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第七話:魂の共鳴、歪む過去と真実の光

あの夜、イグニスが見せた初代国王の『契約』の幻覚は、私の脳裏に焼き付いて離れなかった。 王家の栄光の裏に隠された、魂を代償とするおぞましい真実。そして、その契約の張本人がイグニスだったという衝撃。まるで、物語の根幹が揺らぐようなその記憶を抱えたまま、私は再び地下研究室の中央、脈打つ深紅のクリスタルの前に立っていた。その輝きは、もはや単なる負の感情の集合体ではなく、千年の欺瞞と悲劇の歴史そのものに見えた。イグニスは、変わらぬ無表情で私を見つめている。彼の瞳の奥には、私と同じ、この世界の『歪み』を見つめる深い諦念と、それでもなお真実を求める探究心が宿っていた。

地下研究室は、これまで以上に張り詰めた空気に満ちていた。壁に刻まれた古代の術式紋様が、イグニスの放つ魔力と共鳴し、微かに明滅している。部屋の中央に鎮座する、脈打つ深紅のクリスタル――「呪いの核」は、まるで私の心臓と同期しているかのように、ドク、ドクと重く脈打っていた。私はクリスタルの傍らに立ち、イグニスの指示に従って目を閉じる。第五話で感じた「魂の共鳴」が、今、さらに明確な形となって私に迫っていた。視界が暗闇に閉ざされていても、クリスタルから放たれる熱と、そこに渦巻く負の感情の奔流が、肌に、魂に、直接触れるようだった。

「集中しろ、相沢結衣。お前の『純粋な欺瞞』を、このクリスタルの負の感情にぶつけるのだ。決して、その奔流に飲まれるな」

イグニスの声が、鼓膜ではなく、直接私の意識の深淵に響いてくる。彼の言葉は、まるで私を導く呪文のようだった。その声と共に、私の体内から湧き上がる温かい光が、再びクリスタルへと流れ込んでいくのを感じた。その瞬間、私の意識は急激に深く、暗い淵へと引きずり込まれる。それは、奈落の底へ落ちていくような、しかしどこか懐かしさすら感じる、奇妙な感覚だった。

目の前に現れたのは、無数の光の粒だった。それは、かつてクリスタルに吸収された、歴代王族たちの魂の断片。彼らの喜び、悲しみ、怒り、そして何よりも深い絶望が、感情の奔流となって私に容赦なく押し寄せてくる。それらは、一つ一つが個別の物語を持ちながらも、最終的には同じ「虚ろ」へと至る悲劇の記録だった。

――寒い……。どうして、こんなにも冷たいの……? 私の心は、もう凍り付いてしまったのか……。

――裏切られた……。私が信じたものは、全て偽りだった……。民は、神は、王家は……。

――助けて……。この苦しみから、解放して……。誰か……誰でもいいから……。

それらの声は、私自身の感情と混じり合い、私の過去の記憶を呼び起こしていく。相沢結衣として生きた29年間の孤独。満員電車の中で感じた、誰とも繋がれない虚無感。心を閉ざし、他者との間に壁を築き、いつも一歩引いて生きてきた私。孤独を埋めるように、異世界恋愛小説に没頭していた日々。そして、アリシアとして悪役を演じ続けてきた日々で味わった、貴族たちの嘲笑と軽蔑の視線、誰にも理解されない深い絶望と自己嫌悪。全ての感情が、波となって私を打ちのめす。

特に、クリスタルから放たれる「裏切り」の感情は、あまりにも強烈だった。それは、私に婚約破棄を突きつけたエドワード王子の冷たい言葉と重なり、私自身の心にも深い傷跡を刻んだ。

――いいえ!違う!これは、私が選んだ道だ!

私は、心の中で叫んだ。それは、私自身に対する強い宣言だった。

――私は、裏切られたのではない!私が、この道を選んだ!孤独は、私自身が招いたもの!けれど、その選択は、愛する弟を守るためだった!

相沢結衣として、他人との関係を築くことに不器用で、いつも一歩引いて生きてきた。孤独を感じながらも、誰かに頼ることを知らなかった。アリシアとして、悪役を演じることで、自らを孤立させてきた。それは、私が選んだ「欺瞞」の道だった。だが、その欺瞞は、誰かを傷つけるためではなく、愛する弟を守るためだったのだ。その思いだけは、何があっても揺るがなかった。私の心の奥底に、決して折れることのない一本の光が灯る。

「私の欺瞞は、純粋な願いのためにある……!」

私は、意識の奥底で、その言葉を、まるで魂の誓いのように叫んだ。すると、私の中から温かい光がさらに強く輝き出した。それは、クリスタルから押し寄せる負の感情の奔流を、わずかながらも力強く押し返す力を持っていた。私の魂が、クリスタルの淀んだ闇の中で、確かな存在感を放ち始める。

その瞬間、新たな幻覚が私の脳裏に広がった。

それは、初代国王の記憶だった。しかし、今まで見てきたような、ただの記録ではない。感情を伴った、鮮明な映像。私は、まるで初代国王自身になったかのように、その場に立っていた。

荒れ果てた土地で、飢えに苦しみ、痩せこけた民が、まるで朽ちた木々のように横たわっている。国王の目は、深い悲しみと、そして絶望に満ちていた。国土は枯れ、疫病が蔓延し、国は滅亡寸前だった。その絶望の淵で、彼は声を聞いたのだ。

――この世界は、お前の手で変えられる。代償を払えば、お前の望む全てを与えよう。

その声は、甘く、誘惑的だった。それは、飢餓と病に苦しむ王にとって、あまりにも魅力的な囁きだった。そして、その声の主は……深いフードを被った、若き日のイグニスだった。彼の瞳は、私が今知るイグニスと同じ、底知れない青色をしていた。しかし、その瞳には、現在の彼には見られない、純粋な好奇心と、実験的な冷酷さが宿っていた。

「この地に、秩序を。この民に、豊穣を。私の魂を代償に、全てを捧げよう……」

初代国王は、涙を流しながら誓った。彼の顔には、この国の未来を背負う者の覚悟と、取り返しのつかない契約を交わす者の苦悩が入り混じっていた。その瞬間、フードの男――イグニスが、祭壇のクリスタルに手をかざす。クリスタルは、激しく光を放ち、国王の純粋な魂から、輝く光の精髄がクリスタルへと吸い込まれていくのが見えた。その光景は、あまりにも美しく、神聖な儀式のように見えながら、同時にあまりにも残酷だった。魂を捧げた国王の顔から、わずかに生気が失われるのが見て取れた。同時に、広間に満ちていた重い空気が一変し、清浄で豊かな魔力が満ち渡っていく。大地が震え、外から聞こえる風の音が、まるで祝福の歌のように響き始めた。枯れていた木々に若葉が芽吹き、干上がっていた川に水が流れ出す。

――これが、契約の瞬間……。そして、あの男は、やはりイグニス……! 彼は、この世界の『歪み』を、自ら創り出した張本人だったのか……!?

私の脳裏に、確信が走る。イグニスは、この呪いの始まりに立ち会っていただけではない。彼自身が、その契約を交わした張本人だったのだ。彼は、なぜそんな契約を交わしたのか? そして、なぜ今、この呪いを解こうとしているのか? その矛盾が、私の頭の中で嵐のように渦巻く。

「そう。私だ。あの頃の私は、この世界の『歪み』に深く興味を抱いていた。純粋な魂が、その身を削ることで世界がどう変容するのか。その**『観測者』**として、私は契約を交わした」

イグニスの声が、幻覚の隙間から聞こえてくる。彼の声には、僅かながら後悔のような響きが含まれているように感じられた。しかし、すぐにそれは消え失せ、冷徹な響きに戻る。彼の中には、まだあの頃の観測者としての冷酷さが残っている。

「だが、観測を続けるうちに、私は気づいた。この契約は、ただ魂を喰らうだけではない。魂を歪め、存在そのものを『虚ろな器』へと変貌させる。それは、私が望んだ『変革』とは異なる、ただの緩やかな死だった。この世界は、ただ魂を絞り取られ、緩やかに滅びへと向かっていたのだ」

イグニスは、過去の自分と初代国王の姿を、まるで遠い記憶のように見つめていた。彼の瞳には、かつての好奇心と、現在の諦念が入り混じっている。彼の言葉は、過去の過ちを認めるものだった。

「だから、私はこの『歪み』を正そうとしている。お前が弟を救うように、私もまた、私自身が関与したこの世界を、本来の姿に戻したい。それは、観測者としての義務であり、私の**新たな『興味』**なのだ」

彼の言葉は、彼の行動の全てを説明していた。彼は、この世界の創造者でも破壊者でもなく、ただの「観測者」だったのだ。そして、その観測の結果、自らの好奇心が招いた結果を、今、正そうとしている。その動機に、私は複雑な感情を抱いた。純粋な善意だけではない、彼自身の歪んだ好奇心もまた、彼の原動力なのだと。

幻覚は再び変わり、今度は、私が転生する前の、相沢結衣としての記憶が鮮明に映し出された。

満員電車に揺られ、疲弊しきった体で家に帰り、コンビニ弁当を食べる日常。誰かと深く関わることを避け、常に心の壁を築いていた私。周囲の人間関係に溶け込めず、どこか浮いているような孤独感。その孤独を埋めるように、異世界恋愛小説に没頭していた日々。

そして、トラックに轢かれる直前、意識が途切れる寸前に思ったこと。

――もっと、誰かの役に立ちたかった。誰かを、心から愛したかった。このまま死ぬなんて、嫌だ……。

その思いが、クリスタルの中で光を放つ。それは、アリシアとして悪役を演じ、弟を守ろうとした「純粋な欺瞞」の源泉だった。相沢結衣としての孤独と、アリシアとしての使命感が、今、完全に一つになろうとしている。私の魂が、前世と今世の境界を越え、一つの大きな流れとなっていく。

「お前は、この世界の『歪み』に呼ばれたのだ。魂の深奥に眠る、その純粋な願いが、この閉塞した世界に風穴を開ける力となる」

イグニスは、私の手を取った。彼の指先は、ひんやりとしていたが、そこに確かな温もりが宿っているように感じられた。それは、これまで私が一人で抱えてきた重荷を、彼が共に背負ってくれるという、無言の約束のように思えた。彼の冷たい手が、私という存在を、この世界に確かに繋ぎ止めるアンカーのようだった。

「耐えろ、相沢結衣。お前は、この世界の『境界』に立っている。過去と現在、この世界と異世界。その全てを繋ぎ、変革する存在なのだ」

イグニスの声が、私の意識を繋ぎ止める。彼の言葉は、まるで私を導く羅針盤のようだった。私は、彼の言葉を信じ、痛みに耐え、クリスタルと向き合い続けた。魂が引き裂かれるような激痛が、全身を襲う。それは、過去の絶望と、現在の決意がせめぎ合う、魂の激しい衝突だった。私の体内を、イグニスの冷たい魔力が流れ込んできた。それは痛みを和らげ、暴走しそうになる力を制御してくれる。

数分、いや、数時間だったのか。激痛が和らぎ、意識がクリアになった時、私の目の前には、もはや禍々しい深紅の輝きを放つクリスタルはなかった。そこにあったのは、穏やかな光を放つ、透明なクリスタル。その内部には、無数の光の粒が静かに漂い、まるで星空を閉じ込めたかのようだった。光は、澄み切った水のように清らかで、触れると心が安らぐような感覚に包まれた。

「成功だ……! 完全に浄化されたわけではないが、呪いの核は、本来の形を取り戻し始めている」

イグニスの声が、歓喜に震えている。彼の冷徹な表情に、初めて明確な喜びの感情が浮かんでいた。その表情は、普段の彼からは想像もできないほど、無邪気な少年のようだった。その光景に、私の心に温かいものが込み上げてくる。彼は本当に、この呪いを解き、世界を変えることを望んでいるのだと、確信した瞬間だった。

「私の……力で……?」

私は、自分の手を見つめた。私の体内には、まだ微かに温かい光が残っている。それが、クリスタルを浄化した力なのだろうか。私の「純粋な欺瞞」が、本当に世界を変える力になったのだ。

「そうだ。お前の『純粋な欺瞞』が、この千年の絶望を打ち破った。これで、王家が交わした『契約』を破棄する準備が整った」

イグニスは、そう言うと、私の手から手を離した。そして、彼の顔は再び、普段の無表情に戻っていた。しかし、彼の瞳の奥には、私を見るたびに、以前よりも深い信頼と、そして微かな温かさが宿っているように感じられた。それは、私たち二人の間に、新たな絆が生まれたことを示しているかのようだった。

「まだ終わりではない。これからが、本当の始まりだ。この世界の『歪み』を正し、新たな『理』を築くために。お前は、私の『観測者』であり、この『変革』の『共犯者』となる」

彼の言葉に、私は深く頷いた。孤独だった私の人生が、今、この欺瞞の魔術師と共に、世界の命運を賭けた壮大な物語へと変わっていく。クリスタルから放たれる清らかな光が、地下研究室を優しく照らしていた。それは、この世界の、そして私たちの未来を祝福しているかのようだった。


第八話へ続く


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