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60. アリスとバティーク④

「夜会? ジェフ様が?」

「うん。ザレス家がアリス殿下を招きたいから開くらしい。それに皆で行こうか、って。行くか?」

「行く~~~~~~~~~!!」

 万歳して飛びついた赤毛をキャッチしながら、勢いベッドに倒れ込む。

 しばらく会っていなかった新婚夫婦は、マルーン邸のビビアンの部屋で隙間なくくっ付いた。

「チャイナドレスはもう着るなよ」

 バルカスは知っている。妻のクローゼットには新たに取り寄せた谷間部分になぜか穴の空いたチャイナドレスがあることを。しかも最悪なことに穴の形はハートマークだった。

「ん~、どうしようかなぁ」

「ビビ、俺が選ぶ。無いなら買ってやる」

「選択肢をあげます」

「またそれか!」

「とっても可愛いチャイナドレスか〜、恥ずかしいくらいのお揃いか」


 さぁ、ダーリンはどっちかしら?


「………」

 この世の苦悶を眉間に集めたようなバルカスがもにもにと唇を動かしている。もう三十二になった。妻とまるで十代が着るような揃いを選ぶ歳ではない。ただでさえ元王女を顔で釣ったとか幼い頃から囲いこんだロリバルと揶揄され陰口を叩かれていて、揃いで嬉しそうに夜会なぞ出た日には白い目で見られる光景しか浮かばない。

 だけどバルカスには分かっている。チャイナドレスは手の込んだブラフだと。この可愛い可愛い元王女が、本当に着たいドレスは――――。


「ねぇ、ねぇ」

「………」

「一回も着てくれないアレ」

 一生カバーから出ない予定のスーツを思い出して眉間に皺を寄せる。

「着て? ねぇ、着ようよ!!」

 ほら!

「ちょっと待て! なんの『ほら』だ。このタイミングで脱ぎだすのは反則だろ」

「良いじゃない、だっておねだりには一番効くんだもの」

 ガバッと脱ごうと服をクロスで握った妻を捕まえて腕の中に何とか閉じ込める。

「はぁ……真面目ぇ。つまんない男ね」


 呟いたビビアンの言葉に、リンド一の男前がカチンと来る。首元に指を入れるとスルリとネクタイを引き抜いた。

「ビビ」

「なによ」

「おねだりにも使えるが、躾を入れるのにも使えるってこと忘れてないか?」


 ん?


 ビビアンが笑っていられたのは勿論最初だけである。


 ****


 可愛い口を開けたまま自分を見ている妻に、ジェフは頭を掻く。

 割と簡単に決めてしまったが、考えてみれば十六も年上の夫がエスコートして夜会に行くのだ。それ程嬉しいものではないかもしれなかった。

「嫌か?」

 シャルロットが突然、自分の頬を叩いた。

「えっ、何してる」

 目を丸くしたジェフが慌てて打った手を握る。


 夫は全く社交場に出ない生き物だと聞いていた。たまに他国の招待客等の関係で出席するが、それも基本的に華々しい外交担当はウィリアムが担う為、用事が終われば仕事に戻る程度の参加だと。なのにどうしてか今、シャルロットは夜会に誘われている。

「あ! わかった、何かスパイ活動ですね?」

「いや、全然。ザレス公が『たまにはお前も普通に出ろ』と。バルカスの件で借りを作ったのもあるけど、考えてみればロティをちゃんと連れて紹介していない人も多いからな。今回は高位貴族を中心に、あまり品が良くない連中は招待しないし……少しずつ君の認知度も上げていく。ファーストレディの役割も選挙法の改正と同じくして増える予定だしな」

「ふぁ~」

「ふあー……? なんなんだ」

 腕組みしたジェフが面白そうに口を開ける妻を見る。


 だって、うれしすぎて信じられない。桃色の唇はにんまりと弧を描く。


「絶対絶対、行きます!」

「そうか」

 承諾の言葉にちょっとホッとして、男は内心で自分に呆れた。シャルロットが四十になったら五十六、五十になったら六十六! 永遠に埋まらないこの差と一生向き合わねばならないのだ。

「はぁ……帰ったらセバスに相談しよう」

「何をですか?」

「苦めの漢方を端から試すか」

「急に? あ、あの、ところでその夜会にはアリス様のエスコートは兄さまですよね」

 勿論そうだ、とジェフは頷く。

「良かった。今日、アリス様がお見合いは兄さま次第だと仰っていたのです。どうされるおつもりなのでしょうか」

「ちょっと座ろうか」


 並んで座ったジェフの左腕の下から見上げると、とりあえず長々と口づけされる。

「…はぁ……」

 苦しくなって目を閉じたまま胸を押し返すと、『あ、悪い悪い』とジェフが我に返った。

「近頃セバスの漢方が効いてるのか、すぐにしたくなる」

「ちょっと、そう言うの言わないで!!」

 誰もいないのに慌てたように大きな口を手で押さえると、笑うジェフが手を掴んで舐め始めた。

「ジェフ、だめ、ちょ……んっ」

 シャルロットの瞳が潤んで真っ赤になると、ちょっと満足したように口に含んだ指を抜いた。

「んー、じゃあ続きは後で。バティークだが」

「はい」

「色々と事情はある。先ごろの同盟もあって欧州での発言権がまぁまぁ強いリンドと中東の境にあるハラルシュ……ハラルシュは立地もあって欧州内での立場が弱い。だが宗教上の理由もあって中東にも染まり切れず。リンドは中東から石油のパイプを引きたいという要望があるんだ。だから婚姻の成立は両国に大きなメリットをもたらす。何も理由なく陛下と父上が王女との婚姻を打診した訳じゃない。だから、普通の見合いと政略婚の真ん中くらいの状況だな」

「はぁ……石油、ですか」

 シャルロットはほんの少ししょんぼりして頷く。

「王女はサンマーレという過酷な嫁ぎ先から戻られて、ハラルシュ国王としては次の結婚がより良いものになるようにとは考えておられるはずだ。だからこそマルーンとの見合いに賛同したし、断りも有りという条件にした」

 夫の指が、ミルクティー色の髪をくるくると指に巻き付けて遊ぶ。

「だが、王女は真面目な方のようで」

「はい、ニコニコされてて穏やかで、芯の強そうな方です」

「うん。王女としての役割を果たしたい、と強く思っていらっしゃると。ハラルシュ国王からの書簡に書いてあった。だから……王女は受けるだろう、この話を」

 シャルロットはジェフの顔をじっと見る。

「シャルロット、バティークには最初から『ノー』はない」

「え、そうなの?」

「ああ。本人の口からはまだ言わないだろうが、国益を損ねる予定はマルーンにないだろう」

「では『お断り』って誰の為のものなのですか?」

「さぁ」

「さぁ、って」

「誰も殿下に不幸になどなって欲しくはないんだ。だけど、今の状況ではバティークが彼女を幸せにできるかというと、わからない……そういう状況だな」

「んー……なんか、難しいですね。王女様って大変だわ。兄さまも会ってすぐに好き嫌いがはっきりする訳ではないですし」

「ロティ、バティークが結婚したら淋しいか?」

「全然! 結婚式とか楽しそう~! アリス様がお姉様になるなら最高だなって思います」

 そうだろうな。ジェフは苦笑する。

 シャルロットにとってバティークが兄以上であった瞬間など恐らく一秒もない。兄でさえなかった瞬間は多かっただろうが。


 垂れ目の義兄は妹への気持ちを完全に葬ることが出来ず、先へ進めない。ジェフが叩き折ってやる方法は色々あったが、今となればバティークも可愛い。それとなく目の前でのスキンシップを増やしたり、引導を渡したり。だけど何か決定的に足りていないのだろう。アリスと距離を詰めていこうとはしない。今朝ようやく生まれた『知りたい』という気持ちが一歩になればと願うばかりである。


「ジェフ」

「ん?」

 結婚式の妄想ですっかり兄の心配が他所に行ったシャルロットが甘えてジェフにくっつく。

「ジェフとダンスするの、楽しみ!」

「……ダンス……?」

「そぅ、夜会のダンス! あーうれしい!!」

「シャルロット、ダ」

「ずっとジェフとダンスを踊ってみたかったんです! 舞踏会ではバルカスさんでしょう、それと最初で最後だと思っていた夜会では兄さまと踊って。でもどっちも時々思い出したら、いつの間にか相手はジェフになっちゃう」

「ダ……」

「くふふ」



 ****


 翌朝、全員が着いた賑やかな朝食の席でブランドンがアリスに向かって口を開く。

「殿下、体調にお変わりはありませんか」

「ええ、ブランドン様。毎日大変素晴らしいお料理とヨガやおでかけで心身ともに絶好調です」

「それは良かったです。シェフも喜びます。殿下がご滞在の間のメニューを百通りも考えていましたからね」

「百通りですか! まぁ……なんて嬉しい。また改めて御礼を申し上げます」

「いえいえ、礼など。お口にあったならそれだけで。ところで殿下、残すところ今日を含め十日となりました。リンドのマルーンと横並びのザレス家が、是非殿下の為に夜会を開いてもてなしをしたいと。今回ご滞在期間の最後の思い出としていかがでしょうか。マルーンからも今ここに居ります全員が殿下とご一緒させていただきます」

 アリスは見る間に瞳をキラキラさせて笑顔になった。

「嬉しいです! 是非参加させてください。ブランドン様もご一緒できますの?」

「はい、ザレスが失礼をしないよう、見張りで行かせていただきます」

「うふふ! ザレス公爵は随分と声の張った威圧感のある方でしたわ。あんな方が公爵にいらして、貴国は頼もしいですね」

「さすがに殿下はご感想も一流ですね。当日のエスコートは僕にさせて頂ければと思うのですが」

 バティークがにっこりと提案すると、アリスも品よく頷いた。

「もちろんですわ。どうぞよろしくお願いいたします。あ、ドレスは王城での歓迎会の夜に着たドレスです。大丈夫かしら」

「殿下、差し出がましいですが、今リンドで一番流行のドレスを作る工房から朝食後にデザイナーを手配させています。フルオーダーではありませんが、良ければバティークと合わせてお作りさせて頂けないでしょうか」

「えっ、良いのですか?」


「それ絶対ジャンヌ!!」

「きゃ~!」

 ビビアンとシャルロットが興奮して手を叩いている。

「お二人は御存知のデザイナーですのね」

「ジャンヌは天才です!!」

「ぜ~んぶ可愛い~!」

「二人はジャンヌの大ファンで、ウェディングドレスも作って貰ったのですよ。自分のドレスでもないのになぜそんな喜べるんだ?」

 バティークが喜ぶ二人に苦笑いで説明する。

「見るだけでも最高に楽しいのよ、ねぇ、ロティ」

「そうそう、何時間でも見ていられるわ」

「そんなにですか? それは楽しみです。また沢山の大事な思い出が増えますね!」


 シャルロットはブランドンも出ると言ったので、それに驚いていた。

「パパも行くなんて、びっくり。ジェフもパパもよ。楽しみ過ぎる!」

「ロティ、ジェフ様と夜会に出るなんて夢のまた夢だったものね。叶って良かったじゃない。 おじさま遂に陥落。朝刊の見出しよ、夜会にグラハムを呼びましょうよ」

 ビビアンがにやにやしながらジェフを見る。聞いて皆がどっと笑った。

「陥落言うな」

「ビビ聞いて、昨日の夜、ジェフとダンスの約束したの」

「へぇぇぇぇぇぇ」

 にやにやが止まらないビビアンの横で、バルカスが口元を歪ませながら主人の顔を盗み見る。

「ジェフ、一応伝えておきますが、ロティは上手ではないですよ」

「ちょっと、酷い兄さま!」

「いやいや。だってリードする側がある程度は覚悟しておかないと。なぁ、バルカス」

「まぁ…ええ」

「でもあれからビビと時々ダンスしてもうちょっと上手くなっています!ねぇ、ビビ」

「ん~……うん?」

 ジェフがビビアンの顔を凝視する。

「ダンスタイムが俄然楽しみになって来たな。ロティを頼むよ、ジェフ」

「……はは」

 ブランドンが満面の笑みでジェフに最終攻撃を落とした。



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