13 近過ぎる距離
「ねぇフェル、貴方はどうして、そんなにも私の婚約破棄の話を聞きたがるの?」
自分史上、最大限に異性との距離を詰めた状態──といっても、拳三つ分ほどは空いている──で、私はフェルに質問をした。
恥ずかしながらも距離を詰めたのは、少しでも彼の動揺を誘い、口を滑りやすくさせるためだ。
腐っても彼は公爵令息。そう簡単に自身の思惑は口にしないだろうと考えて、ハニートラップを狙ってみたのだけれど──この距離では効果が薄いのだろうか?
いまいち、フェルから思ったような反応が得られない。
私としては、かなりの勇気が必要だった行為なのに、こうも無反応だとガッカリしてしまう。
やっぱり私には、女としての魅力がないんだ……。
だからフェルも、近付かれたところで何も感じないのねと思い、ため息を吐いて肩を落とした。
そんな私の仕草をどう思ったのか。
彼がいきなり私の肩に手を置いたと思ったら、俯く私の顔を、下から覗き込んできたのだ。
「おい、どうしたんだよ。人に質問しておいて、なんで急に落ち込むんだ? 俺がすぐに返事をしなかったからか? だとしたら悪かった」
彼の瞳は心配そうに歪められていて、罪悪感と共に羞恥の感情が芽生えた私は、すぐさま目を逸らしてしまう。
だって、こんなの恥ずかし過ぎる。まだ社交界に一度も出たことがなく、家に籠もってばかりの私は、お父様以外の男性とは触れ合ったことすらないのだから。
無論レスターとて例外ではない。
婚姻前に何かあってはいけないからと、二人きりになったことはなかったし、エスコートの真似事だって、学園に入ってから折を見て──ということになっていた。
なのに、なのに……レスター以外の男性と、こうも接近してしまうだなんて!
恥ずかしさのあまり震え出してしまった私の両肩を、鷲掴むようにしてフェルがガッチリと包み込んでくる。そうすることで私の身体の震えを少しでも止めようとしているのかもしれないけれど……はっきり言って逆効果だ。そして彼は、当然そのことに気付いていないだろう。
だからだろうか?
フェルは震え続ける私に、躊躇いながらこう言ってきた。
「あのさ……最初は俺、君の婚約破棄のこと……面白がって聞いただけだったけど、今は違うから。今は、その……君が恋愛結婚のために政略結婚から逃げ出そうとしたんだってこと、ちゃんと理解してる。それで、素直に応援したいと思ってて……だから、その、そんなに俺のこと、嫌がらないで欲しい……」
…………は?
内心で、ついそんな声が出た。
辛うじて口からは出さなかったので、淑女としての体裁は保てたと思いたい。
だけど──この人、今なんて言ったの?
恋愛結婚のために政略結婚から逃げ出す? 素直に応援したいから、俺のことを嫌がるな?
待って待って。意味が分からない。
まず、大好きなレスターと婚姻予定の私は間違いなく恋愛結婚確定であって、婚約破棄をしようと思っているのは、あくまでもレスターのためだ。
淑女とは到底言い難い私との政略結婚からレスターを逃がし、彼に恋愛結婚をさせてあげるために婚約破棄をしようと──ん? そう考えると、フェルの言ったことは強ち間違いではないということ?
私とレスターの立ち位置が逆という勘違いはあるものの、大筋としては間違ったことを言っていない。
けれどどうして、フェルは私がレスターのために、政略結婚を止めようとしていることが分かったんだろう?
彼が公爵令息だから? いや、さすがにそれは違う気がする。
じゃあ、どうして──。
私が考え込みそうになった時、まるでそれを察知したかのように、フェルが再び口を開いた。
「あれだけ毎日コーラル侯爵令息のこと見てたんだから、結婚に夢を見るのは当たり前だよな。まぁ……コーラル侯爵令息の場合ライバルも多いから、婚約破棄してフリーになったところで、上手く婚約者の地位を手に入れられるかどうかってのは微妙なとこだろうけど──」
それで分かった。フェルが妙な勘違いをした理由は、私自身の過去の行動のせいであったのだと。
学園に入学してからというもの、私がずっとレスターを追いかけていたことで、フェルは私がレスターのことを好きなんだと思い込んだ。そして、婚約者のいない──という設定の──レスターとの結婚を夢見て、政略結婚をする相手との婚約破棄を企てている──そう思ったに違いない。
だけど違う。そうじゃない。
私はもうレスターに近付く気は全くないのだ。
今のまま、お茶会も食事会も二人での外出もせず、なんなら贈り物だってやめて、それらを理由に婚約破棄しようと思っている。
嘘じゃない。本当にそう思っていた。なのに──。
心の奥底を、暴かれたような気がした。必死の思いで蓋をして、どんなことがあっても見つからぬよう、心の奥の奥の、一番深い場所へと隠した自分の想いを。
そんな私の気持ちをよそに、フェルの言葉はまだ続いている。
「だからさ、これからはお詫びの気持ちも込めて、俺が最大限──」
そこで不意に、彼の声が不自然に途切れた。
不審に思って顔を上げれば、目の前でフェルが高く両手を上げていて。
「え……どうし──」
「いくら学園内だとはいえ、この距離は近過ぎるのではないか?」
疑問を口にしかけた私の声を遮ったのは、切なくも愛しい人の声だった──。