山上の垂訓-1
イェースズは、しばらく黙って立っていた。生まれて初めて神示しを受けた時の神の聖言が、記憶の中から鮮やかに甦る。
それは東の国への旅で最初に行ったアンードラ国でバラモンたちといっしょに瞑想するうち、包み込むような暖かい黄金の光の渦の中で聞いた声だった。
――今世、汝ら人々の心いよいよ神を離れいき、悪のみ栄えん世なれば、神いささかの懸念ありて、ここに示しおくなり。汝ら本来聖霊聖体なりし神の分けみ魂を肉身に内蔵しあるも、そを汚し行き過ぎて、此までは人類気まま許したれどもこのままにては神策成就らせ難ければ、重大因縁のカケラを示さんか。そは日用の糧の中に汝ら見出し得るも、日用の糧を得られざるもまた罪と知りおけよ。今は明かなに告げ申すことできぬわけある秘め事ある故、神は罪をも許し給うも、天意はまだ今の世になければ、人々また神をも分からぬようなり果てんを神は憂れうるなり。本来神の子霊止にてありしを、神より勝手に離れすぎていつしか人間となり果て、このままにては行き過ぎの度合いキツクなり過ぎ、神の策りし神の国はますます遠ざかり行くならん。神の真の名すら知らざるべし。神は天に在します御祖神なり。
その言葉は、今なおはっきりと胸の中で反芻できる。思えばこの御神示、聖言が自分の出発点だったという気がした。当時は全くわけの分からない内容だったが、今もイェースズにはそれがはっきりと分かるのであった。
「先生、どうしました? 突然」
アンドレにそう言われて、イェースズはやっと我に帰った。そして再び笑顔を取り戻して、弟子たちを見回した。
「先生、祈りの言葉を教えてください」
また、エレアザルが繰り返して言った。
イェースズは、今心の中で思い出した神の言葉を思った。それは「これではいけない」という一種の警告だった。だから、そうならないようにという祈りがいちばん神様のみ意にかなっているはずだとイェースズは感じていた。
だから、心の中にある神のみ言葉の順序も意味も逆にして祈りの言葉にし、ゆっくりとイェースズは話しはじめた。
「先生」
マタイが、それを遮った。
「書きとってもいいですか?」
「いいよ」
マタイは懐から羊皮紙を出した。ほかの弟子たちはそのような高価なものを手軽に持ち歩くマタイに目を見張った。そしてそのマタイが準備を終えるのを待ち、イェースズはゆっくりと口を開いた。
「天におられるわたしたちの父よ、
み名が聖とされますように。
み国が来ますように。
みこころが天に行われるとおり地にも行われますように。
わたしたちの日ごとの糧を今日もお与えください。
わたしたちの罪をおゆるしください。わたしたちも人をゆるします。
わたしたちを誘惑におちいらせず、
悪からお救いください」
「おおっ!」
ペトロが歓声を上げた。それは今までにない簡潔で、要点を突いた祈りだった。
「何と素晴らしい祈りだ。これだけを祈ればよいのですか」
「しっかりと、忘れないで覚えておいてほしい。これは私が考えたものではなくて、一切が神示しなんだよ」
イェースズはニコニコしながら、一人一人を見てうなずいた。
ピリポが、顔を上げた。
「先生、今の祈りについて解説してくださらないんですか?」
イェースズはゆっくりうなずいた。
「いいだろう。解説させて頂こう。『天におられる私たちの父』とは、単にイスラエルの神だけでなく、全世界全人類の親神様だ。人類は等しく神によって創られたのだからすべての人が神の子であって、その創り主は『父』なんだよ。『父神』なんだよ。その『み名が聖とされ』ることを願うのは、神の子としての人類の親神様に対する当然の責務だ。み名を讃えるというのは、尊敬するという意味ではない。『神の御名、弥栄えに栄えいかれますことを御祈念申し上げる』ということで、弥栄えるように私たちは努力を致しますということなんだよ。それだけの努力をさせて頂くお許しを願いたいということで、つまりはその努力をしないとだめなんだ。神様を信じてはいるけど、神様のことを人々に告げ知らせるのはいやだなんていう人がいるけど、そんなことじゃあ救われない。つまり、下から『神の御名』を上へ『フキ上げ』ていくことによって神の権限を万華させ、神の方からは人の方へ恵みを与えてくださる関係になる。これを表したのがモーセが用いダビデ王がその紋章としたカゴメの紋章で、それは天地創造の火と水を十字に組んだ神のみ働きを表している。モーセもその関係を知っていたのだろう。その神の『み国が来る』ということは、どういうことだろうか?」
イェースズは弟子たちを見渡したが、答えられそうな気配のものはいなかった。
「これは、そもそも神様は何の目的で人類をお創りになったのかということと関係してくる。神様の目的は、地上天国を物質にて顕現されようというところにあって、それを神の子である人類にさせようとされているんだ。だから、神様のご計画、すなわち御経綸の成就を祈念し、それに参画させて頂くお許しを願い、またそのために精進努力する決意は人類にとって重責であり、それなくしては人類の存在意味もないということになる。そこで『みこころが天に行われるとおり地にも行われますように』となるわけだ。つまり、神の国をこの世に顕現させる、すなわち地上天国文明建設の神のみ意が一日も早くこの地上に成就しますようにという祈りだ。つまり人類が一丸となってその御神意成就に邁進することが大切になってくる。そして『日ごとの糧』となるわけだが、これは肉体を維持するための『食物』だけとは限らない。もちろんそれも含むけれど、もっと大事なのは神の光と教え、つまり神の御守護とお導きということだ。聖書の「申命記」に、『人はパンだけでは生きるのではなく、神の口から出るすべてのことばによって生きる』とあるだろう?」
ピリポをはじめ、何人かがうなずいた。
「その次に『罪』が出てくるが、罪とは詫びる心があってはじめて許されるもので、そのお詫びの証を形として神様にお見せする必要がある。その一つが、人を許すことだ。憎めば憎まれる、殺せば殺される、人を傷つけたら傷つけられる、そして許せばあなたも許される、これらはすべて神様の世界の厳とした法則なんだ。だから罪の許しに、贖罪の儀式などいらない。次の『誘惑におちいらせず』とは、『誘惑』に打ち勝つ勇気をお与え下さいという意味だ。最後に『悪からお救いください』とあるが、天地創造の折にすべてを『善し』とされた神様が、わざわざ悪をお創りになったのだろうか? いや、神様は悪などお創りになっていないというのなら、悪は神に創られず自然発生したのだろうか?」
皆、息をのんで、黙ってイェースズの次の言葉を待っていた。
「結論から言うとだね、神様は『悪』はお創りになっておられないが、一見『悪』に見られるような存在も人間をモノの面で進歩向上させるため、一時方便としてお許しになっているだけだ。だから、人知で善悪を判断することは、神様の権限を犯すことになる。神様は奥の奥のそのまた奥の御存在で、そのみ仕組みも非常に奥深い。とても人間の人知で分かろうはずもない。今まで何度も言ってきたことだけど、病気も不幸現象も神様はお創りになっておられず、それらはすべて神大愛のクリーニング現象だ。神様は善一途のお方で、病気も不幸現象も、人間が勝手に神から離れて勝手に積んできた罪や穢れから洗い浄めるための清浄化現象だから、一切に『感謝』する要がでてくる。よく『悪魔憑き』なんて言ったりするけど、私がこれまで人々の体から追い出してきた悪霊というのは厳密には悪霊ではなく、もともとは神の子として創られた人間の魂もしくは動物霊が、執着、恨み、妬み、嫉みなどで生きている人にとり憑いた憑依霊なのだということは、実例を目撃しているあなたがたにはすぐに分かるはずだ。以上、解説だが分かったかな?」
「本当に、そう祈るだけでいいんですか?」
トマスの問いに、静かにイェースズは顔をトマスに向けた。
「いけにえの動物の血はいらないけどね、お詫びの証とアガナヒは必要だ。まずは人を許すことが、神様からお許しいただく必要最低条件ではないかな」
弟子たちは、うれしそうな顔でうなずいていた。
「今の祈りも、ただ唱えればいいってものじゃあない。一度祈ったからには、もう神様は聞いてくださったという神様への絶対的信頼感も大切だ。ただ、神様の方のご都合もあるから、すぐにというわけにはいかない場合もある。本当の敬虔な祈りとはだね、全智全能にして偉大なる神様の本性を知って、神のご計画に自分を捨てて参与し、それを成就し奉ろうと精進するところにある。祈りというのは形だけ、形式だけではだめで、祈ったことに対する実践と努力が大切なんだよ」
「実践って、断食とかですか?」
ヤコブがイェースズと目があったのでそう尋ねてきた。
「実践って言ってもだね、さっき言ったように私は信仰者ですと見せびらかすような実践ではだめで、いまヤコブが断食と言ったけど、例えば断食をするにしてもいかにも私は断食をしていますというような苦しそうな顔をするのはよくないね。神様の御前では、ひとと変わった特別な祭服なんていらないんだよ。ひとに何か施しをする場合でも、たとえば右の手でいいことをしたのを左の手にさえ知られないようにするというくらいの心がけが必要だ」
「ああ、それで」
ペトロが口をはさんだ。
「先生はいつも人を癒したあと、あまり言いふらさないようにっておっしゃるんですか」
「うん、それもある。ただ、そこにはもっと大きな問題もあるのだけどね。ま、とにかく今はそれは置いておいて、なぜいいことをしたことを隠せというのかというとだけれども、困っている人に何かしてあげてもそれを見せびらかすようでは、本当に困っている人のためという利他愛ではなくて、結局は自分自身のため、つまり自己愛からの行為だといえるだろう。そういう人は、本当の善人なのではなくて、善人と思われたがる心があるだけの人だよ。ひとからよく思われたがるというのは、本当はそうではないのにそれ以上の評価がほしい、人からほめられたいってことだけだね。もし人から評価されたりほめられたりしたら、もうそれで報いを受けてしまったわけだから、神様からの本当の報酬は受けられないってことになる」
みなはどっと笑った。イェースズもいっしょに笑いながら言った。
「違っているかな? 違わないでしょ。そういうふうによく思われたがる心、そのたがる心というのはタカル心なんだ。そんな心ではなくて、神様の愛の心持つことだ。神様は何でもかんでも我われにただでお与えくださっている。私たちは、一切が与えられて生かされているんだ。そんな神様の無償の愛の心、その心で人を救うのが本当の救いだね。等しく神の子であるすべての人のいいところだけを見て真心で相手の中にある神の子の姿をほめ、魂を揺り動かして、そして神の御名の尊まれんこと、弥栄えに栄えいくことを祈念する、それだけでいいんだ。これが本当の愛だと思うが、どうかな?」
イェースズはそこで、息を次いだ。
「さて、あなたがたにどうしてもお伝えしたいことがあるからここに登ってきたと言ったけど、その話は最低でも三日はかかる」
「え? 三日も?」
小ユダが声をあげたが、その驚きは小ユダだけのものではなかった。
「神様の教えをすべてお伝えするとなると、本当は三日じゃ足りない。だから、三日でお話しするのは基本中の基本で、神様の世界はまだまだ奥が深いんだ。奥の奥のそのまた奥がある」
何人かの弟子からは、ため息が漏れた。
「この三日間断食をして、そして神様のみ声をともに聞こうじゃないか。あなたがたは、そのために神様から選ばれたのだよ。あなたがたは自分で私を選んだように思っているかもしれないけれど、あなたがたが私を選んだその瞬間にあなたがたが神様から選ばれたんだ。人知で考えると、そんなことが……?って思うかもしれないけどね、そこが神様の世界の摩訶不思議なところだ。いいかい? 三日間断食だよ、小ヤコブ、小ユダ、大丈夫かい?」
「はあ、大丈夫……だと思います」
自信なさそうなその返答にイェースズは大声で笑い、みなもいっしょに笑った。
「その代わりこの三日間は、神様の光が皆さんの上に降り注ぐ。光の温泉に浸かっているようなものだ。その中で、話を聞いてほしい。これから話すのは決して道徳や論理ではなく、ましてや哲学などでもない。天国をもこの世をも貫く神様の置き手の法、つまり霊的法則なんだ。この法則のもとに、宇宙一切が運営されている。だから先入観や固定観念は捨てて、頭の中を空にしてス直に聞いてほしい。律法も聖書も忘れることだ。しかし三日後にあなたがたは、律法学者や祭司以上に聖書の真の意味を理解できるようになる」
イェースズの顔は依然笑顔だったが、その口調は限りなく厳しさが込められていた。
「さっき、あなたがたは選ばれたって言ったように、あなたがたが今ここにいるのは自分の意志でいるようで実は違う。霊的には因縁をたどって、すべて神様の御意志で吹き寄せられたんだ。あなたがたと私は、深い因縁があるはずだ。また、神様との因縁も浅くない人たちなんだよ。そういった御神縁があればこそ、神様から許されてここに集められたんだ」
「では、神様との因縁がなかったら、ここにはいられなかったのですね?」
ペトロのその問いに、イェースズはすぐに答えた。
「御神縁がかけらもない人なんて、この世にもあの世にも一人として存在しない。ただ、それが濃いか薄いかの問題だ。それにあなたがたは御神縁が深いというだけでなく、使命を与えられた人々だ。今はこうしていっしょに集まっているけれど、将来は一人ずつばらばらになって、神の国の到来について告げ知らせなければならなくなる」
「神の国って、どんな国ですかね?」
イスカリオテのユダが、問いを発した。すると、
「では、みんなはどう思う?」
と、逆にイェースズから反問されてしまった。ペトロが手を挙げた。
「すべての人が幸せな国ですか」
「では、幸せって何だ?」
「争いのない、平和な世界」
「それもひとつだ。ほかに?」
エレアザルが手を挙げた。
「病気のない世界」
さらにアンドレが言う。
「食うに困らない世界でしょう」
すると、
「いや、違う!」
と、イスカリオテのユダが語気を荒くして言った。
「イスラエルの民がローマの圧政から解放されて、異邦人を追い払って真の民族自決を勝ち取り、ダビデ王の子孫たるイスラエルの王を戴く世界じゃないのかね。みんな、何のんきなことを言っているんだ」
そのユダを、イェースズは優しく手で制した。
「まあ、それも一つの意見として聞いておこう。とにかく健康で平和で食うに困らない、この三つがそろって崩れない生活が幸せかもしれない。どれか一つ欠けてもだめだ。お金があって毎日の食べ物に困らないとしても病気をしていたのでは幸せとはいえないし、健康で食うに困っていなくても、家族がけんかばかりしていたらこれもまた幸せとはいえないね。ところで、今の世の中はどうだろう? この三つがそろった本当の幸せな人って、果たしてどれくらいいるだろうか」
「ほとんどいないんじゃないですか? 少なくとも、みんなどれか一つが欠けています」
きっぱりと、ペトロが言った。
「それはなぜなんだろう?」
その問いには、誰も答えられなかった。
「いいかい。真に私は言っておくよ。人は誰でも人生の目的は幸福のはずで、そのために汗の労働、涙の悲劇、血の闘争を繰り返してきたけれど、それによって得られた歓喜は泡沫のように消えてしまうものではないだろうか。しかし、すべての人は神の子なんだから、そして神様は真・善・美のお方なんだから、その神様によって創られた人々は放っておいても幸せになるのが本当のはずだ。それが、多くの人々は幸せではない。それは、なぜなんだろう?」
皆それぞれ、うなりながら考えていた。やがて、ナタナエルが顔を上げた。
「神様から離れているから、幸せではなくなるんでしょうか?」
イェースズは大きくうなずいた。
「私もその通りだと思う。子供だったら誰でも親からかわいがってもらえるだろう? ところがもし仮に親には問題がないのに、親からかわいがってもらえない子供がいたとしたら、それはどんな子供だろう?」
「はい」
やはりナタナエルが手を挙げた。
「親の心に背く子供じゃないですか?」
「そうだね。親の心にそむいているというのは、せっかく親が愛情を与えてかわいがってあげようとしているのに、子供の方がそれを拒んでしまうことじゃないかな。つまり親はかわいがってあげたいのに、そうしてあげられない状況を子供の方から作り出してしまっている、そんなことだろう」
「そんな状況って、あるんですかあ?」
と、小ユダが尋ねた。
「例えば、親がかわいがってあげようとして近づくと、一目散に逃げてしまう子供」
一同は、笑った。
「いつも外で遊んで、暗くなるまで帰ってこない。家に寄り付きもしない。帰ってきても誰とも口をきかない。最悪、親の悪態をつき、親を呪う。今の世の中の人って、親である神様からご覧になればこういうことじゃないかな? そこで、親からかわいがってもらうためには、どうしたらいい。ナタナエル」
「はい、親から離れなければいいと思います」
「そうだ。だから今の世の人々も心を悔い改めて、神様のミチに乗り換えれば神様は無限の愛を与えてくださって、ひとりでに幸せになれる。だからヨハネ師も、悔い改めよとしつこいくらいに回心を説いていたよね」
ペトロをはじめ、ヨハネ教壇から着いてきた何人かがうなずいた。
「では幸せとは何か、霊的にもう少し突き詰めて考えてみよう」
一同は静まりかえり、風の音だけがあった。さらにイェースズは口を開いた。
「霊的に幸せな人というのはだね、世間では不幸と言われるがゆえに幸せな人たちだ。そういった人たちもいる」
イェースズは一度言葉を切って、そしてすぐに続けた。
「例えば自分の心は貧しいと思っている人は、決して驕り高ぶることがなくて下座に徹するから、かえって幸せな境地になったりするんだよ。天国とは、そういった下座ができる人のためのものなんだ」
皆、うなずく。
「そして心が優しい人は、たとえ今の境遇が不幸であっても、その不幸のもとをよく見極めて精進するから、やがて悪徳の消し役が終わったら今度は受け取り役になる」
一陣の風が吹く。
「そして正しいことを追い求める人は、いつか必ず満たされる。金持ちであることが、必ずしも幸せではないだろう? 人としての道を歩んで、神様に近づかせて頂くというほど幸せなことはない」
イェースズは一度言葉を切った。そしてまた続ける。
「さらには神の道に尽くしたために迫害されたり、批判されたり、罵倒されたりしたのならむしろ幸せだ。それによって神界からは偉大な力と無限の御神徳を頂ける第一歩だからね。だから、罵倒したり迫害したりして来る人には、むしろそのことを感謝しなければならない」
また、さわやかな風が吹いた。
「それに、そういった外からのものばかりでなく自分の内面的な自我にも打ち克った人、そういう人が本当の意味での幸せな人だね」
このイェースズの言葉には、誰もが納得しがたい顔をしていた。
「こういった人々は現象的には不幸でも、不幸になったのは何かしら過去世あるいはお家の罪穢があったからだと、悲観をせずにお詫びとアガナヒに徹し、前向きに明るく陽の気で、感謝に満ちて神様に向かうなら、不幸であることを悲観して不平不満を言って人知でのみ対策を講ずる人とはゆくゆく人生大差が生じる」
皆、まだ腑に落ちない様子だった。それを見てイェースズは笑った。
「まあ、頭で分かろうとしなくてもいい。神様の世界は理論理屈じゃあないんだ。三日間ここにこうしているだけで、あなたがたの魂は私のアウルと言霊に乗った神のみ光で浄まる。要は魂霊の浄まりが大事なんだ。神様のみ光に接することは神様に接することだから、問答無用で神様は浄めて下さる。そして魂が浄まれば、すべてのことは自ずから理解できるようになってくる」
イェースズは一段とニッコリ笑った。
「だから、三日間ここにいればいい。眠くなったら居眠りをしてもいいし、ボケーッとしててもいい」
やっと弟子たちは、緊張がほぐれて笑い声を上げた。
「ただ、魂だけはこちらに向けてほしい」
弟子たちの間に、安心の表情が見て取れた。それを見てイェースズもにっこりとうなずいた。
「いいかい。さっきの続きだけど、本当の不幸というのは不幸が実は不幸でないことを知らないことだ。神様のアガナヒ現象を知って感謝で乗り越える、そのためにもいつも喜んでいればいい。感動《(神動)》すれば神様が動いてくださる。もし人に批判されたら、それであなたがたの罪穢がひとつ消えたと思って喜びなさい。批判したり罵倒したりした人を呪うのではなく、逆に感謝して、その人に恵みを施してあげるんだ。もし雑踏で人に足を踏まれたら、そのお蔭で罪穢が少し消えたと影でその人に手を合わせて感謝するくらいでないとだめだ」
「へえ?」
と、誰もが頓狂な声を挙げた。
「次に、逆に不幸について考えてみよう。いいかい、真に言っておく。不幸とはむさぼる心だ。つまり一切を与えられているというのにそれを当たり前だと思って感謝できず、さらにもっと欲しいとむさぼる心、つまり足りることを知らないそんな心の状態のことをいうんだと思うよ。むさぼればむさぼるほど、欲望は無限に拡大する。それとね、人からよく思われたがる偽善者も、同じことだ。弱いものを虐げてその上で富を得ても、必ずどんでん返しが来る。食うに困らないというのが幸せの条件ではあるけれども、逆に金持ちが幸せかというと必ずしもそうではない」
弟子たちの中で、すすり泣きを始めたものがいた。ヤコブとエレアザルの兄弟、そしてマタイの三人だった。それに対して、イスカリオテのユダとシモンは、イェースズの話が腑に落ちないという感じで首をかしげていた。
マタイが顔を上げた。
「確かに私は金持ちでした。しかし、先生と出会うまでは確かに心は平安ではなかった」
その気持ちは、網元の豪商の息子であるヤコブやエレアザルも同じであるようだった。イェースズは慈愛の目で三人を見てうなずいてから、話を続けた。
「世間の多くの金持ちは、そのことに気がつかない。そのどんでん返しは生きている間に来なくても、次に生まれてきたときに必ず来る。因があればそれに相応の果が必ず来るんだ。このことについてあなたがたは邪霊に憑かれていた多くの人の実例を見て、分かっていると思うけど」
「はい、確かに」
ペトロが真っ先に答えた。イェースズは続けた。
「因があれば果があるということについて、これは私の経験から言うことだけど、人を呪ったりしたらその呪いの念は必ず自分に跳ね返ってくる。天に向かってつばを吐いたら、どうなる? 自分の顔に落ちてくるんだね。ほら、こんなふうにだよ」
イェースズがそのしぐさをまねするので弟子たちは笑い、先ほどまで泣いていた三人もなみだ目で笑いを浮かべた。
「だから、自分が不幸だと思ったときはよくよく自分の罪穢をサトって、今がその罪穢を消す時なんだということを自覚して神様にお詫びをし、また今の不幸現象によって罪穢を消させて頂いているんだ、これできれいな魂になれると、神様に感謝することだ。それなのに不平不満ばかり言って、人を呪ってはますます罪穢を積み、それで魂を曇らせてしまうのは、これ以上の損はないと思う。さっき、人生大差が生じるといったのはこのことだよ」
しばらく弟子たちは静まり返っていたが、やがてピリポが手を挙げた。
「一つお聞きしたいのですけど、先生はどうして、いつもそうやってニコニコしておられるのですか?」
この質問に、一同はまたどっと笑った。イェースズも笑いながら、ピリポを見た。
「私だけではなく、あなたがたもこうあってほしいね。神様に許されて生かされている、すべてを与えられている、この事実を思うときにありがたい~~と心から感謝できたら、人は誰でもうれしくてニコニコするはずだよ。何か願い事がかなって、思いが満たされた時にこんな苦虫をかみつぶしたような、口をへの字にした暗い顔をして」
イェースズはそこで、演技で暗い顔を作った。
「私はうれしい、感謝してますなんて言う人、いるかい?」
弟子たちはまた、笑った。
「いや、それが実際はいたりするから困るんだ」
また、笑いの渦となった。
「でもね、魂が本当に喜んでいたら自然とニコニコできるもんだと思うけど、どうだろうか?」
弟子たちは皆、それぞれにうなずいていた。
「どうだね、すましているよりニコニコしている方が、その場が明るくなるだろう? だから、あなたがたも世の光になるんだ。『あの人が来たら急に雰囲気が暗くなった』なんて言われるようじゃ困るんだ」
弟子たちは笑った。
「そうじゃなくて、『ああ、あの人が来たらランプがついたようだ』と言われるように、いつもニコニコしていることが大事だ。いいかい? ニコニコだよ。ニヤニヤじゃないよ」
そこでイェースズがわざとニヤニヤした顔を作ったので、弟子たちは爆笑だった。
「口先だけで教えを伝えるだけでなく、『ああ、あの人の言っていることなら間違いない』って人々に思わせるような行動をとって、あなたがたの行いを見て人々が神様を信じるように、後姿で導くことが大切だ。いくら教えをうまく受け売りしても波動が伝わらなかったら、『口ではいいこと言っているけど、あんた自身はどうなの?』って必ず言われてしまう。そうなったら、神様に申し訳ない。やはり、無為にして化すくらいでなくてはね」
イェースズが笑わせたお蔭で、弟子たちは魂を開いて陽の気で聞いていた。
「最後にこれだけ言って、今日は終わりにしよう。私は安息日などという人知の掟からは自由だし、律法学者相手に散々律法を人知の固まりだとか言ったけど、私が言う自由は律法から自由になるということではない。私は決して律法や預言者を否定したり廃止したりしようとしているのではなく、今の律法という人知の固まりではない本当の意味での神の律法を、より霊的な高次元で完成させたいと思っている。本来の律法、つまり神様の置き手、霊界の法則を実践するためにこの世に来たんだ。その神様の法則はたとえ天地が滅んだって、滅びることはない。この霊界の法則によって万象は弥栄えていくように創られているわけだし、人知の律法と違ってほんの少しでも破るとその報いは必ず来る。だからパリサイ人がよく言うような人知の律法を守っていれば天国に入れると考えちゃだめで、むしろパリサイ人よりも霊的に勝っていないといけないよ」
その日のイェースズの話はそこまでだった。そのあと、日が没するまで、皆思い思いに山頂で暮らした。
翌朝、十二人のうちで最初に目を覚ましたアンドレが起き上がると、もうイェースズは起きて東を向いて座っていた。
右前方の下の方にガリラヤ湖が見え、湖水はだんだんと淡い光の中に浮かび上がり、正面の丘陵の一角だけが明るく輝いていた。間もなく、そこから朝日が昇る。その方角に向かって、イェースズは座っていたのだ。しかも両膝を曲げて足の先を尻の下に入れるという、この地方の人々は決してしないような座り方だった。
アンドレは慌てて飛び起きると隣で寝ている弟のペトロをたたき起こし、急いでイェースズの方へ駆けていって後ろに座った。同じく気がついてそうしたのはヤコブとエレアザルの兄弟で、ほかの弟子たちも気配に気がついて目をこすりながら並んで座った。
別にイェースズに言いつけられていたわけではないが、イェースズが朝日に向かって座っているのを見て、直勘的にそうしなければならないような気がしたのだ。
十二人の弟子のうちヨハネ教団にいた六人とイェースズの弟の二人の、八人までがエッセネの出である。エッセネ教団にあっては、朝の太陽礼拝は欠くことのできない儀式であった。だが、彼らが座ると、イェースズはゆっくりと振り向いた。
「別にエッセネの方式で、太陽礼拝をするわけではないよ。神様に祈りを捧げる」
そう言ってから、イェースズはまたもとの方に顔を戻した。
ひんやりとして張り詰めた空気が、草の香りとともに弟子たちを包む。日が昇ればかなり暑くなるだろうが、今はまだ空気は刺すような感じだ。
太陽が昇った。イェースズはゆっくりと上半身を前にかがめた。地に両手を突いている。そして祈りの言葉を小声でつぶやいている。弟子たちにとって初めて見る祈りのスタイルだったので、どうしていいか分からず呆気にとられていた。
やがて祈りが終わるとイェースズは体を起こした。それから少しだけ弟子たちの方を振り向き、
「ともに祈ろう」
と言った。そして両手を大きく上に上げ、天を仰いだ。これなら、彼らもよく知っている祈りのスタイルだ。弟子たちは、手を合わせていた。
「天におられるわたしたちの父よ」
イェースズの声が、夜明けを迎えよう説いているのに響き、弟子たちの声がすぐにそれに唱和した。
「み名が聖とされますように……」
やがて太陽は、完全にその姿をはるかな丘陵の上にと現した。
祈りが終わり、イェースズは体ごと後ろを向いて、弟子たちに向かって座った。
「おはよう」
弟子たちも、挨拶を返した。彼らの社会では、あまりこのような習慣はない。やがてイェースズは、微笑みながらゆっくりと話しはじめた。
「エッセネ人は朝太陽を拝むけど、世界中でも同じようにする民族を私はずいぶん見てきた。では、なぜ太陽を拝む? 太陽それ自体が神様なのだろうか」
「いえ、違います」
ペトロが真っ先に声を上げた。イェースズはまた、ニッコリ笑った。
「そうだね。ほかの人はまだ、頭が半分寝ているのかな?」
誰もが、少しだけ苦笑していた。
「今ペトロが言ったように、太陽が神様ではないね。確かに太陽は神様のみ意が形となったものだけど。神様だというわけではない。ましてやこの世の太陽は物質の光しかくれないけど、天国の太陽は霊的な光をくれる」
「天国にも、太陽があるんですか?」
トマスが突拍子もない声を上げた。
「あるとも。その霊的光がなかったら、我われの魂はこの世でもあちらの世でもどこででも存在はできない。私が手をかざすと、天国の太陽の光が強く放射される。そして、今私がしゃべっている言葉にも、光が乗っている」
誰もが理解できずにいるようだった。
「聖書には神様は七日で天地を創造されたってあるけど、その一日というのは今の我われの一日とは違うよ。天地が創られたのは今から五十億年も前だから、聖書でいう一日とは、それが何千年だったりもするんだ」
「五十億年!」
想像を絶する数値に、弟子たちは言葉を失っていた。
「そして第六の段階で天地と自然と草木や動物をお創りになられ、最後に人間を神様は創られた。土と水で体を造り、そこに神様の魂をひきちぎって一人一人に入れてくださった。だから人は皆、神の子なんだよ。そうして第六の段階、すなわち六日目に、神様はすべての被造物をよしとされ、寸分も狂いのない自然界を祝福し、天国にお帰りになった。それが『休まれた』という聖書の記述になったんだ。その頃の人々は誰もが直接に神様とお話ができたからね。で、神様のお姿というのは、光の固まりにしか見えない。だから人々は神様を慕って、代わりに太陽を拝むんだ」
そこまで話して、イェースズは立ち上がった。
「さあ、今日の話を始めるぞ」
弟子たちは、安心したような笑顔を見せた。




