第八話:『共犯者』の誓い
脈打つ深紅のクリスタルが、澄み切った透明な輝きを放つ「浄化の核」へと変貌した瞬間、地下研究室に満ちていた重苦しい空気は一変した。瘴気のような負の感情は消え去り、代わりに清らかな魔力が空間を満たしている。それはまるで、千年の時を経てようやく、世界が深い呼吸を取り戻したかのような感覚だった。
私は目の前の透明なクリスタルを見つめる。その内部には、無数の光の粒が静かに瞬き、宇宙の星々を閉じ込めたかのように幻想的だ。触れるとひんやりとしながらも、そこからは安らぎと、微かな希望のような温かさが伝わってくる。あれほど私を苦しめた「呪いの核」が、まさかこれほどまでに清浄な姿へと変わるとは。信じられない思いと同時に、私の内側から静かな達成感が込み上げてきた。
「成功だ……! 完全に浄化されたわけではないが、呪いの核は、本来の形を取り戻し始めている」
隣に立つイグニスの声が、歓喜に震えている。普段の彼からは想像もできないほどの、明確な喜びの感情がそこにはあった。その表情は、普段の冷徹な仮面を剥ぎ取られた、無邪気な少年のようにも見えた。彼の瞳は、浄化されたクリスタルと同じように、どこまでも深く澄んだ青色をしていた。その光景を目にし、私の胸に温かいものが込み上げてくる。彼は本当に、この呪いを解き、世界を変えることを心から望んでいるのだと、改めて確信した瞬間だった。
「私の……力で……?」
私は自分の両の掌を見つめた。まだその奥には、微かに温かい光の残滓が感じられる。それが、あの激痛の中でクリスタルへと流れ込み、この奇跡を起こした力なのだろうか。私の、相沢結衣としての「孤独」と、アリシアとしての「純粋な欺瞞」が、本当に世界を変える力になったのだ。その事実に、畏れと、そして小さな誇りのような感情が胸に広がる。
「そうだ。お前の『純粋な欺瞞』が、この千年の絶望を打ち破った。これで、王家が交わした『契約』を破棄する準備が整った」
イグニスはそう言うと、私の手からそっと手を離した。ひんやりとしていた彼の指先が離れると、途端に空間の温度が数度下がったような気がした。そして、彼の顔は再び、普段の無表情に戻っていた。しかし、彼の瞳の奥には、私を見るたびに、以前よりも深い信頼と、そして微かな温かさが宿っているように感じられた。それは、私たち二人の間に、新たな絆が生まれたことを示しているかのようだった。
彼は一歩下がり、浄化されたクリスタルと私を交互に見つめる。その視線は、まるでこの状況を注意深く「観測」しているかのようだった。
「まだ終わりではない。これからが、本当の始まりだ。この世界の『歪み』を正し、新たな『理』を築くために。お前は、私の『観測者』であり、この『変革』の『共犯者』となる」
彼の言葉は、まるで厳かな誓いのようだった。私は彼の言葉に深く頷く。孤独だった私の人生が、今、この欺瞞の魔術師と共に、世界の命運を賭けた壮大な物語へと変わっていく。その重みに、身が引き締まる思いだった。浄化されたクリスタルから放たれる清らかな光が、地下研究室を優しく照らしていた。それは、この世界の、そして私たちの未来を祝福しているかのようだった。
新たな目覚めと、交錯する思惑
地下研究室を出て、私は久しぶりに自室に戻った。クリスタルを浄化したことで、私の体には深い疲労が残っていたが、精神はかつてないほど研ぎ澄まされ、満たされていた。目覚めてすぐ、私は自分の変化に気づいた。五感、特に魔力の感知能力が格段に上がっていたのだ。部屋の隅に置かれた観葉植物の生命力、窓から差し込む朝日の暖かさ、遠くで聞こえる鳥のさえずり、それら全てが以前よりも鮮明に、はっきりと感じ取れた。
「これは……」
自分の掌を見つめると、薄っすらとだが、温かい魔力の光が感じられた。それは、クリスタルを浄化した際に私の中に宿った力だろう。もはや、ただの悪役令嬢アリシアではない。相沢結衣としての私と、アリシアとしての私が完全に融合し、新たな存在へと変容したような感覚だった。
その日、私は自室で静かに過ごした。イグニスからの指示はなく、彼もまた、クリスタル浄化の余波で疲弊しているのかもしれない。私は、この「浄化の核」と私自身の変化について深く思考を巡らせた。
初代国王がイグニスと交わした「契約」。それは、魂を代償に世界の秩序と豊穣を願うものだった。しかし、イグニスの言葉によれば、その契約は魂を歪め、緩やかな滅びへと導くものだったという。そして、それを正すのが、私の「純粋な欺瞞」――愛する弟を守るために選んだ、孤独な道だった。私の孤独と欺瞞が、世界の歪みを正す力になるとは、皮肉なものだ。
私は窓の外に目をやった。王都の街並みは、今日も穏やかな喧騒に包まれている。だが、この平和が、魂を食らう「契約」の上に成り立っているのだとしたら? ゾッとするような真実が、私の胸を締め付けた。王家の栄光の裏に隠された、あまりにもおぞましい代償。この真実を、私はどう受け止め、どう活かしていくべきなのだろうか。
動き出す策謀の歯車
数日後、イグニスから呼び出しがあった。再び訪れた地下研究室は、以前にも増して厳粛な雰囲気を漂わせている。中央には、穏やかな光を放つ透明なクリスタルが鎮座し、その輝きは以前よりも力強さを増しているように見えた。
「相沢結衣。準備は整ったか?」
イグニスは、いつもの無表情で私を見つめた。しかし、彼の瞳の奥には、隠しきれないほどの期待と、そして微かな高揚感が宿っているように感じられた。
「はい。いつでも」
私は迷いなく答えた。もはや、立ち止まっている暇はない。この世界の歪みを正すため、そして何より、私自身の行く末のためにも。
「よろしい。では、これより『契約破棄の儀』について説明する」
イグニスは、クリスタルに手をかざしながら語り始めた。彼の声は、まるで古代の吟遊詩人のように、地下研究室に響き渡る。
「浄化された『呪いの核』は、初代国王が交わした契約の『起点』であり、『終点』でもある。この核を通じて、我々は契約を遡り、その根源を断ち切る」
彼は言葉を区切り、私をまっすぐ見つめた。
「儀式は二段階に分かれる。第一段階は、このクリスタルに蓄積された歴代王族たちの魂の残滓、特に初代国王の魂の『揺らぎ』を完全に鎮めること。これにより、契約の鎖を緩める。そして第二段階は、王城最上階に存在する『王家の間に眠る真の契約石』に触れることだ。そこは、契約の『終点』であり、同時にこの世界の魔力の『源泉』ともなっている」
「真の契約石……?」
私は聞き返した。そんな石があるとは、これまで一度も聞いたことがなかった。
「ああ。それは、王家の血族にしか触れることのできない結界で守られている。そして、そこに刻まれた術式は、契約の全てを記録している」
イグニスの言葉に、私は理解した。つまり、王家の血を引くアリシアでなければ、その石に触れることすらできないということだ。
「私が、その『真の契約石』に触れれば、契約は破棄される、と?」
「正確には、お前がその石に触れることで、浄化されたこのクリスタルと、その真の契約石が共鳴し、契約そのものが書き換えられる。ただし、その際、契約を破棄することによって生じる、膨大な魔力の奔流がお前に流れ込むだろう。それを制御できるのは、お前の『純粋な欺瞞』という特殊な精神性だ」
イグニスの目は、私の精神性を見透かすように、深く、冷たく輝いていた。
「私がその奔流を制御することで、契約は『魂を喰らう』ものから、『魂を育む』ものへと変質する。つまり、世界は緩やかな滅びから、繁栄へと向かう」
彼の言葉は、あまりにも壮大で、私の想像を遥かに超えていた。しかし、その実現に向けた彼の揺るぎない覚悟と、私への信頼が、私の背中を強く押した。
「分かったわ」
私は力強く頷いた。もう後戻りはできない。私とイグニス、そしてこの世界の未来のために。
「契約破棄の儀は、今宵、月が最も高く昇る時に執り行う。それまで、心身を整えておけ」
イグニスはそう告げると、奥の書棚へと向かっていった。私は、彼の言葉の意味を反芻するように、浄化されたクリスタルを見つめていた。私の魂は、本当にこの世界の運命を左右するほどの力を持っているのだろうか?
王宮の闇、忍び寄る影
その日の午後、私は王宮図書館に足を運んだ。イグニスの言葉にあった「真の契約石」について、何か情報がないかと探るためだ。しかし、王家の歴史に関する文献は厳重に管理されており、私が閲覧できるものはごく限られていた。
「アリシア様、何かお探しですか?」
背後から、優しい声が聞こえた。振り返ると、そこには宰相の息子であり、私のかつての婚約者、エドワード王子が立っていた。彼の顔には、以前のような冷たさはなく、どこか憂いを帯びた表情をしていた。
「ええ、少し」
私は平静を装って答えた。エドワード王子とは、婚約破棄以来、まともに会話をしていなかった。彼が何を考えているのか、私には全く読めなかった。
「王家の歴史にご興味がおありで?」
エドワード王子は、私が手にしていた文献に目を留めた。それは、初代国王の功績について記された、一般的な歴史書だった。
「ええ。この国の歴史を知ることは、悪役令嬢としての私の務めですから」
自嘲気味にそう言うと、エドワード王子は微かに眉をひそめた。
「……アリシア、君は本当に、自分が悪役だと考えているのか?」
彼の問いかけに、私は一瞬言葉に詰まった。私にとって「悪役」は、弟を守るための仮面だった。しかし、彼の真剣な眼差しは、私の心の奥底に触れようとしているようだった。
「少なくとも、この国の人々にとっては、そうなのでしょう?」
私は曖昧に答えた。それ以上、彼に踏み込まれたくはなかった。
「……そうだな。だが、私は違うと信じている。君は、誰よりもこの国のことを考えていた」
エドワード王子の言葉に、私は内心動揺した。彼が何を根拠にそう言っているのか、皆目見当がつかなかった。
「……どういう意味ですか?」
私が問い返すと、彼は少し迷った様子を見せた後、静かに口を開いた。
「私は、近衛騎士団長のオルフェウスから、君が最近、地下研究室に出入りしていると聞いた」
彼の言葉に、私の心臓が跳ね上がった。オルフェウスが、私の行動を監視していたというのか? いや、それよりも、エドワード王子がなぜそのことを知っているのか。
「それが、何か?」
私は警戒を強めた。
「あの地下研究室は、王家の秘術が封じられている場所だと聞いている。君がそこで何をしているのかは知らないが……どうか、身の安全には気をつけてくれ」
エドワード王子は、それだけ言うと、深く一礼して立ち去っていった。彼の言葉は、まるで警告のようだった。地下研究室の存在は、王家の人間でも知る者は少ないはずだ。それをエドワード王子が知っていたこと、そして私の行動を把握していたことに、私は深い疑惑を抱いた。彼もまた、この世界の「歪み」に気づいているのだろうか?
あるいは、私たちが進めている「契約破棄の儀」を、何らかの形で阻止しようとしているのだろうか? 王族にとって、「契約」は国の繁栄の源だ。それを破棄しようとする私の行動は、彼らにとっては裏切りと映るかもしれない。王宮の奥で、何かが動き出している予感に、私は静かに身震いした。
月下の儀式、開かれし扉
夜が訪れた。満月が王都の空に輝き、その光は地下研究室の窓からも差し込み、浄化されたクリスタルを淡く照らしていた。私は、儀式のためにイグニスが用意した、簡素な白いローブを身につけていた。冷たい石の床が足元に心地よい。
イグニスは既にクリスタルの前に立っており、その目は月光を宿したように輝いていた。彼の横顔には、普段の無表情に加え、張り詰めた緊張感が漂っている。
「相沢結衣。来るべき時が来た」
彼の言葉に促され、私はクリスタルの前に進み出た。クリスタルの光は、私を呼ぶかのように脈動している。私はその光に導かれるように、静かに目を閉じた。
「お前の『純粋な欺瞞』を、再びこのクリスタルにぶつけるのだ。初代国王の魂の揺らぎを完全に鎮め、契約の鎖を解き放て」
イグニスの声が、私の意識の奥底に響く。私は、私の魂の奥底に眠る「純粋な欺瞞」――愛する弟を守るため、一人で戦ってきた私の全てを、クリスタルへと解き放つイメージをした。
温かい光が、再び私の体内から溢れ出し、クリスタルへと流れ込んでいく。その瞬間、私の意識は、再び深く、暗い淵へと引きずり込まれる。しかし、今回は以前のような恐怖はなかった。私の心には、イグニスと共にこの世界の歪みを正すという、確固たる決意が宿っていたからだ。
無数の光の粒が、目の前に現れる。それは、初代国王の魂の残滓。しかし、以前のように負の感情の奔流として押し寄せるのではなく、穏やかな光の粒子として漂っている。その光の粒の一つ一つが、初代国王の苦悩、そして彼が国を救うために払った代償の記憶を静かに伝えてくる。
――私は、間違っていたのだろうか……。
――この選択は、本当に民のためになったのだろうか……。
初代国王の魂の揺らぎが、微かに伝わってくる。彼の魂は、自らが交わした契約によって、千年もの間、安らぎを得られずにいたのだ。私は、彼の魂の揺らぎにそっと寄り添うように、私の「純粋な欺瞞」の光を重ね合わせた。それは、弟を守るために自ら孤独を選んだ私の共感と、彼が国を守るために払った犠牲への理解だった。
「あなたは、間違っていなかった……。その選択は、あなたの民を救うための、純粋な願いだった……!」
私の声が、意識の深淵に響き渡る。その瞬間、初代国王の魂の揺らぎが、すっと静まっていくのを感じた。光の粒が、まるで感謝を示すかのように、穏やかに輝きを増していく。そして、クリスタル全体が、かつてないほどの清らかな光を放ち始めた。
「成功だ、相沢結衣! 契約の鎖は緩んだ!」
イグニスの声が、鼓膜を震わせる。意識が浮上し、私はゆっくりと目を開けた。目の前のクリスタルは、まばゆいばかりの光を放ち、その内部で光の粒がまるで呼吸しているかのように、規則的に明滅していた。
「では、次は王家の間へ」
イグニスは、迷いなく王宮の奥へと続く通路を指差した。彼の瞳は、次に起こるであろう変革への期待に満ちていた。
真の契約石、そして明かされる真実
王宮の最上階。そこに「王家の間」はひっそりと存在していた。厳重な結界が張り巡らされ、王族以外の侵入を許さない空間。イグニスの魔力と私の力が共鳴し、結界が解かれた瞬間、私はその荘厳な空間へと足を踏み入れた。
部屋の中央には、巨大な祭壇が据えられ、その上には、まるで宇宙の縮図のように、無数の星々を閉じ込めたかのような透明な石が鎮座していた。それが「真の契約石」だった。その石からは、想像を絶するほどの魔力が放たれており、それはこの世界の魔力の源泉そのものだった。
「これに触れるのだ、相沢結衣。お前の全てをかけて」
イグニスの声は、どこか厳粛だった。私は覚悟を決め、祭壇へと歩み寄った。石に刻まれた古代の術式紋様が、まるで生きているかのように蠢いている。それは、千年の時を刻み続けてきた、契約の証。
私は深呼吸をして、震える指先を「真の契約石」に触れさせた。その瞬間、石から膨大な魔力の奔流が、私の体内に流れ込んできた。それは、魂が引き裂かれるかのような激痛だった。私の全身を、この世界の魔力全てが駆け巡る。あまりの痛みに、視界が歪み、意識が飛びそうになる。
――耐えろ、相沢結衣! お前の『純粋な欺瞞』を、この奔流にぶつけるのだ!
イグニスの声が、遠くで聞こえる。私は、歯を食いしばって耐えた。私の「純粋な欺瞞」――弟を守るために選んだ私の孤独と、その中にある確かな愛。その感情を、魔力の奔流へとぶつける。痛みの中で、私の脳裏に再び幻覚が広がった。
それは、初代国王の契約の瞬間だった。しかし、以前とは異なる視点から、まるで彼自身の意識に同調したかのように鮮明に映し出される。
荒れ果てた大地。飢えと疫病に苦しむ民。絶望の淵に立たされた国王は、天を仰いで嘆いていた。その時、フードを被った若きイグニスが、彼に語りかける。
――この世界は、お前の手で変えられる。代償を払えば、お前の望む全てを与えよう。
その声は、甘く、しかしどこか虚ろだった。国王は迷い、苦悩した。しかし、目の前の民の苦しみを前に、彼は最後の選択をしたのだ。
「この地に、秩序を。この民に、豊穣を。私の魂を代償に、全てを捧げよう……」
初代国王の涙は、純粋な願いだった。その魂が、クリスタルへと吸い込まれていく。その光景は、あまりにも美しく、神聖な儀式のように見えながら、同時にあまりにも残酷だった。
しかし、その幻覚の奥に、新たな映像が差し込んできた。それは、契約を交わした後、イグニスが初代国王に語りかける姿だった。
「初代国王よ。この契約は、貴方の魂を代償とするが、同時に貴方の願いを永遠に世界に刻み込むものだ。貴方の意思が続く限り、この世界は繁栄するだろう」
イグニスの言葉は、彼が「観測者」としてではなく、「協力者」として、初代国王と対等な立場にあったことを示唆していた。彼は、単なる傍観者ではなかったのだ。
そして、幻覚はさらに奥へと進む。イグニスが一人、地下研究室でクリスタルを見つめている場面。
「魂を喰らい、存在を歪める……。私が求めたのは、このような『変革』ではなかった」
彼の声は、深い絶望と、後悔に満ちていた。彼は、自らの好奇心が招いた結果に、深く苦悩していたのだ。彼の瞳からは、一筋の涙が零れ落ちる。それは、冷徹な「観測者」としての彼からは想像もできない、人間的な感情だった。
――彼は……彼もまた、この世界の犠牲者だったのか……?
私の脳裏に、衝撃が走った。イグニスは、単に好奇心から契約を交わしただけではなかった。彼は、この世界の歪みを理解し、それを変えようと模索していたのだ。しかし、彼の知識では、その歪みを完全に制御することはできなかった。そして、彼自身もまた、その歪みの一部となってしまっていたのだ。
幻覚は、再び私の過去の記憶へと戻る。満員電車の中で感じた孤独。誰にも頼れず、一人で全てを抱え込んできた私の人生。そして、トラックに轢かれる寸前に思ったこと。
――もっと、誰かの役に立ちたかった。誰かを、心から愛したかった。このまま死ぬなんて、嫌だ……。
その純粋な願いが、私の魂の奥底で輝きを放ち、魔力の奔流を少しずつ制御していく。痛みは和らぎ、代わりに温かい光が私の体内を駆け巡る。私の魂が、前世と今世の境界を越え、一つの大きな流れとなっていく。
「私の欺瞞は、純粋な願いのためにある……!」
再び、私は心の中で叫んだ。すると、「真の契約石」から放たれる光が、今まで以上に輝きを増した。その光は、私が浄化したクリスタルから放たれる光と共鳴し、二つの光が一つになって、王家の間全体を包み込んだ。
新たな『理』の誕生
光が収束し、激痛が完全に消え去った時、私は「真の契約石」から手を離した。その石は、以前と同じようにそこに鎮座していたが、その輝きは、まるで生まれたての星のように、清らかで力強かった。そして、石に刻まれた術式紋様もまた、以前よりも複雑に、そして美しく変化していた。
「成功した……。契約は、書き換えられた」
イグニスの声が、安堵に満ちていた。彼の顔には、普段の無表情に加え、達成感と、微かな疲労の色が浮かんでいる。彼の瞳は、私が浄化したクリスタルと同じ、深く澄んだ青色をしていた。
「これが……新たな『理』……」
私は「真の契約石」を見つめた。その石からは、今までの「魂を喰らう」ような禍々しい魔力ではなく、清らかで、生命力に満ちた魔力が放たれている。この世界は、もう魂を代償にする必要はない。この魔力が、世界を豊かに育んでいくのだ。
「ああ。初代国王の願いは、歪んだ形で実現されていたが、今、お前の『純粋な欺瞞』によって、本来の姿を取り戻した。魂を育み、世界に恩恵をもたらす『理』へと」
イグニスは、そう言うと、私の手を取った。彼の指先は、ひんやりとしていたが、そこに確かな温もりが宿っているように感じられた。それは、これまで私が一人で抱えてきた重荷を、彼が共に背負ってくれるという、無言の約束のように思えた。彼の冷たい手が、私という存在を、この世界に確かに繋ぎ止めるアンカーのようだった。
「お前は、この世界の『境界』に立っている。過去と現在、この世界と異世界。その全てを繋ぎ、変革する存在なのだ」
イグニスの言葉は、私の心を深く揺さぶった。私はもはや、異世界に転生しただけの人間ではない。この世界の歪みを正し、新たな未来を築くための、重要な役割を担う存在となったのだ。孤独だった私の人生は、今、この欺瞞の魔術師と共に、世界の命運を賭けた壮大な物語へと変わっていく。
「まだ、全てが終わったわけではない」
イグニスは、再び無表情に戻り、真の契約石へと視線を向けた。
「契約は書き換えられたが、その余波はまだ残っている。この世界の歪みは、根深く、簡単には消え去らない。そして、何よりも……この『変革』を望まない者たちもいるだろう」
彼の言葉に、私はエドワード王子の顔を思い出した。彼は、この「変革」に気づいているのだろうか? そして、その真意は?
「私たちは、これからこの『新たな理』を世界に浸透させ、人々がその恩恵を享受できるように導かねばならない。それは、容易なことではない」
イグニスの瞳には、未来を見据える強い光が宿っていた。彼は、この世界の「観測者」として、そして「共犯者」として、私と共にこの道を歩む覚悟を決めている。
私は深く頷いた。彼の言葉の重さを理解し、私の心にも、新たな決意が芽生えていた。
「ええ。共に、この世界を変えましょう」
私たちの前に広がる道は、険しいものだろう。しかし、私はもう一人ではない。イグニスという、最も理解しがたいが、最も信頼できる共犯者がいる。
王家の間に満ちる清らかな魔力が、私たち二人を優しく包み込む。それは、新たな物語の始まりを告げる、静かな祝福のようだった。
第九話へ続く