幽界探訪・3(天国)
ちょっとした森を抜けると、そこには次の村があった。今度はすべて石造りの立方体で、やはりすべてが同じ造りの家が同じように同心円状に並んでいた。
――よくこんな同じ形の家ができますね。
大工の家系の血が流れているイェースズにとって、それは驚異だった。
――造るといっても、別に材料を長達して、それを切ったり重ねたりして造られている家ではない。ここは現界とは違うのだ。
――では、どうやって?
――ここは想念の世界だ。その村の村人たちの想念が現象化して、家はできている。
――ではなぜ、皆同じ家なのですか?
――それは、一つの村の村人達は、同じ想念なのだ。だから自然と同じ家ができる。逆を言えば、同じ想念の人々が集まって村を形成している。ただ同じ想念といっても、村の中心に近ければ近いほどそこに住む人の霊格は若干高い。そして中央に住んでいるのが村長だ。村長の霊力は、山をも崩すこともできる。
そんな老人の話を聞きながらも、イェースズは村人たちの様子を観察していた。
誰もが楽しそうに、笑顔で歩きまわっている。その姿一つにも、真さがにじみ出ているのだ。
そして同じ村の人々は、顔つきまでも互いにそっくりだった。姿が想念どおりになってしまう世界なのだから、同じ想念の人同士なら顔が同じでも当たり前なのだ。家は一つ一つが非常に小さい。
――あの小さな家に、家族で住んでいるんですか?
――この世界では、家族なんてない。現界の家族など、精霊界にいるうちに離散してそれきり会えなくなる。それよりもここでは、一つの村全体が一つの家族なのだ。いや、家族以上かもしれない。愛の絆でしっかり結ばれた集団で村ができているから、一人の喜びは村全体の喜びとなる。
――でもこんなに果てしなく広い世界で、同じ想念の者たちがすっと同じ村に集まるものですね。
先ほどの高台で見た光景は、現界のどこで見た風景よりも広大で、そこに何万何億の村が点在していた。
――現界と違ってここは、絶対的な秩序の世界なのだ。精霊界で自分の本性があらわになってからここに来るわけだし、現界と違って外見でごまかすこともできない。だからこの世界へ来るや人々は一目散に自分といちばんふさわしい世界の、自分と全く同じ霊相の人々の住む村にすっと引き寄せられる。それ以外の所に行くことはできない。地獄の霊が自分の想念に合った地獄を選んですっと引き寄せられ、ほかの世界へ行かれないのと同じだよ。
――厳しい世界なんですね。
――前にも言ったが、徹底した「相応の理」でこの世界は貫かれている。従って、霊層の違う世界との交流は一切あり得ない。さまざまな段階の霊層の人が同居し、交流できるのは現界だけだ。
確かに現界では、悪人の家の隣に善人が暮らしていたりする。
――だから、現界こそ大いなる修行の場なんだ。そういう意味では、むしろ現界の方が厳しい世界だよ。しかしそれとて神様の本来の御意志ではなく、神様はもっとほかの目的で現界を創られた。それを修行の場にしてしまったのも、神から離れた人間の我だ。
確かに現界は、さまざまな霊層の人々の坩堝だ。だがそんな現界でも、ある程度は同じ霊層の人で付き合い仲間を形成している。盗賊は決して知識人の会合や宴会に参加したりはしないし、その逆もまた同様である。
――ではこの世界は、本当に善人だけが住む世界なんですね。つまりここが天国なのですか?
――善人といっても、まだまだ上がある。本当の天国は、もっともっと上の世界だ。その上の世界を目指して、人々は精進と修行をしているのだ。
――え? この世界に来たら、ここに永住するのではないのですか?
――それでは、霊としての進歩がない。絶えず向上目指しての進歩があってこそ、創られた意味がある。同じ村でも少しでも中央に近い家に住めるよう皆精進努力しているし、また少しでも段階が上の世界に上がれるように互いに助け合って修行しているのだ。つまり究極的な目的は神性化、つまり一歩一歩神に近づくことなのだよ。
――でも、ほかの世界との交流はできないんでしょう? そうしたら、上がることも難しいのでは?
――そのままの状態では交流はできないが、霊層界が昇華すればすっと上の世界に引っ張りあげられる。いいかね。いいものを見せてあげよう。
老人はそう言って村を背に歩きだしたので、イェースズもそれに従った。
老人は森の中に入っていく。するとすぐに、とんでもないものをイェースズは見た。何と空から人間が一人、降ってきたのだ。イェースズの右隣を歩いていた老人の向こうに降ってきた人は見事に足で着地し、不思議そうな顔をしてあたりをきょろきょろ見回している。
イェースズは老人の背後を通って、その若者の方へ行こうとした。その時、力強い腕がイェースズをつかんで引き戻した。老人が後ろに手を回して、イェースズを捕まえたのだ。
――気をつけなさい!
厳しい口調だった。イェースズはなぜ怒られているのか分からずにきょとんとして、降ってきた人に近づくなということなのかなと思っていた。
――そのようなことではない。
老人は、イェースズの想念をきっぱりと否定した。
――霊界では、人の背後を横切ってはいけないのだ。
――なぜですか?
老人は、正面の太陽を指さした。
――あの太陽から来る霊流は、顔の眉間から入って背中に抜ける。だから背後を横切ると霊線を切ってしまい、霊流が乱れてしまうのだ。背後を横切られた人は力を失ってへなへなと倒れてしまい、当分は起き上がることもできない。
イェースズは感心して聞いていた。何から何まで不思議な世界なのだ。不思議といえば空から降ってきた人だが、その人はもう二人のそばまで来ていた。
――あのう、ここはどこですか? 金の砂の城に行こうとしていたのに、いつの間にかわけの分からないことになってしまいまして。
そう尋ねられても、イェースズには答えようもない。
――何だか、暗い世界ですね。
イェースズは首を傾げた。下の世界からここに来た時に、イェースズは一段と明るさを増した世界だと感じていたのに、この若者は逆のようだ。
――ここへ来る直前のことは、覚えているかね。
戸惑うイェースズに代わって、老人が受け答えをしてくれた。
――それが、よく分からないんです。気が重いな、気分が暗いなと思っていると大地が割れて、奈落の底に吸い込まれるようにどんどん落ちていって、気がついたらここにいたんです。
――おまえさん、他人への愛ということに疑問を感じはじめていなかったかね。
――ええ、おっしゃる通りで。だって、そうじゃありませんか。人は誰しも、自分が一番かわいいんですよ。そんな気持ちに正直になることは正しいことなんじゃないかなって、そう思いはじめてたんです。
――それだよ。その想念が正しいかどうか、サトるまでここで修行をしなさい。おまえさんの家も、もうちゃんと用意されているはずだ。
それだけ言い残して老人は歩きはじめたので、イェースズもそれに従うしかなかった。降ってきた人はぽつんと取り残され、老人やイェースズとは反対方向にとぼとぼと歩いて行った。
――今の人は、何なんです?
と、早速イェースズは歩きながら老人に聞いた。
――上の世界から、落ちて来たんだよ。
――上に上がるだけでなく、落ちることもあるんですか?
――あるとも。現界の人でも想念がいい時と悪い時があるだろう。この世界の人にも、そういう波があるんだ。現界と違うのは、現界では見た目ではその人の想念は分からないが、ここでは想念がよくなればスーッと上に上がり、悪くなれば下の世界に落ちる。一切が波なんだよ。
――波?
――そう。波を打つから伸達するんだ。波を打って精進して、どんどん上に上がって行く人もいる。波を打って上がったり下がったりで、いつまでも平行線の人や、中には地獄まで落ちて行く人もいる。
――地獄……?
――現界で死んでこちらへ来て、すぐに地獄やもっと上の世界に直行する人も多いが、それでも全員が一度はこの霊層界に来て、その精進次第で上に上がったり下に下がったりする。
その時森は途切れ、視界が開けた。小さな花が咲く草原で、一本の小川が浄い流れとなってその中をくねっていた。
その小川のほとりに多くの人々が集まっているのが、イェースズの目に入った。小川のそばには、一人の男が横になって寝かされていた。その周りを同じ村の人と思われる人々が囲んで、何やら悲しそうにしている。すすり泣いているものも多かった。その中には、村長と思しき人もいた。
――いたずらに悲しむでない。このものの真の幸福のための決定だ。悲しいのは私とて同じだよ。しかし、涙をのんでこう決めたのだ。
そんな村長の想念が、イェースズにも伝わってくる。
――何ですか? お葬式ですか?
イェースズが老人にそう訪ねたのも無理もない、そんな雰囲気だ。しかし、死んだ後の世界であるここで葬式というのもへんな話だとイェースズは気づいて、視線を老人からもう一度前の方へ戻すと、風景は一変していた。
遠くの山々の向こうの空が黄金色に輝き、空が高くなるにつれて紫の光を発している。今まで花畑だったところの地面には黄色い雲が立ち込め、地面があるのかないのかかなり実体のないものに感じられてきた。
いつの間にか、村長と横たわっている人以外には誰もいなくなった。村長は無言で、横たわっている人をじっと見下ろしている。小川だけは依然としてそこにあり、心なしか流れが速くなったようだ。
黙ってイェースズは、老人を見た。その想念は事態の説明を求めていた。
――あのものは、これから現界に転生するのだ。
――では、赤ん坊になって生まれるのですか?
今まで接したさまざまな宗教の教義の中で観念としてしか聞いたことのなかった転生再生が、今目の前で現実に起ころうとしている。その事実を、実際の体験として目撃しているのだ。
――人は行き代わり死に換わりつつ、この幽界と現界の間を行ったり来たりする。それがサンサーラ、つまり輪廻転生だ。だからこの幽界は死後の世界であるというだけでなく、生前の世界でもあるのだ。
――生前の世界?
かつてイェースズが幼児期に、いちばん疑問に思っていたことだ。
――人の一生は、現界では五十年か六十年くらいだろう。しかし魂は死なずに、この幽界に来る。そしてまた現界に生まれる。人はそうして何度も転生を繰り返して、長い魂だともう何万年と生きている。
自分もそうだっのかと、イェースズは思った。しかし、何も思い出せない。本当に自分も生まれる前にこの幽界から現界に転生したのなら、この幽界で暮らしていたことになり、ここでの不思議な現象にいちいち驚くのはおかしいともイェースズは考えた。その想念は、すでに老人には読み取られていた。
――あの人は何で、横たわって眠っているようにしているか分かるかね。
――いえ。なぜでしょうか?
――ああして眠ったようになって、この世界でのすべての意識を潜在化させるんだ。それを見守るのも、村長の役目だよ。すべての人はこうして幽界での記憶をなくし、白紙の状態になって現界に生まれるんだ。人の意識を百とすれば、そのうちの九十は潜在意識として幽界に置いていく。現界に持っていけるのは百のうちの十の意識だけだ。その方がさまざまな霊層界の人がいりまじって生活する現界で、修行がしやすい。
――現界へ行くのは、修行のためなんですね。
――それもある。現界でみ魂磨きをして、これまでの再生転生中に包み積んできた罪穢を消していかねばならないのだ。
――記憶がないのに過去世の罪穢を消すなんて、至難の業じゃあないんですか?
――だからこそ、現界は厳しい世界なんじゃ。現界に生まれて、それから死んで幽界に戻ってきた時に、同じ村に戻るのは恥だ。少しでもいい世界に行けるように、昇華して戻ってこなければならない。それが現界へ行って罪穢を消すどころか、逆に罪穢を積んで帰ってきて、戻ったら地獄行きという人もたくさんいる。
――今の現界の状況なら、あり得ますね。神様は修行の場として、現界を創られたのですね。
――それは違う。逆だ。物質の肉体には限界があるから、あとから幽界が創られて、人の魂は幽現の二つの界を往き来するようになったのだ。その場を修行の場としてしまったのは、人間たちだ。
――では現界が創られたのは、修行以外の理由もあるのですか?
老人は少し沈黙してから、想念を送ってきた。
――神は現界に、神の超高次元が投影された世界を物質によってお創りになろうとした。そこで、物質駆使の最大の能力を、人間にお与えになったのだ。神の地上代行者として人間に、神の御意志の現れである物質による地上天国を造らせようということだ。だからそういう使命を持って、皆現界に行くのだ。しかし、幽界の記憶をなくすとともに、そんな使命をも誰もが忘れてしまうので、現界はますます厳しい修行の場となる。だから、誰かが教えてやらねばならぬ。
イェースズは息をのんだ。老人の言外の言が聞こえたような気がした。
そして前方に目をやると、横たわっている人の姿がぼんやりとしてきたことに、イェースズは気がついた。
――人はここでこうして意識を失っている間に、生まれる環境が決まる。そのものの過去生での因縁もあるが、もっとも修行のしやすい環境を選ぶ。そして性交をしている夫婦の発する想念の波動と波調が合った時に、すっとその現界で母親となるべき人の胎内にと宿る。地上天国建設という人類共通の使命のほかに、人それぞれ個人的な使命、役割というものも持って生まれてくるのだが、そのことと生まれ出る環境も大いに関係してくる。
気がつくと、もう横たわっている人の姿はなかった。あとは村長だけが寂しそうな表情で、ぽつんと立っていた。風景もいつの間にか、元の花畑に戻っていた。
――神様の御意志の現れということでしたけど……
――そのことは、もっと上の世界で話そう。
次の瞬間、イェースズは再び激しい上昇感を覚え、気がつくと森の中にいた。老人の姿はなく、ただずっと森が続いているだけだった。イェースズは仕方なく、その森の中をとぼとぼと歩き始めた。
そのうち心なしか温かくなり、正面の太陽の光も増したように感じられた。母親の腕に抱かれたような安心感が、彼の全身を包んだ。いつしか美妙な音楽も微かにあたりに充満し、安心感はますますその度合いを増していった。
イェースズは自分が歩いているのか走っているのかも分からないような浮遊感覚でいたし、左右を流れる木々は葉が陽光を受けてきらきらと輝いていた。
やがて、巨大な城壁がイェースズの目の前に立ちふさがった。エルサレムの神殿の、あるいはシムの国の皇帝の宮殿のそれよりも遥かに高く、延々と左右に伸びていた。現界ではどんなに巨大な建造物でも途中で見えなくなるが、ここでは果てしなく永遠の彼方まで見ることが可能なのである。
次の瞬間にイェースズは城壁を突き抜け、その向こうの世界にいた。そこは黄金に輝く森で、足を一歩踏み入れた途端にイェースズは黄金のドームに包まれ、上昇感覚を味わった。そしてあっという間に彼は、一面の花畑の中にいた。
ものすごい芳香である。頭の芯までとろけそうな甘い香りに、思わずうっとりとしてイェースズは花畑を眺めた。花はどれ一つとて同じ花はなく、中には差し渡し人の背丈ほどある花もあった。花畑は極彩色の光と香りを放って、どこまでもどこまでも広がっていた。
遠くの山はなだらかな曲線を描き、今まで行ってきた世界で見たようなとんがった山はなかった。正面の太陽の光はどぎつく、エネルギーがかたまりとなって全身にぶつかってくる。とても正視できないほどまぶしい。そして暖かく、ややもすれば暑いくらいだ。
ただ現界のような不快な蒸し暑さや灼熱地獄のような身を焼く熱さではなく、どこまでも愛に満ちた優しい暑さだった。とにかく、世界全体が明るく輝いている。
そしてすぐそばに、宮殿のような巨大な黄金の屋根の建物が現れはじめた。イェースズが意識を高めたからである。
イェースズは、その宮殿に行ってみたいと思った。しかし、花を踏まずに花畑の中を通る適当な道が見つからなかった。それでもとぼとぼ歩くと彼の身体は急に宙にふわりと浮き、空中飛行して宮殿の方へと行った。
宮殿は現界のどこにもあり得ないほどの巨大なもので、柱は白地に色とりどりの宝石が散りばめられ、屋根はすべて黄金、勢いよく空へと跳ね上がる棟も、何もかもがまばゆく光を放っている。
イェースズは息をのんで、その前にたたずんだ。何も言葉を発することができず、ただぽかんと口を開けて、のしかかってくるような巨大な宮殿を見上げていた。
するとそこへ、ふわりと人が飛んできた。その若者の、雪のような純白の衣はかなり薄い。青年はイェースズを見ると、パッと陽光のごとくに笑った。
――こんにちは。あなたは、現界の方ですね。
声をかけられたイェースズは、あいさつも返事をも忘れ、ただ詰め寄るように宮殿を見上げて指さした。
――このすごい宮殿や花畑は、いったいどうやって造ったんですか?
微笑みながらも首傾げる青年の肌は、白い陶器のように透き通っていた。
――この世界では、みんな人々の想念でできるんですよ。
――では、すべて実体のない幻なのですか?
――とんでもない。
青年は自分の顔の前で手を左右に振った。
――あなた方の現界の宮殿こそ、幻ですよ。
確かに現界ではどんなに宝石を散りばめれても、どんな黄金で屋根を造っても、それは生命のない無機質であった。しかしここでは、屋根を支える幾本もの太くて丸い柱や、すべてを映している黄金の床に至るまで、すべてが生き生きとした生命が感じられた。
青年はニコニコしたまま忙しそうに、一礼して空中を飛んで去っていった。
村が見たいと、イェースズは思った。思っただけで、村が見下ろせる小高い丘の上に彼は立っていた。村は家々が何重もの同心円状に配置されているのは今までの下の霊界と同じだが、その規模がとてつもなく大きい。今までの世界の村はせいぜい数十戸だったが、ここは一つの村が数千戸はある。だが、今までのように村がひしめきあっているという様子はなく、隣の村は遥か彼方に霞んでいる。いくら村の規模が大きくても、これでは現界的に言えばかなり人口は少なそうだった。
イェースズは、村へと降りてみた。ここでもたった三歩足を運んだだけで、かなり遠くに見えていた村の入り口に瞬時に到着した。整然とした町並みと、道にさえ宝石が散りばめられている様子は、美しいという言葉はこの世界のためにあったのかと思えるほどだった。
とっさにイェースズの脳裏を、ブッダ・サンガーで修行した時に読んだ「スクハーバティービューハ」というスードラの一節が浮かんだ。そこには天界の荘厳と称される情景が描写されていたが、今まさしく目前にしている光景こそがその描写そのものだった。
ブッダもここへ来て実際に見たものを説き、それが記録されてあのスードラになったのだ、ここが天国なのだとイェースズは実感した。
家と家の間からは、小鳥のさえずりが聞こえる。……この世界の鳥は罪業ゆえに畜生道に落ちた鳥ではなく、すべてが方便なのだ……「スクハーバティービューハ」には、確かそう書かれていた。この美しい鳥たちも、この世界の人々の想念の現象化なのだ。そのスードラはこの世界の主宰神をアミターバ・アミターユスと説いていた。無量の寿命と無量の光という意味だから、その神は高次元からこの世界に天降られた「アマテラス日大神様」に違いないとイェースズが考えながら歩いているうち、何人もの人が彼とすれ違った。
皆一様にニコニコと笑顔が顔中に溢れ、幸福を身体全体で表現していた。すれ違うたびにイェースズにニコリと微笑んで、――こんにちは、とあいさつをしていく。
すべてが善意のかたまりのように感じられ、いつしかイェースズはほのぼのとした気分になっていった。ただ、村の中はどこも戸数が多いわりには、人々が溢れているという感じはなかった。
やがてイェースズは、村の中央に近くの池の所に出くわした。そして、思わず息を飲んで彼はたたずんでしまった。
池の差し渡しはそれほどでもないが、その淵は金や銀はともかくエメラルド、赤真珠、水晶や瑪瑙、琥珀などの宝石が散りばめられている。散りばめられているというより、むしろ宝石だけでできているといっても過言ではなかった。
イェースズは目を細めた。あまりにも風景自体がまぶしすぎる。水はどこまでも透明で、底に敷き詰められた黄金の砂までが輝いていた。池の中には人が両腕を広げたほどの大輪の花が五つ、水面から茎を出していた。中央の黄色い花はどこまでも黄色く、ほとんどそれは黄金色に近かった。そして赤い花や白い花のほかに、現界では決して見られない青い花や紫の花まであった。それらが放つ芳香は、心が溶けてしまいそうになるほどだった。
イェースズはしゃがんで、水をすくってみた。透き通る水が、手の中で光った。水さえも芳香を放ち、それを口にしてみると何とも言えず甘い水だった。
イェースズは立ち上がった。そしてもう一度あたりの風景を見てため息をついた。こんな世界を造り上げるこの世界の人々の想念とは、いったいどのようなものなのだろうかと、思わずのぞいて見たくなったりもした。
――それは愛だよ。
誰かが、想念を送ってきた。イェースズにとって懐かしさを覚えるような馴染みのある波動なので振り向くと、そこにはあの老仙が立っていた。
――愛がすべてだよ。ここは他を生かす心、利他愛に終始する世界だ。太陽のように分けへだてなく、すべての人に注がれる大愛の想念が、この世界の光景を作っている。この世界には、自分だけがよければいいという自己中心で、自己顕示欲の強い自己愛のものは一人もいない。愛の波動に満ちた人々の想念が現象化してできた世界だから、たとえ下の世界の人がここに紛れ込んできても、この世界の想念波動と波調が合っていなければ何も見ることはできない。それどころか、光圧に耐えられなくてものすごい苦痛を味わうことになるだろう。
――ここが天国なのですね。
いつしかイェースズも、満面の笑みをたたえて老人を見た。
――確かに、愛だけの世界ということでは、ここは天国だ。一人の幸福は万人の幸福で、その万人の幸福こそ一人の幸福になる世界だからな。でもまだここは、神の世界、神界ではない。高次元の神界、神霊界はもっとさらに上だ。
老人は池のそばを離れて村の中へと歩きだしたので、イェースズもそれに従った。なにしろ会う人会う人善意のあいさつを送ってくるので、それへの対応でなかなか忙しい。そんな村を歩きながら、老人はまた想念を送ってきた。
――この世界に入ったからとて、まだまだ至福ではない。
――先ほど言われた、まだ上の世界があるということですか?
――そうだ。
――では、この世界の人々も、さらに上の世界に昇るために修行しているんですか?
――ある意味では、そうだといえる。しかし、下の世界の人々の修行とはちと違う。この世界には、自分だけが上に昇ろうとしているものなどおらぬ。修行の目的は、霊格の完成だ。いかに神のみ意に近づくか、神大愛のご想念に波調を合わせるようにしていくかだ。それが霊格の完成で、神と人が一体となる神人一体、つまり神性化が究極の目的だ。その神と人の差が取れた状態を、本当の「差取り」という。
――この世界にも、段階があるのですか?
――あるとも。いかに神のみ意、神の法、宇宙の根本原理を認識しているかで段階は決まる。まずその認識がないとそもそもこの世界には入れないが、一応の認識だけでは天国でも一番最下層の天国に入れるにすぎない。
――認識だけでは、まだ途上ということですね。
――さよう。そしてさらに上に行くには、認識と行いが統合されていなければならん。つまり、神のみ意のまにまに行動することだ。神さながらの行為で「義」とされる。これを真という。言行一致だけでは誠実の「誠」ではあるが、真のマコトはもっと格が上なんだ。
――現界でもそういう生活をしてきた人が、ここに来るのですか?
――現界で死んで、つまりこちらで誕生してから真っ直ぐここに来る人はほとんどいない。たいていはまず下の世界に行く。そして昇ったり落ちたりを繰り返しながら、修行をしてサトリを得、そして人々はここへ昇ってくる。つまりは、一切が波なのだよ。
――ここから逆に、下の世界に落ちて言ってしまう人もいるのですか?
――もちろん、ある。しかもその方が、下から上がってくるよりずっと簡単だ。上へ上がるのは容易なことではない。しかし、下に落ちようと思ったら、あっという間だ。現界の山でも、そうだろう?
確かにどんなに労力と時間をかけて山に登っても、ほんの一瞬足を踏みはずしたらあっという間に落ちていく。
――一切が波だ。たとえ下の世界に落ちなくても、やはり波はある。例えば気分がいい時は同じ光景でもやけに光って見えたり、その逆の時はすべてが暗く感じたりするだろう。そういう波があるからこそ、霊界の人々は時間という概念がない所でも自分がピチピチと生きていることを実感するし、時間のない中でも時の経過を感じたりする。
二人はいつの間にか、小高い丘の上に立っていた。一面に青草が繁る、見晴らしのいい丘だ。いくつかの村が花畑の中に点在する光景を見下ろして立つ二人の向こう側にはもう一つの同じような丘があり、すべてが明るい光の中で輝いていた。
――おまえさんは今、こんな素晴らしい世界もあってこれが神様のみ意に近い世界なら、地獄のような凄惨な世界をも神の愛で許されるのだろうかと、そう疑問を持っておるな。
――はい。
もはやイェースズは、心の中が相手に見えることに対し、抵抗が少しずつなくなってきた。
――おまえさんは実習としてここに来たのだから、疑問はどんどん持っていい。ここの世界の人なら疑うことは心にすきを作り、下の世界に落ちる要因にもなるがな。ス直とは、納得のいかないことを鵜呑みにすることではない。それでは、不平不満の種をまいてしまう。納得がいかない自分は至らぬ自分だとサトリ、よくよく教えを請うことが大切だ。ただし、屁理屈はいかんぞ。
――はい。
――先ほどの疑問だが、ひと口で言えば、地獄があるから天国もあり得るということだ。闇があるから光があるのと同じだよ。
――じゃあ、神様は、この天国のために地獄を創られたのですか?
――それはちょっと違うな。先ほど時間について話したが、確かにこの世界には時間はないが歴史はあった。
――歴史?
イェースズは、もう一度当たりの光景を見た。色とりどりの花に埋め尽くされたなだらかな丘がいくつかあり、時折その間に村落がある。その光景は、地の果てまで続いているのが一望できる。
――地上の歴史などというようなちっぽけなものではない。人類の歴史とも違う。人類の歴史はあくまで時間の軸の上にある。だが、霊界の歴史は時間とは次元が違う。いわば、神の経綸の歴史だ。大昔、神が天地を創造されたばかりの頃は、霊界はこの天国しかなかった。そもそも神の意志は、第三の界である地美に物質による神の国を顕現しようということだ。だからこそ、神は全智全能を振り絞って、神宝、つまり最高芸術品である神の子ヒトを創造された。霊力は、ある程度現界では封じられているが、物質開発能力は最高のものを神は人に与えておる。
――確かに人は、ほかの動物とはぜんぜん違う。
――物質には限界があって、人の体とて例外ではない。だが魂は永遠だから、限りある肉体が朽ちて次の肉体に宿るまでの間の魂の居場所が必要になった。そこで神は髪界のうちの第四ハセリミ界の一角を幽界とされた。そこに、今我われはいる。その幽界もかつては天国しかなかったのだから、現界もまた地上天国だった。幽界も現界も神が全智全能を振り絞られて創られたわけだから、真・善・美の極致であって当たり前だろう。それなのに堕落した人間の想念が幽界に勝手に地獄を造り、そして現界をも修行の場にしてしまった。
――でもどうして、そんな幽界でも現界でも天国にいた人々が堕落してしまったんですか?
――どうしてだと思う?
――やはり、聖書にある「知恵の木」の実を食べたことですか?
イェースズは自分の思いつきに、自分で酔っていた。しかし、老仙はうなっていた。
――うーん、そのアダムとイブというのは実際はアダムイブ民王という実在の一人の人物で、その説話とは無関係だ。その知恵の木の実を食べたということは、もっと奥深い意味が込められた象徴的な話なのだよ。
――確かそのことは、オミジン山のミコからも聞いていたような気がする。
――いいかね。
老人は、さらに想念で話を進めた。
――神が造られた地上も幽界も天国そのものだった。そんな天国の中で、人類は創られた。生活の術のすべてを神が教えた。だが、そんな環境では人は何でも満ち足りているため、向上心を持てなかったのだよ。それでは神の目的である物質による地上天国建設はできない。物質を開発させるためには、神はどうしても人に物欲、競争心を与える必要があった。しかし、その物欲の方を主体にしすぎてしまったのが、人間の堕落の始まりだ。そもそも人は神の霊をとどめた神の子で、だから霊の元の言葉では「霊止」なのだよ。それが堕落した人々は、「人には間がある」存在になってしまった。だから「人間」なのだ。
――はあ。
――知恵の木は、その木自体は悪い木ではなく、神より与えられた有り難いものだった。しかし、これは地獄を見ている時にも言ったと思うが、「その実を食べた」ということは、しかももう一本あった「生命の木」ではなく「知恵の木」の実の方を食べたということは、人々が霊的な力よりも物質的欲望をのみ主体にしてしまったということになる。これによって神の智慧は知枝となり、小賢しい人知を万能と思い込む人間思い上がり時代が始まった。これが堕落の始めだ。
地上が天国だったということは、いわゆるそれがエデンの園だったわけである。その現界的エデンの園からの人類追放が、いわゆる堕落の始まりだったんだと、イェースズは驚くほどの早さで理解してサトッた。
そしてしばらくは口を開けて、呆然と空を見ていた。そしてその瞬間から、目の前の霊界太陽からの霊流が、痛いくらいに眉間に当たった。しかし、疑問もまた泉のようにわいて出る。
――確か霊界現象がすべて現界に反映するんでしたよね。現界の人々の堕落も現界の現象だから、もとになった霊界現象があったのですね。
――あった。
老人の声は、心なしか小さくなった。視線はイェースズを見ておらず、前方を直視している。そしてようやく、想念を送ってきた。
――それは、神霊界での出来事だ。
――何があったんですか?
老人は、静に首を横に振った。
――それはまだ、言える段階ではない。ただひとつ、現界に物質による地上天国を建設するためには、どうしても人に競争欲、物質欲、支配欲などを与える必要があった。すべてが「神界」の歴史と関係があり、『神』の御経綸なのだよ。いずれにせよ、人間はこうして原罪を作った。
老人はゆっくりと、山のふもとへ続く黄金の道を降り始めた。慌ててイェースズも、背後に立つ形にならないように気をつけて老人の後を追った。その中腹で老人は立ち止まり、もう一度眼下の花畑の中に広がる村を見た。
――最近ではめっきり、天国の住民が減ってきた。がらがらだよ。
――でも、地獄は人でひしめきあっていましたねえ。それが今の時代の現状なんですね。
――「神」は悲しんでおられる。だが、悲しんでおられるうちはまだいい。その悲しみが怒りとなって、その怒りが雷のごとく力を奮うこともあるぞ。
イェースズがすぐに思い出したのは、ノアの洪水の話だった。
――おまえさんが今考えたノアの洪水も、その一つだ。
確かに老人は、同じような天変地異が大きいものだけでも六回はあったと言っていた。
――小さいものも含めると、何百回も天地かえらくはあった。そのように、多いなる大悲観で天地かえらくという地上の大掃除を「神」がされたことも何度もあるし、神霊界の事件が現界に映されての天変地異もあった。いずれにせよそれらは「神」の怒りからとはいえ、「神」は決してわが子である人類を憎んだりはしない。だから人類への罰ではなく、大愛のみ意から発した大掃除なのだよ。現界の人々にとってはただの自然災害にしか見えないから、そのへんの事情は分からないであろうが。
――肉体に入ると、何もかも分からなくなってしまいますものね。
――物質的な能力だけでいえば人はほかのどの動物より抜きんでているともいえるが、霊的な力ともなると魂として本来備わっている霊力の十分の一しか人は現界では使えなくなる。現界人は想念で話すことも、時間や空間を超越することもできないだろう? 霊的能力だけじゃない。意識すら十分の九はこの霊界において、人は現界に生まれていくのだ。その霊界に置いていく魂を種魂といって、そこには再生転生中のあらゆる記憶、罪穢などが記録されている。そういう意味でも霊界こそが実在界で、現界はそれが投影された写し絵、仮の現象界にすぎない。
――それなのに、目に見えるものがすべてと思い込んでいる現界人は、哀れなものですね。
――それは仕方がない。そういうふうに仕組まれているのだから。今は、神が人々に物質開発をさせようとなさっている時代だ。神経綸の歴史ではそうなる。しかし、いつまでも仕方がないとはいってはいられなくなる。今は神が人間に自由を許し、ある程度の悪も認めている自在の世だが、やがて悪は許されなくなる限定の世が来る。
老人の言葉――想念に力が入った。この世界に来てイェースズは、ブッダ・サンガーで聞いた「プラジャナー・パーラミター・スートラ」の内容が実体験として分かるようになったし、またそれがいかに偉大なスートラであったかも実感した。
――パーラミターとはだな、
もう老人は意識を読みとっている。
――パーラとは「陽が開く」という意味だよ。陽が開けば左回転となる。つまり、霊が主体であることを「見た」ということで、つまり霊眼に達するということだ。そうすれば人は輪廻から解脱する。
話を聞きながら、イェースズはふと疑問を感じた。
――あのう、天国の上の段階の人は自分が高級霊界に入ろうなどという自己愛はないとのことでしたが、しかし高級霊界に入ることが魂としての究極の至福なら、現界にて物質による地上天国を造れという人に与えられた使命とは矛盾するような気がするのですが。だって、高級霊界に入ったら、輪廻を解脱して、もはや二度と現界に転生することはないのでしょう?
老人はニコリと笑った。そしてしばらく間をおいてからゆっくりうなずき、語りだした。
――確かに神霊界にまで上がったら、現界に転生はしない。しかし、神から与えられた使命と無縁になるわけではない。すべては神の広大な、計り知れない偉大な計画のうちに生かされているんだ。
――しかい……
イェースズは唸った。ずっと案内されて幽界を探訪したが、自分がここにいたという記憶が全くないのだ。 やはり、この世界の記憶をすべて消去してから自分も限界に生まれたのだろうか……そんなことを考えた。
老仙は声をあげて笑った。
――おまえさんは特別なのだよ。おまえさんは幽界にいたことはない。記憶を消されたというわけではないんだ。
イェースズは大きく首をかしげた。老仙は話を続ける。
――これまでも神界からは、現界に歯止めをかけるため、神の依さしを受けて現界に下ろされるものもいる。例えばゴータマ・ブッダ、モーセらがそうだ。また数々のおまえさんたちがいう預言者もまた然り。それらの魂は神界に住む御神霊だ。だが御神霊は大きすぎてそのままでは現界の人の肉身に入ることはできない。そこで、その霊体の一部を分魂として人の魂として現界に誕生させる。だから、そういった聖雄聖者は、神界にそのご本体の御神霊がおられる。
――私も……?
――おまえさんの魂については、これ以上はわしからは言えん。神霊の分魂を持つ魂に、ご本体のことは教えてはならないことになっているし、ご本体も直接に接することは許されていない。だから神霊の分魂でも現界で肉身を持った以上、すべての霊的感覚は閉ざされるから、一から修行をし直す必要があるのだ。
イェースズの記憶に、あの赤い池のお堂の中で接した御神示が思い出される。イエスの本体は今では天岩戸に隠遁しているとはいえ本来のハセリミ界の主宰神、天地一切の創造主であり天帝ともいえる「スの神」、すなわち「弥栄の神」にして天の御父の御子であると……。
今になってあの御神示の意味が、よく約分かりかけてきたような気がす。
また老仙は、高らかに笑った。
――おまえさんも、分かったようだね。
老人の最後の謎めいた言葉にイェースズはめまいを覚えた。頭がクラッとしたのだ。すぐにわれを取り戻したが、そのことを考えると何かが頭の中に引っかかっていた。とてつもなく重要なことなのに急に忘れてしまって、どうしても思い出せないという時の感覚とよく似ている。
それにはかまわず、老人は言葉を続けた。
――また、天の時が来れば高級霊人たちは、聖霊として一斉に降下する。さあ、おいで。
老人が歩きだしたので、イェースズがそれを追うと、まだ山を下っていないはずなのに気がつくと別の山の山頂にいた。かなり高い山のようで、眼下を黄金や紅、紫など色とりどりに織りなされた雲が雲海となって広がっている。
今度は本格的にイェースズはめまいを感じ、その場に倒れた。意識がどんどん薄らいでいく。
そして気がつくと、自分が宙に浮いているのを彼は知った。下にはもう一人の自分が倒れていて、ちょうど現界のクラウィ山で肉体から離脱した時と同じ状況だ。しかし、肉体は現界にあるはずである。
――あれは、おまえさんの幽体だ。
心の中で、老人の声が響いた。しかし、どこを見ても老人の姿はなかった。
――現界で肉体から幽体離脱したように、今度は幽体から霊体離脱したのだ。今、おまえさんは幽体をも脱ぎ捨て、霊体のみの存在となったのだ。
次の瞬間、イェースズは光のドームの中で急上昇していた。そして突然、目の前に閃光が現れた。
――体を伏せなさい!
そう言われるまでもなく、そうせざるを得なかった。ものすごい光圧が襲ってくるので、縮こまらなければ立っていられない。また、立つということ自体不可能だ。なぜなら地面はあってないようなものだからだ。前も後ろも右も左も上も下も、自分を取り巻くすべての世界が閃光の渦であった。
今イェースズは、黄金色の光の洪水の真っ只中にいた。光のシャワーが、四方八方から襲いかかる。そんな中にいても、イェースズは恐怖ではなく、むしろ安心感を覚えていた。言葉では表現できないような包みこまれるような懐かしさに胸の中に熱いものがこみ上げ、それがそのまま涙となって彼のほほを伝わった。この嬉しさは、歓喜は何だろうと、イェースズはただただ戸惑うだけだった。
――ここが、神霊界だ。神の懐に包まれた世界だ。
そんな心の中の声に、イェースズはせめてもう少しでもと前に進もうとした。すると前方の光に塗りつぶされた中に、うっすらと巨大な宮殿が見えたような気がした。
黄金の巨大な屋根はちょうど切り妻の三角の部分をこちらに向け、棟木は勢いよく湾曲して宙に上がっていた。棟木の中央には、赤い玉があった。屋根の下は鳥が羽を広げたように左右にさらに屋根は三重になっており、中央には幅の広い大きな階段が大屋根の下まで伸びていた。また、その宮殿の手前には光の塔が二基、左右対称に立っていた。
イェースズがたどり着けたのは、その垣根の所までだった。あれが神様の住む宮殿なのかと思っていると、
――おぬしといえども、分魂のうちはここより先は入ることできぬなり。
と、言う声がまた心の中でした。今までの老人の声とは違う口調だった。
光はすべて黄金だが、宮殿は微妙に赤や紫などの色彩が織り混ぜられており、しかも仮に赤とか紫と表現しても、実際は現界には絶対に存在し得ない不思議な色彩だった。さらには、えもいえぬ芳香が漂い、またこれも現界には存在しない不思議な音声が絶え間なく響き渡っていた。
それは芸術の極致だった。
神の世界は至高芸術界であり、しかもそれは人間の想念では造り得ない最高の芸術であると、イェースズはその世界に酔いしれていた。
するとイェースズの体は何かに急激に引き寄せられ、どんどんと落ちていった。
そして再び幽体の中に戻り、先ほどの山の上に立っていた。ゆっくりと立ち上がると、そばには霊の老人がいた。
――これで、幽界探訪は終わりだ。
イェースズは、老人を見た。
――ここで見聞したことを、これからの精進の糧としなさい。決して文章に記録するに及ばない。すべてを明かなに人々に告げてもならない。天の時は近づいているとはいっても、まだしばらくはそれをはっきり告げる時期ではない。ただ、ほんのカケラなら伝えてもよい。
――あのう、あなた様は?
――とある老仙、神の使いの神だ。
やはり、神の一人だったのだ。
――行け! 行って精進を積め。おまえさんの使命は、おまえさん自身でサトルしかない。そして神より離れすぎた人々を救え。
イェースズがゆっくりうなずくと、彼は小さな雲に乗っていた。やがて雲は次第に上昇していった。
――ス直を忘れるなよ。子供のような心が大切だぞ。
最後の老仙の言葉が、心に響き渡った。次の瞬間、雲は消えた。
雲から振り落とされたイェースズは、どんどんと落ちていった。そして、現界のピダマの国の位山の祭壇岩の上で再び肉体の中に戻り、イェースズはゆっくりと立ち上がった。
当たり一面を夕日は、真っ赤に染めていた。




