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63. 宰相夫妻

 車寄せに着いたリムジンで一つ溜息をついて、ジェフは軽くシャルロットに口づける。

「ロティ」

「はぁい」

「あ~、たぶん……結構面倒くさいと思うが、慣れてくれ」

「なにがですか?」

 夫は肩を竦めて先に降り、続いたシャルロットを降ろす。

 バルカスが困った顔をしてシャルロットの側に来た。

「あまりにしんどければ、ビビアンを放り込みますから。僕たちに目線を下さい」

「だから何が!?」


 行けばわかる、と言った夫の言葉は玄関とクロークを過ぎて会場入りした直後から否応なしに分からされた。

「ジェフ!」

「カーター君、カーター君!」

「まさか夜会に君が来るとは」

「君が来ると聞いたから来たんだ」

「ジェフ、ちょっと今、話を良いかな」

「今この件、良いか!?」

 押し寄せるようにただのおじさんや紙を握りしめたおじさんや瞳孔を開いたおじさんや性格の悪そうなおじさんの雪崩が攻めて来て、シャルロットは思わずジェフにしがみついて隠れる。

「んぁー……ダメだ、ダメだ! 今日は仕事の話はしない!!」

「じゃあ、この話ひとつだけ! ひとつだけ!」

「じゃあ私もひとつだけにするから! 大事な予算なんだ!」

 やたらと人差し指をおっ立てて馬鹿でかい声でおじさんたちが叫ぶ。

「ちょっとで良いんだ! 話を」

「何が『じゃあ』だ。今日は陳情会じゃないんだぞ。あ~~~~~、二時間しても酔っぱらってなかったら聞く」

「そんなの絶対無理だろ!」

 周囲は絶望的な顔になった。

「とにかく今日はプライベートだ!」

 すすす、と縮こまった小娘を背中から横に回す。しかしシャルロットは逆立った猫のように固くなっている。

「ほら見ろ! ジェントルマンに有るまじき輩が騒ぐから!」

「だって仕方ないだろ、ジェフが夜会に出るなんて何年振りだ?」

「お前が出るって回覧が回ったんだ。何のために来たと思ってる!?」

 おじさんたちは口々に反論する。

「知らん。だいたい別に夜会じゃなくてもクラブとかキャバレーでも会えるだろ」

「嘘を吐くな! お前、再婚? 再再婚か? 再再々? わからんが、とにかくぞっこんで全然どこにも顔を出さないじゃないか!」

「おー、羨ましいのか、マイク」

「まぁな!!」

 おじさんたちがどっと笑う。ジェフも笑った。それで少しシャルロットも逆立っていた力が抜けた。そんな妻をジェフが一度屈んで優しい顔で見てくる。

「大丈夫か? さぁ、怖いだろうが、友人たちに挨拶をしてやってくれ」

 取り囲んだ大なり小なりのおじさんたちがじっと自分を見ている。

 友人なのか……。

「………」

 シャルロットは胃がキュッとなる思いに駆られた。が、気が付けばすぐ近くにビビアンがひらひらと手を振っているのが見えた。


『ちゃんと言いなさいよ!』

 ジェスチャーで言ってくる。


 そうだ。

 シャルロットは自分で選んでジェフの妻になった。愛しい男は宰相だった。ただそれだけだ。

 ミルクティー色の頭はピッと立って、お腹に力を入れ、それは上手に微笑んだ。

「初めまして、シャルロット・カーターです。今夜皆様にお会いできて大変光栄です。マルーンの家ともども、どうぞ末永くよろしくお願いいたします」

 上品に礼をした小娘に、おじさんたちはちょっとニヤけて嬉しそうにしてくれた。

「そうか、あなたは公爵の妹さんだったね」

「カーターは素晴らしい奥方を貰ったな」

「こりゃ綺麗なお嬢さんだ」


「そうだろう?」

「パパ」

 自慢げな顔をしてマルーンの前当主が娘の隣にやって来る。

「可愛い娘をよろしく頼むよ」

「ブランドン様!!」

「いらっしゃっていたとは露知らず!!」

「何かな。何か話があるのか、なんだね、ぞろぞろと……」

 おじさんたちは今度はブランドンに引っ付いて去って行った。

「ジェフ、モテモテですね! びっくりしちゃった」

 シャルロットが目を見開いて夫を見上げる。

「年のいった男にはなぁ」

「すこくびっくりして緊張でした……今のご挨拶で大丈夫ですか?」

「満点! と言いたい所だが、もう少し無表情で頼む。可愛いのはダメだ、ニヤニヤした顔で見られると腹が立つもんだな」

「くふふふ。今日のドレスも可愛いでしょう?」

「カワイイ、カワイイ」

「ねぇ、その時々二回繰り返すのやめて」

「あ~……可愛い」

 近寄ってきたバルカスとビビアンが聞こえた会話に笑わぬよう口を歪ませている。

「ご挨拶、上手でしたよ、シャルロット様」

「ありがとうございます、ビビアン先生!」

「奥様は案外肝が据わってますからね。さすがにマルーンの血ですか」

 バルカスにも褒められて、奥様は調子に乗る。


 辺りを見回すと、兄とアリスはザレス公爵と王子たちと歓談中である。

 アリスはしっかりとバティークに寄り添い、仲睦まじい様子を見せていた。

「姉さま、もう帰りたくないって言っていました」

「すっかり仲良くなったな。やっぱり似合いだった。ロティ、ワインを?」

「今日はジェフとダンスするまではお酒は飲まないって決めています」

 無言でワインを飲む上司にバルカスが憐みの視線を向ける。

「お前、俺を憐れむ前に自分もな。そのティーン並みの揃いはないぞ」

 バルカスはハッとして傷ついた顔を見せる。

「僕だって……着たくて着ている訳じゃない!」

「はぁ? 何言ってるのよ、選択肢をあげたでしょう? 結局自分で選んだ癖に」

 躾に失敗した夫は奥歯を噛んで耐えるしかない。望み通り強烈な揃いのドレスとタキシードを着たビビアンは朝からずっとご機嫌である。


「あ、ロティ! あのシェフ有名なのよ。食べに行きましょうよ」

「行く~。あ、姉さまも食べるかしら」

「聞いてきましょうか」

「ロティ、あんまり離れるな。俺も行く」

 食べたり飲んだり挨拶したり、楽しい時間が過ぎていく。

 ザレス公爵家の当主と息子たち、若いベルジック公爵当主、ひっきりなしに声をかけてくるジェフの友達のおじさんたち、マヌエル夫人、ティールームで出会ったブリッジ侯爵にガードナー侯爵……めくるめくハイクラスの夜会の中心に兄と王女、父と妹、宰相がいた。


 リンドの栄華を極めたミルクティー色の頭はだが、楽団が奏でる音楽に夢中である。


 次にスローテンポの曲が来ないかなぁ。

 早くしないとジェフが酔っぱらっちゃうのに。


「どうしたロティ」

「ん~」

「ケーキを食べる?」

「食べます」


 選びに行こうと誘った夫は、そこで聞こえてきた音色に足を止めた。

「あ……この曲」

 シャルロットが顔を上げる。

 スローテンポの恋の歌が、会場に流れ出す。ブランドンも顔を上げて耳を澄ました。

「……踊ろうか」

 ジェフの誘いに、もちろん妻は満面の笑みで頷いた。

 会場の前でポールで区切られたダンスエリアに二人は入り、皆がちらちらと見守る中でそーっとダンスを始めた。

 ジェフは最初のタイミングで見失う。

「あ~…ロティはテルミアより小さいな」

「え?」

「あ、しまった」

「ジェフ、テルミアさんと? 練習したの?」

「内緒」

 グイグイと無理やり調整して始まったダンスに、本人たちも笑いながら足を動かす。


「あの舞踏会の夜に、ロティが歌ったな」

「そう。上手くも下手でもない歌って言われた!」

「言ったかな?」

「忘れないくせに……気持ち良さそうに寝てましたね……あの晩から、ジェフが怖くなくなったの」

 身体を寄せ合って見つめ合い、ここが夜会の会場だということも直ぐに忘れてお互いしか見えなくなる。

「怖かったのか?」

「そりゃあ、怖いでしょう? 白目に手籠めにされたら死ねます」

「ははは。手籠めにしようと思えるような色気は感じなかったが」

「………」

「あ~、今は違うぞ。何ならここで押し倒そうか?」

「ふふふふふ。でもしばらくできません」

「ん?」

 ひやかすような兄とビビアンの視線に手を振って、上手なリードの夫にシャルロットは今日も惚れ直す。

「ジェフ、ダンスが上手!」

「ロティも想定していたよりは上手かった」

「まぁ、スローテンポですけどね」

 マイペースでスローテンポの二人には、これくらいがちょうどいい。

「ジェフ」

「ん?」

「赤ちゃんができました!」


 ぐっとシャルロットを掴んだまま、ピタリとジェフが止まる。


 鳩が豆鉄砲を食ったような顔をして妻を凝視する男の喉が上下した。

「うれしい?」

 幸せに満ちた顔で、シャルロットが尋ねる。聞かなくてもわかるのだが。

 楽団が奏でる恋の歌。クルクル踊り続けるカップルの真ん中で、ジェフの腕がシャルロットを引き寄せた。


 すっぽり包まれたいつもの場所で、シャルロットは今日も世界で一番幸せになる。


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