ニコデモ
エルサレムはガリラヤよりも南であるのに、冬は寒い。しかし日中は真冬でも凍えるほどの寒さを感じることはないが昼夜の温度差が激しく、その夜は一段と冷え込んでいた。イェースズを含めた十三人はゼベダイの家で暖炉を囲んで暖をとっていたが、夜更けになって玄関のドアを叩く音がした。
「あ、来られたようですね」
ペトロが立ち上がってドアの方へ行く。すでに主人のゼベダイが応対に出ていたが、ペトロがその来客をイェースズたちのいる部屋に伴ってきた。頭のはげた老人だったが、服装は律法学者のそれだった。
「先生、お見えになりました」
この老学者の来訪については、昼間のうちにイェースズはペトロから聞いていた。ペトロの妻の伯母の夫ということで、数日前にペトロが尋ねていったところ、どうしてもイェースズ師と会って話が聞きたいと頼まれたということだった。
「どうも、イェースズです。どうぞお座り下さい」
「これは恐縮です」
この老人は普通の律法学者のような居丈高な様子もイェースズへの敵愾心も全くないようで、イェースズも心を許してニコニコしていた。
「どうも。ニコデモといいます」
座りながらニコデモと名乗った老学者は頭を下げ、足を横に投げ出した。
「あなたのことは、ペトロから聞いています」
「妻のマルタの姪がこのシモンの嫁さんでして、あ、今はペトロというんでしたな。そのペトロの婚礼の時以来、ペトロとは親しくお付き合いをさせて頂いています」
「そうですか。ペトロにあなたのようなお身内がおられるとは、今まで存じ上げませんで失礼を致しました」
「ところで先生」
ニコデモは、身を乗り出した。律法学者であってイェースズを師と呼ぶ人は珍しい。
「我われパリサイ人の間では、先生は悪魔の手先のように言われてるんですがね。あ、どうぞお気を悪くなさらないで。中には私のようなのもいますから」
ニコデモは相好を崩しながら話し続けた。
「ただ立場が立場でしてね。私は律法学者であると同時に、最高法院の議員もやっていますから」
これには、そこにいた全員が驚きの声を上げた。最高法院といえばローマ支配下では、限定されたとはいえユダヤ人自身の手による独自の行政立法機関である。
「それはそれは」
イェースズでさえ、目を細めた。
「それで民衆に混ざってあなた様の演説をお聞きするわけにもいかないし、昼間にここに着くのも失礼かと存じましてこんな夜分に失礼しました」
「それは、わざわざありがとうございます」
「先日、私の仲間の学者があなた様を捕らえるために、役人を使わしたんですけれども、手ぶらで戻ってきたんですよ。役人たちはあなた様の話がすごいすごいとうるさいほどでした。そうしたら私の仲間の学者からすごい剣幕で怒鳴られまして、あなた様についてきているのは教育も受けていない無知の連中ばかりで、学者や祭司は一人もいないということだそうで。そこで私は、まず直接本人の話を聞いてから判断を下すべきだと言っておきましたがね」
ニコデモは高らかに笑った。
「そうしたらやっこさんたち、私に食ってかかりましてね。私もガリラヤ出身なものですからそれで肩を持つんだろうと言われて、さらにガリラヤからは救世主どころか預言者の一人も出たことはないって言うんですな」
ニコデモはまたからからと笑い、イェースズも微笑んだ。
「ガリラヤから預言者が出ていないなんて、それはうそですね。ヨナやノフムはガリラヤの出身でしょう」
「そうです、そうです。それを言ってやりたかったけど、面倒だからよしときました」
また部屋の中にニコデモの笑い声が響いた。そしてゆっくりと、イェースズは尋ねた。
「ところで、私のどのような話をお聞きになりたいのでしょうか」
「そうそう」
ニコデモは居を正した。
「私は私の仲間から言われて、あなた様を調べにきた分けではありませんので」
「そうですか」
相手の想念が読めるイェースズは、もとよりそのような誤解はしていなかった。
「実は、どうしたら救われて、神の国に入ることができるか、これなんですよ。何十年と律法に取り組んできましたけれど、どうしても答えが出ませんでしてね」
「まず、新しく生まれなければならないでしょうね」
「新しく生まれる?」
ニコデモは少し考えた。
「いやあ、ガリラヤ人の癖ですなあ、そういうたとえめいた言いまわしはね。私もガリラヤ出身とはいえこのユダヤの地に長いもので、ユダヤ風の直接的言い方に慣れてしまっているんですよ」
イエースズとて、ガリラヤを離れて久しかった。それなのに自分の中にガリラヤ人の特性を指摘されて、少々くすぐったくもあった。そこで彼は照れ隠しに少し笑い、ひと息入れてから言葉を続けた。
「新しく生まれるっていうのはですね、一切の自分を捨てて、すっかり生まれ変わってしまうことなんです。そういう意味で私は言ったんです。いいですか、自捨新生、これこそが神の子として復活する第一歩なんです」
「自捨新生?」
「ええ、自利を捨て、我欲を捨てて、新しく生まれ変わることです」
「そんなねえ、生まれ変わるって言ったって、もう一度母親の胎内に入れって言われるんですかね。私ゃこんな老人なのに」
どうもニコデモは分かっていない。そこで優しく諭すように、イェースズは言った。
「私が言っているのは肉体的なことではなくて、霊的な話をしているんです。人の霊魂は生き代わり死に換わりして、この世とあの世を行ったり来たりしているのです。この世で肉体だけあっても、そこに霊が入っていなければ人として成り立ちませんね。肉体が水だとすればそこに火である霊が入って、火と水が十字に組まれてはじめて人といえるわけです。その自覚が、神の国に入る第一歩だと思いますよ。人間は赤ちゃんとしてこの世に生まれ出た時は何も分かりませんけど、次第に肉体がある自分だとサトっていくでしょう? それが、この世での最初の自覚ですね。ところがそこで止まってしまって自分が肉体だけの存在としての自覚しかなかったら、その人は永遠に肉の子です。それだと、神の国に入るのは難しいのではないですか。なぜなら、この世が物質的な世界であるのと違って、神の国は霊的な世界ですからね。だから、霊的な自分を自覚しないと神の国には入れないと思うのです。神様から頂いた魂が、ここ」
イェースズはそこで自分の額を軽くぽんぽんと叩いた。
「ここに入っているわけです。つまり、自分は神様の分魂を入れて頂いている神の子霊止なんだという自覚が大切なんじゃないでしょうか。そういう自覚に至れば、一切の目に見えるもの、耳に聞こえるもの、手で触れるものがすべてであるという考え方から抜け出せるんですね。つまり、そうして五官に振り回された物質を主体とする想念を捨てて、目に見えない霊が主体であるという霊主の想念に転換していくこと、それが自捨新生というのです。ちっぽけな自分を捨てて、我利我欲、執着、物質欲、名誉欲などという自己中心の想念を捨てて、霊を主体とし、神様中心に、神様とつながっている自分の魂を中心にする人に切り換わることなんです」
「そんな、霊とか何とか言っても、見に見えませんからね。今ひとつ実感がわかないのです」
「では、目に見えないものがすべてないと断定できますか? 霊は確かに目に見えません。でも、音は聞こえるでしょ」
「は?」
ニコデモは、一瞬首をかしげた、イェースズは笑った。
「ほら、ピューピュー吹く風のことですよ」
ニコデモは、イェースズの同音異義語による言葉遊びに気がついてうなずいた。
「ルアッハ(風)は目に見えないけれど、でもルアッハ(風)というものの存在を疑う人はいないと思います。だからもうひとつのルアッハ(霊)が目に見えないからないなんていうのは、未開文明人の論法と同じということになりますね」
「はあ」
一応ニコデモはうなずきはしたが、その顔はまだ完全には納得がいっていないようだった。
「イスラエルの民を霊的に導く職に就いているあなたには、分かってもらわないと困るんです」
そう言って、イェースズはまた笑った。
「神様に仕える本職である方々が、失礼だが霊的なことに全く無知になっておられる。まず、あなた方が目を開いてください」
「目を開くためには、どうしたらいいんですかねえ」
「火と聖霊の洗礼を受けてください。それによってはじめて霊が主体であることをサトることができるんです。今の世はまだ水の世なんですけれど、私と私の使徒たちは、他に先駆けて火の洗礼の業が許されているんです」
イェースズは、ニコデモの背後に回った。そしてニコデモの後頭部をさぐり、そこに高次元パワーを手のひらから放射しながら話を続けた。
「人の魂は神様から頂いた分魂、つまり神様の生命の息が入っているわけで、それこそが真我なんですね。それは大いなる宇宙意識の一部ですし、人の魂はそれゆえにこそ神魂に永遠につながっているんです。その意識体のみが神の国に入れるんです。魂こそが本当の自分であって、肉体はこの世という物質界で魂が生きるための乗り船、つまり入れ物にすぎないんですね」
ニコデモはうなずいた。イェースズは話し続けた。
「宇宙には大法則がありましてね、それで一切が統一運営されているんです。その神の置き手(掟)といいますか万象弥栄の法といいますか、私はそれをよく知っているんです。つまりそれは、こうすれば必ずこうなるといった法則なんです。それは大千三千世界の大調和の法則でして、私はそのことを人々に教え、大調和の法則と一体になってもらって光の中に人々を連れて行く、そのために活動しているんです。ですから、悪い因縁には悪い結果が必ず訪れるんですけど、光で悪が暴かれるのを恐れて、今世の人々はなかなか光の方へ来ないんです。邪霊も光を嫌がりますからね。でも、本質はみな、光を求めているんですよ。なぜならこの世のすべての人は一人の例外もなく、等しく神の子だからです。本霊は、神を求めているんです。ただ、お邪魔が入っているだけなんですね」
それだけ言うとイェースズは、ニコデモの正面に回った。そして、目を閉じさせてその額に霊光を放射した。
数日後、イェースズは使徒を連れてエルサレムに向かった。オリーブ山を旋回し、ゲッセマニの園を経て谷に降りると、神殿の壁はとても高く感じた。そして神殿の東南角、つまり神殿の頂を見上げるあたりを過ぎた時に、土が露出する地面にぽつんとイチジクの木があった。だが、もはや木とはいえないくらい、根本から腐ったように枯れていた。それを見たトマスが、声を上げた。
「確か前にここを通った時、先生はのどが渇いておられたのにこの木に実がなかったから、実がならない木は枯れてしまえとおっしゃいましたよね」
イェースズは立ち止まって、笑みを含めて言った。
「植物は敏感なんだよ」
使徒たちもイェースズにつられて立ち止まり、イェースズに視線を向けた。イェースズは枯れた木のそばに立って、話を続けた。
「言霊に敏感だってことだ。ああいうふうに冗談半分で、しかももののたとえとして言った言葉でも、敏感に反応してしまう。植物を育てる時は『がんばれよ』とか『元気で育ってくれよ』とかいうようないい言霊をかけてあげることが大切なんだ。植物に限らず、いい言霊、きれいな言霊、明るい言霊を発していれば、自然と運命もいい方向に、明るい方向に変わってくる。みんなも、神様から枯れてしまえと言われないように、しっかりと教えの実践の実をつけてほしい。神様のみ言葉の威力はすごいよ。『光あれ』で本当に光が現れたんだからね」
イェースズは大声で笑い、使徒たちも感心してともに笑った。
「いやあ、本当ですね」
ペトロが、感嘆の声を上げた。
「この木には、かわいそうなことをした」
イェースズは枯れた木に向かって手をかざし、
「また元気になって、たくさん実をつけて下さい」
と言葉をかけた。するとみるみる枯れていた木が反応して枝をほんの少しばかり上に上げた。使徒たちはまた、一斉に感動の声を上げた。
「もうこの木は大丈夫。次にここを通る時はもとの繁った木になっているよ」
木の反応からして、そのイェースズの言葉は十分現実味を帯びたものとして使徒たちには聞こえた。
イェースズは再び歩きだした。歩きながらエレアザルがイェースズの脇に来た。
「でもやはり、先生のお言葉だから威力があるんでしょう?」
道は石段の続く上り坂となり、その上には城壁が横たわっていた。イェースズは笑顔のまま、前を見て歩きながら言った。
「言葉の威力、言霊は私だけのものじゃあない。あなた方だってあるし、特にあなた方は胸のメダイによって神様と直接霊波線を結んで頂いているのだから、言霊の力もそうだけど、祈りの言葉もスーッと神様に通ずる。だから、祈る時はもう神様には聞いて頂けた、かなえて頂けた、これで実現すると思うくらいの信念と絶対の信頼感を神様に対して持つことが大切だ。たとえ、山に向かって動けというようなことだったとしても、念の力が強ければその通りになる。でもだね、神様にもご都合というものがあるんだよ。また、時期というものもある。それを忘れちゃいけない。人間からの一方的なわがままな要求を神様につきつけるのが祈りだと思ったら、大間違いだ。第一に、神様と波調が合った祈りでないといけない。神様からご覧になってもっともだという祈りなら、神様は必ずかなえて下さる。でもそうじゃなかったら、神様はいらない、うるさいとおっしゃるだけだ。他人の血のついた手で祈ったりしたら、神様には御無礼だってことは分かるだろう。そんな逆訴になるような祈りはいけない。人が神様に対して祈りがあるように、神様にも人類に対する、もっともっと切実な祈りがある。それをちゃんと汲み取る事も大事だ。祈りとは、神様と意を乗り合わせること、波調を合わせることだ。それなのに、神様からの人類への祈りには全く耳を貸さずに自分のご利益信仰的な願い事ばかり祈って、神様にもご都合があってその時すぐにかなえられなかったらもう『神様なんているもんけえ』となってしまったのでは、何をか言わんやだよね」
城壁が目の前に立ちはばかるようになるまでに、一行は登ってきていた。石段が城壁にぶつかる所にあるのが泉の門だ。ここから町に入り、ソロモン時代からの旧市外であるダビデの町を通って、一行は久々に神殿に上がった。
十二人に囲まれて歩いているイェースズは、それだけでもずいぶん人目を引いた。そして目ざとくイェースズを見つけた常連の律法学者が、早速イェースズを取り囲んでくる。イェースズは立ち止まることを余儀なくされ、その左右に使徒たちが固まった。
学者たちのしつこさはあきれ返るほどで、今日は学者四人のほかにサドカイびとの祭司も一人いた。これもまた伝統と権威の権化である。その権化の一人が、イェースズに尋ねた。
「今日こそは答えてもらおう」
相変わらず、居丈高だ。
「おまえはいったい何の権威があって、人々に教えているんだ」
「そうだ、そうだ」
と、別の学者も口をはさんだ。
「いったいどこで勉強した? 何の資格を持っているといるのか。身分は何だ」
イェースズが答えずに、ただ微笑んで黙って立っていると、
「気持ち悪いぞ。何か言ったらどうかね。答えられないのだな。当たり前だ。おまえは素人だからだ」
「それに」
さらに別の学者も身を乗り出す。
「この庭から商人を追い出したそうだが、そんなことをする権限を誰がおまえに与えた?」
「あのう、こちらからもお聞きしますが」
イェースズはやっと穏やかにそう言った。
「あなた方は、何の権威があるんですか?」
「なにっ!」
目をつりあげたのは、学者たちも祭司も同時だった。
「それは我われに対する侮辱か? 我われは正統な聖職者だ。そんなことは分かりきっているだろう」
「正統、ですね?」
「当たり前だ。おまえのような異端とは違う」
「そうですか」
イェースズはどこまでも柔和な笑みを見せていた。
「神様からご覧になれば、正統も異端もないと思うのですけど。すべて真理の峰を目指す道で、ただ登り口が違うだけでしょう? 真理の峰はただ一つでしょう? 伝統と権威は、真理の前にはつまずくものです。それに神様の御経綸も、日々進展しているのですよ。それなのにあなた方は変わろうとしない。自ずからそこには、限界があるんじゃないでしょうか」
「なんだと!」
学者たちは一歩前に出た。今にもイェースズにつかみかからんばかりの勢いだったので、使徒たちはイスカリオテのユダやシモンを先頭にさっとイェースズの前に出て、師を守る形になった。
「断固として守らなければいけないもの、変えてはいけないものもあります。でも、御経綸の進展に伴って変わっていくものもあると思いますけど」
そう言いながらイェースズはそんな使徒たちを後ろにやり、前に出た。
「もう一つ、お伺いしてよろしいですか? それにお答え下さったら、私も自分が何の権威によって人々に話をしているかお話しましょう」
「何を聞くというんだ」
「かの洗者ヨハネは何の権威でもって人々に教え、洗礼を授けていたんでしょうか」
「そんなの、決まっているじゃないか」
と言って一人の学者が前に出たのを、後ろから祭司が腕を引いた。そしてその耳もとで、
「まずいですぞ」
と、ささやいていた。
「この男はかつて、ヨハネ教団の幹部だった男だ。ヨハネの権威が人知によるものだなどと言ったら、この男を信奉している民衆が騒ぐ。ガリラヤでは今でもヨハネ崇拝は根強くて、その中のかなりの部分がこの男の信奉者として流れている」
「そんなの、どうでもいいではないですか」
二人は、ひそひそとやり合っていた。
「いや、民衆を敵に回しては、民衆を教え導くという我われの立場がなくなる」
「でも、それでは神から与えられた権威だったとでも言えって言われるのですか。そんなこと言ったらヨハネを正統と認めることになり、我われがなぜヨハネを崇敬しないのかと問い詰められるに決まっているでしょ」
「まあ、ここはわしにまかせなさい」
そんな肉の耳には聞こえないひそひそ話のやり取りも、イェースズには想念を読み取ってすべて筒抜けになっていた。そしてそれは、もともとイェースズが目論んだ通りの展開になっていた。
祭司は、一歩前に出た。
「答えは出ない。分からぬ」
これが、祭司の答えだった。イェースズは笑った。
「それでは答えになっていませんね。では私も、自分の権威についてお話はしません。あなた方は知っているくせにごまかしている。まあ、逃げたわけですね。私は逃げませんけれど、でもあなた方のような方には私の権威について答える必要はないでしょう」
ここで自分の神啓接受や霊界・神霊界探訪のことなど話しても、豚に価値ある真珠を投げてやるようなものだとイェースズは思っていた。それは無意味を通り越して、有害でさえあった。豚に真珠を与えたら、逆に噛みついてくるのである。
「ちょっと待て!」
それまで黙っていた最後の若い学者が、口を開いた。
「答えるだの言うの言わないのと言っているけれど、ありもしない権威なのだから、語るに語れないはずだ。すべてが妄想でしかないのだからね」
最初の学者が、その言葉を受け継いだ。
「それよりも伝統や権威をないがしろにし、我われ律法学者をも軽んじたのは問題だ。我われはきちんと神殿に生贄を捧げ、祈りをしている」
「確かに、形だけはご立派です。お聞き下さい。昔、二人の息子がいる人がいましてね、その人がその長男にぶどう園で働けって言ったんですね。すっると長男は『はい。分かりました』と実にいい返事をしたんですけど、返事ばかりは立派でいつまでたってもぶどう園へ行かない。働く気なんかなかったんですね。そこでその人は次男の所へ行って同じように言いますと、次男は行くでもなければ行かないでもなく、つまりろくな返事はしなかったんですけど、実際にはぶどう園へ行って働いていたんです。どっちの息子が、父親の心にかなっているでしょうかね」
「それがどうした? 何が言いたいのだ?」
学者たちは威勢よくイェースズに迫ろうとしていた。使徒がまたイェースズの前に出ようとし、相手も祭司が学者たちをけん制していた。そしてその祭司が、
「次男の方ですな」
と、学者たちに代わって答えた。イェースズは、ニッコリと笑った。
「あなた方は形の上ではたいへん立派なんです。立派に神様を敬っておられる。確かに、まずは形から入ることも大切です。でも、そこで止まっていたら、神様の律法に背いたということであなた方が罪びととしている収税人や娼婦の方が、先に神の国に入ってしまいますよ。そういった人たちの中には、ヨハネを信奉していた人も多いですしね、私がお伝えさせて頂いている真理の教えで回心した人も実際問題として多数おりましてね。それよりもう一つ、ぶどう園と言えば地主、ぶどう園、小作は何を意味するかご存じですよね」
「当たり前だ。あまり我われをばかにするな。そんなのは子供の頃から聞いていたたとえ話じゃないか」
「ところが地主が旅に出て、そして収穫の時にぶどうの実を集めるため、召使いをぶどう園に送ったら、なんとその小作人たちは何を思ったのかその召使いを殺してしまったんですよ。そこで別の召使いをぶどう園に送ったら、小作人たちはばれないようにうまくやって次々に召使いを殺してしまったんですね」
「そんなばかな話はあるかい」
と、一人の学者がちゃちゃを入れたが、構わずイェースズは話し続けた。
「いや、実際にあったことなんですよ。もっとも、本当のぶどう園での話ではなく、地主は神様、ぶどう園はこの世で、小作とは我われ人類のことですよね。それでぶどう園に何人も召使いを送っても帰ってこないので、地主はとうとう自分の大事な一人息子をぶどう園にやったんです。でも、小作たちはそれをも殺そうとしたんです。地主は普通、どうしますか?」
祭司が、目を見開いてイェースズに言った。
「そんな小作人は追放するだろう」
「そうでしょ」
「『詩篇』にもありますよね。『家を建てるものたちが捨てた石が、角の礎石となった』ってね。わたしの父は大工でしたからよく分かるんですけど、自分たちは選ばれた民だなんて安心していると、今にとんでもないことになりますよ。あなた方が私を捨てても、私がお伝えさせて頂いている神の教えは、いつか人類の礎石になるんです。『これは神様のなさる事。私たちの目には不思議な事』とも詩篇には書いてありますね。そこでさっきの話ですけど、息子どころかやがて地主本人がぶどう畑にお出ましになる、そんな天の時が近づいてきているんですよ」
「おまえの話は、われわれへの最大限の侮辱だ。んん、けしからん! 覚えておけ」
学者たちは鼻息を荒くして捨て台詞を残し、祭司の腕を引いてイェースズから離れていった。




