19 瞳の奥の炎
「……ど、どうして殿下は、そのことをご存知なのですか?」
驚きのあまり、聞き返す私の声が掠れた。
私とレスターの婚約については、誰も知らないはず。否、婚約自体は学園に入る前から成されているものだから、王太子殿下ともなれば、入学前にレスターから伝えられていても、おかしくはない。
けれど殿下が今、口にしたのは『婚約破棄』についてだ。婚約破棄は完全に私一人だけの考えであり、レスターはそれについて知らないはずだから、殿下がそのことについて知っているのは明らかにおかしい。
一体誰が殿下に情報を漏らしたの……?
一瞬だけ、フェルの顔が頭に浮かんだ。けれどフェルは、私が片想いしているレスターと結婚するために、今現在の婚約者と婚約破棄しようとしているだなんて妙な勘違いをしているようだから、そう考えると彼ではあり得ない。
ならば他に誰が──と考えても、私が婚約破棄を目論んでいること自体フェルにしか話していないから、その話を殿下に伝えるような人物など思い浮かぶわけもなくて。
考えながら、じっと殿下の碧色の瞳を見つめていると、彼は軽く肩を竦めた。
「その話を誰が私に伝えたのか知りたい……という顔だな。しかし、情報源は当然明かすわけにはいかない。その上で一つ私が貴女に言えることがあるとすれば、私は貴女の味方であるということだけだ」
「殿下が味方……?」
そんなこと、あるのだろうか。
レスターは殿下の側近候補であるのに、そんな彼との婚約を破棄しようとする私の味方を殿下がするなんて。そうすることで、何か殿下の得になるようなことがあるというなら、話は別だけれど。
意味が分からず考え込む私に、殿下は悪戯好きそうな微笑みを浮かべると、更に言葉を重ねた。
「レスターとの婚約破棄、良ければこの私が手を貸そう」
「えええええっ⁉︎」
思わず大声を上げてしまったのは、仕方のないことだったと許してほしい。
だってそれぐらい、殿下からの申し出は驚くべきものだったのだから。
「サイダース侯爵令嬢、今は授業中だから……な?」
殿下が自身の唇に指を当て、片目を瞑って静かにするよう促してくる。
それは私だって分かっているけど、今に限っては大声を出してしまうようなことを言ってきた殿下の方が悪いと思ってしまうのは、いけないことなんだろうか?
「とにかく婚約破棄の話については、まだ何も進んでいないわけだろう?」
「は、はい、そうですね……」
折りを見て何度かお父様にお伺いを立ててはいるが、未だ良い返事はもらっていない。それどころか最近では、「側近候補から側近になるために、レスター君は今が一番大切な時なんだ。お前には何故それが分からない? 少しぐらい我慢して待てないのか!」と怒鳴られるようになってしまった。
お父様には私の気持ちを理解してもらえない。私はレスターが殿下のちゃんとした側近になれた時のためにも、早く婚約を破棄しようと思っているだけなのに……。
そういえば──。
そこでふとした疑問が頭に浮かんで、私は畏れながら殿下に向かい、口を開いた。
「あの、殿下が私とレスターの婚約破棄をお手伝いして下さるのは、やはり私なんかではレスターに相応しくないとお考えだからでしょうか?」
殿下にまでそう思われているとしたら、レスターの現婚約者としてもの凄く辛いし、もの凄く恥ずかしいけれど、それはそれで殿下の行動理由に納得がいく。
王太子殿下としては、側近の奥方がどんな人物であるかということも、重要なことであるはずだから。けれど──。
「いや? 私はそんなことは思っていない」
殿下はあっさりと、そう口にした。
「それよりも、私は寧ろレスターに貴女は勿体無いのでは? と思っている。アイツが何を考えて行動しているのか私には分からないが、最近のアイツを見ている限り、色々と酷すぎるとしか思いようがないからな」
この方は、一体レスターのどんな行動について、そのように思って居られるのだろうか? そして何故、私がレスターには勿体無いなどと仰って下さるのか。
泣いていた私を慰めるためかもしれないけれど、私を肯定してくれるような殿下の言葉に、少しだけ救われたような気持ちになった。そして同時に、レスターとの婚約破棄を、怖れず進めていこうとも──。
「王太子殿下、私のようなもののことをそのように言ってくださって、ありがとうございます。お陰で私、前向きにレスターとお別れができそうですわ」
「そうか、それは良かった!」
パアッと音がしそうなほど、殿下の表情が輝く。
彼は何故、私とレスターの婚約破棄をこんなにも喜ぶのだろう?
分からなかったが、家族からの同意を得られない以上、事情を知る誰かに手伝ってもらわなければ婚約破棄は不可能だ。かといって私には手を貸してもらう当てもないため、今からフェルやミーティアに全てを話して助力を仰ぐよりはと、畏れながら殿下に手伝ってもらうことに決めた。
王太子殿下の口添えがあれば、お父様だって真面目に私の話を聞かざるを得ないだろうし。
突然開けた、婚約破棄への道のり。それについて熱心に考えを巡らせていた私は、だから殿下の様子が変わったことに気付かなかった。
私を見つめる王太子殿下の瞳が一瞬、獲物を狙う獣のように鋭くなり、その唇がポツリと不穏な一言を漏らしたことに。
「レスターなどには渡さない。小説で読んだ時から、俺はユリアが気に入ってたんだ……」
その瞳の奥には、静かな炎が揺らめいていた……──。