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第九話:変革の序曲、忍び寄る影

「新たな『理』を世界に浸透させ、人々がその恩恵を享受できるように導かねばならない。それは、容易なことではない」

イグニスの言葉が、王家の間に満ちる清らかな魔力の中で響いた。彼の瞳は、もはや好奇心や諦念だけではない。遥か遠い未来を見据える、強い光を宿していた。私は彼の言葉に深く頷く。契約は書き換えられた。だが、それは新たな戦いの序章に過ぎない。この千年の歪みが、たった一晩で消え去るはずがないのだ。

「ええ。共に、この世界を変えましょう」

私の言葉に、イグニスは微かに唇の端を上げた。それは、彼が見せる数少ない感情表現の一つだった。私たちは、静かに王家の間を後にした。背後では、「真の契約石」が清らかな光を放ち続けている。その輝きは、この世界に生まれた新たな希望の象徴だった。

王都の異変と民衆の声

「契約破棄の儀」を終えてから数日後、王都に異変が起こり始めた。まず、街を覆っていた霧のような淀んだ魔力が、徐々に晴れ渡っていった。空は以前よりも澄み渡り、陽光は暖かく、人々の表情も心なしか明るくなったように見える。しかし、その一方で、これまで当たり前だったことが、ゆっくりと、しかし確実に変化し始めていた。

最も顕著なのは、魔力の「流れ」の変化だった。これまでの魔力は、王家が契約によって管理し、特定の血族や術士にのみ恩恵をもたらす、いわば「独占された資源」だった。それが今、大気中に溶け込むように拡散し、誰もが感じられる「普遍的なエネルギー」へと変わりつつあった。

これまでは魔力に触れることさえできなかった一般市民の中に、突然、魔法の才能に目覚める者が現れ始めたのだ。街中では、子供たちが指先から小さな火の玉を出してはしゃいだり、老婆が壊れた壺を念じるだけで修復したりする姿が見られるようになった。最初は戸惑いや混乱もあったが、次第にそれは驚きと喜びへと変わっていった。

「見てくれ! この花、私が魔力を注いだら、こんなに鮮やかになったんだ!」

「すごいわね! 私も試してみようかしら!」

活気に満ちた声が街のあちこちから聞こえてくる。しかし、変化は良いことばかりではなかった。一部の魔術師や貴族たちは、魔力の流れの変化に困惑し、その力を失いつつあることに苛立ちを覚えていた。彼らはこれまで、魔力という特権を盾に権勢を振るってきた。その基盤が揺らぎ始めたのだ。

「何だこれは! 私の魔法が……うまく使えない!」

「貴族の証である魔力が、なぜ一般市民にも……!? こんな馬鹿なことがあっていいはずがない!」

王宮内では、貴族たちの不平不満が渦巻いていた。彼らの顔には、焦りと怒りが浮かんでいる。特に、王宮魔術師団の団長であるグラハム侯爵は、顔を真っ赤にして苛立ちを露わにしていた。彼は古くから続く魔術師の家系であり、魔力こそが貴族の絶対的な証だと信じていたからだ。

私は、イグニスと共に、その変化を静かに「観測」していた。私たちは、王宮の書斎の一室で、街の様子を映し出す魔法の鏡を前に、無言で情報を収集していた。

「思ったよりも早いな。この世界の『歪み』は、予想以上に根深かったようだ」

イグニスが、鏡に映る貴族たちの苛立ちに満ちた顔を見つめながら呟いた。彼の言葉は、どこか諦めを含んでいるようにも聞こえたが、その瞳の奥には、確かな決意が宿っている。

「これが『変革』の序曲というわけですね」

私は答えた。この混乱は、まさに私たちが望んだ「新たな理」が浸透し始めている証拠だ。しかし、同時に、その変化が摩擦を生み、新たな問題を引き起こすことも明白だった。

エドワード王子の真意と対立の萌芽

その日、書斎にエドワード王子が訪れた。彼の顔には、これまでに見せたことのない、強い意志が宿っていた。私は、彼が何を伝えに来たのか、直感的に察した。

「アリシア、イグニス殿。お二人にお話があります」

彼の声は、普段の穏やかさとは異なり、張り詰めていた。イグニスは無言で、彼を招き入れた。

「近衛騎士団からの報告で、王都全体で魔力の質に異変が起きていると聞きました。そして、その原因が、地下研究室にあると……」

エドワード王子は、私たちをまっすぐに見つめた。彼の瞳には、疑惑と、そして何よりもこの国を憂う心が宿っていた。

「そして、その地下研究室には、アリシアとイグニス殿が連日出入りしている。私が知る限り、王族ですらその場所の全貌を知る者は少ない。一体、そこで何をなさっているのですか?」

彼の問いかけは、ストレートで、容赦がなかった。私は、彼にどこまで真実を話すべきか迷った。しかし、イグニスは私の隣で、静かにエドワード王子を見つめていた。彼の視線は、まるで私の返答を促しているかのようだった。

「私たちは、この世界の『歪み』を正すために、ある儀式を行いました」

私は決意を込めて答えた。隠し通せることではない。それに、彼もこの世界の変化に気づいている。

「『歪み』……? それは、一体何を指すのですか?」

エドワード王子の声に、さらに緊張が走る。私は、初代国王の契約と、それが世界にもたらした歪みについて、簡潔に説明した。魂を喰らい、世界の滅びを招く契約。そして、それを「魂を育む」新たな理へと書き換えたこと。

私の話を聞くうちに、エドワード王子の表情は驚きと混乱に満ちていった。彼は、これまで信じてきた王家の歴史と国の成り立ちが、根底から覆される事実に直面しているのだ。

「そんな……馬鹿な。王家の契約は、この国の繁栄の源だと、代々伝えられてきた……」

彼の声には、動揺が隠せない。彼の抱いてきた国の常識、そして王族としての誇りが、今、崩れ去ろうとしていた。

「それは、歪んだ繁栄だったのです、エドワード王子。魂を代償にした、偽りの平和。そして、その代償は、千年かけてこの世界を緩やかに滅ぼそうとしていた」

イグニスが、初めて口を開いた。彼の声は静かだったが、その言葉には揺るぎない真実が込められていた。

「この世界の魔力が変化したのも、そのためです。これまで王家が独占してきた魔力が、契約の書き換えによって、本来あるべき姿に戻り、大気中に開放された。これが、新たな『理』です」

エドワード王子は、私たちを交互に見つめ、その瞳は深く思考していた。彼は、この真実を受け入れるべきか、拒絶すべきか、葛藤しているようだった。

「では、貴方たちは……この国の『秩序』を乱そうとしている、と?」

彼の問いかけには、微かな怒りの色が混じっていた。彼は、これまで貴族たちが築き上げてきた秩序を守ろうとしているのだ。

「秩序ではありません。『歪み』を正そうとしているのです。このままでは、この国は、そして世界は緩やかに滅びていく」

私は力強く反論した。

「しかし、この変化は、混乱を招くでしょう! 貴族たちの反発は免れません。それに、長年培われてきた魔術の体系も、全てが無駄になる」

エドワード王子の言葉は、現実的な問題点を指摘していた。彼の懸念は、もっともだ。

「新たな『理』には、新たな『秩序』が必要となる。そのために、私たちは力を尽くす」

イグニスはそう告げると、エドワード王子をまっすぐ見据えた。彼の視線は、彼を試すかのように鋭かった。

「エドワード王子。貴方は、この国の未来をどうしたい? 歪んだ平和の中で滅びを待つか、それとも、真の繁栄を築くために、この『変革』を受け入れるか」

イグニスの問いかけに、エドワード王子は沈黙した。彼の表情は、深い苦悩に満ちていた。彼の心の中で、長年の信念と新たな真実が激しく衝突しているのが見て取れた。

「私は……私に、考えさせてください」

エドワード王子は、そう言うと、深く一礼して書斎を後にした。彼の足取りは、どこか重かった。彼がどちらの道を選ぶのか、私にはまだ分からない。しかし、彼がこの世界の『歪み』に正面から向き合い始めたことは確かだ。

「新たな理」への抵抗と、差し伸べられた手

エドワード王子との会話の後、王宮内での緊張はさらに高まった。貴族たちの不満は頂点に達し、中には「王家への反逆だ!」と公然と叫ぶ者も現れた。特に、グラハム侯爵率いる魔術師派閥は、今回の魔力変動を強く非難し、イグニスと私を「国の秩序を乱す者」として糾弾し始めた。

「イグニス殿! アリシア様! この度の魔力の異変は、貴方たちが地下研究室で何かをしたせいでしょう! 貴方たちは、この国の繁栄の根幹を揺るがしている!」

王宮の廊下で、グラハム侯爵が怒鳴りつける。その顔は憎悪に歪んでいた。彼の背後には、彼の派閥に属する魔術師や貴族たちが、まるで威嚇するように立ちはだかっている。

「侯爵。貴方方が享受してきた『魔力』は、長きにわたりこの世界の魂を喰らい続けてきた、歪んだ力だ」

イグニスは、変わらぬ無表情でグラハム侯爵を見つめ、静かに答えた。彼の言葉は、侯爵の怒りにさらに油を注いだ。

「戯言を! 我々魔術師は、この国の繁栄のために尽くしてきたのだ! その魔力を奪うなど、許されることではない!」

グラハム侯爵は、右手を振り上げ、私に向かって火の玉を放った。しかし、以前とは異なり、その火の玉は勢いを欠き、私の手前で消滅した。魔力の質が変化したことで、彼の魔法は弱まっていたのだ。

「残念でしたね、侯爵。あなたの力は、もう以前のようには機能しません」

私は冷静に告げた。侯爵の顔が、怒りから絶望へと変わる。

「貴様……! よくも……!」

その時、意外な人物が私たちの前に立ちはだかった。近衛騎士団長のオルフェウスだった。彼の顔は、冷静沈着そのものだったが、その瞳には強い決意が宿っていた。

「侯爵、お控えください。王宮内で騒ぎを起こすのはご法度です」

オルフェウスの言葉に、グラハム侯爵はさらに顔を歪ませたが、彼に逆らうことはできなかった。オルフェウスは、武力においては侯爵を遥かに凌駕する存在だったからだ。

オルフェウスは、私たちに向き直ると、静かに頭を下げた。

「アリシア様、イグニス殿。私は、今回の魔力変動について、独自の調査を進めておりました。そして、それが王家の『契約』と関連していることを、薄々ですが察しておりました」

彼の言葉に、私は驚きを隠せない。彼は、この世界の『歪み』に気づいていたのか?

「近衛騎士団は、王家の秩序を守ることを至上としております。しかし、その秩序が、もしこの世界に破滅をもたらすものであれば、それは『歪み』です。私は、真の『秩序』とは何か、深く考えておりました」

オルフェウスは、まっすぐイグニスを見つめた。

「イグニス殿。貴方が、この世界の『歪み』を正そうとしていることを、私は信じたい。そして、その『新たな理』が、真にこの世界を繁栄に導くのであれば、私は貴方たちに協力する準備があります」

彼の言葉は、私たちにとって大きな助けとなるものだった。オルフェウスは、王宮内の武力を統括する人物だ。彼の協力があれば、貴族たちの反発を抑え、新たな理を浸透させるための大きな力となるだろう。

「オルフェウス殿。貴方の協力に感謝する」

イグニスは、珍しく彼の名前を呼び、静かに答えた。彼の言葉には、信頼と、そして微かな期待が込められているようだった。

「ただし、一つ条件があります」

オルフェウスは、真剣な眼差しでイグニスを見た。

「今回の『変革』が、本当にこの世界を良い方向へ導くものなのか、私はこの目で『観測』させていただきます。もし、それが望まぬ結果をもたらすのであれば、その時は、私も剣を抜くでしょう」

イグニスの「観測者」という言葉に、オルフェウスもまた「観測者」として立ち位置を明確にしたのだ。彼は、私たちを盲目的に信じるのではなく、自らの目で真実を見極めようとしている。その姿勢は、彼の誠実さと、この国への深い忠誠心を示していた。

「構わない。望むところだ。だが、その剣が振るわれることはないだろう。この『変革』は、必ずこの世界に真の繁栄をもたらす」

イグニスの言葉には、揺るぎない自信が満ちていた。

新たな同盟と、迫る決戦

オルフェウスの協力は、私たちにとって非常に大きな転換点となった。彼は、王宮内の武力と情報を掌握しており、彼を通じて、私たちは「新たな理」の情報を慎重に、そして着実に広めていくことができるようになった。

イグニスは、新たな魔力の流れを研究し、それを誰もが使えるようにするための魔法理論の構築に没頭した。彼の知識は膨大で、これまで隠されてきた魔法の真理が、次々と解き明かされていく。

私は、アリシアとして、貴族社会での社交術を使い、新しい情報を慎重に広めていった。特に、これまで魔力を持たなかった下級貴族や平民の中から、魔法の才能に目覚めた人々を支援し、彼らを新たな時代の担い手として育成することに力を入れた。彼らの喜びの声は、既存の貴族たちの不満の声をかき消すかのように、王都全体に響き渡っていった。

「アリシア様のおかげで、私も魔法が使えるようになったわ!」

「本当に! これまで叶わなかった夢が、ようやく叶いそうよ!」

感謝の言葉を投げかけられるたびに、私の「純粋な欺瞞」が、真の喜びへと変わっていくのを感じた。弟を守るために築いた孤独な仮面が、今、この世界の人々を救う力へと昇華している。

しかし、全ての者が「新たな理」を受け入れたわけではなかった。グラハム侯爵率いる保守派貴族たちは、秘密裏に結集し、私たちへの対抗策を練り始めていた。彼らは、王家の権威と、既存の秩序が崩壊することを何よりも恐れていた。

そして、エドワード王子は……。彼は、未だ沈黙を続けていた。オルフェウスからの情報によれば、彼は日夜、王家の歴史書や魔法書を読み漁り、何かを探しているという。彼の選択が、この世界の未来を大きく左右するだろう。

「相沢結衣。準備はいいか?」

ある夜、イグニスが書斎で私に問いかけた。彼の目の前には、完成したばかりの魔法陣が描かれた古びた地図が広げられている。それは、王都の地下水路の地図だった。

「王都の地下に、古い契約がまだ残っている場所がある。それは、初代国王が契約を交わした際に、魔力を安定させるために築かれたものだ。そこに、歪んだ魔力の残滓が凝り固まっている」

イグニスの指が、地図のある一点を指した。そこは、王都の最も古い地区の地下を示していた。

「『新たな理』を完全に浸透させるためには、その残滓を完全に浄化する必要がある。だが、そこは強力な結界で守られており、正面からでは突破できない」

彼は私をまっすぐ見つめた。

「そこで、お前の出番だ。お前の『純粋な欺瞞』は、既存の『理』を欺き、その隙間を縫うことができる。お前が、その結界を欺き、内部に侵入して浄化するのだ」

それは、まるで私にしかできない使命だった。そして、そこには、必ずやこの「変革」を阻止しようとする者たちが待ち構えているだろう。

「分かったわ。やります」

私は迷いなく答えた。私の心には、もう迷いはなかった。孤独だった私の人生は、今、この欺瞞の魔術師と共に、世界の運命を賭けた壮大な物語へと変わっていく。

夜の帳が降り、王都は静寂に包まれる。しかし、その静寂の裏で、新たな戦いが始まろうとしていた。


第十話へ続く


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