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人間・キリスト  作者: John B.Rabitan
第3章 福音宣教時代
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ヨハネ師の手紙

 翌日、イェースズたち一行はさらにガリラヤ湖の北へと進み、北岸に達した。だがイェースズは、家のあるカペナウムは素通りするつもりだった。また病気治しの御利益信仰の人々がイェースズの家に殺到して、収拾がつかなくなると考えたからだ。

 だが、町の入り口の通行税徴収所で、イェースズは足を止められた。しかしマタイがかつての収税人仲間に話して、通行税はとらないということになった。

 そしてそれ以外にも、思いがけないことがイェースズに起こった。収税人はカペナウムに残してきたイェースズの弟のヨシェから、イェースズたち一行がここを通過して、しかもイェースズのもとを去っていかなかった人々もいっしょにいたら、すぐに知らせてくれるように頼まれていた。

 しばらくして収税人が戻ってくると、とにかくある手紙が届いているから一度戻ってくれというヨシェの言葉をイェースズに伝えてきた。

 イェースズはひとまず群衆をペトロとアンドレの家の近くまで連れて行った。ペトロとアンドレは久しぶりに家に帰り、ペトロは妻とも再会できたわけで、ちょうどすぐそばが湖岸なので人々はそこで待機させた。

 イェースズは妻マリアと二人で、家に戻った。イェースズにとって本来は弟である小ヤコブと小ユダも同行を求めたが、イェースズはみんなといっしょにいるように言った。

 マリアにとっては、婚礼以降初めて入る婚家だ。帰るとそこには、母の従姉のエリザベツ、つまりヨハネ師の母も来ていた。母マリアと妻マリアは親類でもあって互いに知らない仲でもないし、ましてやエリザベツは妻マリアの伯母だから互いの挨拶もそこそこに、イェースズは母マリアからいきなり羊皮紙の断片を渡された。

 エリザベツがそれをわざわざ持ってきてくれたのだということで、ヨハネは母あてとともにイェースズ宛の手紙をも母に託したとのことだった。

 ヘロデ王の王城の牢獄につながれている割にはよく羊皮紙が手に入ったなと思って、イェースズはそれを広げた。妻マリアがそれをのぞきこむ形で、いっしょに彼女の従兄の手紙を呼んだ。


「親愛なるエッセネの兄弟よ。そして我が親族のものよ。心を込めて、挨拶を贈る。主の平和が、いつもあなたとともにあるように。

 さて、私はこの冷たい牢獄にあっても、あなたの噂をたびたび聞く。あなたはあなたの生まれ故郷、そして私にとっても縁のあるガリラヤの土地で、神の教えを説いているという噂だ。そこで私は尋ねたい。あなたこそがエッセネで待ち焦がれていたところの、油注がれたる救世主なのかどうか。

 私はどうかこのことだけを知りたいのだ。主の祝福が、あなたの上にありますように」

 

 イェースズはしばらく無言で、そんな文面を見つめていた。そして、ため息を一つついた。まるで返事を促すかのような目で、妻のマリアはイェースズを見た。彼女自身もまた、同じことを知りたがっているような目だ。イェースズは羊皮紙を巻き戻し、自分の脇に置いた。そしてエリザベツを見た。


「この手紙に対して、言葉で答えることは私にはできません。どうか今日一日ここに滞在して、私がしていることをその目でご覧になり、ありのままをラビにお告げ下さい」


 イェースズは同じ部屋にいたヨシェに、ペトロの家まで走って十二人の弟子だけをつれてくるよう頼んだ。やがて、十二人の走る足音が外に聞こえてきた。

 狭い部屋二十二人の男がひしめきあって入って座ると、イェースズはいつもの笑顔で彼らと母マリア、エリザベツ、ヨシェ、そして妻マリアを見渡した。そして、主に十二人の弟子に向かって言った。


「みんな、よく聞いてくれ。この中にはかつて、ヨハネ師とともに修行をしていた人もいるね。今、そのヨハネ師から手紙が来た」


「おお、ヨハネ師」


「獄中からどうやって手紙を?」


 といろんな声が、主にペトロとアンドレ、ヤコブとエレアザルの両兄弟から上がった。ほかにヨハネ教団の幹部出身のピリポとナタナエルも、驚きを隠し得ないでいた。小ヤコブと小ユダも、ヨハネの親類だから知らない相手ではない。

 だが、それ以外のヨハネを知らない弟子たちも、ただならぬ事態に息をのんでいた。イェースズは言葉を続けた。


「私も懐かしく手紙を読ませて頂いたけど、同時に考えたんだよ。結局あの方はどういう存在なのかなって。ペトロ、君は何がきっかけで荒野のヨハネ師のもとへ行ったんだい?」


「ヨハネ師の噂を聞きつけて、洗礼バプテスマを受けたかったからです」


 ペトロはそう即答した。しかし、


「じゃあ、そこで何を見た?」


 というイェースズの次の質問には、思わず口をつぐんでいた。


「風にそよぐ葦だったかい?」


 笑って言うイェースズに、ペトロは首を横に振った。


「いえ、違いました」


「アンドレ。そこにいたのは、絹をまとった王様だったかい?」


 アンドレも首を横に振って、


「預言者でした」


 と、言った。イェースズは笑ってなずいた。


「そうだね。でも、預言者以上だったんじゃないかな?  聖書トーラーに『私は使いを遣わす。その使いは、私の通る前に、道を切り開くものである』とあるけど、私はヨハネ師のことを思うときには、どうしてもその一節を思い浮かべてしまうよ。ヨハネ師の魂は、ここだけの話だけど、エリアの再生だ」


 これには居合わせた人が皆、驚きの声を上げていた。イェースズは落ち着いて、さらにしゃべった。


「これは神界の秘め事だから今はあなたがたにはっきりと言うわけにはいかないけれど、やがて暗黒の時代が終わり、天の時が来て正神の神様がお出ましになったら、邪神は正神に戦いを挑み、神霊界では正邪の戦いが繰り広げられるだろう。もはや天の時は近づいているからね。そして、その兆候はすでに十分に現れている。そんなときにエリアが肉身を持ってこの地上に再生したということは、すごい意義のあることだね」


「でもあなたは」


 と、そこでエリザベツが口をはさんだ。


「今はヨハネ以上に人をきつけているという噂ですけれどね。あなた自身は、いったい何なのです? 何の魂の再生なのですか?」


「申し訳ありませんが、伯母さんにもそれは口では言えません。ただ、私のひとつ前の過去世は、東のシムの国のラビで、マング・カールと名乗ってやはり人々に教えを説いていたようです。でもですね、今私に確かに群衆がついてきていますが、ヨハネ師に比べたらまだまだ少ない。この間もとんだちゃちゃが入って、ずっと減ってしまいました」


 イェースズは苦笑して、さらに話し続けた。


「今の時代は人心が神様から離れて、物と地位と名誉にばかり心を奪われている。ちょうど広場で子供たちが遊んでいるところに声をかけても、誰もまともに返事をしてくれないのと同じですよ。まさに『笛吹けど踊らず』でしてね、ヨハネ師が断食をしていたら『悪霊に取り憑かれてる』って人々は言うし、私が普通に飲み食いしたら、異教徒をさげすむような言い方で『大飯食らいの大酒飲み』なんて言うんですからね」


 イェースズは声を上げて笑った。それから、すくっと立ち上がった。外では人々の騒ぐ気配がする。いつもイェースズについてきている群衆はペトロの家の近くにいるが、このカペナウムの住民で、そらイェースズが戻ってきたぞといわんばかりに奇跡をほしがるそんな村人たちが騒いでいるようだ。

 イェースズはピリポに目で合図して、そのうちの一人を中に入れさせた。その前に、イェースズは小声でエリザベツに言った。


「私がこれからすることは自分の力ではなくてすべてが神様のみ力ですし、私が語る言葉も私が考えたものではなくて、私が天の神様から聞いたとおりに人々に話しているんです。その点、誤解なさらないでください」


 イェースズは微笑のまま、今入ってきた男に言った。


「人の魂と神様とは永遠につながっているという事を自覚すれば、果たしてすごいことになるでしょうね」


 だがそのとき、外で待たせていたはずのほかの村人の群衆も一斉に室内になだれ込んだ。誰もが自分の病気を引きずり、それを癒してもらいたい一心で来ている。つまり神への信仰云々よりとにかく自分の体が楽になりたいという自己愛信仰者であるが、それでもイェースズは人々のそんな心を決して裁きはしなかった。

 そしてイェースズはエリザベツや母マリアの見ている前で、次々に入ってくる人々の肩こりから腰の痛みまですべて手一本で癒し、また霊とも会話して霊を救い離脱してもらった。

 

 イェースズが故郷のカペナウムに泊まったのは、たった一晩だった。それからイェースズは十二人の弟子とだけで、船で湖を渡ると言い出した。

 船はペトロの所有する船を出してくれることにはなったが、ペトロは最初あまりいい顔をしていなかった。船を貸すこと自体は問題がないのだが、どうも雲行きが怪しいと彼は言うのだ。さすがに漁師だけあって天候に対する勘は狂いがないようだ。今日は大嵐になる可能性もあるとペトロは言った。


「大丈夫、。先生ラビがいっしょなら、神様が護ってくださるよ」


 小ユダが何気なく言ったが、イェースズはその言葉を途中でピシッと止めた。


「神様がなんとかしてくれるはずだなんて、そんなのは神様がいちばんお嫌いな想念だよ。つまり神()れしている証拠だね。神様に狎れちゃいけない。奇跡にも狎れちゃいけない。狎れてしまって神様となあなあの関係になってしまったら、神様はピシッと型示しを下さる」


 にこやかな表情だけれども、イェースズの言葉は厳しかった。

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