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人間・キリスト  作者: John B.Rabitan
第3章 福音宣教時代
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厳しい話

 折しも風が出て、カペナウムに行くはずがペトロの話だとだいぶ西に流されているという。そしてようやく岸にたどり着いたが当たりはもう真っ暗で、とりあえず一行は船を岸に上げてその船の中で一夜を明かすことにした。

 明るくなって外に出てみると、湖岸はなだらかな丘陵で、すぐそばまで台地が迫っている。その谷間に町があった。

 何という町だか見当がつかないが、湖の西岸のゲネサレであることには間違いがないようだ。ゲネサレとはカペナウムから西岸のマグダラまでの地帯を指す。

 空はどんよりと曇っていた。

 イェースズ一行はその町に入ったが、すぐにイェースズだと知られ、多くの人が病の癒しを求めて押し寄せてきた。小さな町だから町中の人が押しかけてもたいした人数ではないがなんと情報は町の外に飛び火し、午後になると次々と町の外からもイェースズを探してやってくるものが増えだした。マグダラからカペナウムは街道が走っており、旅人も多いのである。

 使徒たちと手分けしてそんな人々の病を癒しながら、イェースズはいつまでも行きがけの駄賃ばかりを与えていてもいいものだろうかと感じ始めていた。最初はそれでいいが、いつまでも神大愛の大慈観ばかりではなく、大悲観の厳しさも必要になることはイェースズは百も承知していた。

 それでも、病の癒しのみを求める信仰薄いものも、イェースズは決して裁きはしなかった。太陽が無償の愛を万生に降り注ぐごとく、求められるままに病を癒し、邪霊を離脱させ、人々の魂を救っていったのである。


 だが、その翌日には、ベツサイダに残してきた七十人ほどの弟子たちが、この町に到着した。そこで困った光景をイェースズは目にした。

 彼らは病の癒しを求めてイェースズを訪ねてきたものに対し、自分たちは定着した弟子であることを鼻にかけ、優位性を誇示し始めた。何か特殊な階級であるかのように振舞い、初めて来た人々を見下し始めたのである。おそらくは今に始まったことではないだろうが、今までのイェースズは忙しすぎてそれに気がつかなかった。

 時にはイェースズの意に反して、イェースズの教えはもっと厳しいもので、病の癒しのみを求めて来るものは来るなとか、挙げ句の果てには人々の前で説法まで始め、そんな信仰浅いことでは救われないと人々に脅しをかける光景も見られた。

 そのようなことはイェースズは命じていないし、彼らが勝手にやっていることである。しかもその内容たるや完全にイェースズの教えに自己流の解釈の尾びれをつけ、かえって人々の魂を萎縮させるものだった。

 そのような惨状を使徒たちも憂いており、エレアザルが代表してイェースズに切々と訴えた。


「あの人たちの態度は完全に神様にれ、先生ラビの教えにも狎れ、奇跡にも狎れている姿だと思います」


「でもね」


 こんな時でも、イェースズは微笑んでいる。


「あの人たちは決して悪気があるわけではない。むしろ、自分が正しいと思ってやっていることなんだ。つまり、私の教えに熱心なんだね。熱心なあまり暴走することもあろうけど」


「暴走ゆえに、人々をつまずかせたらどうします?」


と、アンドレが口をはさんだ。


「それでつまずくなら、それまでの御神縁だ。世の中のことは一切必然であって、偶然というものはないからね」


「でも、何とかした方がいいんじゃないですか?」


ペトロの進言にも、イェースズは笑って言った。


「私は裁きはしない。いや、裁くことなんてとてもできない。裁かれる方は、ほかにいらっしゃるからね」


 その日の午後、イェースズは癒しの業を中断して、人々の前に立った。


「皆さん。この中にはかなりの数、ベツサイダでお会いした方もいらっしゃいますね。またいつも私といっしょにいてくださって、活動してくださっているいわゆる弟子の方たちもいます。心から、感謝します。本当にありがとう」


 イェースズはそこで、一度頭を下げた。


「皆さんは私がお伝えする神様の教えに、かなり満たされたことと思います」


 群衆といっしょにその話を聞いていた使徒たちは、イェースズがここでかつんと弟子と称する人々に厳しく注意するものだと思っていたし、またそれを期待していた。


「私は今まで、ずっと神様の愛について語ってきました。神様の愛は大愛だから、どんな人でも愛してくださる。どんな罪をも許してくださる。だから皆さん、安心していいんですよ。神のみ光も神の教えも、分け隔てというものはありません。信仰のミチは、一律平等なんです」


 イェースズは、微笑んだまま、群衆を視線を這わした。特に、病を癒してもらうために押し寄せた人々よりも、ずっとイェースズについて回っている弟子たちの顔をじっと見渡した。


「でも皆さん、いいですか。ここからが肝腎なんですが、形だけ、人知だけの信仰に陥っては何にもならないんですよ。形なんかよりも、神様のみ意をサトルことが大切なんですね。ですから、神様は甘チョロかと思ったらそれは間違いです。いつまでも甘えた想念でいてはいけないんです」


 人々は、シーンと静まりかえった。


「神大愛は、時には厳しいものです。神様のミチから逸れるとどうなるかと言いますとね、正しい神様は決してバチは当てられませんが型示しで気づかせようとなさいます。それは、神の子である人類がかわいいからです。かわいいからこそ、厳しくもご注意くださるのです。それが戒告であり、また不幸現象などのような魂の掃除の現象です。ですから今日は皆さん、少し厳しい話をしますよ」


 そう言いながらもイェースズの顔はいつもの笑顔なので、今ひとつ人々の間に緊張感がないようだった。


「皆さんの中の多くは、奇跡を体験した方でしょう? 見えなかった目が見えるようになった。歩けなかったのが歩けるようになった。長年の肩こりが治った。家庭の中が乱れていたのに仲良くなったとか、数えたらきりがありませんね。本当にありがたいことに、神様は降る星のごとく奇跡を下さっています。しかし、なぜ神様は奇跡を下さるのでしょうか? 考えたことありますか?  そのようなことを考えたこともないというのでは、自分の病気さえ治ればいいという自己愛信仰だといわれても仕方ありませんね。他人ひと他人ひと、自分は自分と思っていたら、本当の愛和の世界は顕現しないんですよ」


 ますます人々の間に、沈黙が広がった。イェースズはこの時しっかりと、ここに集まっているのは自分の信奉者ばかりでなく、例のどす黒い波動も少なからずあることも感じていた。


「そのような自分さえよくなればいい、病気が治ればいいなんていう想念は、まことに残念ですが奇跡にれてしまっていると言わざるを得ないわけです。奇跡に感動し、感激する心を忘れて、もう奇跡を奇跡とも思わないで当たり前のことのように思って、病気になったら私の所へ来れば治してもらえるなんて、完全に私を医者と間違えている人はいませんか」


 何人かは笑ったが、多くは静まったままだったので、笑った人もすぐに笑いを収めた。


「そういうのをですね、勘違いというのですよ。勘違いすれば、神様のみ意をまっすぐに受け取ることはできないんです。勘違いは神を違えています。神様はですね、すべてを見抜き、お見通して、すべてをご存じなんですよ。でも、このことが本当に分かっている方は非常に少ない。神様は皆さんの一挙手一投足を、ご覧あそばされていらっしゃいます。どこに隠れたとしましても、神様は皆すべて見抜き、お見通しなんです。いいですか、いつも申し上げていますように、奇跡には本当の奇跡と見せるための奇跡があるんです。ですから、奇跡を戴いたあとの想念が大切だということなんです。この奇跡の業は私の力ではなくて、神さまが私を使ってお力を注がれているんですよ。神様がピシャッと止められたら、もう私には何もできません。神様は皆さんに恵みを与えたくて与えたくてしょうがないんですけど 受ける側に受け入れる素地というものがなければ途中で止められてしまうんです。どうか自分の病気が治ればいいとかそんなけちな想念ではなくて、なぜ神さまが今の世にこの奇跡の業をお与えになったのかその目的と意味をよくお考えになりまして、永遠の生命いのちに至るための食べ物を求めて来てください。いいですか、考えてくださいよ。考えるとは、神様に還ることですよ」


「あのう」


 その時、程近いところに座っていた若い男が、群衆の中から手を挙げた。


「私たちは、病気を治してもらいたいんですけど、そんな想念がだめだとおっしゃるなら、具体的にどうすればいいんですか?」


「はい、いいですか。具体的には、神様の遣わされた者の言葉をよく聞き、それを信じて実践に移すこと、それが神様の業を行なうことになります」


 別のものが手を挙げた。中年の女性だった。


「じゃあ、信じられるために、どんな証拠を見せてくださいます? 確かに私は長年の肩こりが治りましたけど、肩こりなら医者でも治せます。さっき、永遠の生命に至る食べ物とかおっしゃいましたけど、それを下さるんですか」


「そう、昔」


 その近くの、頭の禿げた男も口を開いた。


「神様は砂漠にマンナを降らせてくださいましたけど、そんなマンナみたいなものをあなたが降らせて下さるんですか」


「いいですか、皆さん」


 笑顔の中でも、イェースズの目だけは鋭かった。


「マンナを人々に与えたのは誰でしたか? モーセでしたか? 違いますね。神様ですよね。神様が皆さんに、永遠の生命にいたるパンをくださいます。そしてそのパンとは、私です。私の言葉です。私がお伝えさせて頂いている神様の教えを信じて受け入れ、実践に移せば、魂は飢えもしないし、乾きもしないんです。いいですか。ここで皆さんに私がパンを配っても、それは肉体を一時的に満たすだけですよね。ベツサイダではパンと魚を配らせて頂きましたけど、それを食べた方も次の日にはまたお腹がすいたでしょ?」


 論議を発したものも、群衆の中で沈黙した。イェースズは続けた。


「皆さんは、失礼ですけど、私の教えを受け入れましたか? 受け入れるとは、実践することなんですよ。耳で聞いて頭で覚えて理解したつもりになっても、実践していなければ受け入れたことにはなりません。神さまのみ言葉をお聞きしてもですね、上辺だけ、形だけの方が多いというのはたいへん残念です。形だけ、上辺だけの信仰では、神様はこれをお取り上げにはなりません。見せかけだけの信仰、見せかけだけの祈りでは、真の神の子となることはできないんです。神様の教えもご注意も他人事としてお聞きになっておられる方が多いようですけど、他人事のように聞いていましたのでは決して身に付くものではありませんからね。何を見ても、何を聞いても、自分のこととして受け止めて反省していく人になりますと、霊的に飛躍していくんです」


 イェースズは一息ついた。そして、人々を見渡した。


「だからといって私は、皆さんを裁きません。裁く権限もありません。どうぞお帰り下さいなどと言って追い払ったりもしません。皆さんは私にとって、神様が私に与えて下さった存在なのです。私がこの世に来たのは、私の意志じゃない。私は自分がしたいことをするために来たんじゃなくて、私をお遣わしになった方のご意志を行なうためなんです。その神様の御本願とは、すべての人が救われて、この世がそのまま天国になるということです」


 人々は、ざわめき始めた。自分のことを生命のパンといい、遣わされたものという表現が受け入れられない人々がいるようだった。ざわめきの中でも、イェースズは口を開いた。


「皆さん、どうか不平不満はやめてください。皆さんも自分の意志でここに来たと思っておられるかもしれませんけど、実は皆さんは神様に許されて、神様に集められたんですよ。神様に選ばれてここに来させて頂けたということに、まず感謝しなければなりません。誰も、神様を目で見ることはできませんね。それでも神様を信頼しておすがりする人は、永遠の生命が得られるんです。そして私こそが、私の言葉こそがそこに至るための生命いのちのパンと救いのさかずきなんです。私たちの先祖は荒れ野でマンナを食べましたけど、みんな死んでしまったでしょ? でも、私という生命のパン、つまり私の肉と救いの杯の私の血、そんなパンを食べぶどう酒を飲めば魂は永遠に安らぐことになるんです」


 また人々はざわめき、それは次第に大きくなっていった。互いに何かを論じ合っている。自分の肉を食べろ、自分の血を飲めと、こんなおかしなことをいう預言者ははじめてだなどという想念が伝わってくる。彼らには、もののたとえが分かっていないようだった。


まことまことにまことに、私は皆さんに言っておきます」


 イェースズがそこまで言っても、騒ぎはなかなか収まらなかった。イェースズは構わず続けた。


「皆さん、もっと霊的にものごとを考えてください。私の肉を食べ、私の血を飲めと言ったのはですね、私が伝える神様の教えを受け入れて日々の生活の中で実践し、自分の血とし肉とすることなんです。耳で聞いて頭に入れただけでは、食べたとはいえないんです。私の体は真の霊的食べ物、私の血は霊的飲み物です。私の体を食べ、私の血を飲む人はいつも私の中にあって、私もその人の中にいます。そういったお互いのしっくりした関係が大切ですね。今も生きておられて御実在する神様が私をお遣わしになり、私は神様に生かされているように、皆さんも今この時を神様から許されて、生かして頂いているんです。だから神様の生命のパンを食べれば、肉体は別にしても魂は永遠となるんです」


 人々の騒ぎは、いっこうに収まらない。そんな時、群衆の中央で大声で叫んだものがいた。


「なんてひどい話だ! こんな話、聞いてられるか! 自分の肉を食べさせ、血を飲ませるなんて、悪魔の儀式だ。我われを食人鬼にしようというのか」


 叫んだものは最初からどす黒い想念波動を発していた張本人で、錯乱目的で入り込んだイェースズの批判派だったのである。おそらくは、パリサイ人の学者の忠実な弟子だろう。

 ところがその叫びで人々のざわめきはさらに高くなり、群衆のかなりの数がその想念波動に同調してしまっている。

 また、こんな声も上がった。


「あんたは自分が遣わされたものって言ったけど、何のために遣わされたんだ? 病気の人たちを癒すためなら、五体満足な俺たちにとっては何なんだ?」


 イエスはそのものの方を向いた。


「五体満足ならそれは幸せでしょうけれど、本当にそれだけで幸せですか?」


「いや違う?」


 ほとんどヒステリックな声も上がった。


「俺たちの本当の願いは、今このユダヤの民が異教徒であるローマに支配されていることだ。あんたが遣わされたというなら、我われの先頭に立って異教徒のローマを追い払ってイスラエルの民の自主独立、民族の自決を勝ち取ってくれるというのか」


「そうだそうだ」


 同調する叫びはあちこちで上がり、やがてそれが群集の大合唱になった。それが最高潮に達したとき、イェースズは声を張り上げた。

 人々を静かにさせるために、イェースズのその大声はしばらく続ける必要があった。


「皆さん、お聞きください」


人びとは息をのんで、その次の言葉を待った。


「神様の愛は民族の隔たりを越えるものです。たとえローマであっても敵として憎んではなりません。あなたの敵と思われるような存在に対しても神様の愛は注がれていますから、あなた方もそれに倣って愛の心を持つべきです」


 人びとはどよめいた。あちこちで、


「もうたくさんだ。帰ろう、帰ろう」


 という声が上がり、何人かが三々五々に散り始めた。それでもイェースズは、微笑んで語り続けていた。


「永遠の生命を与ええるものは、パンのような形あるものではありません。それは霊です。私が教えを伝える言葉には、神の言霊ことたまが宿ってるんです。物で霊的な救いがもたらされることはありません。救いは神の教えと火の洗礼バプテスマによってもたらされるんです。私に近づいて私の教えを聞き、それを生活の中で実践することで神の光に近づくんですよ」


 ところがいったん堰が切れたらそこから水が一斉に流れ出すように、勝手に解散してその場を去っていく人が雪崩のように急増した。引き際は実に見事で、あれだけの群衆があっという間にいなくなり、結局十二人の使徒だけが残った。

 その使徒たちを自分の周りに座らせ、イェースズは苦笑をもらした。


「やはり、神様のお許しがない人はこの場にいられないんだね。前にも言ったろう。『私は決して裁きはしない。どんな人でも受け入れる』って。でも神様から許されない人は、私が裁かなくても、自分の意志で自分で歩いて去っていくことになるとも言ったね」


 アンドレがうなずいた。おりしも曇っていた空の西の一角だけ雲が割れ、夕日がさっとさした。たちまちあたりは真っ赤に染まり、港町の夕暮れの寂しさを強調した。

 イェースズは、使徒たちの顔を見渡した。


「あなた方は去っていかないのかね?」


 ペトロが顔をあげ、イェースズを見据えて言った。


主よ(アドナイ)、あなたは神の子のメシア。永遠の命の糧だ。あなたをおいて誰の所に行きましょうか」


 その気持ちは、十二人全員のものだった。


「これでいい。真の自覚ができた人が五人いるだけで、この世は救われていくんだ」


「去っていった人々は、きっと神様がお掃除してくださったんでしょう」


 そう言ったエレアザルを、イェースズは少し厳しい目で見た。


「そういうことは、言わないように。神様のされることは、人知では断定できないんだよ」


 マタイも顔を挙げた。


「彼らはなぜこうも簡単につまずいてしまうんでしょう。先生ラビがスーッと天にでも昇れば、彼らは信じるんでしょうかね」


 その言葉を、イスカリオテのユダが眉を動かしながら聞き、それからペトロと顔を見合わせていた。

 イェースズは立ち上がった。そして明るく、


「さあ、カペナウムに帰ろう」


 と言った。使徒たちも、笑顔を取り戻していた。

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