律法学者と祭司
翌日は朝早くから、イェースズは十二使徒全員を連れてエルサレムに上った。
いつもの神殿が見える広場に着くと、もうイェースズの信奉者たちは集まっていた。また、信奉者というほどではないにしろイェースズの話を聞くようになっていた人々も、この日はやけに多かった。
その信奉者たちの心に動揺があるのを、イェースズはすぐに察知した。イェースズが祭司や律法学者を論破したという話は、時々神殿のそばで説法をしているイェースズの名前くらいなら知っているという人の間にはほとんど知れわたっていた。
だからといって、イェースズを英雄視するわけにはいかない。イスラエルの民にとって祭司と律法学者は、それぞれ立場は違うにせよ共に尊重されるべき権威なのである。その感覚は、イェースズの信奉者とてなんら変わることはない。だから自分たちが尊重する権威を自分たちの師が論破したということになれば、一種複雑な感情になるのである。
だからイェースズが人々の前の石段の上に立つと、まだ説法を始める前に、若い農民風の男が、
「あのう、一つお聞きしたいんですが」
と聞いてきた。
「何でしょう」
イェースズは今日もニコニコしている。
「あのう、学者さんたちのことなんです。先生はいつもあの方たちと言い合っていますけど、あの方たちはあの方たちで先生のことをもろくそ言っています。先生の信奉者になったら、会堂から追い出すとも言っていますしね」
「具体的に、どのようにもろくそ言っているんですか」
「とても私が口にできるようなことじゃあありません。ただ、本当に先生を信じていいのでしょうか」
イェースズは微笑んでうなずいた。
「私のことをいろいろ言っている方たちって、少なくとも百人でもいいから人を救った経験をお持ちなんでしょうかねえ」
群衆は静まり返っていた。イェースズは続けた。
「どうもないようですね。そういう方々の方を信じるというのならば、私は何もひきとめはしません。裁きもしません。皆さんのご判断にお任せします」
「でもですね」
と、後ろの方で声が上がった。
これも若者だが、知識層のようだ。イェースズの信奉者というより、まずは話を聞きにという感じで来ている人のようだった。
「学者先生は、あなたの教えは敵対者の教えだと言っていますが」
別の者も、声を上げた。
「商人たちは、あなたがここでこうやって人を集めている真の目的は金儲けだて言ってますよ。巧みな脅しで恐怖感を与えて人々を集め、神に選ばれたという特権意識を与えて抜けられなくしているって。あるいは病気で苦しむ人を狙って、弱みにつけ込んで教えを広めているとか。奇跡のわざというのも全部いんちきで、癒された人というのも最初から打ち合わせ済みの芝居だとか、そもそもあなたの出自が危険集団としてヘロデ王に弾圧されたヨハネ教団の幹部でヨハネ教団から分派独立した人で、教えはすべてヨハネ教団からの盗用で独自のものはないのにその経歴を隠しているとか。シロアムの塔倒壊の大惨事を、布教のネタにしているとか。それにガリラヤにいるあなたの妻は、もと娼婦だとかもいいふらしていますけど」
「こら」
と、ペトロが前に出てその発言を制したが、確かにほとんどが根も葉もない中傷である。妻のマリアが娼館の多いマグダラで働いていたのは事実だが、マグダラで働く女がすべて娼婦ではないということは世間の色眼鏡の前には通用しないらしい。
ここまで言われるのかとイェースズは少し悲しくなったが、顔はにこやかに言った。
「今のお話に対する判断も、皆さんにお任せします。私の妻云々は、私の個人的なことですから皆さんとは関係ありません。皆さんの信仰とも関係ないはずです。ただ、神様はどのような所からでも、因縁のある魂なら吹き寄せられます。現在の状態で人は判断できません。人の善悪を決める行為は、神様の権限を犯したものですよ。ましてや、ある人をその人の過去で裁くということは、決してしてはいけないことです」
「ただですね」
と、また別の声が上がった。
「先生のこと、救世主であるはずはないから、騙されるなと学者たちは言うんですね。なぜなら、救世主はベツレヘムで生まれるはずで、ガリラヤ出身のはずがない。また、ダビデ王の子孫でないといけないはずだとかも」
イェースズは、神殿の方へ少し目をやった。まだ朝早いので、あまり巡礼の参拝者はいないようだ。
「いいですか、皆さん。ダビデ王が聖霊に導かれて著したと言われているあの詩篇に、こう書かれていますね。『主である神は、私の主である救世主に仰せられる。“私があなたの敵を完全に征服してしまうまでは、私の王座に着いていなさい”』って。つまり、ダビデ自身が救世主のことを主と呼んでいるんですよ。それなのに、救世主はダビデの子孫なのですか?」
人々はまた、静まり返っていた。
「それに、たとえ私が本当にダビデの子孫であったとしても、私はそのことを自らの権威付けのために使ったりはしません」
人々、少なくとも信奉者の間からは、安堵のため息が漏れた。律法学者よりもイェースズの言っていることの方が理にかなっていると、多くの人が認めたからであった。
その日の夕食時、ゼベダイの屋敷の一室でイェースズと十二人の使徒すべてが円座して座っていた。
「ところで先生」
と、食事をしながらトマスが顔を上げた。
「今日のエルサレムでのお話ですが、律法学者っていやらしい人たちですねえ」
「先生のこと敵対者だなんて、自分たちの方が敵対者なのではないか」
そう言ったイスカリオテのユダも、薄ら笑いを浮かべていた。
「先生」
と、聞いたのは、小ヤコブだった。
「律法学者って、そんなにけしからん人たちなのですか」
学者の権威による束縛から解放されていないのは使徒たちも同じようで、ほんのわずかだが動揺はあるようだった。
イェースズは杯を干してから、小ヤコブだけでなく十二人全員を見わたして口を開いた。
「いいかね、彼らは決して敵対者じゃないよ。彼らとて神の子だし、神様を求めるという点では非常にまじめなんだな。一途なんだ。モーセの教えについて、権威あるものとして人々を導こうとしている。だから、あの人たちの教えは間違ってはいない。むしろ正しい。根本は、正しいということだ。なにしろ彼らが説いているのはモーセの教えなんだから、間違っているはずはない。だから人々が、あの学者さんたちが説く教えを忠実に守って生活するのはいいことだ。だけども問題はだね、その教えを実践するかどうかなんだよ」
イェースズはもう一度、十二人の顔を見わたした。誰もが食事の手を止めて、食いいるようにイェースズを見つめている。
「さすがに今日、人々の前では言わなかったけれどね、言うと悪口や批判になってしまうから言わなかったのだけど、あの学者さんたちが自分で説いている素晴らしい教えを自分で実践しているかどうかについては、疑問を感じないわけにはいかないんだよ。言っていることとやっていることが違うというのを、神様はいちばんお嫌いになる。それとね、彼らの説く教えはモーセの教えだとは言ったけど、やはり何百年もの時間がたつうちに、モーセの教えにも人知の尾びれがつけられ、捻じ曲げられてしまっている。人々はその教えを実践するどころかどんどん施行細則が人知でつけられて、最初の教えとはまるで別のものになってしまって、実践が難しいものになっている。『律法は奥が深いからちゃんと学校で勉強して、長年研究してはじめてその奥義は分かる』なんて学者さんたちは言っているけどね、考えてもみてごらん。モーセの時代は、今ほど文明が発達していなかったんだよ。モーセに従って荒野を旅したイスラエルの民は、無学文盲の人々だったんだ。長いことエジプトで奴隷生活をしていたんだし、今と違って当時は学校なんてものはない。そういった無学の大衆に向けてのモーセの教えが今の律法のように難しいもいのだったら、当時の何人が理解できただろうかね。私には疑問だね。真理とは分かりやすいものなんだ。そして、聞いたらすぐ実践できるものなんだ。それが人知によるこじつけでこねくり回し、そうすればするほど難解なものになって、実践できないし救われないものになってくるんだね」
使徒たちは、うなずいて聞いていた。
「朝の祈りの時には聖書を入れた経札を頭と左腕につけたりして、しかもその四隅に房をつけているなんて、偉そうに見せかけるための虚栄だからあなた方はまねしないように」
イェースズの口ぶりがおかしかったので、使徒たちは一斉に笑った。
「それにね、人は偉くなると宴会でも広場でもやたら上席に着きたがるけど、そんなのも人々から尊敬されることだけを求めるような虚栄心からだから、これもまねしないように」
また、使徒たちは笑った。イェースズも、いっしょに笑っていた。
「いつも言っているようにあなた方もみんな神の子なんだから、つまりは兄弟ってことになる。同じ神様の子なんだから、兄弟だろ。兄弟っていうのは、同じ父親を持つってことだよね。そしてその父親は一人だろ。そのへんを歩いているおじさんをつかまえて、『あ、お父さん、お父さん』なんて言うかい?」
またその場は笑いの渦になった。
「これと同じでね、あなた方の、そして全人類の真のお父さんはおひと方なんだ。それが、神様だよ。だからあなた方は虚栄心で高ぶるのではなく、すべての兄弟の従者だというくらいの下座の心で奉仕すべきだ。あなた方は神様の、しかもいちばん新しい教えを直接聞かせて頂くことを許されているだけに、このことはいちばん気をつけなければいけないことだ」
「先生」
と、ピリポが口を開いた。
「私たちは小さい時から律法学者のことを師、師と呼んで見習ってしまう癖がついていますけど、あの人たちのどんな点が最も間違っているんですか」
イェースズは微笑んでうなずいた。
「私は、対立の想念を持つことはよくないから否定も批判もしないけど、誤りは誤りとして正していかないとね。第一に、人々を導く役が人々の前で天国の門を閉ざして人々を入らせないようにしているだけでなく、自分も入ろうとしないんだ。それも、そんな意識は当事者たちは持っていないから始末が悪い。今言ったように律法に人知の尾びれをつけて実践不可能にしてしまっているし、中にはまあ一部の人だろうけど未亡人の家を食いものにしているような輩すらいる。そして見栄のために、長い祈りを捧げる。とにかく霊的に無知になっているから、指導される方はたまったものじゃない。本来は人々を霊的に導いていかなければならないはずの専門家が、霊界の仕組みや霊界の置き手に全く無知でいらっしゃる。祭司さんたちなんか魂の転生再生はおろか霊界の存在、霊魂の実在さえも否定しておられるんだから何をか言わんやだよ。これじゃあ目が不自由な人と同じでね、そんな人々が同じように目が不自由な人の手引きをしているんだから、危ないっていったらありゃしない」
使徒たちの目は、イェースズに釘付けになっていた。
「十分の一税を厳守していることなんかを誇りにしている人もいるけどね、もちろんそれも大事なことだけど、でもそういった伝統に執着するあまり、律法の中でもっとも大切な愛の実践をないがしろにしている人もいるんだ。この間話したエリコへの砂漠の中での、盗賊に襲われた人の話の通りだよ。あの時はみんないたよね?」
使徒たちは、一斉に返事をした。
「あの時は、聞いていたのが当の律法学者だから、砂漠で倒れた人のそばを最初に通りかかったのをレビ人ということにしておいたけど、本当はパリサイ人の律法学者だって言いたかったんだよ。それに、ガリラヤにいる時の話だけど、私やあなた方が食事の前に手を洗わないと目くじらを立てた人もいた。この中の何人かは、その時いたよね。でも、確かに食事の前は手を洗った方がいいが、彼らは外面はそうやってよく洗うのに内側を洗わない。いや、どうやって洗ったらいいのかも分からなくなっている。この杯の」
イェースズは近くにあったぶどう酒の杯を高く掲げた。
「外側はきれいに磨いても、内側は全く洗わないで次の日もぶどう酒を入れて飲んでいるのと同じだ。内面を洗って霊的に浄まるということが、心とからだをも清めるということが分かっていない。霊的なことが全く分からなくなって、心の教えにとどまっているからだよ」
イェースズはそのまま掲げた杯のぶどう酒を飲み干したので、使徒たちはまた笑った。
小ユダが、顔を上げた。
「じゃあ。彼らの教えはモーセの教えとは違うものになっているんですか? 先生はさっき、彼らの教えはモーセの教えだから間違いないとおっしゃったじゃないですか」
「いや、根本は間違っていない。根底にあるのはモーセの教えだからね。でも、どこかが違ってきている。どんどん人知の尾びれがついている。しかしそれも悪意からではなくて、自分たちはそれが正しいと思いこんでいるから始末が悪い。でも、やはり神様の眼からご覧になったらずれているんだね。それに、神様のご計画だって、もう何千年もたてば進んできているはずだ。昔の迫害された預言者の墓を立てて、自分たちはその預言者の血を流した人々の仲間ではないってことが最近になって盛んに言われるようになったどね、今のこの時代の神殿にモーセが現れて説法をはじめたら、彼らはモーセを石打ちの刑にしてしまうだろうね」
驚きの声が、何人かの使徒から発せられた。現にエリアの転生のヨハネを、王は処刑してしまっている。だが、イェースズはそのことについては、あえてここでは言わなかった。
「人造化衣で身をかため、人知の儀式と形式ばかりを追従する人は、偽善者といわれても仕方がない。彼らが一日も早くそのへんをサトって、祭司、レビ人、律法学者の化衣人造位階を脱ぎ捨てて、頑迷の目を、手を斬り下ろして、神様の前に一列揃いすることが、神様のみ意なんだよ。だから、モーセの原点に元還りするべき時だね、今は」
イェースズはそこまで一気にしゃべって、使徒たちに食事を続けるように促した。
それの数日後、イェースズは手続きを取って十二人の使徒たちといっしょに神殿に参拝し、参拝が終わって美門まで出てきた。そしてその門の脇には、奉納箱が置いてあった。
「そう言えばこの間ナタナエルとアンドレだけをつれてきた時に、学者さんたちは税のことでいろいろ言ってきたそうですね。ナタナエルから聞きましたけど」
と、ペトロが聞いた。イェースズがうなずくと、さらにペトロは言った。
「この神殿への献金はどうなのでしょうか」
「もちろん、必要だ。その時も言ったのだけど、神様からお借りしたものは神様にお返しすべきだ。ただ、お金を入れればいいってものじゃない。神様は高利貸しじゃないんだよ。神様はお金を必要としておられない。現界的には、ここに入れたお金は結局レビ人や祭司の給料になる。それならば入れない方がいいのかというと、とんでもない。神様は、本当は人間からお金なんかもらわなくてもいい。ただ、そのお金に込められた人間の真心をお受け取りになるんだ。だから、お金を入れるという形式だけじゃ何の意味もない。それこそ宗教屋さんたちを太らせるだけだ。そうではなくて真心を神様にお捧げする、それを形に表すのが献金なんだよ」
イェースズは、奉納箱のそばで立ち止まった。周りを参拝の人々が、イェースズには無関心にどんどん神殿の方へ流れていく。
「神様から頂いているご守護への感謝、今もこうして生かさせて頂いているということへの感謝が大事だ。何事もなく平穏に暮らせているというのが、最大のご守護でありお恵みなんだよ。そのことへの感謝と、さまざまな罪と穢れのお詫びとアガナヒ、そういったことを形に表してこそ真が神様に通じるんだ。そのための手段が、献金なんだね。人間がいちばん執着を持つのが金だ。その執着を断って神様に捧げられるか、その心を神様はご覧になっている。要は心だ。真心だ。だから、もったいないなあというようなけちな心で献金したり、仕方がないと義務感で献金したりしたらその心が神様に通じてしまうから、かえって御無礼になる。そんな心の時は、献金するのはやめた方がいい」
「それにしても、みんないくらくらい入れているんだろうか」
神殿税は額が決まっているが、こういう所での献金は任意である。だから、イスカリオテのユダが、嘯くように言った。イェースズは笑った。
「額の大小じゃないんだよ。神様はその人の財布の中身までご存じだ。だから、分に応じてさせて頂けばいい。例えばここで金持ちの人が、多額の献金をしたとしよう。でも、そのあとである未亡人が、最少額のレプタ銅貨を二枚入れたとしたら、どっちがたくさん入れた?」
普通に考えれば金持ちの方だが、イェースズが言うことである以上そういうことではないだろうと察して、使徒たちは皆首をかしげていた。
「もう、答えは分かっているね。金持ちはあり余っている中からその一部を献金したんだけど、未亡人にとってはそのレプタ貨二枚が収入のほとんどだったんだ。さあ、どっちだ?」
使徒たちは異口同音に、
「未亡人です」
と、答えた。
その時、石段の上から役人が降りてきた。
「あのう、邪魔なんですがねえ。どいてくれませんか」
使徒たちが奉納箱を囲むように立っているので、献金したい人たちができずに待っていたのである。イェースズは慌てて詫びを言い、使徒たちを端に寄せた。




