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第十話:地下迷宮の攻防

夜の王都は、いつも以上に静まり返っていた。街路を照らす魔導灯の光も、どこか頼りなく揺れている。私はイグニスと共に、人目を避けるように王都の旧市街へと足を踏み入れた。石畳の道はひび割れ、古びた建物が闇に溶け込んでいる。ここが、初代国王が築いたとされる地下水路への入り口がある場所だ。

「ここだ」

イグニスが、蔦に覆われた古い石造りの扉を指し示した。紋様が刻まれた重厚な扉は、長い年月を経て、ほとんど地面に埋もれかけている。彼は懐から取り出した古びた鍵を差し込み、軋む音を立てて扉を開いた。途端に、冷たく湿った空気が顔を撫でる。奥には、闇に続く階段が伸びていた。

「準備はいいか、相沢結衣」

イグニスが振り返り、私に問いかけた。その瞳は、いつもの冷静さに加え、微かな緊張を帯びているように見えた。

「ええ。いつでも」

私は頷いた。ここから先は、これまでで最も危険な任務になるだろう。私の「純粋な欺瞞」が、この世界の根幹に触れるのだ。

地下への階段を降りると、ひんやりとした空気に包まれた。水が滴る音と、どこからか流れてくる湿った土の匂いが鼻をくすぐる。足元には、薄暗い魔導灯が等間隔に設置され、わずかな光を放っていた。

「この地下水路は、初代国王が魔力の流れを制御するために築いたものだ。そして、最も深い場所に、歪んだ魔力の残滓が凝り固まっている」

イグニスが説明しながら、先行する。彼の足音だけが、静寂な通路に響いていた。

「結界の魔力反応が強くなってきたな。おそらく、この先だろう」

しばらく進むと、通路の先に巨大な石造りの扉が現れた。扉には複雑な幾何学模様が刻まれ、そこから青白い光が漏れ出している。これが、初代国王が築いたという強力な結界のようだ。扉に近づくにつれて、肌を刺すような魔力の圧を感じる。

「私の『欺瞞』で、この結界を突破するのね」

「ああ。この結界は、『王家の魔力』によってしか開かれない。だが、お前の『純粋な欺瞞』は、その概念を模倣し、結界に誤った認識を与えることができる。まるで、王族の誰かが結界に触れたかのように」

私は扉の前に立ち、ゆっくりと右手をかざした。意識を集中させ、「純粋な欺瞞」の魔力を解き放つ。私の魔力が、青白い結界の光に触れると、結界は一瞬、戸惑うかのように揺らめいた。私の欺瞞が、結界に「私は王族である」という偽りの情報を送り込む。

結界の光が、さらに強く瞬き始めた。その光は、まるで生き物のように蠢き、私の魔力を探る。私は呼吸を整え、欺瞞の魔力をさらに深く、強く送り込んだ。

やがて、結界の光がゆっくりと収束し始めた。石造りの扉に刻まれた紋様が、鈍い音を立てて軋み、ゆっくりと開いていく。

「成功したな」

イグニスが静かに呟いた。扉の奥からは、さらに濃密な、しかしどこか澱んだ魔力の気配が漂ってくる。

扉を抜けると、そこは広大な円形の空間だった。中央には巨大な祭壇があり、その上に黒く濁った球体が浮かんでいる。それが、この世界の「歪み」の根源、歪んだ魔力の残滓なのだろう。空間全体が、重苦しい魔力で満たされ、呼吸すら困難に感じる。

「ここが……」

私は思わず息をのんだ。祭壇の周囲には、無数の鎖が絡みつき、空間の壁へと伸びている。まるで、何かを拘束しているかのようだ。

その時、空間の奥から複数の足音が聞こえてきた。

「まさか、ここまで侵入されるとはな……!」

闇の中から現れたのは、グラハム侯爵率いる魔術師団の一団だった。彼らの顔には、怒りと焦りが混じり合っている。その先頭には、グラハム侯爵が立っていた。彼の右腕には、禍々しい文様が浮かび上がっており、そこから黒い魔力が噴き出している。

「グラハム侯爵……!?」

私は驚きを隠せない。彼らは、ここに現れると読んでいたが、これほど早く、しかもこの深部で待ち構えているとは。

「よくもここまで来たな、王家の秩序を乱す者どもめ! ここは、この国の繁栄の根源、王家の秘奥の間だ! お前たちのような輩に、手出しはさせん!」

グラハム侯爵が叫ぶと、彼の背後に控えていた魔術師たちが一斉に呪文を唱え始めた。空間に無数の魔法陣が展開され、炎や氷の塊、風の刃が私たち目掛けて飛来する。

「私が行く」

イグニスが私の前に一歩進み出た。彼は右手をかざし、襲い来る魔法を無数の光の粒子に変えていく。彼の放つ魔力は、侯爵たちのそれとは比べ物にならないほど、純粋で強力だった。

「イグニス殿……! その魔力は……!」

グラハム侯爵が驚愕の声を上げる。イグニスの魔力が、これまで彼らが知るどの魔力とも異なることに気づいたのだろう。

「貴様らには、この世界の『真の理』は理解できない。それは、王家によって歪められ、私利私欲のために利用されてきたからだ」

イグニスは淡々と告げると、空間に無数の魔法陣を展開した。それは、彼が構築した「新たな魔力理論」に基づくものだ。魔法陣から放たれる光が、空間に満ちる歪んだ魔力を少しずつ浄化していく。

「馬鹿な……! 魔力を浄化するだと!? そんなことが……!」

グラハム侯爵は、自身の力が弱まっていくのを感じ取っているようだった。彼が放つ魔法は、以前よりもさらに威力を欠き、イグニスにはまるで通用しない。

その隙に、私は祭壇の黒い球体へと向かおうとした。だが、その行く手を、グラハム侯爵が阻んだ。

「貴様は、あの邪悪な球体に触れるつもりか!? それだけはさせん!」

グラハム侯爵は、自身の右腕に浮かび上がった文様から、さらに強い黒い魔力を引き出した。その魔力は、彼の体を包み込み、まるで異形の怪物のように変貌させていく。彼の体からは禍々しいオーラが噴き出し、空間の歪んだ魔力をさらに増幅させる。

「これは……魂を喰らい、力を増幅する魔術か」

イグニスが眉をひそめた。グラハム侯爵は、自身の魂を削りながら、この場を守ろうとしているのだ。

「愚かな……。その力は、貴様の命を蝕むだけだ」

「この国の秩序のためならば、この命、惜しくはない! 王家の名にかけて、お前たちを止める!」

グラハム侯爵が咆哮し、私たち目掛けて黒い魔力の奔流を放った。その力は、先ほどまでの比ではない。

「イグニス!」

私は叫んだ。イグニスは静かに両手を広げ、魔力の壁を展開した。黒い奔流が壁に激突し、激しい音を立てて弾け飛ぶ。しかし、イグニスもまた、その衝撃に後退した。

「相沢結衣! 今のうちに!」

イグニスの言葉に、私は迷わず祭壇へと駆け出した。グラハム侯爵は、イグニスに集中しており、私には注意が向いていない。

祭壇にたどり着いた私は、黒い球体に手をかざした。球体からは、世界を蝕むような、おぞましい魔力の気配がする。しかし、その奥には、微かな魂の輝きが感じられた。

私は「純粋な欺瞞」の魔力を、黒い球体へと流し込んだ。私の魔力が触れると、球体はまるで痛みを感じたかのように、激しく脈動し始めた。

「この邪悪な塊が、この世界の魂を喰らってきた……! それを、育む理へと……!」

私は集中した。私の欺瞞は、この「歪み」を、あたかも「正しさ」であるかのように認識させる。そして、その認識の書き換えを通して、歪んだ理そのものを変質させるのだ。

「ぐおおおぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉっ!!!」

その時、背後でグラハム侯爵の絶叫が響いた。彼の体が、黒い魔力に侵食され、異形へと変貌していく。彼は、自身の魂を犠牲にして、この場を守ろうとしているのだ。

「グラハム侯爵!」

イグニスが、彼に向かって手を伸ばした。だが、その手は届かない。

「王家の、栄光のために……!」

グラハム侯爵は、最後の力を振り絞るかのように、イグニスに襲いかかった。だが、その攻撃は、もはや悲痛な叫びを伴うだけの、虚しいものだった。

私は、黒い球体に全ての意識を集中した。私の魔力が、球体を包み込み、ゆっくりと、しかし確実にその色を変えていく。黒い澱みが、徐々に薄れ、透き通った光を放ち始めた。

その瞬間、空間を覆っていた重苦しい魔力の圧が、すっと消え去った。代わりに、清らかな、温かい魔力が空間を満たしていく。

黒い球体は、完全に浄化され、透明な輝きを放つクリスタルへと変わっていた。そこからは、かつての歪んだ魔力とは異なる、純粋な生命の輝きが放たれている。

「これで……」

私が呟いたその時、背後から鈍い音がした。振り向くと、そこには倒れ伏したグラハム侯爵の姿があった。彼の体は、もはや異形の影を潜め、老いた男の姿に戻っている。彼の顔には、安堵と、そして諦念のような表情が浮かんでいた。彼の右腕に刻まれていた禍々しい文様も、跡形もなく消え去っている。

イグニスは、グラハム侯爵の傍らに跪き、静かに彼の脈を確認した。

「魂の侵食は止まった。だが……長い間、魂を酷使してきた。回復には時間がかかるだろう」

イグニスの言葉に、私は安堵の息をついた。グラハム侯爵は、この世界の「歪み」に囚われた、哀れな犠牲者だったのかもしれない。

「これで、王都の歪みは完全に浄化された」

イグニスが立ち上がり、私に向き直った。彼の瞳には、達成感と、そして新たな決意が宿っている。

「残すは、抵抗する者たちとの対峙だけだ」

その言葉に、私は頷いた。今回の地下での戦いは、ほんの序章に過ぎない。新たな「理」を世界に浸透させるには、まだ多くの困難が待ち受けているだろう。

私とイグニスは、浄化されたクリスタルが輝く祭壇を後にし、静かに地下水路を戻っていった。地上では、新たな夜明けが、私たちを待っている。

王宮の朝、そしてエドワード王子の決断

翌朝、王宮には穏やかな陽光が差し込んでいた。しかし、その穏やかさとは裏腹に、王宮内は緊迫した空気に包まれていた。グラハム侯爵をはじめとする保守派貴族たちが、地下研究室で起きた「異変」について、王へ強く抗議しているのだ。

「陛下! イグニス殿とアリシア様は、この国の根幹を揺るがす行為に及んでおります! 地下研究室で、一体何をなさったのか、ご説明を!」

グラハム侯爵は、顔色を失いながらも、必死に訴える。彼の声は、昨夜の戦いで消耗したためか、かすれていた。

「魔力は、もはや貴族だけの特権ではありません! 一般市民にも、魔法の才能に目覚める者が現れています! これは、紛れもなく国の秩序を乱す行為です!」

他の貴族たちも、口々に不平不満を述べ立てる。

その騒ぎの中、エドワード王子が謁見の間に姿を現した。彼の顔には、これまでになく強い決意が宿っている。彼の登場に、貴族たちの声がぴたりと止んだ。

「父上、そして皆様。昨夜、私はアリシアとイグニス殿から、この世界の『歪み』について、そして初代国王が交わした『契約』の真実について、全て聞かされました」

エドワード王子の言葉に、謁見の間はざわめきに包まれた。

「これまで、我々が信じてきた王家の歴史は、真実とは異なっていた。この国の繁栄は、魂を喰らう歪んだ契約の上に成り立っていたのだ」

彼の言葉は、重く、そして明確だった。グラハム侯爵は、その言葉に顔色を変え、何かを言おうと口を開いたが、言葉が出なかった。

「そして、昨夜、イグニス殿とアリシアは、その『歪み』の根源を浄化するため、地下水路へと赴きました。その結果、歪んだ魔力は浄化され、本来あるべき姿へと戻ったのです」

エドワード王子は、そう告げると、謁見の間にいた全ての貴族を、真っ直ぐに見つめた。

「確かに、この変化は、我々の常識を覆すものです。混乱も生じるでしょう。しかし、このまま歪んだ理に囚われ続ければ、この国は、そして世界は、緩やかに滅びていく運命だったのです」

彼の言葉に、保守派貴族たちは動揺を隠せない。中には、顔を真っ青にしてその場に座り込む者もいた。

「私は、この『変革』を受け入れます。そして、この国の未来を、新たな『理』と共に築き上げていくことを決意しました」

エドワード王子は、そう宣言すると、イグニスと私の方を向き、深く頭を下げた。

「アリシア、イグニス殿。どうか、私に力を貸してほしい。この混乱を収め、新たな秩序を築くために、共に歩んでほしい」

その言葉に、謁見の間は静まり返った。グラハム侯爵は、悔しそうに唇を噛みしめている。

私は、エドワード王子を見つめた。彼の瞳には、かつての迷いはなく、ただこの国を思う強い心だけが宿っていた。彼の決断は、私たちにとって何よりも大きな力となるだろう。

「承知いたしました、エドワード王子。共に、この世界を変えましょう」

私は静かに答えた。イグニスもまた、無言で頷いた。

エドワード王子の決断は、王宮内の空気を一変させた。保守派貴族たちの反発は、依然として根強く残っているだろう。しかし、王位継承者であるエドワード王子が「変革」の先頭に立つことで、新たな時代の流れは、もはや誰にも止められないものとなる。

新たなる時代へ

数週間後、王都は「新たな理」の恩恵を享受し始めていた。魔術師協会は、イグニスが構築した新たな魔法理論を学び始め、これまで魔力を持たなかった人々にも、魔法の基礎を教え始めた。街には、新たな魔法を使う人々が増え、活気と驚きに満ちた声が響き渡る。

グラハム侯爵は、魔力を失ったショックと、魂の侵食による消耗で、しばらくは静養を余儀なくされた。しかし、イグニスは、彼の魂の治療にも協力しており、いつか彼も「新たな理」を受け入れる日が来ることを願っている。

オルフェウス率いる近衛騎士団は、王宮内の秩序を保ちつつ、エドワード王子の意向に沿って、新たな理の浸透を支援している。彼の「観測者」としての姿勢は変わらず、常に冷静な目で私たちの行動を見守っていた。

そして、私とイグニスは、王都を離れ、この世界の各地に残る「歪み」の残滓を浄化するための旅に出る準備を始めていた。千年もの間、世界に深く根付いた歪みは、王都だけを浄化しただけでは消え去るものではない。

「相沢結衣。いよいよ旅立ちだな」

イグニスが、王都の城壁の上から、遠く広がる大地を見つめながら呟いた。

「ええ。新たな戦いの始まりね」

私は答えた。これまで、私は孤独な存在だった。弟を守るために「欺瞞」の仮面を被り、感情を押し殺して生きてきた。しかし、今は違う。イグニスという「欺瞞の魔術師」と共に、私はこの世界の「歪み」を正し、真の「理」を世界に浸透させるための旅に出る。

この旅の先には、どのような困難が待ち受けているだろうか。しかし、私の心には、もう迷いはない。私の「純粋な欺瞞」は、世界を救う力となる。

「私たちは、この世界の『変革者』だ」

イグニスの言葉に、私は深く頷いた。

広大な世界が、私たちを待っている。新たな「理」の夜明けが、今、始まろうとしていた。


エピローグは続く


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