俺、お姉ちゃんになりました4 ~理沙が家にやって来た~
「あら、怜奈ちゃん。お帰りなさい」
自宅のマンションのエントランスに入ると、聞き慣れた声がした。振り返ると、そこにはこのマンションの管理人が立っていた。実はこの管理人さんは、私たちの通う高校の理事長も兼ねている、いわば学校の最高責任者だ。いつも穏やかな笑顔を浮かべていて、物腰も柔らかい。
「ただいま、管理人さん」
私が挨拶をすると、理沙が管理人さんの顔を不思議そうに見上げている。私は理沙に、管理人さんを紹介した。
「こんにちは! 私、怜奈お姉ちゃんの従姉妹の理沙です! 今日から怜奈お姉ちゃんの家に泊まります!」
理沙は元気いっぱいに挨拶した。管理人さんは目を細めて理沙の頭を優しく撫でる。
「ええ、知っているわ。お母さんから話は聞いているわよ。理沙ちゃん、よろしくね」
管理人さんはにこやかに微笑んだ。そして、私の方に視線を移すと、少しだけ寂しそうな顔で言った。
「私、一人娘だったから、姉妹がいる人が本当に羨ましいのよ。怜奈ちゃん、理沙ちゃんのこと、大切に面倒を見てあげなさいね」
その優しい言葉に、私は思わず「はい」と答えていた。まさか、管理人さんからそんなことを言われるとは。管理人さんの言葉には、どこか心に響くものがあった。
「さあ、早くお部屋に入りなさい。二人とも疲れたでしょう?」
管理人さんに促され、私たちはエレベーターに乗り込んだ。カゴがゆっくりと上昇していく中、私は理沙の横顔を見つめた。前世の私には想像もできなかった、新しい家族の形。そして、管理人さんの優しい言葉。私の「第二の人生」は、本当に色々な出会いと発見に満ちている。
うちのマンションは、見かけによらず3LDKとそこそこ広い。私と母と父の3人暮らしにしては、むしろ広すぎるくらいだ。理沙を連れてリビングに入ると、母が笑顔で理沙を迎えた。
「理沙ちゃん、いらっしゃい! あなたの部屋はあっちよ」
母はそう言って、リビングの奥にある部屋を指差す。理沙は目を輝かせて部屋の中を覗き込んだが、すぐにしょんぼりとした顔になった。
「あ……机もベッドも、まだ来てないんだね」
そう、まだ理沙の荷物は到着していない。まあ、いきなり今日から住めと言われても、そう都合よく準備が整うものでもない。
「ごめんね、理沙ちゃん。仕方ないから、しばらくの間は怜奈の部屋で一緒に寝てくれる?」
母の言葉に、理沙は再び目を輝かせた。
「うん! 怜奈お姉ちゃんと一緒なら、どこでもいいよ!」
理沙の満面の笑顔を見て、私はまたしても複雑な気持ちになった。まさか、妹ができた気分になるとは。しかも、それは強制的なルームシェアだ。
「よし、じゃあ私、シャワー浴びてくるから」
合宿の買い出しで汗をかいたし、早くさっぱりしたかった。私はタオルを掴んで浴室へ向かう。
体を洗い始めた矢先、突然浴室のドアが「ガチャリ」と音を立てた。
「怜奈お姉ちゃん、背中流してあげるー!」
理沙の声だ! 私は慌てて体を隠し、ドアを閉めようと飛び出した。
「ひぃぃいっ!! ちょ、ちょっと待って! 今はダメ! 後でね! 後!!」
私はほとんど叫びながら、理沙を浴室から押し出した。理沙はドアの外で「えー……」と不満そうな声を上げている。まったく、この子には遠慮というものがないのだろうか。前世は男だったとはいえ、今はこの体なのだ。うっかり素っ裸を見られるわけにはいかない。
なんとか理沙を追い出し、再びシャワーを浴びる。体中に石鹸の泡をつけていると、先ほどまで感じていた疲労感が少しずつ溶けていくようだった。シャワーを終え、バスタオルで体を拭きながら怜奈の部屋に戻ると、理沙はすっかり私の格闘ゲームに夢中になっていた。コントローラーを握りしめ、画面に食い入るように見つめている。
「理沙、シャワー浴びていいよ」
「え、あ、うん! 怜奈お姉ちゃん、これめちゃくちゃ面白いね!」
理沙は目を輝かせたまま、コントローラーを私に差し出した。私はそれを受け取りながら、ニヤリと笑う。
「だろ? 後で、私と勝負しようか。ボコボコにしてやるから覚悟しとけよ」
理沙は「えー! 本当!?」と嬉しそうに声を上げた。どうやら、新たな格ゲー仲間もできてしまったようだ。予期せぬ同居生活は、思いのほか賑やかになりそうな予感がした。
「う、嘘でしょ……!?」
私はコントローラーを握りしめたまま、呆然と画面を見つめていた。画面には「YOU LOSE」の文字が虚しく表示されている。信じられない。まさか、私が、この私が、格闘ゲームで完敗するなんて。しかも相手は、今日初めて私の部屋に来た従姉妹、理沙だ。
「やったー! 怜奈お姉ちゃんに勝ったー!」
理沙はベッドの上で飛び跳ね、満面の笑みを浮かべている。その表情には、一切の遠慮がない。
「もしかして、理沙って……格闘ゲーム、好きなの?」
私が震える声で尋ねると、理沙は「うん!」と元気よく頷いた。
「大好きだよ! お父さんが昔、よくやってて、私も一緒にやってたんだ! でも、うちにはもうゲーム機ないから、久しぶりにできて嬉しい!」
なるほど。道理で強いわけだ。ただの初心者だと思っていた自分が恥ずかしい。まさか、こんな隠れた猛者が身近にいたとは。私は相当なショックを受けていた。サラリーマン時代から、格闘ゲームにかけては誰にも負けない自信があったのに、転生して女子高生になった途端、まさかの初敗北。しかも、相手は中学生くらいの女の子だ。私の格ゲー人生に、暗い影が差し込んだ瞬間だった。
気が付くと、壁掛け時計の針は夜の10時半を指そうとしていた。明日は合宿の準備で朝も早いし、いくらなんでもそろそろ寝ないと。
「理沙、もう遅いからそろそろ寝ようか」
私がそう言うと、理沙は名残惜しそうにコントローラーを置いた。
「えー、もう終わりなの?」
「明日は合宿の準備があるからね。早く寝ないと体がもたないよ」
私は部屋の明かりを消し、理沙と一緒にベッドの中に入った。
真っ暗な部屋に、外の街灯の明かりがほんのりと差し込む。普段なら一人で広々と使えるベッドも、今日は理沙と二人でぎゅうぎゅう詰めだ。
「怜奈お姉ちゃん……」
理沙が私のパジャマをぎゅっと掴んで、顔をうずめてきた。
「離れないで……」
その小さな声に、私は少しだけ驚いた。さっきまであんなに元気だったのに。何かあったのだろうか。そういえば、転生前のこの身体は、いじめが原因で自殺未遂を起こしたらしい。理沙が、それと何か関係があるのだろうか。漠然とした疑問が頭をよぎったが、今日はもう考えるのはやめよう。疲れていたし、それに理沙の温もりが心地よかった。
私は理沙の小さな頭をそっと撫でながら、ゆっくりと目を閉じ、静かに眠りについた。




