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人間・キリスト  作者: John B.Rabitan
第3章 福音宣教時代
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奇跡の本質

 夜遅くにようやく下山した彼らは麓の村で同じ家に泊めてもらい、翌日になってからピリポ・カイザリアに戻った。

 町の入り口で、イェースズたち一行を何人かの人々が待っていた。家族のようで、イェースズの姿を見て声をあげた。


「おお、戻られた」


 イェースズはその人たちに、近寄ってみた。


「あなたは、ガリラヤのイェースズ師ですね」


「そうですが」


 イェースズはニコニコと答える。


「申し訳ありませんが、すぐ来て頂けませんか」


 イェースズに語りかけた男は、かなり慌てているようだった。

 その男についてしばらく歩き、ギリシャ建築の建物の角を曲がると、そこは黒山の人だかりだった。その中の何人かが、やはりイェースズの姿を見て声をあげた。

 人だかりの中にはこの町に残していったイェースズの使徒たちもいて、人々と何やら議論をしているようだ。


先生ラビ!」


 トマスがイェースズのそばに駆け寄った。人々はどよめきの声をあげた。


「どうしたんだね。何の騒ぎかね?」


 イェースズがトマスに尋ねている間にも、群衆の中の若者がイェースズのそばに寄ってきた。


「あなたが、この方たちのラビですね。あの有名な」


 イェースズがそれに答える前に、先ほどイェースズをここに連れてきた男がイェースズの前に出た。


「私はあなたの噂を聞いて、息子を救ってもらいたいと思ったんです。でもあなたがいらっしゃらなかったから、お弟子さんに頼んだんですよ。だけど、ぜんぜん効かないじゃないですか」


「それ見ろ。こいつらの言うことは、まやかしだ。『我われに任せれば治る』なんて、詐欺だ、ペテンだ、大ほら吹きだ! それで効かなければ、『病気治しが目的じゃあない』なんてぬかす」


 人々の中でそんな声も上がり、同調してわめく者も複数いた。


「そうだ、そうだ!」


 イェースズは困り果てたような顔をして立っている使徒たちに、さっと目をやった。


「不信仰な時代だなあ。私はいつまでも、あなたがたのそばにはいないよ」


 それから、息子を救ってほしいと言った男に目を戻した。


「いったい、息子さんがどうしたのです?」


「普段は何ともないんですけど、一日に何回か口から泡を吹いて、のたうちまわって暴れるんです」


「いつごろから、そんななんですか?」


 小さい頃からですけど、特に火や水を見たらその状態になることが多くて、命を失いかけたことも何度もあります」


「今は?」


「今は落ち着いてますからここに連れてきて、あの木の下に座らせて休ませています」


 そう言ってからおとこは、まだ少年である息子を連れてきた。蒼白い顔でうつむきながら、少年は父親に支えられて力なく歩いてくる。

 ところが弱々しく顔を上げてイェースズを見た途端、少年は大声で奇声を発した。そして父親をものすごい力で跳ね飛ばし、地面に仰向けに倒れ、全身を引きつらせて白目をむき、口から泡を吹きだした。


「布切れ!」


 とイェースズは使徒たちに言いつけた。ペトロが布を差し出すと、イェースズは少年を押さえてその口の中に押し込んだ。


「なぜ口に布を?」


 そう聞く父親に、


「舌を噛まないようにです」


 とだけイェースズは答え、それから使徒の方を振り向いた。


「ヤコブ。エレアザル。後ろからこの子を抱きかかえて!」


 二人がそうすると、イェースズは大きな声で言霊をかけた。


「シードゥーマーレー」


 それを三回繰り返すと、少年は途端に脱力して動かなくなった。イェースズは少年の口から布をはずし、ヤコブとエレアザルを離れさせ、少年の後ろに回って後頭部に手のひらからの霊流をしばらく放射した。

 そして少年の呼吸もだいぶ整ってきたのを見ると、再び少年の前に回り、しゃがみこんで眉間に霊流を流し入れた。ほんの短い時間の後に、少年の体は小刻みに震えだした。


「熱ちち! 熱ちち!」


 目を閉じている少年の唇が動く。イェースズは黙って手をかざし続ける。


「熱ちちち!」


 少年は自分の体じゅうをはたいたが、それはまるで降りかかる火の粉を払うしぐさに似ていた。どうもイェースズの放つ霊流が熱いと言っているようではなさそうだ。イェースズはゆっくりと、語り掛けた。


「このお方におりの御霊ごれい様に申し上げますよ。あなたは熱い所にいるんですか?」


「熱ち、熱ち、熱ち。炎の中、熱ち。このガキの先祖に、俺は家ごと焼き殺されたんだ」


「そうですか? 怨んでいるんでしょうね」


「当たり前だ!」


「その怨みの念が炎となって、あなた自身を焼いているといのですよ」


「熱ち、熱ち、熱ち!」


「熱いでしょう? でも、あなたも救われるんですよ。まず、神様のみ光を頂いて下さい。そして肉体がない今でも、幽界においても神様の御用はできますよ。この方のお邪魔をしていたところで、あなたは救われません。その苦しみがこれからもずっと続くことになりますよ」


 そしてイェースズは幽界脱出の罪について懇々とサトし、一切を許す想念が自分の救われにもなることを説いた。

 霊の苦しみも少し和らいできたようだった。


「天地創造の『神様』のお気に召すものは繁栄し、そうでないものは滅んでいきます。まずは許すことです。許せばあなたも許されます。あなたが焼き殺されたということは、その前の過去世においてはもっとひどい目に遭ったかもしれませんね。ちょっと見てきてごらんなさい」


 そのあとは、いつものシナリオ通りだった。霊は過去世でもっとひどい目に遭うどころか、逆に相手をひどい仕打ちで焼き殺していたのだという。

 いつも通りその過去をやり直させ、少年に障っていたところをもとに戻させると、すっかり救われた霊は離脱していった。


「どうぞ、静かに目を開けてください」


 少年はパッと眼を開いた。そして先ほどまでの蒼白い顔とは裏腹にとても血色がよい顔になって、笑顔が輝いていた。

 人々の間に歓声が上がった。礼を言う父親に応えた後、イェースズは使徒たちをつれてさっさとその場を後にした。歩きながらトマスが、イェースズの脇に寄ってきた。


先生ラビ、お手数とらせて申し訳ありませんでした」


「いや、別に構わないけれどね、また噂が広がったら困るな」


 イェースズはいつもの慈愛の微笑みに満ちた顔になっていた。


「あのう先生ラビ、どうして私では効かなかったのでしょうか?」


 笑みを含んだ顔を、イェースズはトマスに向けた。


「まあ、宿に戻ってから」


 宿に戻るとイェースズは、早速使徒たちを丸く座らせた。


「トマスだけでなく、みんなに言っておこう。トマスのわざがなぜ効かなかったか。あなた方はたくさん奇跡を体験して、それで自信がついたのはいいのだけれど、うっかりと落とし穴にはまったんじゃないかな」


「落とし穴……ですか?」


 トマスが、ばつが悪そうに聞いた。


「あなたがたには、奇跡にれるなと言っておいた。でもそれを忘れて、奇跡に感動し感激する心をも忘れて、奇跡は起こって当たり前と思っていなかったかい? いいかい。起こって当たり前のことは、奇跡って言わないんだよ。起こり得なくして起こるのが奇跡なんだから。そこには感動がないとうそだ。そして自信がついただけに過信して、奇跡の業の力を自分の力だと勘違いしていなかったかい? そしてあたかも自分が治すんだと錯覚して、『私が治してあげよう』なんて言わなかったかい?」


 トマスが首をすくめた。


「申し訳ありません」


「この業は、決して自分の力じゃないんだ」


 使徒たちはうつむいて、しばらく声を出せずにいた。


「そうしていつしか奇跡に狎れ、神様に狎れてしまう。感謝の心を忘れて、当たり前に感じてしまう、それが恐い。そこが落とし穴なんだ。あなた方のこの力は」


 イェースズは手をかざすまねをして見せた。


「あなた方の力じゃあない。かざした手のひらから先は、神様の権限だ。奇跡を起こされるのは、神様なんだよ。もういい加減、耳にタコができていてもらわないと困る。『神様、お願いします。どうかお使いください』と、そういう祈りがないと、神様は力をビシャッと止められる。あなた方は、奇跡の業の前に祈っているかい?」


 またもやトマスは首をすくめた。


「忘れてました」


 トマスはうつむいてしまった。それを見てイェースズは笑った。


「別にトマスを責めてるんじゃないんだから、気を落とさないように。いいかい。癒しの業は自分の力ではなく、神様のお力だ。でも我われが手をかざさないと、神様はお力を発し得ない。だから、神様の力を頂くためには、祈りと信仰が大事なんだ。本当の信仰があれば山をまるごと別の位置に移すことも可能だ。それを自分の力と勘違いして、を出すとうまくいかない。ちなみにトマス、あなたはあの少年にどのように業を施したのかね?」


「おなかをかきむしっているのでまずお腹、それから泡を吹くので喉と口に、けっこう長い時間やりましたよ」


 イェースズは片手で自分の額をさすり、ため息をついた。


「時間を長くやりゃいいというものではない。急所を外していたら効かない。今回もそんな体に霊流を送るより、まずは霊的なものであることをサトってすぐに眉間だろう。本当は受ける方の想念が七分ななぶ、施す方の想念は三分さんぶなんだ。だからといって施す方ががいっぱいで『自分が治してやろう』なんて欲が出ると、何度も言うが神様はぴしゃりと止められる」


 イェースズはそこまで言うと、またニッコリ笑った。

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