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61. アリスとバティーク⑤

 夜会の支度の段取りをしにシャルロットとビビアンが朝から夫たちと屋敷に帰って行った後で、アリスはバティークとジャンヌの三人でドレスの打ち合わせをした。

「私は体型がわかりにくいようなドレスにしていただければ、なんでも」

 アリスは少し恥ずかしそうにしてジャンヌにリクエストをする。

「殿下の包み込むような大人の女性の魅力を存分に引き出せるようなデザインがよろしいですわね。デコルテからお胸のラインが非常にお綺麗で美しいですわ。いかがです?肩回りを出して、お胸元から下は全て覆います、ロングドレスです。腰回りに切り替えでリボンなどもあしらって少しボリュームを足した後、シフォンのスカートをあっさり目に……そうですね、落ち着いたブルーグレイなんて良いかも。トップの生地には少し華やかなデザインが載ったものを」

「マダム・ジャンヌ、あまり日が無いんだ。セミ・オーダーでそんな手の込んだ仕事が出来るのかい?」

「ええ、ちょうどスカート部分については一度試作品を作ったことがありますので、パターンは既にあるのです。トップは生地さえ見つかれば直ぐできますから。当てもいくつかあります」

 頼もしいジャンヌは太客マルーンの依頼とあって、ほくほくである。

「一緒に同色の一部襟を使ったタキシードで、後りの部分は全て黒で良いですか?」

「ええ、僕は何でも」

「ではタイもこちらで決めさせていただきますわ」

 二人はジャンヌに意見できるほどのドレスに関する知見もないので、大体頷いている内に方向性は決まってしまう。三日後の夜に仕上げ前のドレスを持って来ると言い残し、ジャンヌは風のように去って行った。

 打ち合わせに使った応接には片づけをするメイドたちと、奥で控えたアリスの侍女が残る。

「こちらでドレスを誂えて頂けるなんて思ってもいなかったので、本当に嬉しい、すごく楽しみです」

 頬を染めて喜ぶ様子に、バティークも自然に顔が緩む。

「良かったです。ハラルシュにはきっと豪華なお衣装をたくさんお持ちだとは思いますが、どうぞ末端に加えてやってください」

「末端だなんて。ここ数年はもう、周りの目が気になってしまってパーティーに出ることもなくて……今回貴国への滞在が決まってから、本当に久しぶりにドレスを誂えて頂きました。でも本当は、ああいう王女らしいゴテゴテのドレスじゃなくて、もっと流行りのドレスを着てみたかったんです。だから、本当にうれしい!」

 国益を大きく損なった出戻り王女が嬉しそうに夜会に参加している様も見苦しいだろうと、華やかな場所に出る機会は殆どなくなっていた。振り返ってみれば、二十歳で嫁ぎ、引きこもり生活を経て離縁され、アリスは全く王女としての楽しみを享受できない青春時代を過ごしたとも言える。

 アリスの侍女が、淋し気な目線で王女を見ている。

 様々察したバティークだったが唇を引き結んでいるだけで、気の利いた言葉は出てこない。


 何か言えないのか、僕は……


 考えても出てこなくて、無意識に目の前にあったアリスの手を握った。

「え」

 びっくりしたアリスが大きな手に包まれた自分の手を見る。

「……バティーク様?」

「いや、その」

 握られた手を心細そうに見つめるアリスを、バティークが見つめる。王女の手は柔らかく、包容力のある内面に反して小さかった。小さいな、と感じてなぜか息苦しくなる。可哀想で小さくて、なのに心の器を一生懸命大きくした年上の女が、まるでバティークを真綿で締めるみたいに。ギュッと握って、親指でその存在を確かめるようにゆっくりと肌をなぞった。


 見る間にアリスの顔が真っ赤になる。

「あの、テ、を」

 声がひっくり返った。

「うん」

 だけど男は掴んで離さない。

 あれ、後宮事情を綴った小説を書いたわりにコレで真っ赤になっているじゃないか。バティークは内心で驚く。結構エグイ内容かと想像していたのだが、そうでもなかったか。アリスの態度は予想と真逆だ。まるで少女のようだった。冷静になってきたバティークは少し考える。

「殿下」

「………ぃ」

 少し屈んで、バティークはアリスの目線に合わせてやる。

「二人だけで出かけましょうか、今日は」

「二人で、ですか」

「護衛たちも置いて。そもそも殿下の滞在を知っている者は一握りですし、ちょっと変装でもすればわかりません。そうだ、遠乗りはどうですか?」

「乗馬はあまり上手ではなくて」

「え~…と。殿下がお嫌でなければ、僕と一緒に。どうです?」

 アリスは至近距離で顔を覗き込んで言ってくる年下の男に目線も合わせられず、ウロウロと焦点を彷徨わせながら、やっとの思いで小さく頷いた。

「良かった。では支度をしましょう。乗馬用のズボンを用意させます。ミラに頼みますからお部屋でお待ち下さい」

「あの、はい、かしこまりました!!」

「ははは」

 そのまま手を繋いで赤面したままの王女を部屋まで送り届け、ホッとしたような顔をしたアリスの侍女に目配せをすると、バティークは背筋を伸ばしてミラを探しに行った。



 ****


 カーターの屋敷の前で降ろしてもらい、仕事に行った夫を見送るとシャルロットは久しぶりのテルミアが嬉しくて真っすぐ飛びつく。あらあらまぁ、と専属侍女も嬉しそうに奥様の頭を撫でた。

「おかえりなさいませ、どうされました?」

「ちょっとホームシックでした!」

「ご実家にお戻りになったのにホームシックなんて逆じゃありませんか」

 セバスが横から嬉しそうに突っ込んでいる。

「どっちもホームだからどっちにいてもホームシックになっちゃう」

「良いですね。大好きがたくさんあると」

 はにかむ奥様とにっこり見つめ合うと、テルミアとセバスが予定を聞いてくる。

「今日は一晩こちらで過ごして、明日の昼間にまたお迎えが来るので向こうに行きます。あの、夜会に出るんですって! なんと、ジェフと!!」


 セバスとテルミアが雷に打たれたように固まった。


「お……奥様、今、なんと……」

「そうでしょう!? そうなりますよね! ザレス公爵が、アリス殿下の為に来週夜会を開くのですって。それに私とジェフも参加するのですって。その支度の段取りの為に帰ってきました」

「ら、来週!?」

「はい。ちょっと急だから、着るものは適当で良いってジェフが」

「適当で良い訳がない!! あ、あ、どれにしようかテルミア!?」

「そうですね。あちらのクローゼットに行きましょうか」

「あちらってどちら?」

「内緒のクローゼットです」

 そんなのあるの? 奥様は自分も知らぬ衣裳部屋の存在に舌を巻く。カーター家の家人たちは徹底して用意周到なのだ。

「初のご夫婦での参戦ですね! このテルミア、滾ります!!」

 シャルロットが上目遣いに侍女を見る。

「キャメラマンを手配しなければ……お二人のメモリー…!」

 今度は反対側にいる老執事を見遣る。

「私、いつまで経っても『のんびり癖』が抜けなさそう」

「何を仰ってるんですか。さぁさぁ、行きましょう。本気のドレスを見に」


 屋敷の一階、北側奥にある物置きのような部屋に入ると、さらに奥にウォークインクローゼットがあった。そこには黒くて薄いカバーのかかった衣裳がたくさんかかっている。

「ひとまず奥様の方だけで良いな」

「そうですね」

 数人呼んで来たメイドたちと共に、次々とカバーを外していく。

「わぁ……え、これ全部私のドレスですか!?」

「さようでございます。奥様が一度目の結婚をされた際に持参品としてマルーン公爵家から持ち込まれたものと、カーターで誂えてあったドレスですね」

 ぜ、全然知らなかった…!

「こんなドレスがあったのに、あの夜会の時にドレスを誂えたんですか?」

「それはそれ、これはこれです。まだ本格的にジェフ様が奥様をお出しになられておりませんがね、ファーストレディなんです、これでは少ないくらいですよ、恐らく」

「はぁ」

 口を開けてドレスを眺めているシャルロットには店に来ているような感覚しか持てなかった。しかも何だか、ごってごてのバルーンスカートのドレスまである。アレは着たくないな。


「まずお色味を決めましょうか。初回ですし、イメージは大切です」

 セバスの言葉に、頷いていたテルミアがふと顔をあげ、奥様ちょっと、と隅に連れて行かれる。

「そろそろかと思いましたが、月のモノはお済で大丈夫ですね」

 主の予定は全て把握している専属侍女である。プライベート中のプライベートまで知っている。

 知っているが、本人は宙を見つめた。


 あ………


「あれ?」

「え?」



 ****


 背中に感じる男の熱に慣れず、アリスは時折耳を赤くさせながら言われるまま右を見たり左を見たりする。

「あのレンガに焦げ茶の屋根、細い塔に大鐘がある建物がシュルツヴァーン大聖堂、妹夫婦が挙式をした場所です。そこからもっと右手に見える白い建物が先日行った国立美術館と博物館、真っすぐ正面……遠くを流れている川がわかりますか?」

「はい、見えます」

「そこがセザンヌ通りのある所です。キャンティーズの」

「ああ、アタマジールですね。ふふ」

「そうです、そこ」

 馬の背から見る高台からの景色、静かに目線をやるとアリスはほんの少し淋しくなる。


 これからこの場所が、私のホームになるんだわ。


 かと言って、ハラルシュやサンマーレに思い入れのある場所があるわけではない。母国に存在している子どもの頃の思い出は多いが、二十歳を過ぎて以降、その場所は随分と居心地が削がれてしまった。愛国心は変わらないが、自分の居場所はないと思う。


 街を凪いだ表情で眺める女の睫毛を頭の上から見下ろし、バティークが思い切って口を開いた。

「殿下は、今でもサンマーレのフェリペ様を思い出したりされますか」

「フェリペ様を……ですか?」

「ええ」

 唇を半開きにして、瞬きも忘れ、眩しそうにして、胸をおさえ……何かに焦がれたような王女。

 妹夫婦を見ていた時のアリスを思い出し、バティークは頷く。

「私と殿下が、友達のような夫婦になれないかと先日仰いましたが」

「ええ、言いました」

「それは、アリス殿下の胸の内には、まだフェリペ様がいらっしゃるからではないかと。想像ですが」

「まぁ……おりませんわ」

「え?」

 あっさりした回答に、バティークは思わず素で聞き返す。

「いない? 本当に?」

「はい。全然、一ミリも」

「そうなのですか!? あれ、おかしいな、てっきり僕は」

「そう言えば、フェリッペを好きかどうかも考えたことがありませんね」

「フェリッペ!?」

「後宮内での渾名です。秘密ですよ。フェリッペとかフェリちゃまとか呼ばれています。恐ろし過ぎて、一周回った妃たちの間でそう呼ばれるのが慣習みたいになっているのです。一軍妃は瞳をハートマークにして『陛下』と呼びますが」

「はぁ」

「私、至近距離では式の日にしかまともに話したこともないので……何も生まれないまますべてが終わってしまったのです」

 アリスはまた淋しそうな顔になって、バティークはやっとストンと気持ちが落ちた。


 なんだ、そういうことか。


「あなたは、フェリペ様と恋をしたかったのですね」

 黙ってしまった横顔が前を向いてしまう。

 だけど後ろから見える耳が、また赤くなっている。小さくアリスが頷いた。

「本当に何も分かっていない、バカな王女でした」


 じんわり浮かんだ涙が、落ちもせず瞳に留まる。

 涙も落ちない始まりもしなかった恋と、役立たずに終わった王女としての自分を。

「どうぞ笑ってやってください、バティーク様も」

「………アリス」

 バティークが後ろから、小さく丸くなって震える王女を抱きしめる。

「あなたはよく頑張った。もう何も考えずに、僕のところにおいで」

 ぽたぽた涙が落ちていく。

 アリスは温かい腕の中で声を上げて泣いた。


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