに残酷に思えた。僕は心配になってお祖父さんを見た。

 でも、お祖父さんは、アルベルトの言葉に動じる様子もなく、優しく答えた。

「ああそうだ。日本は悪いさ。でも、これだけは覚えていて欲しいんだ。わしの仲間や家族はアメリカ人に殺された。わしも、この手で、何人ものアメリカの若者を殺して来た。 もちろん、彼等が死ななくてはいけないような罪を犯したわけじゃない。でも、もしわしが少しでも躊躇していたなら、今、わしはここにはいなかっただろう。アルベルトもマイケルも、戦場に行けばやはり同じ場面に直面するんだ。兵士にとっての戦争とは、ただそれだけの事なんだからね。正義や国の誇りなんて、どこか遠くで政治家か誰かが決める事だ。戦場にあるのは、殺し合いなんだよ。 友達になれたかも知れない人々が銃を向け合う。憎しみあう必要のない人々が、お互いに殺し合うなんて、馬鹿な事でしかない。

 わしは、そう思ってるんだ…」

「…………」

「…………」

 僕もアルベルトも、声が出なかった。

 三人は、空を眺め、見事なアクロバットを続ける飛行機を見た。

「できる事ならば、あの戦争で死んで行ったパイロット達を、ここに連れて来てやりたかったな。『俺たちの機体が平和な空を飛んでるぞ』ってね…」

 お祖父さんは、僕らを向き直って、笑顔を作りながら言った。「正直な話、わしはここに来るべきかどうか悩んどったんだ。わしだけ平和な客席に座って、戦闘機を眺めるなんて、あの戦争で死んだ奴らに申し訳ないと思ってな。でも、今日ここに連れて来てくれて、本当に君らに感謝しておるよ。ありがとう。天国に行った後、今日の事をみんなに話して聞かせる事ができるよ…」

 ショーを終えた戦闘機が、ゆっくりと滑走路に降りてくる。

 そして、戦闘機は次のアクロバット飛行の軽飛行機に滑走路を譲る。

 やがて、格納庫の出口には、さっきまでショーをしていた戦闘機が、敵の飛行機も味方の飛行機もなく、みんな仲良く並んだ。

 僕達三人は、客席を降りて滑走路と観客席を仕切る柵の方へ近付いた。

     *

 今日のショーのメインは、次のアクロバット飛行の世界グランプリにあるらしかった。 彼等は世界から集まった優秀なパイロット達で、その演技力によって審査員が点数を付けて、順位によって彼等の賞金の額が決まるのだと言う。

 すぐに競技が始まったが、僕たちはそんな競技には興味がなかった。

 最初にゼロ戦に乗っていた老人が、僕たちを見付けて、笑いながら近寄って来た。

「あんたは、日本人かい?」

 彼はお祖父さんに言う。

「イエス…」

「サコタさんは、昔、ゼロ・ファイターのパイロットだったんだよ」

 アルベルトが誇らしげに付け加えると、彼は笑顔で僕達に柵の内側に入るように勧めた。

 老人は笑顔でお祖父さんに話しかける。

「もしかしたら、ワシとアンタは戦った仲かもしれない」

お祖父さんは、その人と握手をした。

「私は、元アメリカ空軍少佐、テッド・ヤングと言います」

「サコタ…、私は元日本海軍航空隊中尉、タケシ・サコタと申します」

 ヤングさんはお祖父さんに笑いかけた。

 二人の老人は、無言で笑いあっていた。

「どうぞ。こっちに来て下さい」

 ヤングさんは、お祖父さんや僕らを誘うようなしぐさをして、静かに止まっているゼロ戦に近付いた。「どうです。あなたも飛んでみませんか?」

 ヤングさんはお祖父さんに言った。

「いやいや、飛ぶには、私は年を取り過ぎた」

 お祖父さんは照れたように答える。

「何を言うんですか、私はまだ飛んでますよ」

「ああ、ショーの前に見せてもらいましたよ。見事な操縦でした。私にはあんな事はもう…。あの戦争以来、一度も操縦桿を握った事はないんですから…」

「それじゃ、せめて、コックピットに座ってやって下さい」

 お祖父さんは、ヤングさんに深く一礼をした後、ゆっくりとはしごを登り、ゼロ戦コックピットに身を沈めた。

 お祖父さんは、黙ったまま、目を閉じて俯いている。

 何を考えているのだろうか、と僕は思ったが、声なんて掛けられなかった。

 ヤングさんも、黙ったまま、じっとお祖父さんを見つめている。

 しばらくして、お祖父さんは、はしごを降りた。そして、無言のまま、機体に頬を押し付ける。

 ヤングさんは、お祖父さんに近寄り、さするように肩を抱いた。

「美しい機体です。戦争のお陰で、何度も落とされかけたが、敵の飛行機であっても、私はホレボレ見ていた…」

「ありがとう。こいつに会えて、今日は本当に良かった…。それに、ヤングさん。あなたにもね…」

「私もだ。懐かしい空の仲間に会えて、今日は本当にいい日だ…」

 そう言って、二人の老人は、静かに抱き合っていた。微笑んだヤングさんが、お祖父さんの肩を揺する。


 お祖父さんの目から、静かに涙が零れた。

 僕が、お祖父さんが泣いたのを見たのは、その時が、初めてで、そして、最後だった。        

アメリカンな小説その2です。

砲手とありますが、多分、グラマンは単座式だと思います。

『ファントム無頼』を読んで書いてみたくなったので複座式になりました。

バイクの小説(スロウ・ダウン)と同じく、と言うかそれ以上に筆者は飛行機について知りません。。。。。


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[一言] グラマン(F6F?)に砲手がいるのは変では?
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