洗礼者ヨハネ
イェースズはヨハネがどこにいるか分からない。ただ、ユダヤのどこかにいて彼なりの教えを説き、人々を導いているということだけは知っている。
しかしそれでは、何の手がかりにもならなかった。ユダヤといっても町ではなく、広い意味ではガリラヤやサマリヤも含む国だ。大海の底に沈む小石を探すようなものである。
イェースズはまずエルサレムに行ってみようかとも思った。だがあの大きな都会では、なおさら探しにくい。あるいはカルメル山のナザレの家へとも思ったが、かのエッセネ教団の本拠地のエジプトででさえヨハネの所在をはっきりつかんでいなかったのだ。
イェースズはとりあえず、故郷のカペナウムに一旦帰ることにした。
時にローマ暦では年も変わり、この地方ではわずかばかり雨が多い季節となった。イェースズももう、二十八歳だった。
砂漠と岩地を進む旅が続いたが、うまいことに日が暮れると必ずオアシスがあった。そこには旅人用のテントがあって、暖をとることもできる。
はるか太古のモーセの時代に、イスラエルの民を率いてこの道を通ったのは言語を絶する艱難だったと聞いている。今は楽に快適に旅ができるのも、時代の流れなのだろうとイェースズは思っていた。
砂漠といっても一面の砂の平らな土地ではない。かなり岩がごつごつとした荒野で、また起伏も激しかった。その谷間の道を進むという感じだ。
そして、故郷も目の前になり、大地は荒野から緑豊かな土地となっていった。
何日も砂漠の中を旅してこのガリラヤの緑が目に入った時、イェースズでなくともみな心のそこからほっとしてため息をつくであろう。
そんな、もうすぐガリラヤ湖も見えてくるという頃になって、イェースズはやっとヨハネのうわさを聞いた。なんでもヨルダン川で多くの人を集め、川の水で洗礼という業を行っているということだった。
「水につけて洗礼を?」
オアシスのテントの中でイェースズにこの情報を伝えた初老の男は、無精ひげの伸びた顔で怪訝な表情を作った。
「おまえさん、本当に知らないのかい? 有名な話だよ」
「いえ、本当に知らないのです」
そう言いながらも、イェースズには思い当たる節があった。水に浸かっての沐浴は、エッセネ教団ではよくやることだ。サドカイ人の祭司でさえ、沐浴はするであろう。
「で、洗礼って何をするんですか?」
「なんでも、それで罪を洗い浄めるんだとよ。そしてヨハネという人は、民衆に悔い改めよと盛んに説いているそうだ」
水で罪を洗うという考えは、ますますエッセネ教団特有のものだ。普通、罪を浄めるのはエルサレムの神殿で流す贖罪の動物の血によってなされると決まっている。しかし、エッセネでは沐浴はあくまで自分の罪を沐浴で浄めるものであり、それで他人を浄めるという発想はない。そのあたりがヨハネの独自の発想のようだ。
「まあ、そのヨハネという人本人は獣の皮衣を着て、いなご豆やナツメヤシの蜜とかばかりを食べてるそうだよ。それで教えを説いてあれだけ信者を増やしたんだから、ちょっとした新興宗教だね。そのうち祭司たちににらまれるぞ。それに、場所が場所だけに、ガリラヤの王様も放ってはおくまい」
イナゴ豆とナツメヤシの蜜というのも、エッセネの荒れ野での修行者の常食だ。
「そのヨハネは、どこにいるんですか?」
「おいおい、ちょっと待てよ」
イェースズの真剣な眼差しに、初老の男は苦笑を見せた。
「あんな人のこと全く知らなかったおまえさんまで、ちょっと話を聞いただけでもう傾倒しちまったのかい? 最近の若い者は何に飢えているのだか、新しいものが出たらすぐに飛びつく。特に新宗教にね」
「で、ヨハネはどこに?」
「分かった、分かった。ヨルダン川がガリラヤ湖から流れ出てずっと下った所だ」
男は、自分の髭をなぜていた。
イェースズはすぐにでもヨルダン川に飛んで行きたかったが、とりあえずカペナウムの自宅に戻ることにした。エジプトでのことを母に報告しなければならない。
再び故郷の人となったイェースズは、晩餐で母にはエジプトでのことはかいつまんで話すにとどめた。それよりも、母も弟たちもしきりにヨハネの話をしている。
イェースズがエジプトに行く前は母もヨハネもまたエジプトにいるのだと言っていたのだから、ヨハネのヨルダン川での洗礼はここ最近のことらしい。それでも、ガリラヤ全土で話題になっているという。
「イェースズ、おまえも行って、ヨハネの洗礼を受けていらっしゃい」
母が言い出したことは、唐突だった。しかしイェースズ自身もヨハネに会いたかったし、その母の言いつけに背く理由もない。だから、母がどういう意図でそうのようなことを言ったのか考える暇もなく、帰宅したばかりであるにせよス直に従うことにした。
とにかく場所はわからないまでも、ヨルダン川のどこかだ。ガリラヤ湖から塩の海までのヨルダン川は歩いても三日くらいだ。だから、ずっとヨルダン川に沿って行けばどこかで行き着くはずである。
カペナウムからだと、ヨルダン川の流出口はガリラヤ湖のちょうど南の方の対岸になる。イェースズはそこまで、湖の西岸を歩いて向かった。
湖のはるか向こうの対岸には丘陵が横たわって見えるが、カペナウムの東の方の一角はもう水平線のようになっていた。
考えてみたら、帰国以来彼は初めて単独で行動する。いや、帰国以来というよりも、自分の故国でありながらこの国を一人で旅するのは初めてなのだ。
幼少時、何度かエルサレムに行ったときは必ず両親に連れられてで、幼い弟たちもいた。今回帰国した後にエジプトへ行ったのも、サロメとともにである。
湖に沿って行けばいいのだから道を間違えるはずはないが、朝だいぶ遅くに出発した彼が昼頃になって驚きの声を上げることになった。
湖の西岸にあたるところに、なんと巨大な都市ができていたのだ。イェースズが少年のころからすでに湖畔にいくつかの町はあったにせよ、こんな本格的な都市はなかったと記憶している。なにしろ十五年ぶりに見る故国の風景ではあり、記憶があいまいな点もあるが、それだけは確実に言えた。
だが、今間違いなくかつてはなかった都市が存在している。しかもローマ風の建築物は皆新しそうで、できてから五、六年ほどしかたっていないようだ。都市の大きさに比してそれほど人は多くなく、ここへの移住の過渡期であるようだ。今いる人々もいかにも強制的にかき集められたというようで、あまり民度は高いとはいえず、無統制な町だった。
ガリラヤを治める分邦指導者のヘロデ・アンティパスも今ではヨルダン川東岸のペレアの地からこの町に移って居城を構えているという。都市の名前はローマ皇帝ティベリウスにちなんで、ティベリアというらしい。
その都市は素通りして、イェーズスはまた湖畔の道を南へと向かった。
彼はヨハネが皮衣を着て洗礼を授けていると聞いても、幼い頃に遊んだ少年ヨハネが洗礼を授けている場面しか思い描けなかった。もはや、ヨハネもいい大人になっているはずだということは頭では十分承知してはいるが、彼の中にはまだ思い出の中の少年ヨハネしかいない。
夕刻まではまだ間がありそうな時刻に、イェースズはヨルダン川の河口に着いた。そのあたりの町で宿をとり、翌日はさらに南下した。
ヨルダン川はそれほど幅のある川ではないが、何しろ蛇行はひどい。完全に川沿いに歩いていたら実際の距離の三倍くらいは歩かねばならなくなりそうだ。
だが、ガリラヤからエルサレムに続く街道が、川に沿ってほぼまっすぐに伸びている。
ガリラヤ湖を離れるとすぐに、街道の両側は広々と開けてきた。かなり広い平らな土地の中をまっすぐに街道は伸び、左右の丘陵はずっと遠のいていた。ところどころに背の高い木の林が点在しているが、しばらくは一面の麦畑で見通しが良かった。
その日一日はそんな雄大な景色の中を進んだ。心が晴れ晴れとする解放感がそこにはあった。
次の日も昼過ぎまではそんな風景だったが、だんだんと緑が少なくなっていった。遠くの山も茶色い山で木々はなく、わずかな草だけに覆われている。
その翌日は道もかなり起伏があるようになり、なだらかな上り坂と下り坂が繰り返され、小高い丘の間を進むようになった。完全に緑はなくなったわけではないが、ところどころが背の低い草に覆われている程度で、岩も多くなった。
家を出てから四日目、再び街道の両側には広々とした平らな土地が広がるようになったが、草も少ない荒野だった。
もうだいぶエルサレムに近いのかもしれない。
そのころに、同じ方向を目指す者がやけに多くなった。単なる旅人とは思えないその人たちは、明らかにヨハネのもとへ急ぐ信者だろう。その中にイェースズも混じっていた。傍から見れば、イェースズもそんな信者の中の一人にしか見えなかったに違いない。
人々の群れは街道を離れて川の方へと進んだ。やがて川にぶつかる。人々の流れはそこで滞る。三千人くらいはいると思われる人々の群れが、広いスペースを埋め尽くしていた。
そして中央の高台に立つ獣の革衣の男……ヨハネだ、とイェースズには客観的にすぐに分かった。だが、あくまで客観的にはであって、それが幼少のみぎりにともに遊んだ又従兄のヨハネであるとはすぐに実感はわかなかった。
イェースズは群衆の一員となって、ヨハネの演説に耳を傾けた。
「ですから皆さんは、今申しましたように、お一人お一人がその考え方や想念を切り替え、悔い改めなければならないのです」
人々の間でざわめきが起こった。
「何をどのように悔い改めればいいんですかあ?」
そう叫びを上げた若者もいる。人々のざわめきは、その質問に賛同していた。
「皆さん」
かん高いヨハネの声は、たちどころにそんなざわめきを抑えた。
「お一人お一人の想念が神様から離れていないか、み意通りかどうか、点検して下さい」
誰もが、自分は間違っていないと思っているようで、その波動がイェースズに伝わってくる。それならなぜ人々はここへ集まってヨハネの話を聞いているのかとなると、どうやらヨハネの洗礼を受ければ罪が洗い浄められると、それだけを求めての他力本願的な自己愛信仰で集まっているようだ。
「なぜ今悔い改めなければならないのかと申しますと、もう一度繰り返しますが、それは天の国が近づいたからです」
イェースズは目を細めた。イェースズにとっては実感を持って響くその言葉だが、なぜこの又従兄弟はそれを知っているのかと不思議だった。現界的には天の時は千年も二千年も先かもしれないが、神界の幾億万年の大仕組みの中では二千年先など「間近」といえる。
「だから、いったい何をどうしろと先生は言うのですか」
ヨハネのすぐそばで叫びを上げた男からは、少々反感の波動が伝わってきた。信徒に混じって反対派が論戦を挑みに来たのだろう。ヨハネもすぐに、
「あんたはサドカイ人だな」
と急に口調を変えて言った。
「え? なぜわかった? ……そうだとも。神と契約を交わしたアブラハムの子孫の祭司だ」
ヨハネはそれを聞いてひとしきり笑い、
「馬鹿者!」
と一喝した。群衆は、波を打ったように静まり返った。
「何がアブラハムの子孫だ。おまえのようなのは、蝮の子孫だ。祭司であるというだけで、神の怒りから逃れられると思ったら大間違いだ。わが父も祭司だったから本当だったら私だって祭司になっていてもおかしくないが、私はそのような道は捨てた。アブラハムの子孫だというが、神様の業は石ころからでもアブラハムの子孫を造り出せる」
それからヨハネはまた群集に向かって、穏やかな口調で語り続けた。
「いいですか、皆さん。下着を二枚持っているものは、持たない人に与えてあげて下さい。食物だってそうです。ただ愛の心で与えられているものを与えていけばいいのです。収税人は、決められている以上を取り立てなければいい。兵士は人を脅したりしなければ、それでいいのです」
しばらく群衆の沈黙は続いたが、やがてそれを破るかのように、
「あなたこそメシアだ。私たちが待ち焦がれていた救世主だ!」
という声が上がった。
「そうだ、そうだ!」
人々の歓声がどっと上がり、収拾もつかなくなってしまった。
「ちょっと待って下さい!」
ヨハネは両腕を上げ、あらん限りの声を張り上げたが、騒ぎを収めるのに時間がかかった。
「もしあなた方が、イスラエルの民を救うメシアだと私を考えているのなら、それは違う。私は今までひと言も、自分がメシアだとは言っていない」
「でもあなたは、こうして私たちを水で罪から浄めて下さる」
ヨハネは目を伏せた。
「確かに今、私はこうして仮に水で洗礼を授けていますが、天の時が来れば火と聖霊によって洗礼を授ける方が来られるのです」
「いつですか、それは?」
「それは、分かりません。今すぐかもしれないし、二千年先かもしれません。しかし、いずれにせよ私は、その方のくつひもを解く値打ちもない」
「ではあなたは、いったいどのようなお方なんですか?」
「イザヤの書には『ある声が叫ぶ。荒地に主の道を整えて、私たちの神のために荒れ野の道を均せ』とあります。またマラキの書には『見よ、私はあなたたちに使いを送る。彼は、私の前に道の妨げを除く者である』とも書かれています」
「では、あなたがその使いなのですか?」
人々がざわめく中、イェースズは呆然とヨハネを見つめていた。そして、これは本物だと思っていた。本物のヨハネであるし、また神の道を伝えるものとしても本物なのだ。
やがてヨハネは台から降りて、川の方へと動いた。人々の群れもそれについて動き出す。川の中での、ヨハネの洗礼の儀式が始まるようだ。群集もいつの間にか行列となった。
その行列の中から抜けて帰っていくものも多い。それらは服装からパリサイ人やサドカイ人だとすぐに分かった。偵察に来ていたようだ。
かといって並んでいる連中は熱心な信者かというと、先ほどのヨハネの話などどうでもいいようで、ただ罪から解放される洗礼を受けたい一心で並んでいる。
ヨハネのもとには熱心な信者がかなりいると聞いてきたが、その数はこうして毎日洗礼を受ける人々の数からすれば少なすぎる。多くは洗礼を受けました、罪が消えました、ありがたい、はいさようならの手合いなのだろう。洗礼を受けてヨハネの信徒として定着する人は、かなり少ないようだ。
イェースズもその行列に加わって並んでいたが、イェースズまで順番が回ってくるまでかなりの時間がかかりそうだった。川の岸は緑豊かな林が続いている。そんな中を行列は、川に向かってゆっくりと進んでいった。
イェースズの前は彼より少し年上の男たちのグループ、後ろはおばさんが二人と女の子だ。女性までもがこうして男と同じ列に並べるというのもまた、民衆の心を捉えているのかもしれない。
伝統的な会堂や神殿でも、男女はことごとく別けられるからだ。
皆、思い思いにざわめいて、口々に勝手なことを言っている。イェースズはそれを聞きとがめるでもなく、微笑みながら行列の前進とともにゆっくり進んでいた。
だいぶ時間がたってから、ようやく川が見えてきた。川幅はそれほど広くはなく、水は深い緑色だった。腰まで水に浸かった革衣のヨハネが、同じように水に浸かっている髪の長い女の頭に貝の殻で水をすくってかけながら、口では何か唱えていた。その左手には背丈以上の長い杖が握られている。
髪が長く髭も伸び放題の形相は、今のイェースズと全く変わらない。ただ自分より少し無骨な所があるなと、イェースズは幼少時代の記憶の中のヨハネと重ねて感慨深く眺めていた。
その女はすぐに済んで岸に上がると、次は頭のはげた男だった。何かしきりにヨハネと問答したあと、合掌して同じように頭にヨハネから水を注いでもらっていた。
こうして次々に人が入れ替わり、そのたびに確実に行列は前に進んで、すでにイエスまであと四、五人となった。ヨハネは自分が洗礼を授けることに集中しており、順番を待つ行列など見てもいないから、イェースズに気付くはずもない。
一人進み、また一人進み、ようやくイェースズも透明ではない水の中に入った。水は冷たかった。イェースズの前に並んでいた男が、今は洗礼を受けている。その時間が実際以上にかなり長く感じられ、やっとその男も岸の方へと水をかき分けて歩きだした。
いよいよ、イェースズの番だ。
革衣の洗者とイェースズは、川の水の中で向かい合って立った。だが、なぜか洗者は次の行動を起こさない。その目はじっとイェースズを見つめ、そして潤んでさえきた。イェースズとて同様で、二人はしばらく無言のまま見詰め合っていた。
次の順番を待っている列の方から不審さを感じてのざわめきが聞こえてきたが、二人ともお構いなしだった。
「イェースズか」
やっとヨハネのほうから、口を開いた。
「ああ。よく分かったな」
「幼い頃、ともに過ごしたあのイェースズだろう。遠い異国へ行ったと聞いたが」
「ああ、つい最近帰ってきたんだ。それからまた、ミツライムへ行っていた」
「ミツライム?」
もうヨハネは、イェースズのエジプトでの出来事のすべてをサトったようだ。また少し時間が経過してから、今度はイェースズの方から、
「さあ、洗礼を授けてくれ」
と、言って微笑んだ。驚いたような表情で、ヨハネは眼を見開いた。
「何を言うんだ。君は僕から洗礼など受ける必要などないじゃあないか」
「なぜ、そう言えるのかい?」
二人の耳には、
「早くしてくれえ」
などという背後の人々の叫びなど耳に入らなかった。ヨハネはもう一度、イェースズの顔をじっと見た。
「君はもう、普通の人ではない。その笑顔は、もう僕から洗礼を受ける必要のない顔だ」
「なぜ、分かる?」
「目がそう言っている。こんな浄い目は見たことがない。それに、全身から光がさしている。僕は、君の足元にも及ばない。何というか、神様がここに現れたようだ」
「ばかを言ってもらっては困る。早く洗礼を受けさせて頂きたい」
どこまでも自分が下座して、洗礼を受けさせて頂こうというイェースズの態度だった。
「僕の方こそ君から洗礼を受けなければならない立場だ」
「いや、僕が受けさせて頂く。頼む」
「僕の洗礼は、罪から魂を洗うものだ。しかし今の君には、何の罪も認められない」
「それは違う。罪のない人間なんていない。大いなる輪廻転生の過程で、前世、前々世での罪穢というものを皆背負い込んで生きているのが人間だ」
ここでは、輪廻転生の話は同じエッセネの仲間内にしか通じない。だが、ヨハネはもともとエッセネの仲間だから理解したようだ。
「だから、洗礼を授けてほしい。別に自分が罪から逃れたいというようなことではないんだ。君は悔い改めを説いていたけど、それこそ僕が今全人類に説きたいことなんだ。君の洗礼を受けるということは悔い改めることだし、人々にせよと言う以上、まず自分が率先してやらなければな。だから悔い改めの証として、君の洗礼が受けたい。そして、君の教団に入る。これはミツライムで受けた指示だ」
エッセネの指示とあっては、ヨハネはもう反論できない。今はエッセネから分派独立して活動している形のヨハネだが、実はすべてエッセネ教団公認のもとその傘下にあるというのが現状だからだ。そのことはイェースズもよく理解していた。
「分かった。では洗礼を授けさせて頂く」
イェースズは合掌し、目を閉じた。そしてヨハネに言われるままにひざを曲げて頭まで川の水に浸かり、そっと水面から再び頭を出した。その頭にヨハネは、貝で水をすくってかけた。
「これで君の洗礼は終わった。あとでみんなに紹介するから、とりあえず岸に上がっていてくれ」
「ありがとう」
イェースズは微笑んだ。その瞬間、ヨハネも、後ろで並んでいた人々も、すべてが雷で打たれたような衝撃を感じた。
当のイェースズは鳩のような形をした光の塊が、自分にぶつかってくるのを感じていた。そしてそのまま光の柱はタテの炎となって、横に流れる水の上に突き刺さり、火と水はタテヨコ十字に組まれた。その中に、声があった。
――イスズよ。わが愛する子よ。霊の元つ国で汝に会いし、父神なり。
久々の神示である。
――今、わが名を初めて汝に明かなに申さん。我は「スの神」。天地創造の四十八の神を統べる天津神にして、宇宙大根元の『主神』の直系の霊統なり。神の名を知るものは、奇跡をなすに至らん。そして国常立大神にも変化致し、枝国にては弥栄とも申さしめしなり。ゆえに神の名を唱うるを、十戒にてもキツク戒めたり。汝、我が心にかないしものよ。往け!
次の瞬間、川はもとの静けさを取り戻していた。
「今のは何だったんだ?」
周りにいた人々は、一斉にどよめいていた。イェースズのようにはっきりとではないにしろ、彼らとて何らかの声を耳で聞いたようである。
だが当のイェースズは、この時はっきりとこの土地における自分の使命を再確認したのだった。
イェースズはヨハネに促され、岸へと上がった。




