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9. 要望書

 机に並べられた各省庁からの来年度予算に関する要望書を見て、国王ウィリアムとジェフは沈黙する。ウィリアムはその宝石のような碧眼を澄まし、窓の外を見たり顎を撫でて思考する。ジェフは書面を睨んでいるように見えてその実、まるで紙を透かそうとばかりに焦点は合っていない。


 各省からの要望書(一部)は以下の通り。


 教育大臣より海外から有識者受入に関する要望書

 軍務省、総務省、法務省から増額の予算草案

 外務及び産業大臣から輸出入薬品の規制緩和目録

 総務及び国土省から土地相続に関する法改正草案(次男以降が相続する場合の税率引き上げ)


「う~ん…普通なんじゃないか、ジェフ。強いて言えば、土地相続の法改正…領地解体の話は進んでいるのにあえての短期施行だが。でも僅かな期間でも余剰金を持つ連中から搾り取っておくのは悪くない手だ。長男からにすると反発は必至だ」

「………」

 ジェフは眉間に皺を寄せ、唇を曲げる。気になる、と言って寵臣がなかなか稟議に上げない要望書。ウィリアムは年下の戦友に笑みを深める。

「教育大臣は昨年議会の間に『他国の猿知恵を移植するな』と外務省が提案した海外からの医療従事者を拒否していました。有識者とどう違う? 外務省と産業省は一昨年の土地入札問題で大きな禍根が残った。残ったが…共同で申請を?」

「大臣というのは意図して忘れっぽい生き物だからねぇ」

「そのように忘れっぽくては政治的駆け引きができませんよ」

「まぁ、まだ今期前半だ。委員会まで時間はある。お前の勘は勘の様でそうではない。任せよう」

「曖昧で申し訳ございません。切れ味の鋭さが売りなのに」

「そんな売りだったかな」

「ご存じない?」

 嬉しそうに二人で笑い、さすがに見飽きたと言って書類を纏め立ち上がる。ジェフは次の会議の時間だった。

「見たよ、新聞」

「ああ。お目汚しでしたね」

「シャルロット嬢とは上手くやれそうか?」

「さぁ、どうでしょう。どちらでも構いませんが」

「お前また離婚するつもりか」

「当たり前でしょう。どこの世界に気絶している間の結婚を喜ぶ人間がいますか」

「カーター家の家人達」

 ウィリアムの楽し気な言葉に肩を竦める。

「彼らは本当にお前が大好きだ。僕も行きたかったよ、白目を剥いた君を見に。花嫁が絶叫したと言うじゃないか」

「奇遇ですね、私も見たかった。三度目の結婚式があればお呼びしましょう」

「するなよ、馬鹿者」

 ははは、と声を上げてジェフが王の執務室を出た。


 長い廊下を過ぎて階を降り、次の会議の前に宰相の執務室へと足を向ける。

「旦那!!」

「うわっ」

 角を曲がると突然現れたバルカスの子飼いが、ジェフににじり寄った。

「奥様が大変です」

「お前現れ方に気を付けろよ。どうした」

「荷物を取りに行かれる為にカティネ子爵家にある自室へ向かった所、この子爵家の兄弟達に監禁されていらっしゃいます」

「ほぉ」

 そう言えば、と思い出す。母親の死後、遠縁の子爵家に引き取られたと調査書に書いてあった。

「監禁の理由は」

「テルミアが同行しておりましたが、奴隷だからと」

「奴隷? シャルロットが?」

「不法侵入で警察を呼ぶとテルミアもサムも追い出され、逆にこちらが通報したそうですが、シャルロット様のことは家の者として民事不介入を主張しているそうです。警察も入れません」

「バルカスは」

「サムが呼びに来て、直ぐに出ました」

「そうか。なら大丈夫だろう。書類一枚で済む。お前は何しに来た」

「何しにって」

「私は今から憲法改正の委員会なんだ。何か証明書が必要そうなら書くが」

「……旦那ぁ…そういう所ですよ、いつも怒られるの」

「馬鹿言うな。妻と憲法どちらが大事かなんて量る必要もない。大体その為にあいつが居るんだから。俺が居ても腕っぷしも弱いのに役になど立たんよ」

 子飼いをバルカスの許へと返し、淡々と書類を片付け、会議の準備をし、近衛の敬礼に頷いてまた部屋を出る。


 渡り廊下から見える夕焼けは、いつもと変わりなかった。



 ****


 打ち付けた背中が痛む。

 なるべく動かさずにいたいが、三か月放置されていた目に見えぬ虫が這うベッドに横たわる訳にも行かず、薄暗い小屋で椅子に腰掛ける。サイレンが聞こえたり、怒鳴り声が聞こえたりしているから、きっと外は揉めているのだろう。

(テルミアさんが兄弟に何かされていなければいいけど…)


 油断していた。平和ボケだったと自分を呪う。

 どうも自分という人間は、緊張感を忘れると次の脅威がやってこない限りどんどんとレベルを落としてしまう生き物らしい。公爵からの拉致にも、兄弟からの暴力にも、せっかく身につけていた護身術が活かせなかった。次からは毎日気を引き締めねばならぬ。


 十四で引き取られたカティネの子爵家には、最初から歓迎されていなかった。遠縁と言っても大分と遠いのだ。互いに存在すら知らなかったくらいに。役所、つまり国は富める者に施しをごく当然に求める姿勢があって、貴族はステータスの一つと捉えて受け入れている節がある。だけど一度や二度の寄付ならわかるが、人ひとりの面倒を見るのは全く別の問題を生む。


 まず屋敷には息子達がいて、母親は年頃の娘について最初から反対していた。『決して懸想してはならない』と言い含められていた兄弟は、やがて現れた可愛い娘に動揺する。ここからラブストーリーが生まれるならば映画になるが、頭の弱い兄弟は母に逆らえず、罵詈雑言をわざわざ浴びせかけつつ事あるごとにシャルロットを構うようになった。母親は『娘に夢中になっている息子達』と『息子を誘惑する女』に発狂し、シャルロットを物置小屋に閉じ込める。丸一日が経ち、見ていられなかった使用人に助けられたシャルロットだったが、それ以来屋敷の主人と奥方からは存在を無いものとして扱われた。

 兄弟はだから、両親に見つからぬようにシャルロットをいじめ、手の中に収めようとした。


 シャルロットはこの脳みその足りない兄弟から自身を守りながら生きて来た。如何せん風呂とトイレが無いので、どうしても屋敷の使用人が使う場所を借りることになる。コソコソと移動するが、しばしば後を追われたり、待ち伏せされた。

 くり返し『ブス』だの『デブ』だの『クソ』だのと罵られ、いやらしい目で風呂上りを付け回されれば誰だって男嫌いにはなる。

 だからシャルロットは何とかアルバイトをしながら高校を卒業して、奨学金の返済と生活費をやり繰りしながらコツコツお金を貯めていた。一刻も早くカティネから脱出するために。


(でもどうしよう。もうすぐ真っ暗になる)


 最初に小屋に閉じ込められた日、空腹と渇きと戦いながら時折聞こえる虫の羽ばたきにパニックになって一夜を過ごした。その時小屋は狭くて真っ暗だったから、それ以来シャルロットは真っ暗で狭い空間にいると思うと呼吸が出来なくなる。

 もしかすると、あれから自分の状況は変わったし、毎日広くて素敵な部屋にいたからパニックは来ないかもしれない。大丈夫かも。


 近づいて来る夜と背中の痛みに唇を引き結んで、微かな助けへの期待を胸の中で無心に叩き壊した。



 外では通報を受けた警官とテルミア、ライアンが主張を繰り返していたが、侯爵家侍女の言葉より子爵家令息の言が優先されるのはこの国の常である。

「本当に侯爵様の奥様であると言うなら証拠を持っておいでなさい」

 やれやれと疲れた様子の警官に諭されるとテルミアは憤慨し、急いで路面電車を乗り継いで書類を取りに屋敷まで戻る。カーターでは驚いたセバスが慌てて書類を揃え、今度は車を回してまたカティネへと乗り付けた。既に陽が落ち、大体同時にバルカスがカティネへと着いた。無駄なことに、バルカスも書類を用意して持ってきていた。

「バルカスさん!」

「セバース!シャルロット様は?」

「まだです、警察が奥様だという証拠を持ってこいと言うので屋敷に一度戻りました。そこから今着いた所です。ですが警察が。また呼びに行かねばなりません」

 ままならない状況にテルミアが青褪めた顔で言った。

「そうか。ん~…民事不介入なんだろ、ではこちらもそれでいこうじゃないか」

「え?」

 セバスが聞き返したその時、轟音を立ててバルカスが屋敷の従業員用のドアを蹴り飛ばした。

「バルカスさん!!い、良いの!?」

「大丈夫でしょ。ダメだったらジェフ様にご登場頂くだけだし」

「そう言われるとそうか」


 一同は納得の上、外れたドアを踏みつけてポーチを歩く。子爵家の使用人がポカンと口を開けて侵入者を見ていたが、慌てて中へと入って行った。

「そちらを左です」

 テルミアの誘導でバルカスは大股で進み、あっという間に身体の大きな男の立つ物置小屋の前に着いた。暗い中、しげしげと小屋の周りを眺めて『こりゃすごい』と呟く。

「おい、お前、中にウチの奥様が閉じ込められているんだ。どいてくれ」

「そうは言っても私も坊ちゃんからの命令でして」

 試しに持ってきた書類を男に見せるが『自分には難しいことはわからない』と効果が無かった。そうこうしているうちに、ライアンとアーロの兄弟がやって来る。

「誰だお前!あっ、ババァがまた来たな」

「今度は証明書を持って参りました!さぁ、奥様を返して下さい!」

 テルミアは怒りに震える声と手で書面をライアンの胸に押し当てる。

「へぇ…。アーロ見ろよ。ブスは公爵様の娘で侯爵家の奥方らしいぜ」

「ははははは!馬鹿馬鹿しい。クソ女が貴族の嫁になんて嫁げるわけがないだろ。お前ら、吐くならもっとマシな嘘にしておけよ」

 手を叩いて喜ぶ弟と笑いながら、ライアンは証明書を引き裂いた。辺りに紙片をばら撒いて三人に『帰れ』と続ける。


「なるほど、俺はおおよそ理解したぜ、セバス」

「と言うと?」

「このアホ面の兄弟はつまり、シャルロット様に懸想…執着しているんだ。あのきったない小屋に押し込めたのは両親だろうが、親には逆らえないから救い出せもしない。胆力もなさそうだ。あんなに可愛らしいシャルロット様をブス呼ばわりして貶めて、まぁそのうち家督を継いだら良い所愛人にでも…大方虐げて心を折ることで飼い殺しにしようって腹だ。だけど、ちょっと意気地もなくてピュアだから、さては兄弟で牽制し合ってるな?」

「なっ」

「誰が奴隷に執着なんぞしているかっ」

「ちなみに、俺はバルカス・ウェーバー。ウェーバー子爵家の息子で、カーター宰相の側近だ。お前達の父、カティネ子爵は確か大手貿易会社を経営する南区の商工会長だったな」

 兄弟は真面目な顔になり、口を閉じた。

「このままシャルロット様から手を引かなかったら、貿易業務の停止命令を出す。告訴して、拉致監禁、恫喝でお前達も引っぱる」

 アーロは慄いたが、ライアンは途中から小さく笑い出した。

「嘘が大き過ぎるな。あんな庶民の女にそんな三文芝居までして何になる。もういいから帰れよ。あー…金が欲しいんだな?いくら欲しい」

「私達はね、この結婚に真剣なんですよ。主が人になる…積年の夢の尻尾なのです!奥様にかけているんです!」

 セバスが強い口調で憤った。そこでお終いだった。バルカスは見切りを付けて片手を高く上げる。皆が思わずその手を見た。

「良いか、俺は引導を渡した。突っぱねたのはお前達だ。さぁ、心行くまで後悔すればいい」

 スイっと手を振ると、突如大きな音がして白目を剥いた兄弟が地面に崩れ落ちた。

「ひっ」

 テルミアがセバスにしがみつく。

「殺しはしてないから大丈夫だよ。よしお前達、奥様を」

 気配が動く。小屋の前に立った男も地面に倒れると、錠が開いて鉄扉が開いた。

「奥様!!!!!!」


 テルミアが顔面蒼白で床にうずくまるシャルロットに駆け寄る。

「奥様!シャルロット様!聞こえますか!?」

 シャルロットは朦朧として荒い息を繰り返し、微かに頷く。

「早く屋敷に運びましょう。医師を呼ばねば」

 バルカスが急いで抱き上げ、一同はカティネを後にした。

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