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人間・キリスト  作者: John B.Rabitan
第2章 東方修行時代
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真正人類史

 ここを離れていたのは、かれこれ半年くらいのはずだった。それなのに、ここで修行をしていた日々が遠い昔のように思われる。

 オミジン山はクラウィ山やノリクラウィ岳などと比べたらとても山とは言えないような、ちっぽけな丘にすぎなかった。その丘を斜めに登っていくなだらかな道を歩きながら、イェースズは無性に懐かしさを感じていた。道の両側の杉の木も、何ら変わってはいない。

 しかし、イェースズ自身の方が半年というわずかな期間に、矢継ぎ早にいろいろな体験を積み、もはや昔のイェースズではなかった。杉並木も、丘の下に広がる一面枯れ葉色の草原もみな生気を帯び、新鮮に見える。

 今のイェースズには、どんなものを見ても美しいと感じられるのだった。こんな美しいものを見ることができる目を二つも戴いている、そういうことに対する感謝の念に波調を合わせると、視界全体が余計に明るく輝いてくる。

 やがて道が直角に折れ曲がって、イェースズは五色の絨毯の上を歩いた。突き当たりの石段を上ると、ミコの家と神殿がある。イェースズはその石段を、ときめく胸で登った。


 ミコはいつもと変わらず、そこで薪を割っていた。相も変わらぬ日常生活を送っているようだ。そこへ突然ニコニコしてイェースズが現れたのだから、イェースズの姿を見るなりミコは、


「おお!」


 と、驚きの表情を見せ、相好を崩して斧を放り出し、イェースズの方へ早足で寄ってきた。


「おお、帰ってきたか」


「はい、ただいま戻りました」


 笑顔のまま、イェースズは頭を下げた。


「そうか、よく帰ってきた。とにかく、御神殿にお参りしなさい」


「はい」


 神殿の前にうずくまると、実はものすごい霊圧が神殿から出ていたのだということをイェースズは知った。前にここにいた時は、感じなかったことだ。イェースズは頭を下げた。今なら観念ではなく、はっきりと実在の神との対話ができる。

 イェースズが参拝している間、ミコは妻や子供達を呼んできて、イェースズは彼等の歓迎を設けた。そしてその晩は、当然のことながらミコからピダマの国でのことをいろいろと尋ねられた。

 イェースズは迷った。クラウィ山での幽界探訪やノリクラウィ岳での神啓接受は、並大抵の体験ではない。そしてそれらのことは、一般大衆にあからさまに語ることは禁じられた。しかし、目の前のミコまでその一般大衆に入るのかどうかは、イェースズの悩むところであった。

 だが「ミコだけは特別」という言葉は老仙の口からも出なかったし御神示の中にもなかったので、とりあえずは差し障りのない話をイェースズはすることにした。


「ピダマの国は確かに神秘の国です。そんな霊気の中で修行をさせて頂き、生まれ変わらせて頂けたような感じです。真に有り難うございます」


 イェースズは終始笑顔を絶やさなかった。


「ピダマの国では、いろいろなことがあったようだな」


 イェースズは一瞬、ミコにもすべての想念が読み取られたのかと思ってしまったが、そうではないようだった。


「どんな修行をしたのかは知らないが、素晴らしい人にと昇華しょうげして戻ってきたな。先ほど君が帰ってきた瞬間に、パッと明るい陽光がさしたような気がしたのだよ」


「そんなあ」


 イェースズは照れて笑っていたが、ミコは真顔で話を続けた。


「かえって若返ったようでもあるな。話をしていて、ほのぼのとしてくる」


 それだけ言ってから、ミコも嬉しそうに微笑んだ。


 それから二、三日は、イェースズは特に何もすることなく過ごした。たった一つの作業は、ここを出てから帰ってくるまでの間のすべての体験の一つ一つを回想し、追体験することだった。ただ歯がゆいのは、それら一切を記録できないことだった。イェースズとしては文書にまとめたかったが。それはいけないと御神霊から固く禁じられていた。

 それにしてもいわば自分の正体を告げ知らされたようなもので、彼としては戦慄を禁じ得なかった。

 自分の魂は神霊の分魂で、しかもその本体の神霊はこの地上の万生と人類の創造主の「スの神」のいとし子である。だから普通の人間の魂のように幽界と限界を転生再生しては来なかったから、幽界を探訪しても全く初めて見るものばかりだったのである。

 だからあの老仙は、イェースズが体験したことのない幽界の実相を見せてくれたのだ。


 そうして四日くらいたって、ひと通りの追体験が終わると、いつまでも家の中に閉じこもっているわけにもいかないと、半年前までと同じようにミコの家での日常生活を復帰させた。そしてイェースズは、ミコの家族の日常生活に溶け込んだ。

 二人の子どもたちも前にも増してイェースズになついてくれたし、不思議なことにイェースズは彼等との間に大人と子供という溝をぜんぜん感じなくなっていた。子どもたちが成長したということもあろうが、ただそれだけのことではないような感じだった。

 そうこうして日々を暮らすうちに、もうこの里が雪に埋もれるのも時間の問題となってきた。

 

 イェースズは平野の向こうの、もうすっかり雪をかぶった山脈の壁を見ていた。ノリクラウィ岳もあれくらい高さがあったから、あのような壁の上にイェースズはいたことになる。

 背後に、いつの間にかミコが立っていた。


「このオミジン山はな」


 と、ミコは言った。イェースズは笑顔で振り向いた。ミコの目も、遠くの山を見ていた。


「このオミジン山も、あの山くらいの高さがあったのだ。超太古にはな」


「え? この山がですか?」


「なにしろ全世界の人々がこぞって参拝する巨大な黄金神殿があったのだ。今のようなこんな小さな丘では、とてもそのような巨大神殿は建たないだろう」


「はい、確かに」


「皇統第二十六代ウガヤプキアペズ朝の末期の天変地異でこの辺一帯は沈んで、貝を採った海もその時に湾となった。それまでは、海はずっと遠かったのだ。そしてこの山も、今のような小さな丘になってしまった」


 イェースズは、黙ってうなずいた。ミコは遠くの山脈を指さした。


「あの山脈が海にぶつかった所に、春になったら行ってみるといい。おもしろいものが見られる」


「はい、いって見ます。有り難うございます」


 ミコもしばらく微笑んで、イェースズの笑顔を見ていた。その心の中ではしきりに何か自問自答しているようだったが、やがて一人でうなずき、それから言った。


「そろそろいいかもしれない」


「何がですか?」


「よし。今から出かけよう」


「さっき言われていたその、山と海がぶつかる所へ行くんですか?」


「いや、違う」


「はい。分かりました」


 それ以上は追及せず、イェースズはス直にミコに従った。冬の貯えの狩りは終わったし、貯蔵用の貝の採集も済んでいる。しかしイェースズは、あえて疑問をはさまなかった。


 ミコがイェースズをつれて行ったのは丘の下の川向こう、イェースズがここに来てすぐに籠もらせられたあの赤い水の池の中に浮かぶお堂だった。

 その前に、ミコはイェースズとともにいつぞやの神殿に参拝した。オミジン山の御神殿がホドの宮で火の宮なら、ここのメドの宮は水の宮ということになる。確かに火と水がホドケている世だなと、今のイェースズにはすぐに察しがついた。

 そのメドの宮で参拝を済ませた後、小舟で赤い池の水面みなもをすべり、懐かしい堂の中にイェースズはミコとともに入った。


「またこのお堂に、来年の春までこもってもらうことになる」


「はい。有り難うございます」


 もはや「え? またここにですか」などという言霊を発することはないイェースズだった。時には拍子抜けするくらい、イェースズは無邪気で明るい。


「こんどはわしもいっしょだ。我が家に先祖代々伝わる秘伝や秘術、つまり神業かむわざの伝授を、一冬かけて行う」


 イェースズはゆっくりうなずいた。


「ほとんどのことは、断片的にこれまでも語ってきたことだが、今ここにまとまった時間にまとめて伝授する。そのときが満ちたと、君の笑顔を見てそう思ったんだ。心構えはいいかね?」


「はい。よろいくお願いします」


 イェースズは内心飛び上がらんばかりの嬉しさを感じていたが、ミコの表情といいその厳粛な雰囲気に、あえて喜びを表現することは慎んだ。


 その日から早速、連日の講義が始まった。イェースズは神霊界での啓示を書きとめることが許されなかったのと同様、ここでも筆記は禁じられた。


「筆記は忘れるためにするようなものだ」


 と、ミコは言った。


「全神経を集中させて聞いていれば、筆記する暇などないはず。話をただの話とせずに、己の血とし肉とせよ」


 イェースズはまた、大きくうなずいた。イェースズはそのまま、長時間座ってミコの話を聞いた。

 池の外の小屋には、ミコの娘がせっせと食糧を運びこんでいるのが見える。彼女も恐らくひと冬をその小屋に寝泊まりし、前と同じように食事を運んでくれるのだろう。

 講義はまず、歴史から始まった。


「そもそも宇宙太古の昔は、一つの卵のようなものから始まった。それが突然爆発して、膨らんでいったのだ」


 ミコの口調はいつものそれとは違い、何かにかれたように講義内容を朗々とうたいあげていた。話の内容はピダマの国での異次元体験をしてきたイェースズにとっては耳新しいものではなく、見聞の再整理という形になった。それでも、「そのようなことはもう知っている」というような傲慢な態度はイェースズは微塵も見せず、謙虚に下座して感謝しつつ拝聴した。むしろミコがそのようなことをすでに知り得ていることに対して、感服する思いだった。

 ミコの話は、イェースズの国の『聖書トーラー』よりも遥かに正確で、悠遠なものだった。

 宇宙の『大根元神』は大宇宙そのものであり、大いなる宇宙意志であって、宇宙エネルギーである。太初にはまず火の精霊、水の精霊が創造され、それが十字に結ばれて次々に「神々」が生まれていった。


「今より百五十億年も昔のことだ」


 そう言ってから、ミコは静かに目を閉じた。

 こうしてミコの講義は、毎日毎日延々と続いた。しばらくはずっと、歴史の話だった。大根元神から次々に八、七、六、五次元と創造されていき、第五代目の神は天祖として初めて地上に降り立たれたが、その場所がピダマの国であったという。そして第六代目の神こそが「国祖」であり、人類の霊成型ひながたがこの神様によって創造された。それが今から四十億から五十億年前のことだという。

 この神様は、『大根元神様』が霊の面ならいわばたいの面の「神様」で、人類のみならず、あらゆる動物、植物をも創造された。動物を創造する際は、神々の龍体の一部や全体的な縮小などの技術が用いられ、それらが一気に物質化されたものなのである。

 「国祖」はピダマの国て御自らの龍体に男神の霊体をくるんで母魂ははだまとし、その二万年後には御自らの龍体に女神の霊体をくるんでこれをも母魂として、ともにこのアメノコシネの国のオミジン山に降ろされた。こうして人類が発祥するまで五千年、それまでは神にも試行錯誤があり、失敗作である類人猿や猿人などはみな亡び去った。

 従って、決して人類は何がしかの動物が進化したものではなく、その魂はすべて「国祖」を真中心とする四十八柱の神々、すなわち四十八よとやの神々のどなたかの分けみたまを頂いている。人がすべて神の子であるというのは、こういういきさつがあるからである。

 第七代「アマテラス大神様」は再びピダマの国にご降臨遊ばされ、すべての被造物をご覧になり、祝福され、「善し」とされて神界にお戻りになり、そして休まれた。以上、七代の「神様」を「天神七代の神様」と申し上げる。すべて神霊界の「神様」で、肉体をお持ちになってはおられない……。


 講義は時折、深夜まで及んだ。かすかな油明かりだけが頼りで、堂内はほかに火の気がないから暖をとるものは何もなかった。しかし、外は凍るような極寒だろうがここは神気が堂に満ち、またイェースズも神気がたいに満ちて、不思議と寒さは感じなかった。

 ミコの講義は、一日の休みもなく続いた。


 「アマテラス日大神様」が神界にお帰りになり、そのミコが皇統第一代スメラミコト様の位にお即きになった。アメピトヨモトアシカビキミヌシスメラミコトで、この皇統というのは一つの王朝であり、皇統第一代は二十一世続いた。続く皇統第二代も三十三世続いている。この間、世界が泥の海になるような天変地異が八十四回もあった。

 そして皇統第三代アメピトヨモトキビトミコトヌシスメラミコト様の時に人類は黄・赤・白・青・黒の肌を持つ五色人に分かれて全世界に散り、スメラミコト様はその皇子ミコたちを民王ミツトソンとして世界中に派遣した。だが直系はあくまで黄人であり、このスメラミコト様の御名がそれをよく表している。

 その後、これまでになかった大天変地異で人類の大部分は死に、生き残ったもので次期文明を築きあげ、それが皇統第四代アメノミナカヌシ朝で、この王朝も二十二世続いている。

 こうして皇統が続き、スメラミコトは肉体神・現人神あらひとがみとして全世界に君臨し、あめの浮舟に乗って世界じゅうをご巡行された。その間天変地異も百数回あり、大きいものだけでも三十数回。全世界が泥の海となってほとんどの人が死滅するような大天変地異は六回あった。

 その都度高度文明が亡んでは原始化し、再び文明を築き上げるという繰り返しだった。そしてスメラミコト様の叡智と、ノアのような選び子として生存したごく一部の人類によってそれはなされていった。

 そして天変地異のたびに地球上の大陸は形を変え、今イェースズたちがいる島国もかつては偉大なるムーの国の一部であったが、時には海底に没していたこともあり、またムーとは反対側のシムのある大陸と地続きになっていたこともあった。

 そして皇統第二十四代アメノニニギ朝の御時に世界政庁はムーの大陸部から後の島国となる部分に遷され、やがてムーの大陸とも地離れになり、皇統第二十六代ウガヤプキアペズ朝第六十九世カンタルワケトヨスキのスメラミコト様のご即位三十三年目の大天変地異で、ムー大陸の最後の沈み残りのミヨイ・タミアラの国も海底に没し、ムーの沈んでいない部分はこの五島ひじまのみとなった。そしてウガヤプキアペズ朝も天変地異の中で終わり、今の原始化した文明となって由々しき事態に陥っている。

 今は世界の真中心となるべきスメラミコトが不在で、各国はそれぞれ勝手な王を立てて国々は分化対立し、真の歴史がどんどん抹消されて、プキアペズ朝の亡んだ後の歴史だけが人類の歴史となっている。それ以前のことといえば、それぞれの国の神話の、それも冒頭部分に断片的に語り継がれているにすぎない。


「今は、大変な時代なんだ。これから後もしスメラミコト朝が興ったとしても、前にも言ったがそれはこの島国の中だけの大王として、世界のほかの国々の王と十把一からげに扱われるであろう。だから、大変な時代に生まれたということを、しっかりと肝に銘じておいてほしい」


 もうすっかり外は、豪雪に埋まるようになった頃、ミコはそんな涙混じりの声で歴史の話を締めくくった。

 ここに籠もってから、すでに二ヶ月くらいたっている。それでも、ミコの講義は終わらなかった。だが話のおもしろさにイェースズは全く苦痛も感じることなく、それどころか、そのような話を聞かせて頂けるという感謝の念から、床に入ってもむせび泣くこともしばしばだった。


 次のミコの講義は、文字についてだった。文字というものは、すべて上古のスメラミコト様の作だという。アメノミナカヌシ朝のスメラミコト様の天日流あひる文字や天越根あめのこしね文字など、十数種類の文字をイェースズは覚えさせられた。それらの文字のすべてが、スメラミコト様の叡智だという。

 そして一つの文字には一つの言霊が与えられ、その音霊は四十八柱の四十八よとやの神々のみ働きが込められているという。ゆえに、文字は像神名カタカナという。また、ギリシャ文字、へブル文字、サンスクリット文字、シムの漢字など、すべての文字の発祥はこの国の太古の文字であるという。だから、この国には文字はないなどというのは、とんでもない歴史迷信なのである。


 こうして講義を聞くうちに雪も溶けはじめ、次第に春めいてきた。


「今日の話は、ここで終わりだ」


 と、ミコが言ったのは、本当に陽ざしが暖かくて、雪こそ溶けきってはいないが心も晴ればれとするような日だった。だが、まだ暗くもなっていない時刻に話が終わるというのは、これまでになかったことだった。


「今日はここで終わりにするのは、今日が特別な日だからだ」


「特別な日ですか?」


「ああ。今日は神霊界の一年の始まりの日で、コノメハルタツの日だからな」


 コノメハルというのが神霊界でいう一月で、それが「タツ」というのだから月の最初の日で、いわゆる正月元旦である。

 イェースズの故国のユダヤ暦での正月は、季節的にもうあと一ヵ月後くらいだろうと思われる。ローマ暦での正月は冬の真っ最中だから、もうとっくに過ぎているだろう。

 だが、華やかすぎるほどだったシムの国の正月は、ちょうど今頃だったような気がする。もし今が正月なら、イェースズもちょうど二十歳を迎えたことになる。


「天神第六代の国祖の神様は神霊界にて暦をお造りになり、一年を三百六十日と定められた」


 一年がなぜ三百六十日なのかについては、地球は現界的には太陽の周りをまわっている球だということをすでに知っているイェースズにとって、すぐに理解できることだった。地球が太陽の周りを一回りするのにかかる日数が、三百六十日なのだ。


「そしてその暦の最初の日、すなわちコノメハルタツの日に、国祖の神様は大天底に天祖の神様を勧進して祭ったのが、祭りの淵源なのだ」


 イェースズの故国にさまざまな祭りがある。とりわけ大きいのは過ぎ越しの祭りだが、いずれもその起源は聖書トーラーに記載された歴史時代よりもさかのぼるものはなく、神霊界に起源を発するものは一つもなかった。また、この国に来るまでにも多くの祭りを見てきたが、どこの国の祭りもまた然りだった。

 神祭りの最初は、「神様」が『神様』に祈りを捧げられたのだ。


「祈りといっても、今の人間どもの祈りのような、ああしてくれこうしてくれという願掛けの祈りではない。本当の祈りとは、意を乗り合わせることだ」


 物事の真実はすべて言霊に託されているから、の元つ国の言葉が分からないと霊界の法則はわかりにくい。その点イェースズは、その言葉を習い覚えたわけでもないのに自由に理解できるので幸福だった。

 しかも、この国の言葉はただこの国の言葉ではなく、幽界の、そして神界の言葉でもあった。全世界のどの国のどの民族の人でも、死んで幽界に行けばこの霊の元つ国の言葉が解せるようになるのは、彼が実際に幽界で見聞してきたとおりである。


「意を乗り合わせること、すなわち波調を合わせることが、祈りの秘訣だ。国祖の神様も天祖の神様と、この人類最初の祭りで波調を合わされたわけだ」


「波調合わせ……ですか」


「祈りとは、こちらからの一方的な願いごとをすることではない。例えば人が神様に祈るように、神にも人に対する切実な願い、祈りがある。そのことをサトって、それと波調を合わせる、を釣り合わせるんだ。だから、間釣まつりというんだよ。つまり、『和』だ」


 イェースズは驚きを禁じ得なかった。ミコの話の内容もさることながら、何から何まで神霊界の秘儀がこの国の言葉には秘められている。


「コノメハルタツの祭りは国祖の神様が御自ら執り行われた人類祭であるのに、今では黄人の中にわずかにその名残が残っているにすぎない」


 ミコの顔に少しだけ翳りが生じたが、すぐにミコは力強さを取り戻した。


「本当の神祭り、神との間釣り合い、波調合わせ、つまり意乗りが大事なだ。コノメハルタツの良き日に、このことをしっかり覚えておいてもらいたい」


 イェースズはゆっくりとうなずいた。


「祈りとは、神様との対話なのですね」


「その通り。一方的な願掛けは人が神の上に立って、神を雇っているようなものだ。神のみ声に耳を傾け、今神様は人類に何をお望みなのかを読みとって、それを即実践に移すことが大切だ」


 ミコの顔には、笑顔が戻っていた。


「こうして、国祖の神様、皇祖の神様からその人類祭の祭りを受け継いでこられた方が全世界の五色人の棟梁たる代々のスメラミコト様だった。スメラミコト様は地上の権力者でもないし、単なる統治者でもない。まさに肉身を持たれた神様、つまり現人神あらひとがみで、全世界人類のためのあま祭り役なのだ。それが今、長いこと空位になっている」


 イェースズがキショオタンで見た粘土板にも、ムーの国ではラ・ムーという神官が神祭りをしながら国を治めていたとあった。やはりスメラミコトとは、すなわちラ・ムーなのだ。


「神祭りと政治も、一体のものだ」


 急にミコがそう言うので、まるで霊界にいた時のように想念を読み取られたのかとイェースズははっとした。


「政治はまつりごとともいう。つまり、祭りだ。政治とは神祭りなのだ。昔のスメラミコト様は神を祭り、神と波調を合わせて、神のみ意のままにそのご意志を地上に移してこられた。だから、政治は祭りごとなんだ。そうして祭政一致を行ってきたのが、本来の霊の元つ国だ。それなのに、今の世は……」


 熱をもって語り続けられてきたミコの言葉はそこで途絶え、その頬に涙が伝わった。イェースズはそれを見ているしかなかったが、だがイェースズにとってそれ以上のミコの言葉は必要なかった。今の世は邪神が跋扈ばっこし、それぞれの国の為政者も地上の権力者でしかなく、祭政一意を行っている所などない。すべて人知だけが主流となっている恐ろしい世なのだ。


 昔のギリシャでは神殿での神託政治が行われていたと聞いたこともあるが、今のローマ皇帝もその傀儡であるユダヤの王も地上の権力者に過ぎない。


 ――本来は祭政一致こそ正しい神のみ意なのだ……。


 ミコの涙は無言でそのことを力説していた。

 

 翌朝の朝食の後、ミコはイェースズをつれて舟で堂の外に出た。もうここに籠もってから何ヶ月たつのだろうかと思いながら溶けはじめた雪を踏みながら歩いていると、春はもう確実に到来していることが感じられた。

 ミコのあとを歩きながら、これでミコの講義はすべて終わり、オミジン山に帰るのかなとイェースズは思っていた。するとミコはメドの宮の前のちょっとした広場で足を止め、


「これから、神業かむわざを伝授する」


 と、言った。


「はい」


「神業とは自分の力を誇示するためのものでもないし、人々の注目を集めるためにやるものでもない」


「はい」


 イェースズは大きく息を吸ってうなずいた。

 空は青く、雲もない。まだ残っている雪に陽光がまぶしく反射し、輝いて見えた。


「神業は、己の力ではない。偉大な神のなせる業で、ごく選ばれたものだけがその業を用いることができるが、そのものとて神が定めたもうた道具にすぎぬ。あくまで業をされるのは神様であり、人はただお使い頂くだけだ。それを心得た上で、今から業を伝授する」


「はい」


 ミコの言う業というのはどういうものなのか分からなかったが、イェースズは張り詰めた心になっていた。すでに自分に備わっている癒しの業以上の業が、まだあるらしい。

 そんなことを考えて、イェースズは一瞬だけ目を伏せた。そして再び目をあげた時には、ミコの姿は目の前になかった。一瞬にして、ミコは消え失せた。あたりを見回してみると、少しはなれた雪のかたまりの上に、ミコはいた。だがその姿も突然に消え、ミコはもう別の位置に立っていた。その間は人間が足で跳ねて移動できるような距離ではない。まるで時間と空間を超越した霊界で体験したような現象を、物質の世界である現界で見るのは始めてだった。

 今度は、ミコの体は宙に浮き、旋回してイェースズの前に戻ってきた。

 イェースズは呆気にとられていた。ミコは一度だけニコリと笑い、そしてまた厳しい顔になった。


「神業は神のご実在とそのみ力を万人に知らしめるためのもので、この業自体が目的ではない。神の栄光を現すための業なのだ」


「私にもできるのですか?」


 ミコの眼が、また厳しく光った。


「君がするのではない。神様がされるのだ。自分にできるかどうかなどという疑問は、神を愚弄したことになる」


 イェースズは神を愚弄するなどということに対し、顔から血の気がさっと引くほどに恐ろしさを感じた。


「申し訳ありません」


 イェースズはすぐに頭を下げた。ミコは笑った。


「それに、できるはずもない人にやれとは、わしは言わん。君ならできると、わしには分かるので言ったのだ。君にできるということが分かるのも、一種の神業だな」


 それからミコは、また厳しい表情に戻った。


「手段と目的が入れ替わった時、自分の願いばかりを神に訴える世間一般の人の祈りと同じになる。ただご利益だけを頂けばいいという想念はまるで神を雇っているようで、神と人とどちらが上だか分かりやしない。そういった想念の人には動物霊かなんかが一時的なご利益を与え、やがては自分の範疇に引きずり込もうとする。そうならないためにも、神様に許されてさせて頂いている、お使い頂いているという謙虚な態度と感謝が大切だ」


 ミコが今度は近くの竹やぶを見つめると、細い竹が二、三本空中を浮遊して赤い池に落ちた。するとミコは、ひらりとそれに飛び乗った。その姿は、まるで水面上を歩行しているかのようだった。

 その時イェースズの目は、ミコの体が肉体であって肉体ではなく、エクトプラズマ、すなわち幽体化していることをはっきりととらえていた。

 次の瞬間には、ミコはイェースズの前で再び物質化して立っていた。


「これらの力は、本来は誰でも持っていたものだ。しかし今世の人々はその魂の曇りから神様もお使いになることができず、従ってこういった業もできなくなっている。ただ、それだけのことだ」


 イェースズは無言で、それを聞いていた。


「君ならできる」


 急にミコの口調が変わってミコはそう言うので、イェースズは驚いた。


「神様にお使い頂けるかどうかは、いかに魂を浄めて本来の水晶だまのような魂に戻っているか、神の子として元還りしているかどうかにかかっている」


 今のイェースズには、原理は分かる。肉体を幽質化させれば、あの時間や空間がなく想念の世界である霊界にいるのと同じ状態になるから、同じことができるのだ。

 しかし、肉体をエクトプラズマ化させるなどということは、人間の力ではどうにも無理なことで、だからこそミコの言うように神のご意志によってはじめてなし得ることなのである。だから偉大な神業なのだ。幼い頃にイェースズが泥で作ったすずめを空中に飛ばしたのも、神のご意志だったのである。


「やってみろ」


 イェースズがそんなことを考えてぼんやりしているうちに、ミコの鋭い口調が飛んだ。


「はい」


 幼い頃からずっとやってきたようにイェースズは意識をギュッと凝縮した。そして想念のボルテージをあげ、宇宙意志との一体化を計った。すると想念の波動は幽体波として飛んでいき、赤い池の水の上にある竹を空中に浮かび上がらせた。竹はミコとイェースズの足もとで、音を立てて落ちた。ミコは満足げにうなずいた。

 イェースズは目を閉じ、大きく域を吸い、現界に持って生まれた十分の一の意識だけではなく、霊界に置いてある種魂の九割の意識と叡智を、宇宙意志との一体化のもと呼び寄せたのだ。意識は肉体の五官に閉じ込められた状態から一気に解放された。そして次の瞬間には、イェースズは想念通りのかなり離れたところの雪の上に立っていた。すべて自分の意志ではなく、神のご意志であった。すぐにミコも、イェースズの隣に移動してきた。


「決して人間業じゃあないぞ。あくまで神業だ。人間が人間である間は許されない業なのだ。すべての人が神のみ魂を注入された神の子であるという自覚を正しく持ち、人には間がある人間ではなく、神の霊を止めた神の子霊止(ヒト)として復活した時、神はそのあかしの力をお見せ下さる」


「神の子の復活……」


「それがいちばん大事なのだ。君にまだ人間性があるうちはだめだ。よくない意味での人間性を脱却し、神性化することだ。だから日々、神の子の力甦らせ給えと祈る事が大事なのだ」


 ミコは懐から、ろうそくを取り出した。


「いいか、神と一体化すれば、こういうこともできるぞ」


 ミコはろうそくに火をつけ、そのろうそくを上から親指、人さし指、中指の三本の指ではさんだ。ろうそくの炎はもろに手のひらに当たる。それでもミコの顔は全く苦痛にゆがみもしなかった。イェースズが呆気にとられているうち、ミコはそのままろうそくをさかさまにした。今度は炎は三本の指をあぶり、たれた蝋が手のひらにたまった。


「こんなことができたとて、神のみ意の人救いにはならないが、一応参考までにな」


 ミコはまた笑った。

 

 それからは講義ではなく、神業の修錬の毎日となった。イェースズは瞬く間に水の上を歩く術を身につけ、三日ほどで瞬間移動もできるようになり、やがてろうそくを手に持って歩くこともできるようになった。

 だが、イェースズにとっての一番関心事は、そのようなパフォーマンス的な神業ではなく、自分の使命遂行のために必要な万人救済の神業だった。そして、気になっていたのは、彼がすでに身につけている手のひらを置く癒しの業だが、それもまた神業であることはすでに了解していた。

 だが、ミコはかつてそれについて、それは癒しの業の初歩であると言った。そのことについて、イェースズはミコに尋ねてみた。


「ミコ様は私の癒しの業を、初の座とおっしゃっていましたね」


「そう。あれもまさしく神業だが、ただこれまでの水上歩行などとは違って癒しの業となると、直接人救いにつながる反面、想念の持ち方を誤るととんでもないことになる」


 それは、イェースズとてすぐ理解できた。自分が不思議な力を突然身につけた幼少時の想念の記憶をたどれば、容易に分かることだった。


「癒しの業とて、決して自分の力ではない。神様に自分の霊体をお貸し申し上げているだけで、されるのは神様だ」


「はい」


「要は、その目的が病気治しではないということだ。あくまで霊的救いとしてその人の霊体を浄め、病気のない状態にしてしまうことなのだ。肉体の病は霊の曇りから生じるもの、だから霊の曇りをぎはらってしまえば肉体の病も自ずから癒えてしまう。だから肉体にばかりとらわれ、薬などの手を施しても、根本の原因を取り除かない限り本当の無病化とはならない」


「すべての実在は霊であって、霊が主体であるということですね」


「そういうことだ。逆を言えば、肉体の病すら癒せない力が、なぜ霊的な救いができるのかということになろう。だが、この業の目的は病気治しではなく、神がされる業であるだけに、この業によって神の御実在、霊の実在を万人に知らしめ、霊細胞を浄めて魂を浄化向上させ、よって神様のご計画の成就に万人を参画せしめるための業なのだ」


「ところで、私の業が初の座だということなら、まだ上があるわけですね」


「ある」


 と、きっぱりとミコは言った。


「君もできる手を直接当てる按手の法は初の座で、これを真手まなての業という。そしてこれから伝授するのは、中の座だ」


「中の座というのは確か、真息吹の業とかいいましたね。それを教えて頂けるのですか?」


 イェースズの顔がパッと輝いた。


「よく覚えていたな」


 ミコは笑ってそう言ってから、すぐにイェースズに向かって力強く息をふきかけた。イェースズは慌てて一歩退いた。それは普通の息ではなく、ものすごい熱をその中に感じたからだ。


「これが中の座だ。やってみろ」


 イェースズも腹中に息をため込み、フッと吹きかけてみた。


「人の息に神力を乗せる気吹きだ。これによって一切を吹き浄め、浄化させる」


 今度は自分の手の甲に、イェースズは息を吹きかけてみた。


「あ」


 イェースズが叫んだのも無理はない。手の甲にきらきら輝く金の粉が一面に付着しているのだ。驚いて手をのぞきこむイェースズに、頭上からミコは言った。


「その金粉は、時に神のみ光がものとなって現れた証だ。大切にするがいい」


 イェースズがゆっくりと目を上げると、ミコは、


「では、山に戻るぞ」


 と、言ってイェースズに背を向け、雪の上に足跡をつけながら歩きだした。


「あ、待って下さい」


 イェースズは慌てて、その背中を追った。


「初の座と中の座の上に、まだ奥の座があるっておっしゃっていましたよね」


 ミコは歩きなが振り向いた。


「それはまだ、伝授できぬ」


 ミコが立ち止まったので、イェースズはようやく追いついた。そんなイェースズに、ミコは言った。


「雪が溶けたら、また旅に出なさい」


「旅に? どこへ行くんです?」


「今度はあれを越えて、東へ行くのだ」


 ミコが指さしたのは、平地の東に壁のように横たわる白い山脈だ。

「東へ行けば不死の山がある。アフリの神を祀ったやしろもある。その旅路において、奥の座は自ら修得しなさい。今わしが簡単に伝授できるものでもないし、また君に、いや君だけでなく誰にも伝授することはわしにも許されていないのだ」


 ミコはそれだけ言うと、また行ってしまった。

 一人残されたイェースズは、呆然と白い山脈を見つめた。

 あの向こうには、どんな世界が開けているのか分からない。ただ、奥の座を修得し得る何かがあるのかもしれない。

 それにミコが言っていた不死の山というのが気にかかる。そういえばシムの国で聞いた話では、この国には不老不死の薬があるというブンムラグという山があって、昔ギァグ・ピュァクという人がシムの皇帝ジェン・チャーグ・フアンに遣わされたということだった。だがイェースズはまだこの国に来てから、そのブンムラグらしき山には巡り会っていない。長らく忘れていたそんなことが、ふとイェースズの頭の中に甦った。

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