表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
人間・キリスト  作者: John B.Rabitan
第3章 福音宣教時代
69/146

説法と律法学者

 日増しに増えてくる人々に、夏の炎天下であるにもかかわらずイェースズは話をし、言霊によって彼らを浄め、そして神の光を分け与えた。

 そんな群衆のまちまちの想念は、話をしながらでもイェースズに伝わってきた。あるものはイェースズを祈祷師か何かだと思い、とにかく病気治しだけの目的で近づいてきている。またあるものは預言者だと信じており、また一部のものは熱心党ゼーロタイのように、イェースズを反ローマの旗印にして一気に植民地政策を跳ね除けてローマに勝利しようと思っている人たちも少なからずいた。

 イェースズの後ろをぞろぞろ着いて歩き、その話を座って聞くということができることは、本当に選ばれた人だけの特権だった。仕事を持っているとこうはいかないので、ついて来る群衆は仕事を休んでいるか、辞めたかの連中ということになる。そういった群衆のまちまちの想念の背後には、何かどす黒い想念の固まりがあることもイェースズは見抜いていた。


 マグダラで話を始めてから四日目、新しく加わる人がほとんどいなくなった。


「ペトロ、人が来なくなったね」


 夕方になって、イェースズはペトロに聞いてみた。


「それより先生ラビ先生ラビは今日も食事をおとりでない。夜もほとんどお休みになっていないんじゃないですか?」


「そんなことより、どうして人々が来なくなったのだろか?」


 だが、イェースズはそのわけをすでに知っていた。果たしてペトロは、申し訳なさそうに下を向いて言った。


「実は先生ラビがお疲れだろうと思って、新しい人が加わるのを禁止しました」


 それを聞いてイェースズは、大声で笑った。


「私は疲れてなんかいないよ。神様の御用をしているのだから、体はますます元気になっていく。人を一人救わせて頂くごとに、私の力は増していくんだ。もっともこれは私の力ではない。私は神様のお力を拝借して、神様が人々をお救いになるお手伝いをさせて頂いているだけだから」


 ペトロは口をはさもうとしたが、イェースズはさらに続けた。


「私を頼ってくる人々に神様のみ光を分け与えているのだから、その間は私は神様の懐の中で休んでいるようなものだ。せっかく神様のミチを求めてやってきた人を追い返しては、今日来ても明日来るとも限らないからね」


 ペトロは神妙に聞いていた。イェースズはまた笑った。


「ほら、暗いぞ! もっと笑って」


 仕方なくペトロは少しだけ笑った。


 翌日、イェースズが人々の前に出ると、先頭にいた数名の老人がひざまずいてイェースズを拝みだした。聞くと、昨日イェースズの話を聞いていただけで曲がらなかった足がまがるようになり、自由に歩けるようになったのだという。


「私を拝んでも仕方がないですよ、さあ、早くお立ち下さい」


 と、イェースズは老人たちに立つように促し、それから近くの岩の上に立って男女入り混じった人々を見渡した。


「皆さん、聞いてください」


 しばらくしてから、人々のざわめきは収まった。


「ここにいるご老人はですね、昨日その病気から救われて御礼に来られたということで、そういったお心はとてもありがたいんですけど、でも本当にお礼を言うべき相手は私じゃないんですね。それは、神様です。人物信仰はいけませんよ。信仰すべきは、天の神様だけです。人物信仰は、偶像崇拝と同じです。ですから、私を崇めないで下さい」


 人々は、シーンと静まり返っていた。


「皆さんの中には、奇跡を頂いた方も多いでしょう。しかしですね、奇跡といいますのはそのあと、つまり、奇跡を頂いたあとの想念がとても大切なんです。奇跡は神様の御実在を万人に知らしめ、そのお力を知らしめるための方便なんです。あくまで方便であって目的ではない。神様は奇跡を通して皆さんが、魂の悔い改めをすることを望んでおられます。奇跡が起こって、例えば痛かった足が治った、肩こりが治った、皮膚病が治った、見えなかった目が見えるようになったなどというのは、いわば行きがけの駄賃なんです。つまりは、今の世の中の人はどうしょうもなくなってしまったので、一つ奇跡でも見せて目を覚まさせてやろうっていう神様の御愛情からきたもので、いわば見せるための奇跡なんです。だから、奇跡を頂いた、うれしいと最初は感動していても、またつらくなったら私の所へ来ようなんて考えているようでは、奇跡にれてしまっています。奇跡に狎れ、神様に狎れてしまったら、見せるための奇跡ではない本物の奇跡なんてとてもとても頂けません。どうですか、皆さん。奇跡を頂いても、何日かしたら忘れてしまうんじゃないですか? ひどい人だと、三歩歩いただけで忘れてしまう。それじゃ、ニワトリかってことですよね」


 人々の間で笑いが起こった。イェースズもニコニコしながら、また話を続けた。


「見えなかった目が見えた時のその感動をいつしか忘れて、見えて当たり前と思うようになってしまうんじゃないですか?」


 今度は人々は、苦笑を見せた。イェースズのひと言ひと言の金口ごんぐの説法の言霊には黄金の光の波動が乗っており、それが人々の魂を開かせ、揺さぶって浄めていく。中には、泣きだしそうな顔で聞いているものもあった。


「今は神様に感動して、家に帰ったらけろっとして日常生活に追われているようじゃ、まるで二人の主人に仕えているようなものですね。二人の主人に仕えるなんて、そんなことできないでしょ。ですから、想念が大事なんですね。この世では皆さんの魂は肉体の中に入っていますから、どうしても目に見えるものや耳に聞こえるもの、手に触れるものしか信じられなくなってしまっているんです。そうじゃないですか? でも、肉体なんて、死ねば土に返ってしまうんですよ。土から造られたんですからね。でも、人間の本質って、死ねばなくなってしまうようなけちなものじゃないんです。じゃあ、その本質はっていうと、それがいわゆる『霊』なんです。つまり、霊魂でですよ。肉体なんて、死んで三日もすれば腐るんです。でも、生きている間は皆さんの体は何十年と腐っていないでしょ? 何十年たちました? あなたなの体ができてから」


 イェースズは前の方に座って聞いていた中年男を指した。


「まだ二十年もたっていないんですけど」


 その男の答えに、人々は笑った。イェースズも笑った。


「まあ、一応その通りということにしておきましょう。ずいぶん見栄を張っておっしゃいますね」


 人々の笑いは、また一段と高くなった。空は晴れており、すがすがしい空気がイェースズと弟子たち、そして群衆の上に注がれ、すべてが明るく輝いていた。


「それでいよいよもって、想念、つまり心の奥底に秘めた思いが大事になってくるわけでして、なにしろいざ肉体を捨てて霊の世界に入ったら、つまりあちらへ行きますとですね、もうそこは全くごまかしのきかない世界なんです。今は皆さん、肉体の中に入っているから、心が他人に見られることもありませんしね、それだけにごまかしがきくんです。ごまかしがきくもんだから、人によく思われたがるというつまり『たがる心』で見せかけだけのことを、いろいろとまあご苦労なんですが、でもそんな偽善的な想念ではかえって魂を曇らせてしまうんです。他人をごまかしているだけじゃなくて、自分をもごまかしている人なんていませんか? 皆さん、どうです?」


 あまりに群衆がシーンとしてしまったので、イェースズは笑いながら、


「あのう、聞いてますか?」


 と、おどけて言い、やっとそれで人々は笑い声を上げた。


「ああ、よかった。聞いてたんですね」


 また、人々は笑う。


「それで、何の話でしたっけ?」


 さらに、人々の笑い声が上がる。


「そうそう。いいですか? あちらの世界ではですね、お互いの心は丸見えなんです。なんて、自信たっぷりに言うけど、見てきたんかよなんて思ってるでしょ? はい、見てきたんですね。見てきたんだから間違いないんです」


 ここは、イェースズは冗談ではなく本当のことを言ったわけだが、人々にとってそれは冗談にしか聞こえなかったようで、またどっと笑い声が上がった。


「だから正直な罪びとの方が、不正直な信仰家よりも魂のランクは上ですよ。いいですか、皆さん。ランクが上だってことは、つまり救われるってことです。ですから、人の悪口、陰口、批判を言ったり、怨み、ねたみ、そねみの想念を持つなんて、自分にとって損なことなんですね。皆さん、言うでしょ。人の悪口や陰口。『ねえねえ、ちょっと聞いてよ、あの人ったらねえ、全くああでもないこうでもない』って」


 イェースズの話はジェスチャーつきだったので、それがまた受けて人々を笑わせた。


「それを聞いてですねえ、ついつい同調しちゃうんですね。『そうそう、そうなんだよな。俺もそう思ってた。あいつときたらウンタラカンタラ、ウンタラカンタラ』」


 また、笑い。


「まだ聞いてるだけならいいんですけどね、そういうふうに同調してしまったらもう自分が悪口、陰口を言ったのと同じですからね、魂はパーッと一気に曇ってしまうんですよ。パーッとですよ。曇ったらどうなるか、神様の光が入ってこないから、暗い人になって暗い人生になるんです。ですから、人の欠点に気づいたら、陰でこそこそと悪口や陰口を叩くんじゃなくって、直接本人に言ってあげることです。それも、みんなの前で大声でなんかじゃなくって、物陰に呼んで二人きりのところで、それも『私はこう思うんですけど、いかがですか?』なんてふうに柔らかく、これが思いやりってものでしょ。いいですか。人の悪口、陰口を言うってことは、想念界ではその人を裁いていることですからね。人が人を裁くことは、許されていません。裁きは神様だけがお持ちの権限です。人には与えられていません。私にも与えられていません。だから、裁いちゃあだめですよ。裁いたら裁かれますよ。すべて、相応の理です。だから、人の欠点ばかりに目をやるんじゃなくって、人の長所を探す訓練をすることです。長所だけを見ていればいいんです。これは、訓練が必要なんですね。私の弟子たちにも言いましたけどね、だいたい人は、他人の目の中にある小さなゴミにはすぐ気がつくのに、自分の目の前に丸太ん棒が刺さっていても気がつかないものなんです」


 弟子たちに話したときと同じように、やはり人々も笑った。


「皆さん、笑ってますけどね、本当なんですよ。自分の目には丸太が刺さっていて、二本も刺さったそのままで歩いていて、人様とすれ違うと『あんたの目にゴミがある』」


 人々は笑う。


「そんな人の目のゴミを気にする暇があったら、自分の目の丸太をとりなさいっていうことですよ。それを、中にはわざわざ人様の目のゴミを探して歩いている人もいる」


 一同、笑い。


「それから、怒っちゃだめですよ。だめっていうか、怒らない方がいいですよ、理由がありますから。皆さん、豚、食べます?」


 普通なら言われたら怒りだしそうな内容だが、ここではみんな逆にそれがうけて笑った。


「そりゃあ、いませんわな、普通。でも、異邦人は食べますからね。それで、子羊なら食べますね。その子羊を殺すときに、怒らせて怒らせて、逃げ回るのを追い掛け回してやっと捕まえて締め上げて殺したりしたら、その肉はもうまずくて食べられません。怒ると、体内に毒素が発生するんですね。人間だって同じです。怒るとですね、体の中に毒ができるんですよ。その毒が体内を汚すし、周りの人にまで影響を与え、そしてまた邪霊と波調が合って邪霊を呼んでしまうんですね。もうそうなると、霊障人間出来上がりってな感じです。怒りの想念で発生した毒は、極微の世界にまで浸透してしまうんです。だから私は決して道徳として、人の悪口を言うなって言っているんじゃないんです。霊界の法則ですからね、これは。それをお伝えしているんですよ」


 イェースズはそれから、微笑んだままでまた群衆を見わたした。


「いいですか、皆さん。まことに真に言っておきます。今こうして話を聞いている皆さんの中にも、私に対して『何、言ってんだ。馬鹿じゃないのか』なんて思っている人がいたら……」


 イェースズは言葉を区切った。人々は緊張して、次の言葉を待った。


「いいんですよ。私のことなんか、どう思おうとけっこうです。なんだか田舎の大工の息子が偉そうにぺらぺらとなんて、思っているでしょ」


 誰も、返事をしなかった。


「本当にいないんですかね?」


 人々は、また笑う。


「まあ、いたとしても、それはそれでいいんです。あの、カペナウムから来たイェースズという男は、ちょっとおかしいんじゃないかなんて思ってるでしょ? いいんです。そう思っていてください。でもね、神様は信じてくださいよ。私ごときもののことをどう言おうとそれは許されますけどね、神様に対して御無礼があったらたいへんなことになりますからね。私を信じなくてもいい。でも私が今お伝えさせて頂いている神の教えは信じて、正しく語り継いでくださいね。神様は、あなたがたを愛しておられます。救おうとされています。それを自分自身で拒絶してしまったら、もったいないですね。また、イスラエルの人にとっても、私がここで神様の教えを伝えさせて頂いているということは、素晴らしいことなんですよ。よりによって、いや、よりによってじゃない、ちょうどうまい具合に」


 人々はまたどっと笑った。


 「うまい具合に、私が生まれたのはこの国です。まあここは緑が多いですけど、南に行ったら砂漠ばかりですぐに戦場になるような土地です。でも、世界の東と西を結ぶ場所でもあるんです。そんな国に生まれさせて頂き、教えを伝えることが許されているというのは光栄ですよ、私にとっては。神様には感謝しかないです。神の国は近づいているんですからね」


 イェースズはそこで、一回息をついてまた続けた。


「それとですね、言葉も大切ですよ。言葉には言霊っていって、不思議な霊的力が込められているんですね。神様が天地を創造されたいちばん最初に、何て言われました?」


 少し間をおいてから、前の方にいた若い男が、


「光あれ」


 と言った。


「そう、正解です。皆さんご存知でないはずがないのに、ずいぶんと謙虚な方々が集まったんですね」


 人々はそこで笑った。


「いいですか、神様が『光あれ』という言葉を発せられて天地創造が始まった。これはどういうことか、お分かりですか? 聡明な皆さんなら、お分かりでしょう。そうですね。天地創造の時に、すでに言葉はあったということです。言葉でこの世は創られていったんです。のみ金槌かなづちでじゃないんです。天地初発には、もう言葉があった。そして、すべては言葉で創られた。それはすなわち、神様のお言葉です。言葉は、神様とともにあったんです。ですから、神様は神の子(ひと)にだけ、言葉をお与えになった。動物には与えていないでしょ。それって、すごい御愛情じゃないですか。言葉があるかないかが、人と動物を決定的に分ける点となるんですね。ではその、『言葉』とは何でしょう。つまり、心からあふれ出るものが言葉になって出るんですね。よいものをしまった倉からは、よいものしか出てこないでしょ。よい心からは、よい言葉しか出ないんです。逆を言えば、いい言葉を出す人は心もいいということになる。だから言葉とは、木に茂った葉っぱみたいなものなんです」


 イェースズは息を継いだ。


「木にたとえるんなら、言葉とは葉っぱです。そして実際の行動に移したら、それは実になるんです。いい木にはいい実がなるでしょ?」


 人びとは、何人かがうなずいていた。


「つまりですね、心のままに正直に生き、正直な言葉を吐いて、正直な行動をする、そういうことが大事になってくるんですね。さっきも言いましたが、あの世は肉体がないだけに心が丸見えになって、一切うそがつけない世界だから非常に厳しい。ですから、この世に生きている今のうちにですね、本音と建前を使い分けるなんてことはやめる訓練をしておいた方がいいですね。建前なんていうのは、木でいえば余分な枝でして、そんなものは庭師を呼んで切り落としてしまった方がいいということになるでしょ。あちらへ行ったら、自分が一生のすべてが、行動だけじゃなくってこっそりと考えたことまでがすべて記録されていて、それをみんなの前で空中に描き出されてしまうんですよ。そして誰に裁かれるではなく、自分で自分にふさわしい世界を選んでスーッと行ってしまうんです」


 その時、群衆の中から叫び声があがった。


ラビ!」


 その声の主はイェースズをそう呼んだ後、人をかき分けて最前列まで出てきた。群衆はざわめきだした。若い男だが、目が見えないようだ。


ラビ、私の目が見えないのも、私の行いのせいなのでしょうか?」


 イェースズはその男に、優しく諭すように言った。


「悲観することはありませんよ。あなたの痛恨と信仰があなたを救います」


 男はひざまずいて、手を合わせた。それはすべてを神に委ねている姿だった。イェースズはその男の額の前に、手をかざした。たちまち、ものすごい霊流パワーが放射された。群衆たちは再び静まり返り、そんな光景を固唾を呑んで見ていた。

 だがその民衆たちの背後には、相変わらずのどす黒い想念波動があるのをイェースズはまたしても感じていた。

 しばらくしてからイェースズは、若い男に目を開けるように言った。


「み、見える! 見えるぞ!」


 その顔は、光り輝いていた。群衆の中にどよめきが生じ、やがてそれは歓声に変わった。


「素晴らしい!」


「本物の預言者だ」


「イスラエルの王、万歳!」


 そんな声すら、歓声の中には混ざっていた。

 その時、またもや人々をかき分けて、今度は荒々しく最前列に出てきた人々がいた。服装から、パリサイ派の律法学者だとすぐに分かった。群衆の背後にあったどす黒い想念波動の主は、この者たちだったようだ。そして彼らの一人はイェースズに背を向ける形で、群衆の方を向いて立った。


「皆さん、騙されてはいけませんぞ」


 群衆はどよめいた。


「我われ律法学者は、兄弟の皆さんがタルムートに精通し、また賢者であることを信じています。噂を聞きつけてわざわざガリラヤまで来て、そして今その噂の張本人を目の当たりに見て、はっきりと分かりました。この男、イェースズは――」


 学者は自分の背後のイェースズを、後手で指さした。


「この男は確かに多くのわざをなすようだけど、その力は悪霊の力によるものですな。手のひらから光が出るとかなんとか言ってますが、それはサタンの光です」


 人々は突然そのようなことを聞かされ、ただ戸惑ってどよめいていた。イェースズはゆっくりと、その学者のそばに寄った。一同はまた静まり返って、イェースズの次の言葉を待った。イェースズはそれでも落ち着いて、微笑を絶やさずに言った。


「私は神様の光で、人々に憑依する霊を浄化し、サトらせて離脱させているんです。そういった霊障を解消することで、人々は救われていくんですよ。あなたがおっしゃるようにもし私がサタンの光で邪霊を追い出しているのなら、サタンが邪霊を追い出すことになってしまいますよね。それでは仲間割れじゃないですか。仲間割れしたら、そこに待っているのは弱体化しかないでしょ。そんな道理は邪神や邪霊でさえ分かってますから」


 すると、もう一人の学者がイェースズのそばに出てきた。


「分かりました。お説ごもっともです。しかしあなたがなさったこと、つまり霊を祓うことで病気を治すなどということは、ほかの祈祷師や霊祓い師でもやっていることです。世の中には霊祓いの行者がたくさんいますけど、あなたもそんな中の一人じゃないのですかね」


「いえ、違いますね」


 顔は穏やかなままでも、きっぱりとイェースズは言った。


「では、どう違うのですか」


 学者たちは態度こそ慇懃だが、その心の内部はなんとかイェースズを言い負かしてやろうという対立の想念が渦巻いているのがイェースズにはすぐに見えた。そこでイェースズは、ひとつ咳払いをした。


「私が施しているのは、火と聖霊による洗礼バプテスマで、万人を神様のご計画に参画させるための、浄化の業なんです。それは魂を浄めると同時に、病気を『治す』んじゃなくて『病気をしない体』にしてしまうんです」


 律法学者は苦笑した。


「そのようなことを口で言われても、分かりませんなあ。一世風靡した霊感商法やまじないで病気が治ると言って詐欺で捕まった祈祷師もいますしね、数え上げたら切りがないほどインチキ霊感商法がまかり通り、詐欺が横行している世の中ですからね。あなたは洗礼と言うが、本当は洗礼じゃなくって霊障の恐怖や罪穢があるということで脅して、洗脳してるんじゃあないですか? もしあなたが違うというのなら、証拠を見せてください。たとえば」


 学者はイェースズたちが寝泊まりしているアルベル山の岩の頂上を指さした。


「ここからあの山の上まで飛んで上がって見せたら、私は信じましょう」


 イェースズはしばらく無言でいたが、やがて微笑んで言った。


「人の生き様が、その証拠ですよ。今の世の人は誰でもすぐに証拠を見せろと言いたがりますけどね、たとえ私があの山の上まで飛んで上がったとしても、それが何になりますか? 人類の救いに、どうつながりますか? 奇跡ってそんな市場で一個いくらで売っているような、どうでもいい見世物とは違うんですよ。目に見えるものだけがすべてだと思っている人が、やれ奇跡を見せろ、証拠を見せろと言ったって、言われた私は困るだけです。奇跡を見たら信じるなんていうのは、神様からすれば『どこか虫がよすぎやしませんか』ってことになるんです。神様に反逆しっぱなし、罪は積み放題でそっちの方は詫びる心のかけらもなく、奇跡を見せたら信じてやるなんて完全に人が神様の上になってしまっていますね。私は、私を信じてほしくて体の悪い人を癒しているんじゃありませんよ。人が私を信じようとけなそうと、私は痛くもかゆくもありません。要は私を信じるかどうかではなく、私が伝える神の教えを実践するかどうかなんです。私のことを『主よ(アドナイ)』などと呼んで、ひれ伏して拝んで恩を売ったところで、私が伝える神様のミチを歩まない人は救われないんです」


「救われないとは、地獄に落ちるということですか? 人々をでたらめな教義で縛って、奇跡話で縛ってもあきたらず、やはり脅しときましたか。ならず者まがいの手法ですなあ。そもそも、私はあなたの説法を聞かせてもらったけれど、あなたの聖書トーラーやタルムートの解釈はでたらめです。そもそもあなたは大工の息子でしょう? 素人じゃないですか。素人が聖職者のふりをするのですか?」


「あなたがでたらめと言うその根拠こそ、何ですか? あなたは自分が書物や人から学んだことだけを基盤にしていますね。少なくとも百人でいい、私のように人を救ったことがありますか?」


 律法学者は黙っていた。


「私の教えは私が考えたものでも学んだものでもなにのですよ。一切が神様からの御神示なんです」


 それを聞いて律法学者は、さらに一歩前に出てイェースズに近づいた。


「本当に申し訳ありませんが、たいていの人は『御神示』という言葉に幻惑されて、判断力を失なうんです。つまり『御神示』という言葉に弱い一般大衆の弱点を巧みに利用しているんでしょう。もし、百歩譲ってあなたが御神示を受けたというのが本当だとしましょう。でも、もしそうならあなたに語ったのは神などではなく、間違いなく悪霊の一種ですな。なぜ、あなたにそのような悪霊が接触したかといえば、あなたの自我が強いためだからでしょう。だいたいあなたの話す教義は、正統的な聖書トーラーの解釈からは逸脱しています。あなたは本当にイスラエルの民なのですか? アブラハムの神、イサクの神、ヤコブの神、モーセの神を信じているんですか? どう考えても、あなたは異端です。もしあなたが異邦人の異教徒なら、はっきりとそうおっしゃって布教なさい。それを、イスラエルの民のふりをして教えを広めるのは姑息というものです。それこそあなたの言葉を借りれば、二人の主人に仕えるようなものじゃないですか。恥ずかしくありませんか? 十戒にもはっきりと、ほかのいかなる神をも神としてはならないとありますよ。もしあなたがイスラエルの民を名乗るなら、十戒に背く偽善者の罪びとではないですか」


 いつの間にか十二人の弟子がイェースズの左右から前に出て、律法学者たちを取り囲む形になった。それをイェースズは手で制して下がらせた。


「異端という言葉は偏見の所産です。いいですか。世界は元一つしかないんです。人類も元は一つでした。同じように、世界のあらゆる教えも、大元は一つなんです。私はそんな宗門宗派の枠を超えた、神界・神霊界の法則である大元の教えを説いているんです。決してイスラエルの神の教えと矛盾しません。私が言う神様は、あなたがたの言う神様と違う神様ではないんですよ。宇宙創造の神様はお一方です。私に従うものは、それまでの教えを捨てて改宗してくるなんて必要は全くないのです。今までの信仰はそのまま続けていいのです。さらには、今までの自分の信仰も、より深く理解できるようになるはずです」


「もっともらしいことを言ってますがね、あなたの説法自体はおまけに過ぎないでしょう。その内容は、色々な宗教の引用や盗用が多いってすぐに分かりますよ。あなたが目指しているのは、奇跡話や神の愛を巧みに利用して神の道の名を騙った悪魔の集団でしょ。つまり、自分の利益のために群衆を利用しているのですな。奇跡で病気が治ったなんて言っている人も、本当はそう言わされているだけなんじゃあないですか? 詐欺・搾取、情報操作・歴史捏造・圧力などなど、自分の教団を維持するためにはなんでもありってことですね」


 学者は少々興奮してきたようだが、イェースズはまだ依然として落ち着いていた。


「お金なんか、要求しませんよ。信仰って、お金で買うものじゃないでしょう? 神様はただただ無償の愛で、かわいい神の子を救ってやろうとして下っているだけなのです。昔ある人が私に金をくれって言いましてね、そうしたら信じてやるって言うんですよ。奇跡を見たら信じるなんていうのは、それと同じじゃないですか。いいですか、私を見てください。私自身が神様の御実在の証拠ですよ。昔ヨナがニネベの人たちに対して、神様の御実在の証拠になったのと同じです。今の時代は、まだそれ以上の証拠は与えられないでしょうね」


 ついに律法学者は向きを変えて、群衆の方を向いて立った。


「心ある人は聞きなさい。私もエルサレム郊外ではラビと呼ばれている人間だ。その私の話を聞きなさい。なぜ、このイェースズという男が、でたらめな理論を自信満々に説くのか? 人は非常識ででたらめな論理を自信満々に言われると、世間の常識と言っていることのでたらめさの差が大きければ大きいほど、逆につい信じてしまうという心の癖があるわけで、イェースズはこの手法を使ってでたらめな理論を自信満々に展開してるんですよ。そしてまるでさらに奥があるように言うことで、 実は皆さんの心の中の悪霊の種に訴えかけ、皆さんを騙そうとしているのです。 皆さんの心を操ろうとしているのですよ。イェースズの言っていることがいかに非論理的ででたらめかは、これまでの話を聞けばすぐに分かるはずです。皆さん、心の操りから目を覚ましてください。正しいイスラエルの民としての信仰を保つべきです。『楽して大儲けする方法ないかなあ』なんて、誰もが一度はこんなことを考えたことがあるでしょう。そして『それが、あるんですよ』なんて語る誘惑は山ほどあります。しかしそのほとんどすべてが罠ですね。詐欺やペテンなどです。うまい話に飛びついたために大損害をしたという話は、皆さんの周りにもいくらでもあるでしょう。そしてうまい儲け話よりももっと恐ろしい誘惑が、幸せへの誘惑です。自分を信じて言われた通りにするだけで健康になり、不幸の原因が消え、幸福になれて、そればかりか世界を救う救世主の如き働きをして永遠に祝福されて、人類最高の教えと奇跡を授かることができるなんて夢のような話です。でも、世の中にはそんなうまい話などありはしません。必ず裏があるんです。うまい話に乗った者の末路は不幸と損害しかありませんよ。人間は欲を出してはいけません。楽して幸福を手にしようとか、聖者のような栄光を得て優越感に浸ろうなどと考えてはいけません。ただひたすらに欲望を抑え律法を守ること、これが唯一の神の定めた道です。手から神の光が出て奇跡が起きたなんて言ってますけど、手をあんなことしても意味ないし馬鹿げたことに決まっているじゃないですか。皆さん、絶対に騙されてはいけません。この集団は完全にインチキで常識に反します。騙されたら、とんでもない結果になるだけですよ」


 それだけ言うと、律法学者たちは足早に立ち去っていった。群衆たちはしばらくどよめいていたが、やがて一人また一人と律法学者が去っていった方へと静かに立ち去っていった。

 こうして、イェースズの周りには最初にいた群衆の三分の二くらいになってしまった。イェースズは本当に悲しそうな顔をして、去っていく人々の後姿を見ていたが、やがて必死に神に祈り始めた。去っていったものたちの罪をなり代わって神に真剣に詫び、そのものたちの守護を願っていたのである。


先生ラビ、彼らを説得して連れ戻しましょうか」


 と、ペトロはイェースズに言ったが、イェースズは首を横に振った。


「私は誰も裁かないし、誰をも去らせない。すべて、神様のお許しがあって皆ここにいるんだ。でも、許されなくなった人は、自分の意志で、自分の足で私から去っていく。そういった人たちはかわいそうだなとは思っても、決して深追いしちゃいけない。絶対に裁いちゃいけないよ。時期というものがある場合もあるし、神様からご覧になってほかで修行させる必要がある人もいるし、縁があればまた戻ってくる人もいるからね」


「でも、なんであの学者たちにはあそこまで言われなきゃいけないんですか。私は悔しい」


 ペトロがそう言って、涙を流しながらこぶしで地面を打った。


「全くだ」


 イスカリオテのユダも、怒りを隠しきれない様子だった。ほかの弟子たちも同様に憤慨した様子で、涙を流して唇をかみ締めている。そんな彼らを、イェースズは慰めるような目で見た。


「すべては、私が至らないからだよ。あなたがたにもつらい思いをさせて申し訳ない。そしてあの学者の方たちに代わって神様にお詫びし、あの方たちの救われを祈ろう」


「なんであんな先生ラビのことをもろくそ言ったやつのために祈るんですか?」


 トマスが目をむいて言った。イエスはにっこりと微笑んだ。


「自分を害する者のために祈れって言っておいたはずだよ。あの人たちを裁いてはいけない。あの方たちも自分の職務や立場に忠実で、実にまじめな方々だ。真にイスラエルの民のことを思っている。それゆえのあの言葉だ。だから憎んだり否定したりしてはいけない。ただ、誤りは誤りとして正してあげるだけだ」


 イェースズはそれだけ言って、ほんの短い時間だけ祈りを捧げた。それから微笑を取り戻して、立ち去らずに残った人々に、学者が来る前と同じように話しはじめた。


「皆さん。まことに私は言っておきます。あなたがたお一人お一人の心の中に、神の火はあるんですよ。それは、神様から頂いた霊魂です。その霊魂は本来水晶玉のように透明で光り輝いていたんですけど、生き代わり死に換わりするうちにどんどん曇ってきてしまっているんです。だから神様の光が入らないし、正しい教えを聞いても正しいと思えなくなっているんですね。邪霊がそう思わせてしまうんです。邪霊に隙を与えてはいけませんよ。ほんのちょっとの油断、一瞬の心の迷いを邪霊は巧に突いてきます。だから、油断しちゃいけません、やられますよ。今は邪霊が我が物顔に暗躍している時代です。目には見えない世界の話ですけどね。とにかく不平不満や人を裁いたりする悪想念を発しますと、邪霊と波調が合って、やられます。邪霊の方は、人々をなんとか神様から引き離そうと必死なんです。皆さんがみんな神様の方へ行ってしまうと、邪霊は何もできなくなるんです。これからの世の中いろんな現象が起きてきますけど、どうか邪霊に隙を与えないで下さい。これからも魂を磨いていかなくてはなりません。さっき偉い学者先生が、ほかの祈祷師の業と私とどう違うのかなんて聞いてましたけど、だいたい祈祷師などは霊を無理やりたたき出すんですね。霊も無理やりたたき出されて不満ですし、苦痛が伴います。そして霊自体はサトッたわけでも浄まったわけでもないので、必ずまた戻ってきます。それまでに本人が昇華して、邪霊と波調が合わなくなっていればいいんですけれど、そういうわけでなければ、また波調が合っちゃうんだからまた戻ってきます。その場合の霊障は、前にも増してすさまじいものになるんですね。仲間を呼んできて、いっしょにかったりもするんです。あるいは仮にその人が昇華していたとすれば、今度は別の波調が合う人に憑依するのが関の山です。つまり、御霊自体は全く救われないんですね。私の業はそんな御霊をも浄めて、サトらせて、救ってしまうんです。そうして自分から離れてもらうんです。邪神・邪霊の目的は、人類を神様から引き離すことです。邪霊のささやきに耳を貸さないで下さい。油断しないで下さい。隙を与えないでください」


 それからイェースズは、群衆に向かって両手をかざした。ものすごい霊流が群衆を一気に包み、目に見えない黄金の光の洪水は光の海となってあたりに散らばっていった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ